2007/12/14

互換CAD その続き



progeCADと言うのを見つけた。少し前に記事に書いたintelliCADの仲間である。

写真左側のWindowで開いているのは"AutoCAD2007体験版"、右側が"progeCAD 2008 Smart!"。両者ともAutoCAD LT 2007体験版で作成したDWGファイルを開いてみた。(両者ともデフォルト設定のまま。)

日本語フォントがprogeCADで少し太く見える意外は色も全て同じように見える。モデル空間ばかりでなくペーパー空間の表示も継承されている。コマンドアイコンはデフォルト設定の違いで表示されている数がprogeCADの方が少し少なめになっている。アイコンの形は少し変えられ、著作権に抵触しない配慮がなされてはいるが一目でそれとわかるものになっているようだ。

適当にキーボードから2Dの作成コマンドを(アイコンからではない)幾つか入力してみたが、progeCADの挙動はAutoCADのそれと何も変らなかった。progeCADの画面だけ見ていたらAutoCADと勘違いしてしまいそうだ。

未だ詳細にチェックしたわけではないので全くこれで良いかどうかは分からないことに注意。



入手方法
入手元はProgeSOFT社
このサイトのLanguageからEnglishを選び、次に出てきた画面左端の Site Areas の下の Smart! をクリックして出てきたページから個人使用に限り無料でダウンロードして使用できる。

登録
但し、インストールして起動する時にユーザー登録が必要。登録時に氏名と住所とメールアドレスを聞かれる。メールアドレスに対してシリアル番号とオーソライゼーションコードを送ってくるのでそれを登録すれば使える。

制限
1.付属する建築その他用のブロックのライブラリの中から各15個(最初に使用したもの)しか使用できない。しかしこう言ったものはメーカーが用意してくれているものを使うか、自分で作れば良いので問題ない事かも知れない。
2.AutoCADで作図した図面にAutoCAD専用フォントが使用されていた場合、文字化けが発生することがあるらしい。(これは他のintelliCADでも発生すると聞いている。)もしAutoCADを持っている(ライセンスを持っている)ならば、そのフォントのパスを指定すれば良いとの事。ライセンスが無い場合は変換テーブルを自分で書いて似たフォントを使用すれば良いとのこと。
3.メニューなどが日本語で無いこと。



追加
上記「制限」のうちの文字化けの問題はAutoCADのフォントが無いことによるが、Autodesk社のサイトから無料でダウンロードして使用可能な「DWG TrueView™」の中にもAutoCADシリーズと同等のフォントが含まれるのでこれを使用できると考えられる。

使用方法は「DWG TrueView™」をインストール(登録だけは必要)して、インストールしたフォルダにあるFontsフォルダをprogeCADのフォントに指定する。Tools->Options->Paths/Files(タブ)->Fontsの項目で指定。

注意:DWG TrueView™のFontsフォルダとその中身をコピーして使用するとライセンス違反となる可能性がある。使用にあたってはDWG TrueView™及びprogeCADともに自己責任で。

都市計画学の試験結果

都市計画学の試験結果が来た。
「B」だ。

どうもレポートも試験もこの科目はダメだったようだ。
しかしあれ以上何を書けば良かったのやら。

2007/12/06

祈り



メキシコ料理店で昼を食べた。
27Fの大きな窓からは街が見下ろせる。海上に広げられた埋立地には知らない間に随分と建物が多くなっていた。この埋立地は観光地の目玉であり新しいオフィス街として、市が鳴り物入りで造成したものだ。

ここに出来た最初の建物の一群は港の街のイメージに合わせて帆船の帆の形、そこに連なる靴かのものは海に向って屋上の形を傾斜させたものなどであった。このままの方法論で行けば、それが美しいかどうかは別として統一感ある海に開けたビル群による新しい都市の予測が成り立っていたと思う。

だが今現在、その予測は裏切られているようだ。その後に埋立地に入る企業は少なくなり、市長が大手企業に頼み込んで本社機能を移転させたように聞いている。そんな努力によって長い間空地になっていた土地に次々とビルが建ち始めた。だが時を置いて立ち始めたそのビル達は当初のビル群とはデザイン上何のつながりも持とうとはしていないようだ。

今やそこは元海であった所のようではない。たくさんの屏風のように林立したビル群に遮られて海の痕跡は内陸部からは確認できないようになってしまった。一目でそれとわかるオフィスビル、通信関係企業の建設した大きなアンテナの付いたビル、そしてマンションである。

一目でそれと分かるのは、もちろんどこにでもある四角い、そして蜂の巣状の穴が細かく規則的に並ぶビルに、オフィスビルであれはガラス窓が空を反射させているし、マンションであれば個別空調機とベランダが付いている、所謂見慣れたものだからである。


こう言う風景を眺めるのに飽きたところに、メキシコ料理店の窓の横にある陶器の人形が目に入る。多分安い土産物であろう。だが土産物であってもその形は、きっと何かを表しているのだろう。それが何であるか良くはわからないが全くデタラメに作ったような気はしない。

昔の人はこう言う物を何らかのために作ったのだろう、とだけ想像される。何かのために。何かとは願いであろうか、祈りであろうか、それとももっと別の何かかもしれない。豊かな実りを望んだのか健康であろうか死後の事なのか、我々が神社に賽銭を投げたりするのと同じかどうかはわからない。いずれそう言ったものであろう。

彼らはその願いや祈りに相応しい形を作らんと粘土を捏ねたのだろう。頭の羽根、クチバシ、首に掛けた何か、装飾品。きっと希望に相応しいものであったに違いない。

そこにはきっと、我々がこんなに大きな建物を造るときには気にする事の無い、いや気に掛けることすら忘れた祈りや願いが込められているのであろうか。



そんな事を考えていると、最近聞いた建築家の言葉が何かしら、単に機能についてのみ言っているに過ぎないのでは、と感じてしまうのである。

2007/12/05

西沢立衛のサイエンスカフェに行ってきた

横浜国大のサイエンスカフェに行った。
講師は西沢立衛氏。「新しい建築をめざして」と言う題であった。


簡単なまとめ

西沢氏が建築を作る上で気にしている事。
1.建築の使われ方、使い方。
2.環境との関係。
 2-1.環境に合う事。
 2-2.環境に与える事。

西沢氏が自らの建築に求めるもの。
1.開放性
2.明るさ
3.透明性
4.シンプルさ(複雑なことを整理したいと言う個人的な感覚らしい)

個別の建築に対しての説明があったがそれはここでは割愛。
(雑誌を探せば書いてあるだろう。)


西沢氏の印象
我々 (つまりこれを読んでいてくれるあなた) からそう遠くない位置にいるのではないかと感じる。壮大な理想、難しい思想など、そういったものは一切無く、上に書いたようにもっと単純な事を追求している印象なのである。

建築を学んだ大学生がうまく大人になった感じ、とでも言うべきだろうか。「そのまま行ってる」と言ってわかってもらえるだろうか。学校で学んだ事を、毎日自分なりにきちんと考えているんだろうと思えてくる人なのだ。

話を聞いていると、それは我々がテキストや先生達から得たものの延長上にあると言う感覚がある。


以前、伊東豊雄のところで思ったのは、最近の建築家は作る人じゃなくて、使う人ではないかと言う事。作る人はちょっと前の巨匠達で、巨匠達はだいたい枠組になるものは全て作ってしまった。そして皆死んでいった。今の建築家はそれを勉強して使っているように思う。

西沢氏を見ていても、そう言う時代なのかと思う。
批判的な意味では無く。

成績票が来たら

成績票が来た。
成績票と言っても試験結果ではなく、履修状況連絡票と言う現在までに履修した結果がまとめて書かれた表である。

これによれば、レポートでA、試験でBであった建築環境工学が総合でAになっていた。試験結果が全てかと思っていたら総合評価はレポートも加味した別のものであったらしい。棚から牡丹餅(ぼたもち)、得した気分だ。

2007/12/04

構造力学Ⅰの結果

構造力学Ⅰの成績がたった今、届いた。
「A」だった。

よかった。

”三年寝タロス”さんが優秀賞

「こんな家に住みたい!埼玉の木の家・設計コンペ2007」において、同じ大学で学ぶ通称”三年寝タロス”さんが優秀賞(学生の部)を受賞した。

おめでとうございます。

次回会うときにインタビューしてみようと思う。


作品の写真は下記。
建築なアレコレ -2007.12.03

みんなのコンペ!

以前コメント欄で書いたバーチャルコンペをmixiで始めた。
初回のお題は「表参道ヒルズ」だ。
安藤忠雄にアイデアで勝てると思う人は参加すべし。

みんなのコンペ!
(リンクはmixiのIDをお持ちの方しか入れません。)

*****************以下、コミュニティの説明*****************

誰でも参加できるmixi上のバーチャル建築コンペです。
早く言えば ”コンペごっこ” です。


概要
管理人が「お題」を出しますから、アイデアを考えてコンペに応募してください。
「お題」は現実に在って誰でも知っている建築物ですが、もしその建物が作られる時のコンペに自分が応募していたら、どんなアイデアで応えていたでしょう?と言うものです。
つまり「有名建築家の作ったあんなのより、自分のアイデアのが上だろ!」って感じです。


簡単な応募方法
「お題」を見て、「自分ならこうする」と思ったアイデアをラフスケッチ、言葉などを描いてコメントに書き入れるだけです。イラストだけ、言葉だけでもOK。何しろアイデアの意図が伝わればそれでいい。

紙に絵を描く -> デジカメで撮る -> アップ!


参加資格
誰でも参加できます。建築関係以外の方もでOK。


ご注意
他人の作品を批判しないでください。
作者への質問はしてください。
前に出した人のアイデアをパクるのはOK。ただし、そのままではなくてより良くなっている事。
逆に、パクられるようなアイデアの方が良いかも。
ウケ狙いOK。
一人何回でも応募可。
締め切り無し。
審査せず、順位もつけず。


その他
考える時間は30分以内ではいかが。
だって、時間があるほど勉強が先に進んでいる人に有利でしょう。初心者のアイデアの中にも良いものがあるかも知れないですから。ここはできるだけ完成度の低いところで平等に勝負といきましょうよ。


お題への希望は募集
この建物を「お題」に挙げて欲しいと言うのがあったら、それは専用のトピックにコメントで入れてください。運がよければ取り上げます。



<ちょっと複雑な趣旨説明 (暇な人だけ読む)>

.現実にある建築物を見て回ることが建築を学ぶ上で必要です。
しかしこれに関して我々は批判するか賛辞を送るしか、現実的には方法はありません。しかし本来それは建築家のすべき事ではなくて、評論家のすべき事です。もしあなたが建築家を目指すなら (または、すでに建築家であるなら) 必要なのは、批評を心に留めておくことにして、形にすることではないでしょうか。

と言うわけで、あの有名建築家への批評の代わりにもっと良さげな「提案」を皆に問うてみてはいかがでしょう。


やり方(案)
1つのトピックに1つの「お題」を設定します。
「お題」は現実に存在する建物です。誰もが知っているものを選びます。

この建築物の代わりに「自分なら何を提案しますか?」がお題です。

用途はその建築物とほぼ同じで考えます。
法的規制は考えません。
提出するもの(コメント欄に書くもの)はラフなアイデアスケッチ、または言葉、及びその両方を基本とします。平面図、パースなど描きたければそれも不可とはしません。意図が伝われば何でもOKとします。

注意点
アイデアを考えるにに30分以上かけない。
一人何回でも応募可。
締め切り無し。
審査せず、順位もつけず。

批判コメントは不可。(奇抜なアイデアを潰すためにやるのでは無いから。)
アイデアに対する質問は可。
誰でも参加できる。建築関係に限らない。

2007/12/02

現代建築論のレポートを郵送

やっとのことで完成した現代建築論のレポートを今日、郵送した。

読み返してみると、紙の枚数が多いだけで案外大した事はない。がっかりだ。
昨日と一昨日で半年分の原稿とイラストを再度点検し、稚拙な内容と雑な文体を少しはどうにかしたはずだった。なのに改めて読み返してみるとそれほどでもない。嫌になってA4封筒に収めて隠す。そのまま郵便局で計量して終わりにした。

235gで35円。第4種郵便物でよかった。
紙レポートにしては自己最高記録だ。が、質を量で量ることはできないのである。

安藤忠雄に関するちょっとした事


写真:安藤ストリートの建設中の建物


よく囁かれる事に「安藤忠雄は建築士の免許を持っていないのではないか」と言うのがあるが、安藤忠雄はちゃんと建築士であるらしい。めでたしめでたし。(何がだ!)


写真:仙川の集合住宅の屋根部


この屋根にはパラペットが無いようであるが、雨水の処理はどうやっているのだろう?ご存知の方、教えてください。

2007/11/30

堀木エリ子の世界展 at 横浜そごう

「堀木エリ子の世界展 和紙から生まれる祈り」を見てきた。

堀木エリ子は和紙を使った灯や空間デザインをしている方だ。日本の伝統工芸を現代の建築やインテリアに用いることができるように、つまり守りの伝統から使える伝統への橋渡し役のような事をしているように受け取られた。

単なるデザインでなくビジネスや技術開発としてもよく考えていて、単なる芸術家ではない。(創造の中身はHPに詳しいので触れない。)


そのデザインはやはり現代的であって、所謂「和モダン」である。(こんなお手軽な単語に集約してしまうのは失礼かと思うが、長くなるのを避けるためと思ってお許しいただきたい。) 幾何学と伝統柄、そこに偶発的なテクスチャや色が重ね合わされ用いられている。

偶発的と言うのは本人の言うに、水の流れや水滴の飛び方のような人がコントロールできない部分である。焼物でも釜から出てくるまで色の出方や縮みによる変形は名人でもわからないと言うが、それと似たような事かと思われる。

建築では木材の経年変化や壁面のツタの這い方程度しか思い浮かばないが、焼物や和紙のように偶発性を使用する工芸的な手法と言うのは出来ないものかと思う。作る前から全て計画された方法が主であるが、湯呑や花瓶を作るように建築ができても良いかも知れない。

互換CADと言う選択は

CADはもちろんプロ用のアプリケーションなので価格が高い。


そこで出てくるのが互換CADである。

AutoCADの互換CADは主に3種類あるようだ。各社のサイトを見る限りにおいて、見た目もコマンドもAutoCADとほとんど同じ。ファイル形式も同じでまさにクローンと言っても良いほどのもの。これで訴えられないものかと人事ながら心配なければならないほど。

インテリジャパン社
IJCAD 6 Architectural(建築用パッケージ\157,500)

コスモエレクトロニクス社
IntelliCAD+adpack-Desir(建築用パッケージ\118,000キャンペーン)

チャム・ジャパン社
ZwCAD(汎用\100,000)


どれも元ネタは同じインテリCAD(各社にソースコードが公開されている)である。
DWG2008がそのまま読み込み編集可能と書かれている。それにこの程度の値段だったらパソコン1台程度なので買えないこともない。

AutoCADと同じコマンドが使えて普通に図面が描けるならそれで練習用には充分であるような気がするが、どこまで互換があるのか、何か致命的な不都合がるのかを自分のスキルで判断できない。その為体験版のダウンロードを躊躇している。


これを読んでいる方でAutoCADを使われている方、体験してレポートしていただけたら助かります。

2007/11/29

建築家の文章の読み方は

これまで何人かの建築家の文章を読んで来た。
そこから感じたことに加えて、傾向と対策を考えてみた。


現代建築家の書く文章の特徴は、

(1)同じ事を何度も説明したがる。
これは本来の仕事をしながら時々 (求めに応じてか?) 書いているものをまとめて1冊にした本が多いこともあるが、結局それほど要点と言うものが多くは無いらしい。文章の中に自らの作品の解説を入れながらその思想を説明するわけで、異なる建築物に対して同じ思想の説明が入るのは納得がいく事だ。

(2)自分で適当に勝手に定義した単語を使いたがる。特に心理学用語らしきものが多い。
建築は言語に近い芸術と言う人も多い。物事を説明するのに建築の思想に対応する単語が必要であるのだろう。但し、その単語の概念は一般的では無いのであるから、何とかして説明していただかないと困るが、相手が建築であるためにそれはかなり難しい仕事である。建築家も作品を説明するために苦労するのである。

(3)過去に学んだ事を勝手に解釈して言い切る。
建築家だって学生時代はあったはずで、学生時代に我々と似たような書物を読んで何かしらを得たはずだ。その時にどんな学び方をしたか、もしかしたら当時流行の思想の上に解釈していたかもしれない。ある部分はそのままそれで解釈が止まって固定された事もあるだろう。


なので適当に飛ばし読みして、つまらない文章やまた同じ事言ってると思ったらそこは読まない。子供に説明できないようなわけのわからない文章には真面目に付き合わない方が良い。どうせ本人も迷ってるのだろうし、きっと次の本の時には別の事を言っている。それは悪いことではなくて、考えている証拠だろうから。



雑誌などで建築家どうしが対談した内容が掲載されていることがある。そんな場合、絶対相手を批判したりはしないことになっているようだ。予め喧嘩にならない相手をセッティングするのだろうか。褒めあっているだけでほとんどの場合面白く無い。しかも、会話しているようで勝手に自分の事を言い合っていて会話にもなっていないようなのがある。

建築家どうしでないインタビュー記事でもそんなのがあったりする。建築家の先生の話がすぐに建築の細部に入っていってしまうともう話が袋小路に入って、結局はありきたりのところで終わってしまったり。

そう言うときの文章はかなり割り引いて読む必要ある。


何でも相対化して遠くから眺めていないとひどい目にあいそうに思われる。
ル・コルビュジエや過去の巨匠がどうだと言う話題になると絶対化してし神のように扱ってしまう事がある。多分巨匠本人はそう扱って欲しくはなかっただろうし、読む方はそこから先に行くチャンスを捨てることになるのではないだろうか。「建築家XXXのXXXと言う作品が良い」と言う時に、その何処が何故良いのか言葉で説明できないとやはり失礼だろう。

2007/11/28

安藤忠雄の空間構成 その2

レポートに使う文章と挿絵が出来た。

先日来書いていた安藤建築に関する文章の内容から大きく外れる新しいアイデアも無かったのでここでは再度書くことはしない。



仙川と言うところ
新宿から京王線で30分以内にある。
駅に降りると思いの外小さな駅で、駅前から四方に路地が広がる。広がると言っても路地の終わりまでは徒歩で5分かそこらしかない。路地には小さな駅であった割にどこにもあるチェーンの飲食店が多い。区画整理が順次行われているのか新しさとローカルな感じが入り混じる街であった。

安藤ストリートへは駅から徒歩で5分もかからないだろうか。角を一つ曲がるともう安藤建築だなとわかるコンクリートの尖った建物の一部が見える。その尖った建築物にたどり着くと区画整理で生まれた歩道付き2車線道路で、それがもう安藤ストリートである。

安藤ストリートを見てすぐ分かる事が2点ある。1つは安藤忠雄設計の建物が右にも左にも細長く続いていると言うことと、安藤建築の前の歩道だけなぜか電線が無い事だ。新しくできた道路だから電線が無いのか、それとも安藤建築の前だから無くしたのかはわからない。


よく、閉じた建築、開いた建築と言う言い方をするが、この安藤ストリートにある安藤建築はどちらかと言えば「閉じている」と感じられるものであった。車の多い通りに対して住宅が開いているのもどうかと思うので、それはそれで考えたのだと思う。住宅の向いにある公共建築はもう少し開いた感じがしても良さそうなものであるが、(建物の壁が一部欠けているような形でエントランスがある) これもまだ工事中でどうなるかわからない。実は車道側より裏側の方が人通りが多いし、そちら側も工事中であるので車道側は裏口扱いかもしれない。

全て完成し、人の通りが安定してから再度見てみたいと思う。その時に住宅棟の表にある店舗に人が入るかどうかも楽しみである。


ところで、この仙川と言う街であるが、歩いて回れる範囲のどこを見ても昭和から平成にかけて作られたような割に新しい戸建住宅ばかりである。安藤ストリートの少し先に大きな古いお屋敷が1つだけあったが、それ以外は、(誤解を承知で) 日本のどこにでもあるつまらない街並みに見える。

都市計画の用語にスプロールと言うのがあったが、まさにその結果生まれた街のように感じられる。ここはその昔どんな土地であったのか、住んでいる人のほとんどが何も知らないかのような、そんな風な気がしてしまう。もちろん調べているわけではないのでそれは間違った印象かも知れないが。


以前に代官山ヒルサイドテラスを取材したことがあった。
あれは一人の地主が一人の建築家(槇文彦)に依頼して長期計画で一つの街を作った特殊例と理解しているが、この安藤ストリートも出来方としてはそれに近い。ただ、もちろん街が違うので同じ答えは出てこない。代官山は当初は多分誰がどんな個性の人間がそこを使うかはっきり分かっていたのではないかと思う。現在のように観光地ではなく、東京にしては落ち着いた生活者の街であったと考えられるからである。

しかし、仙川の場合はスプロールによる無秩序開発の後始末を行政がやる機会に乗じてと言うことなので、普通に考えたら土地を読みにくのではないだろうか。それほど個性が無いからだ。

逆に、安藤忠雄を採用することがそれを作り出すのであろうか。無名の建築家であったらどんな良いものを作ってもそれは難しいだろうと想像する。安藤忠雄を検索する人は山ほどいるが、「東京アートミュージアム」や「仙川」で検索する人はほとんどいないだろうから。


だとしたら建築家冥利に尽きますねえ、安藤さん。

2007/11/27

安藤ストリート探検



安藤ストリートを見てきた。

この建物群はなぜ長方形がずらされているかと言うと、敷地の形に裏側の線を合わせたからだとわかった。台形の土地に台形の建物を描かなず、長方形を組み合わせたと言うことである。


結果から言えば、鳥瞰図に見られるあの角度をずらした長方形は、地上から見ている時にはあまり気にならないものであった。地面に出来た三角形は鋭角で、そこにはちょっとした植栽があったりするだけだ。あそこが薄い長方形の植え込みでも特に変わらないような気がする。

一番ズレが大きく見えるのは写真のように上空である。しかしこれは道路を隔てた反対側から見たときに気付くのであって、その建物を使うために近づいた場合にはほとんどわからず、効果を上げているとは思えない。もちろん、住宅なので住んで中からどう感じるかは別だろう。今日は中に入れるところが一つもなかったのでこれは分からない。


同じことが表参道ヒルズの商業施設部分エントランスに言える。あの大きな切り欠きは上空から見ると大きなV字が見える。切り欠き部分のエッジでなくて、ボールドフォントのような厚みのあるV字が。

しかし、あの建物を歩いて見る場合、つまり使う立場で近寄っても見ることは出来ない。中に入ってその痕跡を確認しようとしても何も無い。


やはりナスカの地上絵なのである。

2007/11/26

安藤忠雄 その他

安藤忠雄の言葉は分かるようで分からない。

ル・コルビュジエ、黒川紀章やフランク・ロイド・ライトと比較するとその理由ははっきりするだろう。歴代の巨匠は自分で言葉と概念を作っていた。だから、言葉を発する時にその定義を一般の言葉ではっきりと説明してから用いた。

続く安藤忠雄世代の建築家はその言葉を定義されたものとして使う世代なのである。しかし、その言葉の定義は時とともに曖昧になって用いられるようになってきている。すると、その定義を読みながら追う必要が出てくる。

例えば以前に書いた「有機」であるが、これも安藤忠雄は幾何学的形状に対する形状を表す言葉として使用している。そう言う事が多くあって、そんなに単純で良いのかどうか迷わされるのである。



そう言ったわけで、著書を読む事はこれで止める事にした。


迷った挙句、GoogleEarthで上から見ていたのであるが、これが以外に収穫があった。
安藤建築は鳥になって見ると特徴がある。近くまで行ってコンクリートの地肌を見るよりもよほど特徴があると分かったのである。

その結果が1つ前の記事で書いた事だ。

安藤忠雄の空間構成 その1

安藤忠雄の空間構成の特徴をまとめている。


安藤建築の特徴が一番良く現れるのは「鳥瞰図」ではないだろうか。
どれを見ても長方形、正方形、三角、円弧と言った幾何学模様が地面に転がっている。これに匹敵するのはルイス・カーンだけかもしれない。この大胆鳥瞰図のさはそれを超えるかもしれない。

手法としてはル・コルビュジエの都市計画に類似する。
ル・コルビュジエはパリの都市計画では幾何学的な線で土地を分割して機能を決めていた。批判する者はそれをそれは「神の視線」の様に言う。


安藤忠雄も土地を幾何学で切り取る。
分割された空間は周囲と溶け合ったり交じり合ったりする事は無い。土に埋もれたり草木に覆われたりする事はあるが決してその境界があいまいになったりはしないようである。

であるから安藤建築の空間に機能上の曖昧さは無い。このあたりはル・コルビュジエに似て、黒川紀章とは異なる。


しかし、安藤建築が周辺環境から全く孤立しているかと言えばそうではない。

曖昧でない建築の空間には周辺環境の要素の一部が挿入される。それによって周辺環境と建築とが呼応し対話するかのような配慮がなされている。

周囲に緑の自然があれば緑が、海や湖水があれば水が幾何学空間の中に挿入される。
この事で建築は周辺の環境と呼応し、会話し、共存しようとするのである。



なぜ幾何学を使うのか?

安藤忠雄は建築はを人智の結果として捉えていると考えられる。幾何学は人間の知恵の行き着く所であり、また象徴である。安藤忠雄は建築を幾何学と同じようなものとして捉えているのである。であるからその建築空間は周辺環境を一旦は拒絶する。その後に環境との対話を始めるのである。




鳥瞰図における幾何学についての疑問

ただ、実際に人間が建築を鳥瞰図のように見る機会はほとんど無い。空間を近くからは認識できないほど大きな幾何学で切り取る事は、その建築を間近に見る人間にとってどう言った意味があるのだろうか。

この点を実際に安藤建築を見て確認すべきであろう。


つづく

2007/11/24

安藤忠雄を<上から>見る

Google Earthでみる安藤忠雄さんの建築。-ふくだぶろーぐから安藤忠雄建築のkmzファイルをダンロードさせていただいて上空から眺めてみた。

どれも平面図上での幾何学構成に特徴がある。複数の長方形をずらして置いた形に円や時々三角形や楕円が組み合わされる。

以前、表参道ヒルズを見に行った時に建物全体がV字型になっているのは敷地形状の為かと思っていた。しかしこれを平面図で見るともう一つ、丁度エントランスになっている部分に、V字がある。このV字は敷地とは全く関係ない配置である。

他の建築を上空から見てみると、ほぼ全ての作品にこれと同じ造形上の操作が行われている。仙川の安藤ストリートではこの方法が一貫して用いられている。

東京アートミュージアム(安藤ストリート)


これは一種のクセであろうか。定規を用いて図面を引けば直線を描く、コンパスを持てば円弧を描く、地面を読むのに地図から発想する。建築をする自由度の中で、そう言った暗黙の拘束に身をゆだねているものなのか。それとも意図的であるか。

大きな平面に、人間が認識できないほど大きな幾何学を用いることにどう言った意味を感じているのだろうか。ナスカの地上絵は飛行機の無い時代に描かれた。描いた以上はそれに何らかの意味があったのであろうが、現在でも我々人間は上空から建物を眺めるチャンスはほとんど無い。建物を使う立場であれば近すぎてなおさら見ない。

見えない幾何学に意味はあるのだろうか?


近いうちに安藤ストリートを見に行きたい。



<参考>
kmzファイルを利用するにはGoogle Earthが必要です。ダウンロードしたkmzファイルをGoogleEarth上にドラッグ&ドロップすると「場所」に建築物名が表示されるので、それをダブルクリックする。

2007/11/23

安藤忠雄を読んでいる

先日講演会に行ったこともあり、安藤忠雄の本を借りてきて読み始めた。理由あって、まだ読み終われない。ちょと苦痛に感じてきたところだ。

「安藤忠雄 建築を語る」安藤忠雄 東京大学出版会
「安藤忠雄の夢構想」安藤忠雄 朝日新聞社
「安藤忠雄建築展2003・再生-環境と建築」デルファイ研究所

まず1冊目を読んでいるが、文章自体はまあ、読み易い。ただ、論点が途中で途切れて自分の建築や体験のディテールに入りすぎてしまうので、ここから脱して頭を元に戻すのがたいへんである。ともすると全く別の部屋に迷い込んだように感じられる。

また、建築家が使う所謂、建築の言葉や単語をかなり単純に使っている事には読んでいてイラつかされる。「対立(内-外、西洋-東洋、部分-全体、歴史-現在、過去-未来、抽象-具象、単純性-複雑性)」「均質化」など、普通に教科書的にまとめられた言葉をそのままの単純な意味で使って良いものかどうか。そう言う基礎的な部分から読んでいて疑問を感じてしまい、なかなか読み進む事ができない。

これは黒川紀章の文章にもル・コルビュジエにもフランク・ロイド・ライトにも (そんな以前の人と比較して良いとは言えないだろうが) 感じられなかった事である。思うに、彼らの時代には自分が定義せねば自分が使える言葉が建築の言葉の中には無かったのかも知れない。安藤忠雄の時代 (現在) にはもうその心配があまり無いのではないか。有り物の単語でも自らが語れる時代なのかも知れない。


本当にその定義は妥当なのかと問う、こちらの問題に過ぎないのであろうか。

「紙の建築 行動する」と言う本

「紙の建築 行動する」と言う本を読んだ。
建築家 坂茂(ばんしげる)氏の書いたものだ。

建築材料学や構造学には今のところ決して出てこない「紙」を使った建築について書かれている。サランラップの芯に使われているような紙の筒の大きい物を用いるものである。神戸の震災後に造られた鷹取教会がその代表作だとの事。

あの震災の時、私は日本に居なかったので鷹取教会が当時どうであったのか、その後この紙の教会が造られた事が大きな話題になったかどうかは知らなかった。この本で初めて知った位であるから、この本に書かれている事には少々びっくりした。

教会の紙管の厚みが15mm、であれば1/100の模型では0.15mmであるからケント紙の0.3mmの半分しかない。つまり鷹取教会の模型を作る場合にケント紙の半分の厚みの紙で筒を作ることになる。かなりペラペラの紙である。(スケール感を考える場合、普通は模型->実際の建物と考えるべきだろうが、これはその逆。)もっとも、教会の上にはテントしか乗っていないから、紙管はほぼ自重しか支えていないので垂直方向の荷重としては楽であろう。どちらかと言えば高いテント屋根の下の空間を確保する為の構造である。

気になるのが台風などの横からの力に対してどう対処しているのかである。
写真では基礎のボルトで、筒を差し込むための木製の部材を止め、そこに筒を挿している。筒の上部も多分同じようなやり方だろうと思われる。さて、どう対処してるのだろう?



この本の後半ではボランティアの問題も書かれている。日本人にはそれをしようとする人も少ないし、適した人も少ないと言う事だ。確かにそうだと思う。その事についてここで詳しく言う必要も無いだろう。

同じ視点から「建築家は社会の役に立っているの?」と問うた場合、どうか。
......これには答えが出せないと言うことにしておく、今は。

2007/11/22

サイエンスカフェ「新しい建築をめざして」

以下のイベントがある。
行ってみようか、考え中。


横浜国立大学サイエンスカフェ第9回
講師 西沢立衛
「新しい建築をめざして」
12月5日(水)18:30~20:00
BankART Studio NYKギャラリーA
横浜みなとみらい線 馬車道駅6出口4分
600円

西沢立衛

森山邸 -新建築 -QuickTimeVR

注目建築家インタビュー -HOME'S CLUB

ネクスト・デザインへの扉 -Panasonic Design Company

作品リスト:西沢立衛 -telescoweb event



サイエンスカフェ-パンフレット
社会貢献・生涯学習 -横浜国大



追加
申込みました。

2007/11/17

今年度の最後の試験終了

今年度最後の科目終末試験は以下の3科目。


1.構造力学Ⅰ
第4設題 ヒンジラーメンを解く問題。
第6設題 トラスの部材に生ずる力を求める問題。

多分できたと思う。
断面二次モーメントなどを使う問題が出なかったのでがっかり。



2.建築材料学
第3設題 コンクリート製品の種類特徴をあげる問題。
第6設題 木材の各特徴を説明する問題。

どちらの問題も書かなければならない量が多かったので時間が足りなかった。

コンクリート製品については表形式にして整理した。この科目はレポートでも一覧表で説明して良いとなっていたので、こちらもその方式でやってみた。文章では文字数が多くなりすぎて終わらないと思われたため。

木材の問題もテキストに書かれている内容に基づいて書いた。含水率と収縮の関係を分かり易くして文字数を減らすために簡単な(テキストには無い)グラフで説明。これも説明せねばならない細かい項目が多く、文字数が必要であるため、個人の見方を入れて回答する余地が無い知識を問うだけの問題である。問題としては面白味が無い。

こう言う科目でも「こんな時、自分ならどうするか?」を問うていただきたいものである。



3.都市計画学
第1設題 古代ギリシャ、ローマと中国、日本の都城の構成を説明する問題。
第10設題 景観を整備する具体的な手法を説明する問題。

ギリシャ、ローマを一つのもの、中国、日本を一つとして対比すれば良かったのかもしれないが、文化の異なるものを一まとめにできなかったので各々について簡単な図を描いた。(以前の記事の通りの図。)構成についての説明だけでは面白くないので各国の在り方との関連で説明してみた。このあたりはテキストにも少ししか触れられていないし、どの参考書を見ても定説が無さそうなので自説を書いても良いだろうと判断。しかしその結果、西洋と東洋の対比と言う面では弱かったかも知れない。

景観整備手法は景観法や都市計画などのやり方を参考に、テーマを上げるところから監視するところまでを網羅して書いた。途中にケビン・リンチとC・アレグザンダーの手法をイラスト入りで説明した。イラストは概念的な分かりやすさを重視して自分で考えたものを採用。

近隣住区の公園とコミュニティ施設の配置計画の問題を答えたかったが、これは出なかったのが残念。ペリーの近隣住区論の考え方を日本の生活や街のパターンによって変更した独自案を書いてみたかったのである。

2007/11/16

一番基本的な構造力学の公式

<長方形断面 (中心軸が図芯を通る) の場合>

断面二次モーメント I=bh3/12

断面係数 Z=bh2/6

断面係数 Z=I/y (上記と同等)

曲げ応力度 σ=M/Z (Mは曲げモーメント)

せん断応力度 τ=κQ/A (Qはせん断力、Aは断面積、長方形ではκ=1.5)

圧縮応力度 σ=N/A (Nは軸方向力、Aは断面積)

2007/11/15

都市計画マスタープランとは

都市計画マスタープランについて

どんなものか?
市町村における3つの基本計画(社会計画、経済計画、空間計画)の内の物的計画である空間計画の基本となるものである。この中には建設の方針、市街化区域、市街化調整区域の整備・開発・保全に関する10~20年の長期に渡る理念、方針、将来像、手段、プロセス(上流から下流まで全て)が示される。また、行政のみでなく事業者、市民、第3セクターなど全てに共通の基本方針となるものである。


(※注意:以下の内容はテキストや参考資料に則ったものではない。)

特徴
1.市町村が策定することで、広域(県や国)に関する事項を除いた、地域に関する都市計画をきめ細かく地域の実情に合わせて当事者が決める事ができる。
2.決定の過程に市民が参加することで、より生活や地域のニーズに合わせた計画となる。
3.長期計画とすることで、場当たり的でない見通しと将来像が描けるものとなっており、そのプロセスまで明確になるものである。
4.完成イメージを盛り込むことで、規制や単なる行動計画だけでない目標を明確に示している。
5.基本理念が示される事で将来に渡ってその考え方を継承できるものである。

ブキャナン・レポート "Traffic in Town"

「Traffic in Town」(1963)概要

市街地に居住環境地域(Enviromental Area)を設定し、これを市街地の基本構成単位とする。居住環境地区の内部には※3補助幹線道路、※4区画道路だけを通し、※1主要幹線道路、※2幹線道路は外部を通す。

これにより市街地の中に自動車の通過交通から守られる「都市の部屋」を形成する。自動車交通は住民の環境を侵さない範囲で許容される。これは居住環境地域内の道路を安全に横断可能な範囲とする。歩行者重視。

居住環境地域の規模は、自動車交通密度の高い地区では小さく、密度の低い地域では小学校区またはそれ以上に拡大する事もあり得る。



以下はイギリスにおける道路の段階構成。
※1主要幹線道路
※2幹線道路
※3補助幹線道路
※4区画道路


「Enviromental Area」を「居住環境地域」と訳しているが、英語の"Enviroment"は環境と言う意味であって、居住と言う意味は含まない。



参考資料
「都市計画教科書 第2版」彰国社

コンクリートの欠点

コンクリートの「欠点」に重点を置いたコンクリートに関する資料を集めてみた。

コンクリートブロックについてのページであるが、コンクリートの基礎知識の概要が書かれている。
コンクリートブロックの知識

こちらもコンクリートについての基礎知識
HSJ企画
コンクリートの基礎知識 - 広川商事

コンクリートのひび割れについての資料2点。
コンクリートのひび割れ
ひび割れの原因

その他
もっと知りたいコンクリート講座




コンクリートの欠点-概要 (以下の内容には不足があります。)

1.比強度が小さい
高層の建物などでは下層ほど強度が必要となり床面積に占める構造物の占める割合が大きくなってしまい、空間を有効に使えない。
天井に梁が出っ張ったり、天井裏空間が狭くなり空調設備などの配置計画に影響を与える。

2.圧縮強度に対して引張強度は1/10程度、曲げ強度は1/5程度と弱い。
鉄筋コンクリート構造とし、鉄筋に受持たせる。

3.ひび割れ
原因はさまざま。
施工要因
・乾燥伸縮:養生条件(湿度、温度)による。
・継打不良、コールドジョイント
・鉄筋のサビ-中性化:かぶり厚をとる。表面コーティング。
・鉄筋のサビ-骨材に塩化物等の混入:骨材の選定。
・アルカリ骨材反応:骨材の選定。
外的要因
・基礎の不同沈下
・基礎の拘束と丈夫構造の収縮
・凍結融解:内部に水分を浸透させない。
設計その他
・大壁面の場合:収縮目地を作る。
・曲げ、せん断:構造を検討。

4.疲労
静的な強度以下の応力で破壊:振幅が小さくなる構造とする。

2007/11/14

断面二次モーメントの計算



断面二次モーメントの計算をしていたら、2つのやり方で結果が同じにならない。

長方形の断面二次モーメントは上の図のような場合、I=bh3/12 で求めた全体から部分を引けば良いのかと思っていたら、図芯から離れている場合は違うのだと気付いた。当たり前だが勘違い。

2007/11/12

木材の乾燥と性質

天然乾燥指針 - 愛媛県八幡浜地方局産業経済部林業課

木材の含水率は日常生活で言う含水率とは定義が異なることに注意。

みかんの含水率と言った場合。
(みかんの水分量÷みかんの質量)x100=みかんの含水率[%]

木材の含水率
(乾燥前の重量-全乾重量)÷全乾重量x100=木材の含水率[%] 
または、
   (木材の水分量)  ÷全乾重量x100=木材の含水率[%]

※全乾重量 = 乾燥器の中で温度100~105℃で乾燥 し恒量に達した時の質量。



木材の性質 - 神奈川県立総合教育センター

The 座屈

座屈の理論(オイラー座屈)

オイラーの座屈理論 - コロキウム室

建築で一般的には、材の支店部分を補鋼材を取り付けて座屈長さを短くする。材の曲げ剛性を上げるための補強(鉄骨の周囲にコンクリートを巻くなど)を行う。


Ⅲ構造力学 - 独学で目指す 2級建築士

上の「Ⅲ構造力学」では座屈の原因は「圧縮応力がある程度を超えた時に、応力度の分布にばらつきがあるために横方向にはらみ出す」となっている。これも一つの原因であるが、この他にも材が初めから少し曲がっている(これは、材が本当に曲がっている場合と、梁などの場合に横荷重が作用して曲がってしまっている場合がある。)場合、また荷重が垂直でなく少しの角度を持ってかかっているなどもあるだろう。


座屈対策
中心圧縮材の場合の弾性座屈荷重は次の式で表される。
PCR2EI/l2

EIは曲げ剛性、l(エル)は長さ。
この式からは剛性を大きくするか、l(エル)を小さく(短く)することで座屈対策となる。(具体的な方法は別途検索の事。)



材を補強する以外の座屈対策が書かれている。

02 Part05 難問 上を行く - 前田建設ファンタジー営業部



追加
「局部座屈」
薄い板状の要素で構成されるH 型や箱型の断面形状をしている鉄骨構造の部材では、圧縮力やせん断力が加わった時に部分的に断面形状が著しく変わってしまい、部材全体としての耐荷能力を減退させてしまう現象。
局部座屈に関する条件① 4辺の支持条件② 荷の種類と分布形③ 幅厚比④ 鋼種の種類

「横座屈」梁に力がかかると力のかかる方向に変形し、力が取り除かれれば復元する。かかる力が大きくなっていくと力のかかっている方向ではなく横にねじれて破壊する現象。
座屈長さを小さくする。(梁と直交方向に小梁を入れる事で梁の座屈長さを小さくするか、柱と柱のスパンを小さくする。)

参考資料
地震がきても安心です

2007/11/11

古代都市の比較 その2

先日書いた「古代都市の比較」の中で、ギリシャにアクロポリスがあってローマに無いのは何故かと書いた件でご意見いただいたので紹介する。

※アクロポリスが在る無いと言うのは、ギリシャは人間の活動する都市の中心に神殿は置かず、外に置いている。ローマは神殿(アクロポリスと言う名では無い)は都市の中心にある。ローマは先に発展したギリシャの都市構造をモデルにしているのに、この違いは何故起こったかと言うこと。



以下は、ご意見いただいた方からのもの。(原文のままではない。)
*************************************
ローマは「全ての道はローマに通じる」と言うように都市計画が計画的に行われていたたに、ローマにすべての施設がうまく集中できたのではないか。

その点、ギリシアは無計画だったのでは。
その要因としてはギリシアは攻めてくる他国から国内を守るのに精一杯であって、都市整備を行うどころではなかったのではないか。とにかく強い兵士を作るのに必死でスパルタのようなポリスで厳しい試練を行っていたのではないでしょうか。

ローマの戦術の一つに、侵略した国の国民もローマ市民として取り入れてしまうという、姑息な手段を使っていたので(奴隷→ローマ市民)領土拡大をしていって人が増え、統制がつかなくなってっ民主制になった。そのうちあちこちに施設が散らばっているととんでもない事に
なってしまうので集中して管理できるようにしたのではないだろうか。
*************************************


そして、自分で考えてみた内容は下記。
*************************************
ギリシャはローマのように他国、他民族を併合せず、全部自前で済ませた為に他民族の神を受け入れる必要はなかった。だから一番良さそうなところに神殿を作った。ギリシャの神はもともと森にいたから人間とは住む場所がちがっていたと考えたかもしれない。オーダーで囲ったのは森の象徴だとの説がある。石でできた神殿は元は木造であったが、太い木材が入手できなくなったかそれとも長持ちするよう石で造ることにし、白色の方が綺麗と言うこともあって木材から石材へ変えたのか。だからもともとの位置から移動したりすることは考えなかったのかも知れない。

ローマの他国支配は貿易のためであったから支配しても相手がやる気を無くすと困る。だから有能な人は被支配国の人間でも出世させたしそちらの宗教の神も認めた。アジアの神が西の神と統合された形跡もある。であれば、他民族で上手くやる為に神殿は街の中心に置く方が好都合であったとも考えられる。

もう一つに、ギリシャの男は戦いが無いときは実はやること無かったから思考が上に向って、つまり哲学的な方向へ向ったのではないだろうか。ローマ人の方が商人気質であったから思考が横に、つまり外との関係に広がっていったかもしれない。
*************************************


意見をいただいた方、ありがとうございました。
また、他の方からもご意見お待ちしております。



追加資料
古代の奴隷制度 - 歴史と世間のウラのウラ

テキスト「地域共生の都市計画」では、古代の都市に関する説明は少なく、ギリシャもローマもステレオタイプな古代のイメージからの説明しかされていない。例えば、「奴隷」と言う言葉、「王政が神から権威を授かる宇宙観...」などと書かれているがギリシャとローマではそのあり方は大きく異なっている。ここから古代都市の何を学べと言うのだろうか。

「都市のイメージ」 -ケヴィン・リンチ

時間が無いのでざっと読んでみた。
なので、これから書く内容は本書の理解に必ず役立つと思うべきでは無い。



ケヴィン・リンチは都市を視覚的に扱う試みを行っている。

例えば、ル・コルビュジエは人間の生活に関連付けた「意味」として扱っていて、これとはある意味対照的である。(通常ル・コルビュジエの建築は視覚的な特徴を強調される事が多い(四角さを言われたりする事など)が意味から理解すべきではないか。余談。)

また、C・アレグザンダーのように細かな形態上の語彙と文法を抽出する方法とも異なっていて、都市そのもののマクロな形態を多くの人々の心に残る印象に投影したエレメントとして扱っている。これは多くの人に共通するその都市の印象、パブリック・イメージの発見を基にしている。

ケヴィン・リンチは都市をあたかも一つの部屋のインテリアをデザインするような感覚で扱うようである。これは一時的な模様替えと言った静的なものでなく、時間的にも随時変化することも想定している。また謙虚にもそのパブリック・イメージだけで都市のデザインができるのでは無いとも言う。

2007/11/10

道路斜線

テキスト「地域共生の都市計画」の説明と図では道路傾斜の「斜線制限解除の適用距離」が分かり難い。

p138の図11・4(A)「b.道路からの後退がある場合」では建物を道路側の敷地境界線からS[m]後退させているのでビルの上部ハッチング部分は建築可能であるが図では緩和規定無しの場合の高さまでとなっている。図11・4(A)「c.斜線制限の適用範囲」では斜線制限が解除されるまでの適用距離L[m]の端部が建物の壁面の延長線上にあるが、これは妥当な位置ではないし、図のビルの最上階部分はもっと高くしても良いはずである。図の建物高さは法規上誤りではないが、説明図としては誤りである。

建物と道路斜線 -カク企画1級建築士事務所のページの説明が分かりやすい。

「近隣住区論」と「界隈」

先日「近隣住区論」を読んで書いたのであるが、ふと思いつく事があったので記しておくことにする。



「近隣住区論」の考え方の一部は現在の日本でもその考え方は「都市公園法第2条」に反映されていて、都市公園整備を行う場合に実際に使用されている。

1つの近隣住区に対して2haの広さを持つ近隣公園を中央部に1つ、0.25haの広さを持つ街区公園を分散させて4つ配置する事になっている。


そこで思い出すのは黒川紀章である。
ヨーロッパは広場を中心に生活が営まれるが、日本には広場が無い。その代わりに路地を中心とした界隈がその生活の中心として機能していると言うのである。庭と路地と家の縁側は近隣住民とのコミュニケーションに使われるセミパブリックな場所となっている。現代の家は閉鎖的になっていて、もしかしたら実感が湧かない人も多くなっているかもしれないが、わからない事ではない。


反対に欧米の家は路地と逆側を向いていて、「近隣住区論」でも家は住区の内側を向いて建っているし、不特定多数の人が来る恐れのある店舗は家から見えない所に配置するとしている。つまり、日本の伝統的な生活習慣とは異なる前提で考えられたものなのである。


家が閉鎖的な構造になってきた現代でも、日本の家は通りを正面にして建てられる。実感としても近所との付き合いは(薄くなってきているとは言え、)通りを隔てた向かいやお隣が濃くて、裏は隣接地であっても薄い。

幼児を連れて母親が公園に行くのに「公園デビュー」と言う言葉があるが、ご近所デビューとは言わない。公園はやはり日本人にとって、敷居の高い、公式の場に近いものなのではないだろうか。

そうであれば、改めて公園整備するよりは路地整備を行い、「路地公園」(今作った言葉)と言った選択肢もあるのではないだろうか。もちろん自動車の排除問題も同時に考えなくてはならないが。


豊臣秀吉は京都の碁盤の目状の区割りを、道で囲まれた平面図上のブロック単位から、通りを中心とした菱形のブロック(町)に変更している。これも日本の家屋が通りに面していて通りを中心に生活する習慣を認めたものであろう。高い学歴を持ち専門の勉強をして行政を司っている現代の公務員よりも、農民上がりの秀吉の方が民衆の生活実態をよく見て実情に合わせた判断ができたのかも知れない。



参考資料
「図説 都市地域計画 第2版」青山吉隆 丸善

2007/11/09

古代都市の比較



西洋と東洋の代表的な古代都市を比較してみた。
都市計画のや参考資料ではその構成の概要しか説明されていないが、この違いを説明するには各々の政治体制や人々の生活、信条を調べる必要があるであろう。正直、そこまで手が回らない。


ただ、古代日本については以前に建築史の中で述べたように、この時代の政治が家族親戚を増やして勢力を拡大すると言った経営方法であったので、心配すべきは外敵よりも一族郎党のいざこざの方であった。そのため都城の外部に城壁を築く必要は感じられなかったのであろう。

中国の場合は陸続きに全く違う民族や部族が存在していることにより城壁は必要なのである。
城壁の面ではギリシャもローマも中国も同じであろう。

さて、ギリシャとローマの都市は似ているようで少し違う。ギリシャではアクロポリスと言う神聖な場所が市民の生活の中心とは少しだけ離れた高い位置にあったのであるが、ローマではそれが中央広場に移っている。

ギリシャもローマも王政から共和制、民主制に移って行った。どちらも強大な権力を持つ一人の人間が支配するのではなく、どちらかと言えば皆で話し合いで物事を決めるようになった。その為に中心地に広場がある。

ではギリシャにアクロポリスがあって、ローマに無いのは何故か。宗教観の違いであろうか。これは誰かわかる人にご教授願いたい。



参考資料
「都市計画概論 第4版」加藤晃 共立出版
倫理思想史電子ノート -立川察理

「近隣住区論」 クラレンス・A・ペリー

都市計画学を勉強している。


クラレンス・A・ペリーのはそれほど難しい理論ではない。

行政区画(県、市、区といったもの)とは異なる小さなコミュニティと言うものが自然発生することに目をつけ、これを新しい街づくりに応用しようとする研究である。


(以下、「近隣住区論」の完全な要約ではない事に注意。)

原則として以下がある。

1.規模:適正な規模はどの程度であるか。
2.境界:規模と関係するもので、研究の主題が主に自動車を使用して移動する郊外の居住区であるために、近隣住区の外側は幹線道路で区切られることを前提としている。
3.オープンスペース:公園とレクリェーションのための空間の広さと位置について言及している。
4.店舗:店舗等の業務区域が徒歩で行ける範囲に必要である。もちろん自動車で移動する人たちを前提とするが、タバコや食料を買う程度は区域内でまかなう必要がある。
5.地区内街路体系:地区内を安全快適に移動するために通過車両を排除するなど。

この原則を適用した近隣住区による「新たなコミュニティ」を作り快適な生活を作り出そうと言うものである。



近隣住区には前提条件となる考え方がある。

1.育児期にある家庭の環境への要求を前提として考えている。
独身世帯はコミュニティのようなものよりも独立した周囲に干渉されない環境を好み、流動的であるが、結婚して育児期になるとそれ以前よりもはるかに多くを周辺環境に求めるようになる。また、子供が独立して夫婦2人の世帯になるとまた要求は変り、より独身時代に近くなる。現代はその時期の要求に合わせて住居を選ぶことができる。

2.居住地コミュニティが占める広さは、学校、運動場、その他の店舗サービスが効率良く運用される広さと完全に一致する。(調査より)よって、これらを一つに区分してまとめる事が可能と言う考え方に基づく。

3.近隣住区による新たなコミュニティは農村のコミュニティとは異なるものを意味する。職住分離によって現代社会にはコミュニティが消失しているが、これを回復することを目的としているが、あくまでも新しい形のコミュニティを提案するものである。



適正な広さ
子供が小学校まで徒歩で通う距離は1/2フィート(400)程度、約400~500m程度であり、他のサービスも同程度である事が分かっているので、小学校を中央に配置し、そこから半径400~500mの範囲である。
同じく地域コミュニティ施設は中央に配置するが、小学校の建物が兼ねてもよい。

公園とレクリェーション施設の配置
小学校の校庭が子供のための公園を兼ねることもできるが、概ね地区面積の10%が必要なのでこれを校庭でまかなうと広くなりすぎる。また、子供が遊びに出る距離は1/4フィート(200m)程度であるので公園を分散して配置する。

商業施設配置
商業施設は住居から見えない位置にまとめる。また隣の近隣住区の商業施設と向かい合うように配置することで一体化させる。住区の隅部となる。


日本にては既存の居住地域にこれを全て適用する事は不可能であると考えられるが、小学校やコミュニティ施設の配置を決定するなど、部分的には使用できる可能性はあるだろう。しかし、日本では家を流動的な資産と見なせない場合もあり、また都市部では集合住宅も多くなっているなど、条件が異なるためこの理論を適用するにはさらに調査が必要であろう。またこの方法でコントロールする法的根拠の問題もあるだろう。



コントロール
都市計画が必要な理由は、インフラ整備コスト(税金から)の問題であったり、快適性や安全性、景観その他いろいろあるだろう。自宅の近所に風俗店があるのは子供の教育上良くないのであるが、本音ではオネエちゃんのいる店で仕事帰りに一杯やりたいのが人情であるから、それをコントロールしなければならないと言うことになりそうだ。前回書いた六本木ヒルズでも同じビル内に赤提灯があっては資産価値が落ちるし、ステイタスとはならないから困るのであろうが、やっぱり新橋のガード下のモツ鍋が落ち着くから無くさないで欲しいわけだ。そう言った本音と建前をコントロールするのも都市計画であろうか。



参考資料
「近隣住区論 新しいコミュニティ計画のために」クラレンス・A・ペリー 鹿島出版会

新春講演会 at 神奈川県立川崎図書館

現在、神奈川県立川崎図書館の2Fでミニ展示「美 in 日本建築」をやっている。

ミニ展示なのでわざわざこのために見に来るほどのものでは無いが、こう言う企画はうれしいものである。ブルーノ・タウトが桂離宮を見て描いた水墨画風スケッチ(見て描いたものではないから正確にはスケッチではない)のコピー、数奇屋を現代に再現した京都迎賓館の写真も大きく展示している。関連図書の展示も多い。日本文化生涯学習振興会21からの提供ビデオ「数寄工匠」「利休幻の茶室」を小さいテレビだが随時上映していてイスもある。

加えて、来年1月13日(日)に同2Fホールにて神奈川大学工学部教授 西和夫氏 による新春講演会「日本の建築空間-数奇なる精神を踏まえて」が開かれる。

申込みは下記より。無料。
神奈川県立図書館

2007/11/08

安藤忠雄講演会に行ってきた



安藤忠雄の世田谷区民会館ホールで行われた講演会に行ってきた。
テーマは「世田谷・東京~美しいまちづくりへ」。

講演の内容は、これまでに手がけてきた建築、東京オリンピック、東京湾のゴミの島を森に変えるなどの緑化の紹介とそれにかける思いを披露するものであった。建築そのものについての話でないのはやはり聴衆が一般人だからであろう。質疑応答も無かったのは残念。


話の中で「今の日本人は元気が無い」と強く言われていた。
よく言われる事でもあるが、産まれた時から何でも揃っていて何も困ることが無いから自分で考える必要も無いのだろうと。学校が終わっても塾や習い事が用意されていて考えなくてもやる事は多い。これでは勉強ができる優秀な人間はできるかも知れないが、自由に考えることができる人間にはならない。だからもっと子供が自由に考える時間を与えるべきだ、との事。


(ここから先は講演会での話ではない。)

本当にその通りだと思う。
学校では授業と授業の間に10分か15分の間があるが、その時間も学校の規則に縛られているし、まずもって塀を超えて外に出ることはできない。日本映画やテレビドラマの一場面に授業と授業の間の休み時間に学生が塀を超えて学校を抜け出す場面はよくある。つまり学校と言う枠の中にいる時には時間的にも空間的にも自由が無いし、それが日本では疑問の無い普通の状態と考えられていると言う事だ。学校の休み時間に起こった事故は学校の責任になるのもそんな枠があるからである。

逆から見れば、子供はそんな枠や大人に縛られているうちは何も考える必要はないと言うことだ。勉強しなさいと言われて勉強していればそれで良く、勉強しなければ「勉強しなさい」と言われる時間を耐えていれば良い。やりたくなくても運動会で走ったり動いたりして時間をやり過ごせば良いだけだ。それよりもっとしたい事を考える事なんて必要ではないのだ。

放牧場の羊のような生活である。



今、こうして通信の大学で学んでいて思う。(ここから話はかなり飛躍する。)

通信と言うのは、レポートや課題と試験しか無い。上で述べた普通の通学生の学校(小中学校や高校、最近は大学も似たようなものだが)のように決まった休み時間も毎週のスケジュールも無い。つまり結果だけ出せばそれで評価が決まる。「廊下を走ってはダメ」とか「スカートの長さはxxx」のような部分が無いのである。

放牧されている羊ではないから、勝手に放浪の旅に出てもそれはそれで良いのである。

この自由さが学問には必要ではないだろうか。義務教育であろうと何であろうと、隙間は自分でどうにかする。トイレに行く、本を読む、話す、絵を描く、走る、飯を食う、逆立ちしてみる、何か作ってみる。全部自分で用意して自分で勝手にやる。そう言う事が将来、勉強した内容を何かに活かす知恵になるのではないかと思う。自己マネジメントである。


これを建築で実現したらどうか。(また飛躍する。)

学校には教室しか無い。広い敷地に教室がいくつかポツリポツリとまばらに置かれている。廊下は無い。トイレ位はある。塀も門も無い。敷地は街に繋がっていて境目がはっきりしない。子供達は勉強の時間が来るとどこかの教室に入って授業を受ける。終わると教室を追い出される。次の授業まで好きな事をして過ごせば良い。自分のクラスの部屋も机も決まっていないから、教室には荷物を置いておく場所は要らないだろう。子供は学校に1日中いる必要は無い。必要と思う時に必要な教室にいれば良い。腹が減ったらどこかで弁当を広げて食べるか、近所の食堂かお菓子屋で食べ物を買う。次の授業の開始のベルが鳴らないので自分で何らかの方法で時間を確認する。授業開始時刻は先生が予め決めた時刻であってどの授業も一斉に始まったり終わったりするのではない。だからよくある時計塔のようなものは不要だ。晴れた日は川原の土手で授業が始まることもあるし、見学を兼ねて街のどこかに集合と言う事もある。受けるべき授業は先生に相談してできるだけ自分で選ぶ。高学年になれば特に自分で選ぶ。5年生でもわからないなら3年生の授業を受けても良いし、その逆も可だ。そうすると子供が相談に行く相談窓口になる建物も必要だろう。図書館も必要だ。但しこれは街の人も利用できるもの。運動会などは子供達が企画して先生や親や街の人たちを招待する形にする。夏休み冬休み土日は決められていない。自分と先生と親や家族の都合で休みたいときに休むようにする。


と言うわけで、安藤忠雄とは全然関係ない結論なのである。

2007/11/07

フランク・O・ゲーリーのギャラ公開

MIT、著名建築家フランク・ゲーリー氏を提訴 -CNN.co.jp

フランク・O・ゲーリー氏がMITに訴えられたとの報道があった。
排水トラブルや雨漏り、外壁のカビなどがひどく、設計上の欠陥との事です。

そんな事では驚かないが、この記事にはもっと驚くべき事がサラリと書かれている。
「MITのステイタ・センターは、(中略) 総工費3億ドル。ゲーリー氏へは設計費として、1500万円を支払った。」

計算してみると、
3億ドルx115円/ドル=345億円
ギャラが、何とたった1500万円であれば、
0.15億円÷345億円x100=0.043%

0.043% !!!

そんなに安いわけが無い。
絶対嘘だ。

と思って原語記事を検索してみた。
MIT alleges flaws in Gehry building

やっぱり1500万ドルの間違いだ。
きっかり"5%"である。

これでも安いかもしれないが。

2007/11/05

森ビルの街づくり

テレビ東京の「カンブリア宮殿」を見た。
今日のゲストは森ビルの社長、森稔氏であった。

森氏は再開発事業に関して「街を作っている」と言う。
この言葉を聞いたらこの番組を最後まで見ないわけにはいかない。
森氏の言う「街」とは何なのだろう、と言う疑問に答えてくれることを期待して見た。

再開発と言うとその土地に住んでいる住民から土地を買い上げて売れるビルなどを建築して転売するか、賃貸に出すと言うイメージがある。司会の村上龍も言っていたが、その通りのイメージである。

森ビルはそれに対して「街づくり」と言う。
戸建の家を上空に積み上げて密度を高くし、余ったところに緑地、診療所その他生活スペースと仕事場となるオフィスビルを建築する。職住近接した街となる。

ここまで聞くと必然的に思い出すものは、やはりあの人のあれだ。
ル・コルビュジエのヴォワザン計画である。概略、言っていることは同じである。ヴォワザン計画の場合は国が行う前提であるので規模は何倍も大きい。森ビルの場合はあくまでも一企業の行うものであるから規模はせいぜい六本木ヒルズまでである。しかし小さなパリ計画には違いない。ル・コルビュジエと似ているからと言うわけではないが、一理あると言わざるを得ない。


しかし、次の言葉には疑問を感じる。
村上龍「新橋のガード下の屋台でモツ鍋を食え。」に対して、
森稔「路地裏で酒飲んでるのは日本人だけですよ。」
つまり、日本人はそろそろもっと別の楽しみを探すべきであって、何時までもノスタルジーに浸っていてはいけないと言うことなのである。

そう、確かに世界を見ればこんなにだらしなく街で酔っ払っているのは日本人だけだ。その点は自分も外国を見ているので実感するものがある。それに東京に流れる時間は他の都市に比べて遥かに遅い。日本のビジネスマンは安穏としている。だから「いつまでそんな事しているんだ」と言いたい気持ちもよくわかる。

ただ、今それを一掃して東京を全て六本木ヒルズにしてしまったら、それで東京は楽しい街になるのだろうか。戦後や高度成長期からのいい加減な伝統らしきものでであっても、それはもう古いと言えるのは、あまりにも楽天的で成長や進歩や効率礼賛ではないのか。時間軸の進行方向には価値があってその反対には何の価値も無いとする一方向的な考え方である。


六本木ヒルズに赤提灯は無い。でもシャレたレストランはある。 1粒200円もするショコラティエが作るチョコレートショップはあるが駄菓子屋は無さそうだ。こう見ると何でもあるが皆ちゃんとしていて、全部検索可能なほどである。街によくあるいい加減な個人商売の店らしきものは一つも無いようだ。全ての部分が固定した機能を持ち過不足の無い環境を作り出している。


確かに六本木ヒルズは機能的には街かもしれないが、そのいい加減で中途半端でないところが逆に街のようではない。ル・コルビュジエの時代の近代都市計画が批判されたのは、街の成り立ちを無視した機能重視主義であり過ぎた事によるが、森ビルもまさにそうではないだろうか。人間重視をうたいながら機能重視主義となってしまうのは、計画者が神の視点から街を見ている事によるのではないだろうか。それは理想を実現することのできる者が考える街であって実際にそこに住む名も無き人々が考えた街ではないからだろう。


であれば、さて、建築家はどちらに近い人間として振舞うべきだろう。

受験票到着

11月17日の試験分の受験票3枚が到着した。

11月17日(土)
1時限 構造力学Ⅰ
2時限 建築材料学
3時限 都市計画学

試験まで約2週間、今日から試験勉強を始めることにする。

風の塔 伊東豊雄 その2



私が存在すら気付かなかった風の塔の周辺風景の写真を掲載しておく。

遠近感がわかり辛いが、バスターミナルの向こう側にありホテルの側壁や家電量販店の入り口よりはずいぶんと手前側に位置する。写真は駅側から撮影。下の航空写真を拡大すると位置を確認できる。


拡大地図を表示

最上段の写真は横浜駅から、つまり南東(航空写真の右下)方向から北西方向を撮っている。


自分が依頼されたらここにどんな換気塔を建てるだろうか?

2007/11/04

風の塔 伊東豊雄



横浜に寄ったついでに「風の塔」を見てきた。

横浜駅西口の正面にある換気塔である。

こんなに目立ち易い位置にあるのに、そして何十回も何百回もこの前を通っているにも関わらずこの塔を意識して見た事は無かった。テキストや伊東豊雄の研究のために参考書で見て始めてそこにそれが在った事に気付いた。

今日は少し明るいうちから暗くなるまで少しの間観察してみた。

明るいうちは単なる灰色の円筒である。堂々と聳えるシェラトンホテルと昼間でもギラギラした家電量販店に挟まれて全く目立たない。本当にこれが風の塔かと疑いたくなるほどに地味である。

辺りが暗くなり始めると少し光を放ちはじめたか、それとも周囲のネオンが反射して見えるのかわからないほど微妙に光り始める。まだ目立たない。

さらに暗くなると内部から明らかに青い光がちらつき始めた。少し経過すると今度は緑の光が漏れ始める。そうなるとパンチングメタルで作られている事がやっと判明する。そして外皮を支えるフレームもその他の内臓も全てが浮き上がって見えてくる。

それでもこの横浜駅周辺が明るいせいかあまり目立つとは言えない。
これなら気付かなくても当たり前かもしれない。



風の塔は周囲の風や気温によって光り方を変えるそうだ。
それをしばらく見ていたのであるが、それは一体何のためであるのかと言う事。風の吹き方や気温、それを光り方に変えて表示しても見ているこちらは特別楽しくも何ともない。自分だけかと思い回りを見てもこの塔を気にしている人は誰もいない。よくわからなくなる。

都市の情報を取り入れる。それに反応する事で逆に情報を発信する。しかしそれを誰も望まない、気にするほどの情報でないとしたならは、それは単なるノイズであろうか。ある人にとって有用で、ある人にとって無用であればノイズでも発信する可能性はある。飛行機の為の信号は飛行機を操縦する人にとってだけ有用だ。イタリアのブランド名は好きな人、その名を利用したい人にとっては有用であるが、興味のない人にはノイズである。

有用でないにしても楽しいなど、情動を煽るものである場合もある。
表情のあるロボットは入院中の人の心を癒すそうだ。自分の発信した情報(表情や声やしぐさ)に反応してくれるだけでもそれは情報として有用であろう。


風の塔が単なるコンクリートの筒であってもこの環境に与えるものは同じであったろうか。

逆にもっと積極的にこちらに何か発信してくれたらどうだろう。大きな音をたてたら強く光る。車が渋滞していたら赤くなる。駐車場が満杯なら青くなる。時々瞼(まぶた)を開いてこちらを見る。定時にベルを鳴らして時刻を教えてくれるようなものだったら。

しかしそう言うものは他にある。新宿の目、川崎アゼリア地下街入り口の人形が踊る時計、他にもいろいろある。ただ風の塔ほどフレキシビリティが無いのだが。フレキシビリティなら流れるネオンの広告塔や大きな映像を映せる新宿アルタのスクリーンはどうだ。逆に何もしてくれないのにそこにあるだけで良い、東京駅の銀の鈴はどうだろう。風の塔とどちらが良いか。


結局よくわからないままである。

以前、香港映画「2046」を見たが、この映画は叙情詩である。しかも個人的すぎるほどに個人的な詩なのである。それを表現するのに映画と言う技術を使って見せるのであるが、見せられた方はそれに対して特別何も無い。だから印象に残るものも無い。

この風の塔は「2046」と似ているのではないか。そう思った。
建築家の心情は、それを見ている多くの人間のそれとは無関係である可能性は大いにある。

2007/11/03

安藤忠雄講演会のチケットを買う

安藤忠雄講演会
「世田谷・東京~美しいまちづくりへ」

11月8日(木) 18:30~
世田谷区民会館ホール
1000円全席自由(チケットぴあ)
(11/3の昼少し前時点ではまだ200席以上空いていた。)

詳細は世田谷区のHP
(イベントカレンダーの11月8日をクリック)


安藤忠雄の建築については未だ研究だが、見た感じからは「どうなんだろう?」と思うものが多い。先日読んでいた黒川紀章の書いた本にも安藤建築について「どこで何を造っても同じように見える」との記述があった。確かにどれを見ても建築家の個性が見えるものになっている。

講演のお題が「美しい...」であるが、建築家の個性を表現する事と美との関係はどう解決されているのか。そして最近の建築家さんたちは東京に「美」と言う言葉を使わないようであるが、ここでこの言葉を使われるその意味を知りたいとも思う。

モダニズム時代の建築家であれば、都市の理想像に対するアプローチであったり、客観的な美のヒエラルキーを念頭に置いて建築する事もあったであろう。しかし、その後東京の都市の成り立ちを考えると必ずしもそれが当てはまらないと言う見解に達しているし、また別の見方をすれば「あきらめ」のようなものもあると思う。

そこに「美」と言う言葉を持ち込むのはどう言うことなのであろうか。期待したい。

2007/10/31

黒川紀章 その7

現代建築論のための黒川紀章に関するレポートがほぼまとまった。
1000字は少ないので何時も通り論点を一つに絞って書いた。採り上げる建築物も国立新美術館と日本看護協会原宿会館に絞る。


黒川紀章建築にあるあの「よく分からない空間の存在」を問題にする。
よくわからない空間とは国立新美術館のうねるガラスで覆われたロビーと日本看護協会原宿会館の正面階段である。どちらも効率と言う面では無駄なのである。東京と言う地価の高い都市においてはほとんど何も価値を産まないであろうあの空間をなぜ作ったのか。

19世紀ヨーロッパでは都市は王侯貴族のものであった。現在の東京は大規模開発が行われ派手な宣伝活動とともに報じられる。つまり資本家や企業のものであったり、ひいてはお金のものと言うことになる。それはそれで我々は楽しめるのかも知れない。現に多くの人がそういった商業施設を訪れる。そして高価な物を買い、話題の店で食事したりしている。企業は我らを飽きさせないために次から次へと新商品や新サービスを考え出して宣伝する。

それもお金があるうちであるし、飽きないうちなのであって、実際に人間としての生活とは無関係のお祭り騒ぎ、レジャーでしか無いのである。


これからの人間の生活や生き方を考えた場合に、それで良いのだろうか。
人間はプログラムされた機能的な動きややり方をずっと続けて生きるのではなく、思いも寄らぬ「何か」との偶然の出会いによって突然変異(黒川によれば「メタモルフォーシス」)するのである。

あの「よくわからない空間」はそんな「何か」のためのものであり、これからの都市と言うものの在り方への「答え」なのだ。



黒川紀章は本質的な人間の生物としての「進歩」や「向上」を信じているのであろう。人間がこのままでいるはずは無いと。そしてもっと良くなるであろうし、その意志を秘めているであろうと。


参考資料
「黒川紀章ノート 思索と創造の奇跡」 黒川紀章 同文書院
「別冊 新建築 黒川紀章」 新建築社
「<現代の建築家>黒川紀章2」 鹿島出版会
「黒川紀章作品集 代謝から共生へ」 美術出版社
「建築の詩」 黒川紀章 毎日新聞社
「花数寄」 黒川紀章 彰国社


....
レポートのための文章より後に書いたこちらの文章の方が良い部分もあるので置き換えようかと思った。そう言うこともあるものだ。

黒川紀章 その6

黒川紀章は分かり難いかと思えば逆で、説明し易いのかもしれない。
それは理論がよく練られていて最後には単純な結論に達するほどのものである事、そして人間の内側から発する「美」を言わないからであろうか。芸術家としての建築家と言うより、どちらかと言えば社会派なのである。

黒川紀章の建築について書くことが頭の中でほぼ決まったので、今日は図書館で写真資料になるものを借りてきた。書く内容はまた別の記事に上げることにしたいが、メインはやはり分かりやすい六本木の「国立新美術館」にしようと思う。これと、以前に見学したル・コルビュジエの上野の国立西洋美術館と対比して補足するつもりである。


レポートに書きたい内容を簡単に言えば、ル・コルビュジエの西洋美術館には絵を鑑賞する目的がある人しか利用しないが、黒川紀章の国立新美術館はそうではないだろうと言う事。国立新美術館を物として見た場合にはそれほどでも無いかも知れない。伊藤豊雄のそれほど派手でも新しい仕掛けがあるわけでもない。ギャラリとしての機能をきっちり持たせた四角い入れ物、そこにあのうねるガラスをはめ込んだだけで、どちらかと言えば目新しくは無い。

それでも他の美術館よりはずっと多くの人に利用されるであろうと言うところがミソだ。

2007/10/28

黒川紀章作品見学ツアー

個人的、黒川紀章作品見学ツアーに行ってきた。


うりきり屋
築地にある小さな陶磁器屋さん。
立面が特徴的。

WINS銀座
これも立面が特徴的。
中身は地階から6Fまで何も変わらない。全て馬券売り場。表裏通り抜けできる。

スパッツィオ・ブレラ銀座
今日は上階が貸切だったので残念ながら外観のみ。

青山ベルコモンズ
側面の棚状の部分が(我々観光客の為のものでなく)そこに住んでいる人の為のものだと感じさせる。昔の青山はこんなに騒がしい街ではなかったのかもしれない。

日本看護協会原宿
これは国立新美術館に近いやり方。中央に何のためにあるのか分からない階段があって、その上にカフェがあった。商売のために開放していると言うより、休憩所を提供しているよう。しかし裏に抜けていないのは観光客を路地に入れない配慮だろうか。

国立新美術館
雑誌では晴れた昼間の写真が多かったのでわざわざ夕方から夜を見てきた。写真で見ると壮大で近寄りがたいものかと思っていたが、ゆったりした感じがする外観。ざっくりすっぱり単純に作った感じがする。


その他
TOD'S表参道(伊藤豊雄)

築地本願寺
これはすごく面白い建物。
初期インド仏教建築風にデザインされたと書かれていたが、どうもそれだけでは無さそう。

テアトル銀座
菊竹清訓氏の作品で、側面への光の当たり方が特徴的。

2007/10/27

建築構造学演習の成績

前回のスクーリング建築構造学の成績通知が来た。
「A」だった。

これは先にレポートが帰ってきたときに封筒にAと書かれていたので、そのままと言うこと。

2007/10/25

黒川紀章から伊東豊雄を振り返って見る

黒川紀章を読んでいたら、伊東豊雄の文章が気になった。
伊東豊雄の文章に出てきた幾つかの単語が黒川紀章の定義したものだと分かったからだ。

例えば「ノイズ」。
黒川紀章はこれを、メタモルフォーシス(突然変異)のきっかけになる何かと定義している。中間領域、あいまいな場所のようなところで偶発的にその何かと出会う事で突然変異が起こる。固定した機能を持たない場所では予期せぬ何かが、偶発的な出会いによって変化する。取るに足らないと思われた何かと遭遇する。その何かをノイズと表現している。情報化社会においては情報がノイズとなる場合もあると言うことだ。

例えば「ノマド」。
黒川紀章のノマドはその名の通り「遊牧民」を指す。
人間をその生活パターンで分類すると、一般に「農業従事者」と「商工業従事者」は違うと考えがちであるが、これは同じである。決まった時間に決まった事をして生活を成り立たせているからである。
遊牧民の生活はこれとは異なる。常に遠くの敵やオアシスについてできるだけ早く情報を得、それによってパターンを変化させなければならない。決まったパターンは通用しない。これが今後の情報化社会の人間の生活パターンと似ていると言うのである。


伊東豊雄の言葉はこれを踏まえた上でのものであった。
但し、ノイズもノマドもこの定義を知った上での集約された記号のように使っている。建築用語として使っているのである。だからノイズもノマドも分かるようで分からない。


建築家や批評家の書く文章で、何時も迷惑に思うのはこの事だ。その世界の人間でないと定義が分からない業界用語になってしまっているからだ。建築関係の書籍や雑誌と言うのはほとんどがその業界の人間か、建築を学ぶ学生か、もしかしたら建築オタク(のような人間がいるのかどうか分からないが)が読むものになっている。一般人が読んで楽しいものでは全く無い。

だからこそ、こう言うわからない言葉が通用するのだろう。建築を学ぶ学生はそういった特殊な世界に憧れて一所懸命に単語を覚えて、早くこう言った小難しい議論に参加したいと願うのかも知れない。(何と従順なのだろう。)



その点、黒川紀章の言葉にはそういった業界用語が少ない。多分建築家の中にあって極端に少ないのではないか。なぜなら彼はその言葉を定義しながら作る立場であろうとしたからかも知れない。だから黒川紀章の文章は読み易い。

黒川紀章とパン屋



現代建築論のために黒川紀章を読みながら、次の課題である建築設計Ⅰ-2のヒントを無意識に探してしまう。

今までは順序として近代に触れる事が多かったのだが、黒川紀章を読んでやっと近代とその後との「継目」に触れることができた気がしている。同じメタボリズムの他の建築家からは黒川紀章ほど強烈で明確な継目を意識はできなかったのだが。




ところで、上の絵は「黒川紀章ノート」を読みながら建築設計Ⅰ-2(パン屋の設計)のために書いたメモ。(本にはパン屋の事は書かれていない。)

パン屋をパンを作って売るだけの機能として捉えるだけにはしたくないと思っている。最近は個人経営のパン屋でも、ドアを入ると「いらっしゃいませ」で始まるコンビニやファストフード店と同じ接客をする店が多い。そのやり方は確かに無難で不可はないのだが、それでは単にパンを買う機能を果たしているに過ぎない。人間が動かしている自動販売機みたいなものだ。

そう言う店は買わないで通り過ぎる人間にとっては無である。毎日歩くその道にある個人経営のパン屋が通路の壁であってはつまらないだろう。

生活の側から見ればパン屋はその一つの部分であるし、街の機能から見ても部分である。そして店の場所はその繋ぎ目なのである。パン屋を営む人間から見でば、パン屋は外の世界と生活の繋ぎ目である。自営業は生活を業務の区別はサラリーマンのようにハッキリ分ける事はできないものであるから、店を単なる収入のための道具と割り切る事はできないはずだ。

2007/10/24

黒川紀章 その2

黒川紀章の資料に選んだ「黒川紀章ノート」が厚い本でなかなか読み終われない。

この本は1994年に発刊されたもので、それまで三十数年間の黒川紀章の思索の経緯が綴られている。本人がそれについて書いているので読み方によっては自己顕示欲の産物のようでもあるが、時代によって考えた事はその都度ユニークである。そこに使われる言葉も所謂(いわゆる)建築用語ではなくて、黒川用語であり、その定義まできちんと説明している。だから一般の建築評論における文章と違って読み易い。ありがたいことだ。

日本の伝統についての見方もよく研究された成果と言ってよく、よくある伝統構法の部分的な特徴を西洋のそれと比較して「こうだ」と断言するような議論とは随分と異なる。大学院の時代からこうだったのでは嫉妬深い人々からはさぞ煙たがられたのではないかと想像できる。


まだ全て読み終わってはいないがこの現代建築論以外に、建築設計Ⅰ-2の課題のヒントもここにありそうな気がしてきた。

参考資料
「黒川紀章ノート 思索と創造の軌跡」黒川紀章 同文書院

2007/10/23

黒川紀章 その1

現代建築論のレポートで次に採り上げる予定は、先日亡くなった黒川紀章氏である。

黒川紀章と言えば国立新美術館が開館したばかりだが、この写真を見て何かしら不思議な感じがした。巨匠の作にしては大人しいのだ。

海外からやってきた有名建築家の作にしても雑誌に取り上げられる海外の有名建築家の作などは、よくこんな事を思いつくと感心するほど奇抜であるものが多い。黒川紀章も日本にてはなかなか個性的な人物のようであるし、海外コンペで多くの仕事を取って来る建築家なのだから、一見して黒川作とわかるほど奇抜であろうとの先入観があるせいだろうか。

そう言う目で見ていたせいか、とても大人しく感じられたのだ。

そんな訳で、あの形がどう言う意味を持つものなのかを解明してみたくなったのである。幸いにも、ネット上には納得できる答えが見つからない。建築好きの人々や学生も、ル・コルビュジエは熱く語るが、評価の定まらない最近の建築を判断する事には遠慮がちらしい。



ところで、今日図書館で黒川資料を漁っていたら、奇妙な事を発見した。

先日、伊藤豊雄の資料を読んでいたら彼は彼より前時代の建築について都市の理想像、人間生活の理想像のような大枠から建築を発想するように解釈していた。その前時代の代表の一人が黒川紀章なのであるが、黒川紀章の文章からはそれは全く違うものとなっているように見える。

黒川紀章は最初から多様性を大きく認めていて、時間軸でも空間の中にも対立するものが同時に存在するとしている。未来を予想するもそれが神の与えた良き方向へと言うような絶対的なものではない。前者が大枠と言うようなものであれば、それをさらに上から眺める風なのである。


伊藤豊雄は彼の前時代の建築と言うものを(短期間であるが)師である菊竹清訓から感じていたからかも知れない。黒川紀章は同じメタボリズムの菊竹氏を含む他の建築家について何も言及していない。メタボリズムにいながら彼らとそのコンセンサスを同期する動きをして来なかったからのようである。


確かに、黒川資料を少し読んだだけでも菊竹清訓のメタボリズムとは随分異なる感じを受ける。

菊竹清訓の場合は日本建築の伝統を出雲大社に求めているが、これは過去から現在に至るまで多くの様式が発展し変化してきた中にあってずっと採用されてきた考え方を探る態度なのである。黒川紀章から見ればこう言った日本の伝統から要素を抽出する行為自体がすでに欧米的なのであろう。ヨーロッパ人がその美の理想をギリシャやローマに求めた態度と同じなのであって、それは態度からして日本の伝統から離れてしまうものなのである。

黒川紀章の場合、出雲大社も茶室も日光東照宮も同じ日本の中にあり、それはある意味対立しながらも同じルールの中に、つまり日本と言うシステムの中に共存するのである。「ワビ、サビはそれ単独では存在しない。紅葉の燃えるような華やかさを知らない者にワビ、サビの感覚はわからない。」のであると。

2007/10/19

パン屋設計のための調査



建築設計Ⅰ-2の課題でパン屋を設計する必要があるため、製パン用機器の調査を行った。(上の表)他に調理パンのための卵を茹でたりする場合にはガスコンロが必要だろうが、だいたいこの程度でできるのではないだろうか。固定された機器以外にも動く物も入っている。


参考書
「パン菓子機械総覧 2001」日本製パン製菓機械工業会 光琳

2007/10/17

アントニン&ノエミ・レーモンド展を見た

アントニン・レーモンド、何の予備知識もなし見た。

旅行などで外国に行くと、ずっと長くそこにいる人間よりよくその国が見えると言うことはあるものだ。アントニン&ノエミ・レーモンドも日本に対してそうであったようだ。我々日本人が日本的と思って見る日本風デザイン、実は外国人が発見した日本を見ているのかもしれない、この展示を見るとそう思えてくる。

特にノエミ・レーモンドのデザインを見ると、彼らが日本を見てショックを受ける部分と西洋のデザイン手法がミックスされて、無理も不自然も無い一つのものになっているのが不思議である。浮世絵に影響を受けたとされる印象派よりもさらに自然にブレンドされている。


建築の事も書いておくべきなのだけれども、どうも変な方に関心を持って見てしまった。


神奈川県立近代美術館
アントニン&ノエミ・レーモンド展
学生証提示で850円
JR鎌倉駅から徒歩10分程度
今週末10月21日で終了

まことちゃんハウス

まことちゃんハウスの件で「東京地裁、工事差し止めの仮処分の申し立てを却下(071012)」のニュースが報じられた。

一戸建て住宅の並ぶ街で今後お互いにどう言った付き合い方をしながら生活されるのだろうなあ、と思う。目と鼻の先に気に食わないご近所さんが居て、ゴミを出しに出たり買い物に出る時に挨拶もなしでずっと快適に生活できるものだろうか。



考えてみれば、都会ではそれが普通なのだ。隣にどんな人が生きているか、死んでいるかもわからないマンションに住む。新しい住宅街であれば知らない所から移り住んだ人々がそれぞれ何の関係も関わりもなく偶然そこにいるだけと言うことは普通にある。

そもそも現在の都市は無関係な人間が何かの都合で勝手に集まってできたものだ。田舎の地縁を捨てて都会の生活を選んだ。鉄のドアで仕切られた家の内部には核家族のみで半ば完結した生活を成立させる事の方を選んできたのだから。

そこには田舎にあった地縁血縁は無いし地域のルールも無い。だから面倒臭くないし、ある意味快適であったと思う。しかしその代わりに必要になったのが、警察組織や法などと言った物であろう。何か問題が出る毎に法や条例を多く作ってきた。それらは複雑過ぎて専門家にしかわからないほどに多くある。道路には車や人をいちいち細かく規制しようとする信号や標識がニョキニョキ立っている。昔小学校の壁に「廊下を走ってはいけません」とつまらない張り紙がしてあったが、それと似ている。

日本ではよく親が子に向って「xxxしちゃダメ」と叫んでいるのを目にする。(「日本では」と言うのは他の国ではほとんど見ないと言う意味)日本の教育は、実は「xxxしちゃダメ」しか無いのではないだろうか。だから大人になってもそう言う発想でしか世の中を制御できない。まことちゃんハウスの様な事例を受けて各地でやっと景観条例ができて、「家のxxxな外観はダメ」みたいになるのだろうか。



アメリカの映画を見てうらやましく思うことがある。
子供に見せる「スパイダーマン」のようなものでも、人間としての理想像の1つを提示している。アメリカでは「xxxしちゃダメ」と言うネガティブな方向ばかりでなく、こうなったら「カッコいい」と言う像を子供に示す事ができるのである。(だからと言ってアメリカが全てうまく行っているのではない。あちらの方が犯罪が多いのも事実だから。)

これは大人にそのカッコいい理想像があるからできる事ではないだろうか。マイケル・ムーアのような変った映画監督がいるが、彼の生き方はやっぱり1つのやり方として「カッコいい」のである。


振り返って我ら日本人にはそういった理想像が無い。ホリエモンのようなやり方がカッコいいと言われる時代があったが、あれは日本人の理想像であったか。個人の利益を追求する事は悪いことではないし、他の多くの日本人がストイックであるすぎたと言う意味で見習うべきところはあっただろう。しかし、理想像ではあり得なかった。

学校では個人の成績が良いことが評価される。しかし友達の成績を良くする手助けができたり、グループで何かを成し遂げたことはほとんど評価されない。受験には役立たないからだ。これで日本人はどんな人間になるべきだと言うのだろう。年金着服、賄賂、生活残業、自分のためになる何かを皆がやっているだけの人間か。


その意味で、まことちゃんハウスを作った楳図さんもそれを訴えたご近所さんも同じ部類の人間なのだろう。裁判所が結論を出しても、まだ出ない結論があるように思われてならない。




こう言う日本人のために建築は何が提供できるものなのだろうか。

2007/10/15

伊東豊雄論、ほぼ、まとまる。

長くかかっていた伊東豊雄論がほぼまとまった。

内容は前回書いた分析を、実際の建築の方から遡ったものにした。そうでなければ説得力が出ないであろう。逆に実物からであると論理的にまとめ難い。その上、伊東建築は年代によってポイントが変化していて、一貫した説明でまとめる事が難しい。そこでここ10年の新しいもの絞って書くことにした。

ポイントが変化していると言うのは、同じように見える手法であっても本人の思いに違いがあって、それを一つの表現としてしまうのは正確とは言えないように思うのである。人間は成長するものであるから、その人の一生を全て一つの記号として扱うのは失礼と言うものであろう。ル・コルビュジエのようにどこで切っても割りと一貫性の保たれている人間は少ないのが普通だ。



そして、現代建築論の次のターゲットは誰のどんな建築にしたら良いだろうか。やはり時節柄、黒川紀章であろうか。明日、伊東豊雄に関する資料を図書館に返して考えることにする。

建築構造学演習のレポート返る

先日の建築構造学演習のスクーリングで書いたレポートが返ってきた。正式な評価通知ではなくてレポートの封筒に記されたものであるが、どうやら「A」らしい。正式通知を待つことにしよう。


少し前にあるところで「地震多発地域に引越すが、安全な建物の構造は?」と誰かが書いていた。これは大変難しい質問で、木造だからダメで鉄骨だから安心と言うような簡単なものではないらしいし、今はほとんど使われない江戸時代までの伝統構法が実は高度な伝統技術であったとも気付かされた。素人考えの安易なイメージだけで判断するのは危険なのだ。

有意義で楽しいスクーリングであったと思い返される。

AutoCAD 体験版の使用期限

AutoCAD LT 2007 体験版の使用期限延長をお願いしたが、リクエストコードが認識できないとメールが返信されてきた。確認したがリクエストコードは間違っていないのだが。まさか、同じリクエストコードで他の人が延長したら2人目からはダメなのだろうか。

やってみた方はいませんか。

2007/10/13

Auto CAD 関連いろいろ

CADⅠのスクーリングで Auto CAD LT 2007 体験版をインストールし、図面ファイルを作成したところファイル形式がDWGになった。そろそろ体験版の使用期限が迫ってきたので作成したファイルをAutoCADで開けなくなる可能性がある。そこで体験版といっしょにインストールされたViewerアプリケーションで開こうとしたら開けない。よく見るとインストールされたのはDWGではなくてDWF Viewerであった。

これはまずい。Autodesk社のサイトを探して見たらDWG Viewerを発見。無料で使えるのでインストールしてみた。無料だが個人情報を要する登録は必要だ。多少は仕方ないだろう。

Autodesk - DWG

もう一つ、体験版の使用期限30日延長の申込みもできるようだ。動作が重いと言う2008の体験版もここで入手可能。

Autodesk - 体験版申込み窓口



AutoCAD はどうしても将来個人としては使えなくなる可能性があることも考えて、Jw_cadも検討しておかないとならない。下記サイトからダウンロードしてみた。ダウンロードされるファイルの小ささに驚く。

Jw_cadのページ


AutoCADそっくりなCADも提供されている。値段はそれほど高くはない。

Intelli Japan


VectorWorksは早くから3Dに定評あるCADだったように思う。

VectorWorksホーム


AutoCADやJw_cadのファイル形式が扱えればフリーのCADでも何でもかまわないのが本音だが、どの程度の互換性があるかの情報が少なくて困る。操作が違うだけなら慣れれば済むが、ファイル形式互換性が無いのは致命的だ。多くのCADソフトはAutoCADのファイル形式の読み込みや編集が可能と言っているがその程度が問題であって、詳細にチェックしている人はいないものだろうか。

2007/10/12

伊東豊雄

現代建築論の中で伊東豊雄の建築について考えている。


1.都市の捉え方
・絶えず変化する。
・流れの中にある。
・秩序無く造られては壊される。
・いろいろな印がCOPYされ消費され続けている。
・コラージュされている。
・表面的である。

2.都市の中の人間
・情報を消費する存在。
 -ブランドのバッグは物としてもバッグで無く印としてのバッグ。
・情報の中の遊牧民。
 -印、情報は絶対的ではなく何時か流れていってしまう。固定的でない。
・物理的な肉体と情報的な肉体の両方を持つ者。

3.都市の中での建築の位置付け
・建築は形態的にも機能的にも完結し、独立したものではあり得ない。
・建築は流と相対的な関係を持つ渦のような「現象的」存在。
 -固定化された物である建築と都市の在り方とのギャップに対して。
・古典的な都市の枠組から見る建築の否定
 -「都市はこうあるべき」からの建築は不可能である。

4.伊東豊雄の建築の理念
・仮想的
 -流れ、変化に対して固定的でない事。
・ニュートラル
 -流れ、変化に対して中立であり可変である事。
・メディア
 -情報の入れ物である事。情報の変化とともに変化するモニュメンタリティ。
 -従来の建築は固定的で時代の変化の中でも意味が変らない事に対する。
・建築のプリミティブ(原初的)で自然な状態の模索。

5.伊東豊雄の建築の表現方法
・グラフィカルなエレメントで構成する。
 -柱、梁などの機能エレメントで構成しない。
・コラージュ
 -都市(東京)の論理


6.新しい方法論
・人々の動物本能に訴えかけるもの
・自然界の構成原理に近づく
・運動体の幾何学のルールに基づく
・新しいシンボル性を持つ
・新しい装飾を発見する



所感など
従来建築(近代、ポストモダン)の枠組の挫折
近代もその後の建築も幾何学的秩序のある都市の理想像を基に建築を造ってきたと考えれば、
19世紀以前と変わり無いと言える。現在の都市の実態を見ればそれは既に挫折していると見て間違いはないだろう。都市は(東京は)無秩序なまま造られ続けていて何の抑制も無い。

それまでの建築は固定的で永遠性を体現する事を目標に造られた。しかし現代の建築は社会や都市の変化の中で変化する事を要求される。しかし形態を固定化をする建築はそれに応えられずギャップは広がるばかりである。ここに建築は挫折したのである。

伊東豊雄の建築はそんな挫折の時代に産まれた。

都市における人間の生活も変化した。生活は固定的でなく、出現しては流れていく情報(伊藤はノイズと表現する)の中にある印を求めて行動するようになった。人は物としての建築に集まるのではなく、情報の発信源に集まる。建築はメディア(情報の入れ物)化しなければ存在できないと伊東は考えたのであろう。

故に従来建築の重さからフリーな軽くて変化するものであろうとした。そして前時代に用いられた普遍の美からも自由となろうとする過程で、自然の中の原初的な美、うつろい行く幾何学の美、そういった形態を採用することになる。

(ル・コルビュジエなどの近代の元祖的建築家は普遍の美を採用してはいた。しかし彼らが主張したのは"自由"であって、その四角さを言ったのでは無い。四角さを言ったのではなく、ギリシャ・ローマを言わなかったと解釈すべきではないか。この先人の解釈の誤りを受け入れながら、それを否定していると思われる。)

造形表現では樹木などの自然の形態、動く幾何学の形態を用いている。しかしそれはあくまでも「形」の再現においてであり、ガウディのように自然現象の力学的引用までは行っていない。力学的には建築技術の力学であり、造形表現との関連は薄い。つまり「造花」を造っているのではないだろうか。

またある意味、伊東建築は新しいメタボリズムの表現であるとも受け取れる。伊東の建築はメディアと言う入れ物であり、内容物は情報のようなソフトウェアであると捉える事で固定したものとして想定はしない。固定してプランニングする事への「諦(あきら)め」であるとも感じられる。



参考資料
「風の変様体 建築クロニクル」伊東豊雄 青土社
「建築を考える」菊竹清訓 鹿島出版会
「シミュレイテド・シティの建築」伊東豊雄 INAX
「伊東豊雄/ライト・ストラクチャのディテール」伊東豊雄建築設計事務所 彰国社
「<現代の建築家>伊東豊雄-風の変様体-」鹿島出版会
「自ずと生まれる生きものが暮らす空間(対談)」生命誌ジャーナル2007年秋号
「伊東豊雄 建築|新しいリアル(パンフレット)」神奈川県立近代美術館 葉山 

2007/10/10

試験の申込み

11月の試験の申込み書類を送付した。

11月17日(土)
1限目 構造力学Ⅰ
2限目 建築材料学
3限目 都市計画学

いつものように申込書のコピーはとっておく。封筒には80円切手を貼り、受験票3枚と返信用封筒(80円切手添付)も入れた。受験票がいつもより1枚多くても80円で済んだ。葉書1枚多い程度なら当たり前かもしれないが、万一途中で帰ってきてしまうと面倒なのでちゃんと民営化した郵便局の秤で測ってもらった。


1月に1科目残しておこうかと思ったが、試験まで1ヶ月以上ある事と延ばしても準備しなければならないのは同じで、試験勉強の間に課題も作成しなければならない事を考えると11月で終わらせておくべきだろうと思って止めた。時間があるからと言ってそれだけ質の高い試験解答ができるわけではないだろう。こう言う事は考えても始まらないもので、決めてから考える方が良いのである。

2007/10/09

CADⅠの成績が来た

CADⅠの成績が来た。
「A」だった。

スクーリングの結果なので講評も何も無い。



この科目ではAutoCADを使うのであるが、このシステムは手描きをそのまま機械でするだけの事で、すべき事は操作を覚える事だけだ。手描きなら手や指の操作や道具を交換しながらやるような事を、小さい機能に分割されたコマンドに代えて行う。

機械に複雑な仕事をやらせると言うより、機械のやり方に人間の方が慣らされると言った方が近い。「CADができる」と言うのは、手品ができるとか経営ができるとか、そういった「できる」とは全く違って機械に飼いならされたような、つまりは「ポチはお手をできる」と言うような意味に近いものがある。

全くもってこの手の機械は遅れていて、いつまで線を1本1本描かせるのだと言いたくなる。21世紀にもなって原始的過ぎるだろう。

やりたいのは線1本を描く事ではなくて、木材を切って柱を作ったり鉄骨を溶接したりと言う作業とその結果が描きたいのだ。つまりCADは線と言うコマンドを用意するのでなくて、材木を用意し、のこぎりコマンドを用意し、ノミコマンドを用意し、溶接機コマンドを用意し、クレーンコマンドを用意しておくべきだ。


いつまでも線とか円弧とかそういった、実際の作業と関係ない変なコマンドを用意し続けるからCADができて設計ができない人間を増産することになるのではないのか。理想的な長さの線を描けるCADよりも、人間が加工したと同じだけ交差を発生してしまう"不"正確さを持ったCADを作るべきじゃないだろうか。

2007/10/08

建築構造学演習スクーリング 3日目<完>

今日は主に鉄骨と鉄筋コンクリートについて。
最後にこのスクーリングについてのレポート提出。


レポートに書いた内容の概要は下記。

「木造伝統構法と耐震」
木造伝統構法は明治以来長らく研究されて来なかったが、伝統構法の中にも耐震技術として学ぶべきことがある。だがこの研究成果と取り入れて建物を造るのは難しいであろう。
1.例えば制振ダンパのような物を取り付ける場合、建物は1つ1つ異なる為に建物Aでは効果があったとしても、建物Bでは効果が無い事も考えられる。よって、これを取り付けておけば安心と言うようにはならないだろう。
2.建物を柔構造と考える場合、これまでのように1つの塊りと考える力学では解を求めることは出来ないであろう。多くの部分が別々に動く分散定数となるために、波の運動を解くような分散定数の解とする必要があるだろう。
3.これに伴って材料や、現場で施工する継手などをどう定数化できるかなども問題になると考えられる。


スクーリングの感想にはならず、疑問ばかりになってしまった。

2007/10/07

建築設計Ⅰ-1の成績

早くも先日のスクーリング、建築設計Ⅰ-1の成績が送られて来た。
「B」だった。
これで2つ目のBだ。

今回の設計は初めから自分でも疑問を抱えたままのものだったので仕方ないか。3日間のうちにプレゼンテーションまでしなければならないから、図面をだいたい描いた後で別の案に変更するには時間が足りなかった。次回はもっと....

建築構造学演習スクーリング 2日目

今日も木造伝統構法の続きから始まった。
午後はトラス、継手、アーチなどの模型製作とトラスの破壊実験。

伝統構法は作られた時代によって違いがあり、太い柱が容易に入手できる時代と入手できなくなってからの時代の工夫には差があるようだ。太い柱の入手などと言うどうしようもない事情もあるが、どう言う人がどう思って構法を発展させてきたものだろうか。

トラスの強さは計算すれば出るが、数字だけで捉えるよりも実地に破壊試験をして見るとその強さ感覚を実感できるものである。こう言う感覚を知っているかどうかは大事だろうと思う。

2007/10/06

建築構造学演習スクーリング 1日目

1日目は主に木造伝統構法についての内容だった。
礎石の上に乗っているだけの柱、重い屋根、組物、それらが揺れに対して復元方向に働く。見た目の感覚とは反対で地震に強いとの事。

現在は木造伝統構法で建築できるように法律が変ったが、未だに体系立った建築として確立していないらしい。経験則で建てられる人材も少なくなってしまって、これからこの構法はどうなるのだろうか。漠然とであるが心配だ。

2007/10/05

構造力学Ⅰのレポートが帰った

構造力学Ⅰのレポートが帰ってきた。
結果は「A」だった。

先生は計算の過程をいちいち丁寧に見ているようで、レポートの途中途中に赤で丸印が入れられている。計算の過程を細かいところまで省略せずに書いたのは評価されたようだ。レポート課題以外にも学習すべき事をアドバイスしていただいた。


これで来週申込みできる11月の試験は3科目になった。
いや、なってしまった。11月の試験を2科目に留めて、1科目は来年に受けるつもりだったがどうすべきだろう。3科目の試験準備は辛いかもしれない。

2007/10/03

瀬戸屋敷-18世紀の伝統構法



神奈川県の開成町(かいせいまち)に保存されている「瀬戸屋敷」と言う建物を見てきました。

18世紀に建てられた規模の大きな伝統構法の家屋で6年前まで人が住んでいました。現在は改修保存されていますが、釜戸も土蔵(これは明治20年のものらしい)も住んでいた時点の状態です。縁側部分にガラス戸が付けられている以外は構造は江戸時代のままと思われます。

神奈川県西部のこの地域は関東大震災で湖ができるほどの活断層があるが、少なくともその手の大地震であきらめられるだけの大きな被害は受けなかったのであろう。太い柱は礎石上に置かれているため、屋敷のどこも土地には固定されいてない事が幸いしたのだろうか。屋根は茅葺である。天井板無しで小屋組は全て見える。建築構造学の教科書にある構造そのままの家屋である。

木造在来構法の家屋は筋違があり土台に固定されているが、これは太い木材が使えなかったり、土地が狭くて2階や3階建てにする必要がある場合の構造なのだろうか。もしこの瀬戸屋敷のように土地が充分に広く地盤が安定で太い柱を使えたならば伝統構法で良いと言うことは無いのだろうか。

「伝統構法で良い」ではなくて「伝統構法の方が良い」とする説もWeb上にはあるようである。


一見の価値ありです。

あしがり郷瀬戸屋敷 見学料は無料

建築デザイン論の成績が来た

建築デザイン論の成績が送られて来た。
「A」だった。

この科目の試験問題は自分の考えを書かせるものだったので、前日まで解答案を考えて校正し続けた。とりあえず良かった。

2007/10/01

建築環境工学の成績が来た

先日試験を受けた建築環境工学の成績が来た。
「B」だった。残念。

試験の問題は、
2.人工光源の種類と特徴
7.空気汚染物質が人体に与える影響

これはどちらもテキストにある内容をまとめるだけ(テキストの内容に少し足した点はある)のような問題だったので面白みが無いと思ったのだが、あれ以上何か書くことがあったのだろうか。

2007/09/29

平行定規を買う

出かけたついでにお茶の水のレモン画翠に寄って製図に必要な平行定規を買った。

10月13日までのセール品でレモン平行定規18,400円だ。お店にある中で一番安い。箱はレモンの印刷がされていたけれど、物はMAXで保証書もMAXだった。ソフトケースにまでMAXと印刷されている。取り扱い説明書はA4の紙1枚だけだ。もともとそんなに複雑な構造ではないらしい。実際に触ってみてもけっこうチャチな感じがする。もっともお店にある他のメーカーのが立派かと言えば、自分にはその違いはわからない。

そう言うわけで、これで製図をすることになった。

建築構造学演習の受講票が届く

10月6~8日に受けるスクーリング、建築構造学演習の受講票が届いた。

科目概要には「事前学習の資料や成果をレポートに添付して提出できるように準備せよ」とあるのが気がかり。何を準備すれば良いのか。

構造力学演習の成績

構造力学演習スクーリングの成績が届いた。
「A」だった。

授業中に小テストしただけだから落ちる心配はなかったと言うことだろう。

2007/09/28

建築の価値と存続

宮崎県の都城(みやこのじょう)市民会館の解体が決まったようだ。
以前に書いた黒川紀章氏のカプセルタワーとともにメタボリズムの遺産がまた一つ消えていくことになる。

市民会館の今後の方策について -都城市

都城市民会館 -建築マップ

以前に採り上げたスカイハウスを作った菊竹清訓氏の作品だ。

解体が決められた主な理由は次のようなものだ。
そのまま使うには維持費がかかる(5000万円/年)し別の施設を作ってしまったので使い道が無くなった。改修して別の用途とするにも大規模改修が必要であるし、それをしたからと言って新たな用途が見つからない。また設備面、バリアフリー化なども大変である。文化財としての価値は建築時に計画変更されていて菊竹氏の計画そのものとは言い切れない。そのままの形でとの要望も多いが、それではメタボリズムの考え方とは反することになる。


築後約40年しか経過していない。
先日のニュースでは道頓堀のキリンプラザに関してはその半分のたった20年で解体になることが決まったそうだ。どちらもあまりにも短すぎる。木造住宅と変らないのである。


メタボリズムと言う考え方
残すものと変えるもの。この建築の下半分の鉄筋コンクリートで作られたホールの座席になっている部分は残すものとして作られていて、上半分の扇形の部分は変える部分である。それは一体何のために変えると考えられたのだろうか。老朽化か、用途変更か。設備も変えられる方に入っているから老朽化は大きな理由だろう。

しかし、これを想定したのは建築家の方であって、使う側はメタボリズムの考え方をそれほど意識してはいなかっただろうと想像する。建築物はほとんどの場合そのまま使うものであって、よほど困らないと改修はしないのが一般的だ。テレビのリフォーム番組を見ていても、現実の多くの家を見ても、本当にもうダメかと思ってからやっとリフォームを考えるものだ。給湯器のような設備機器だって家電製品より過酷な条件に置かれている(中身は1200℃、外部は氷点下、雨に濡れる、掃除機のように溜まったホコリを掃除してもらえない)にも関わらず、買い替えはテレビの方がすっと頻繁なのだ。

そう言った意味でメタボリズムは日本にとって早すぎる考え方だったのかも知れない。しかも成熟しないままに捨てられた。バブルのような状態が起こればお金は使った方が勝だ。

もう一つ言えることは、建築家の仕事は造ったところで終わりと言うこと。それをどう運用するかは施主の問題に移るから、世の中がこう変ったら何かを変更すると言う考えを継続はできないだろう。黒川紀章氏のカプセルタワーのカプセルほど簡単なものであっても老朽化してカプセルをメンテナンスのために下ろした人はいなかったらしい。造った後に建築家は何も言う権利はないし、メンテナンスの仕組みまでは売らなかったのだと思われる。


未来予測
いかに偉大な建築家であっても未来を予測するのは難しい。人間は時代と言う大半径のカーブを直線と思って走ってしまうもので、これから先、時代がどう変化して行くかはわからないだろう。それを思ってメタボリズムを導入したとて変化できる範囲を超えてしまうとは誰にも予測できないものだ。


使い続けること
建築はそれ自体では存在できないものだ。誰かがそこに居て、それを使い続けることだけが建築を生かす事なのかと思う。それには建築を造る以上の想像力が必要だろうが、そんなクリエイティブな人間はごく僅かなのではなかろうか。


分離志向
ギリシャの神殿は数千年も存在することができた。そして今後も存在し続けるだろう。その事に現在の誰も異論は無いだろう。我々はそこへ観光に行く。そしてそれは多分またずっと生き残るだろう。それには価値があると考えられるから。

一方、自分の街の公園や役所の建物はどうか。用がなければわざわざ見には行かない。ギリシャ神殿のような価値を認めないからだ。逆に言えば、ギリシャ神殿ほどの価値を持たそうと思って公共の建物や自分の家を造るのか。絶対にそんな事はない。

観光地にある遺跡のようなもの、自然遺産のようなものと日常の建築物や家は全く違うものだと考えているからだろう。観光地には美しい自然や価値ある遺跡を求めるが、そこから切り離された身の回りの日常にはそんな快適さや美しさは全く求めようともしない。分離志向である。

一方で建築家はそれをしようと本気でする(人もいる?)。歴史に残る何かを造りたいと思う。この街をローマやベネツィアにしたいと思う。しかしそこには壁がある。建築家以外の誰もがそんな事は望まないと言う壁だ。観光地まで行かなくても美しい街並みも、寛げる街があることも望まない。我が街の建築は一時的な入れ物となり看板とはなるが、遺跡には成り得ないのである。

2007/09/26

「見る測る建築」と言う本

「見る測る建築」遠藤勝勧(えんどうしょうかん)TOTO出版
こんな本を買った。BookOffで105円。

非常に興味深い本だ。
先日の建築設計Ⅰ-1やCADⅠで描いている時、階段の傾斜や家具の配置、家具やキッチンユニットの横にできる人間が移動するところの幅、そういった寸法を決めることは基本的だけれど難しい。物の寸法はわりと簡単なのだけれど、空間の寸法は10倍難しいように思う。実感と数字の対応が全然身に付いていないからだ。

そう言う事をこの著者である遠藤勝勧氏は愚直にやってきたそうだ。建築家を目指す人へのアドバイスになる本はたくさん出ているけれど、やはり最後には寸法をどれだけ身に付けていてそれをアウトプットできるかに尽きると言うことのようだ。

この本は読むところは半分しかない。後半は遠藤氏が実測した実際の建築の寸法入りスケッチが山ほど入っていて、資料としてもたいへん参考になるものだと思う。

105円は本当に安い。(探せれば幸運。)

2007/09/24

建築設計Ⅰ-1 スクーリング3日目


今日でスクーリングは終了した。

結局、図面の小さな誤りが幾つか見つかったのでトレーシングペーパーに全て描き直した。コンセプトは変更せずに。

そして作品に名前を付けた。「Rotonda」と。要求が大きな仕事をしている建築家の家族のための表参道の家であったので(皆課題の条件が違いますから未だ受けていない方の参考にはなりません。)、家族が皆家の中心へ視線を向けて生活するプランとした。中心に8角形のリビングを設け、そこを核にできるだけ破綻のない平面を心掛けた。つまりルネサンスのパラディオのヴィラ・ロトンダを連想させるものだ。

実際にはどうしても綺麗に空間分割できず、汚い線が多数できてしまった。生活と言うのはそんなものかも知れないが、空間のプランとしてはイマイチになる。1日目に考えたコンセプトのリカバリとして、やるだけのことはやったと言うだけかもしれない。

その8角形リビングを吹き抜けにしてしまった事がさらに事態を悪化させてしまった。なぜなら、吹き抜けは1Fも2Fも同じ形になってしまうから(そうしない事もできるが構造上は工夫が必要になる)、上下各階の機能の違う空間どうしが形状の上で影響しあってしまうのだ。これは組石構造で家を作っている時(つまり19世紀まで)と同じ欠点が現れる。そんな事をわざわざしてしまうなんでやはり間違いとしか言いようが無い。ただ、部屋割りにとらわれて構造が成り立たなくなる事が避けられるだけだ。

次の機会は(それが有ればだが、)もう少し上手くやろうと思う。

今日の課題は前回のCADⅠから1歩進んで、プレゼンテーションまで採点された。設計内容が今ひとつだったので見せ方で少しシンプルに、そして印象深くなるようにしてみた。どう見えただろうか。




前回のCADⅠそして今回、と、設計を行った中で気になった事は「線の質」だ。なぜこの直線を引くか、なぜここに線を引くか、なぜこの形を選ぶかと思う。

例えば直線を引くのは、つまり「そこに定規があるから」ではないのだろうか。良く解釈すれば世の中にはまっすぐな材料が多いから、通常はそれを使う事が効率が良いし自然な事だ。

しかし、形を選ぶのも線を引くのも、全てが自由であったとしても我々は直線を引く可能性が高い。幾何学的にすっきり完全な形が作れて美しいからだろうか。いや、「そこに定規があるから」ではないのか。考えもせずそれが普通だからと言う理由で直線を引くのではないか。そうでないと言い切れるだろうか。

CADであればなおさら幾何学的に完全な形状を選択し易い。それどころか不完全な形状を選択する方が難しいだろう。これでは道具に使われているようなものだ。21世紀になってプラトンの完全性を求める必要など無くなったはずなのに、それとは違うこんなバカな理由で直線を引き続けているなら我々は退化したとしか言いようが無いではないか。



写真を追加
プレゼン用の立面図であります。住宅らしさが無いのは意図。
窓枠も細かく描くべきだが思い切って省略している。スケール感が無いのはそのためか。

2007/09/23

建築設計Ⅰ-1 スクーリング2日目

描き直そうかどうか考えたが、そのままにする事にした。
別の事情で少し変更は加えた。

明日は午後からプレゼンテーションだ。
今は5mm方眼紙に描いているが、トレーシングペーペーに必要な線だけで描き直すべきだろうか。色付けもして良いようなのでやってみようか。



追加
今チェックしたら間違いが数点あった。グリッドの付いた紙に描くと平気で1コマ間違えていたりするものだ。仕方ないので描き直すことにした。この建築に何か名前を付けようと思う。ルネサンスの巨匠への捧物になるな名前が良いだろうか。平面図を見るとそれを連想させるものがあるから。

2007/09/22

建築設計Ⅰ-1 スクーリング1日目

今日から建築設計Ⅰ-1のスクーリングが始まった。

テキストを読んだ印象では、基礎からみっちり覚える科目かと思っていた。実際始まってみたら全く反対で、かなり緩く始まった。制約が少ないけれど課題に求められる内容はかなり考えなければできないので(とは言え、正解の無い課題)別の意味でキツいように感じられる。


帰りの電車で課題の事を考えいた。そうしたらスクーリング中に考えていた事と別の考えが浮かんできてしまった。変えてしまうとまだゼロからになってしまう。どうしよう。

考えが変った理由は、最初に挙げたコンセプトで描く事が別のところでの制約になってしまうと思えてきたからだ。自由で単純明快な方法を選んでいたつもりが、今は逆のように感じられる。1F平面を自由に決める事が2F平面に制約をもたらす。壁の表が裏を制約する。単純明快な形が単純でない空間を作り出す。

これは欠陥ではないのか。19世紀までの積石構造のジレンマに似ていなくもない。そんなふうにも思えてきた。明日までによく考えよう。

2007/09/21

フランク・ロイド・ライトのまとめ

フランク・ロイド・ライトにおける「有機」と言う言葉についてまとまてみた。

建築用語として「有機的」とは良く使われる言葉になっているが、フランク・ロイド・ライトはかなり早くからこの言葉を使っているようだ。現在の建築に関するいろいろな文章に出てくる「有機的」は今ひとつ定義がはっきりしていないようで、読んでいて何だか気持ちが悪い。


そこで、知る範囲でそれらを分類してみたら、だいたい4つ位に分される。

(1)概念として関係があるの意
周辺環境、人間生活、街などと建築に意味的なつながりや関係があると言うこと。

(2)空間構成の事
部分と全体(ディテールと立面など)または部分と部分に関係やつながりがある。

(3)美や形状の事
自然の形、自然の構造や構成を用いていた建築の方法。

(4)(単なる)イメージ
機能的に整理されていない関係である。からみあったような関係がある。非人工的。自然の何かを連想させる。


フランク・ロイド・ライトの「有機」はきちんと定義されていて、上の分類では(1)になる。結果として作られる空間には(2)が認められる。全然矛盾が無い。


フランク・ロイド・ライトの「美」と形状はどうかと言うと、初期から後期まで一貫して幾何学の美である。「グッゲンハイム美術館」などでは、丸くぐるぐる巻いている巻貝のような形状のイメージから「有機的」と評されることもあるが、よく見てみればコンパスや定規を使って描いた線の組み合わせになっていて、最近よくあるぐにゃぐにゃしたタイプの「有機」とは全く違うのである。

ついでに、ル・コルビュジエのロンシャン教会は、あの曲線は日本の陶芸であるような手捻りの曲線で、美術家の使う線であろう。もともとル・コルビュジエはピアノやバイオリンなどの曲線を使うのが好きだ。ル・コルビュジエもフランク・ロイド・ライトも別に幾何学をもって近代建築の定義としたわけではなくて、(19世紀的な構造からくる制約に対する)「自由」の方が重要なテーマだったので、ロンシャンでそれを示してみたかったのだろうか? (そんな事どこにも書かれてはいない。)


本題に戻って、フランク・ロイド・ライトは自然の生物の真似をしたような形の「有機」を好まない。それは造花のような物と考えたからだ。人間が作らねばならない美は人間の美感に投影された普遍性にあると考えていた。


それなら、グッゲンハイム美術館に「有機」はあるのか?
初期のプレーリーハウスが砂漠地帯に溶け込むようにデザインされたと同じような関係を、グッゲンハイム美術館は街と持とうとはしていない。その外観は周囲のビル群のパタンやルールを無視している。これは逆説的方法だろう。その方が良い場合もあるのだから。(ここでは、細かい事は言わないでおくことにするけれど、AlfaRomeoの線を見て欲しい。)





参考資料
「ライトの遺言」 フランク・ロイド・ライト 彰国社
「建築家:フランク・ロイド・ライト」 テレンス・ライリー他 (株)デルファイ研究所
「建築について (上下)」 フランク・ロイド・ライト 鹿島出版会
「巨匠フランク・ロイド・ライト」 デービッド・ラーキン 鹿島出版会
「見る建築デザイン」 宮元建次 学芸出版社
「伊藤豊雄 建築|新しいリアル -パンフレット」 神奈川県立美術館葉山

2007/09/20

おかげさまで、フランク・ロイド・ライト

先日、CADⅠのスクーリングでせんたろーさんとフランク・ロイド・ライトやル・コルビュジエについてお話ができました。それを種にして今日は頭の中にちょっとだけ飛躍がありました。

まずは、せんたろーさん、ありがとうございます。
これで現代建築論のフランク・ロイド・ライトの部分が進みそうです。


簡単には、フランク・ロイド・ライトの「有機建築」に焦点をあてて書こうと思っています。
フランク・ロイド・ライトの建築は、初期と後期では見た目上スタイル変化が大きいのですが、「有機」については一貫していると思うのです。また、スタイルが変化しているように見えても彼の感じる「美」にも一貫したものが感じられます。そのあたりを例を挙げつつ書いてみることにしました。

詳細はまた後で。

再びフランク・ロイド・ライトへ

再び現代建築論のフランク・ロイド・ライトへ戻っているが彼の巨匠をネタにレポート(現代建築論)書くのは、調べれば調べるほど難しくなってきた。

なぜなら、フランク・ロイド・ライトの場合はその空間構成を論じる前に「自由」「民主主義」から入らねばならないからだ。ルイス・カーンも難しかったが、彼の場合は建築そのもの(狭い意味ではないが)からその思想の範囲が超えて出るほどでもなかったように思う。フランク・ロイド・ライトは前提条件となるものの範囲が広すぎるのだ。


現在21世紀初頭に生きる我々から見るとアメリカはいろいろな問題を抱えるにしても、世界のリーダーと胸を張って自覚する国と見えるが20世紀初頭は決してそうではなかったのかも知れない。新しい土地に移植された植物のような気持ち、故郷から切り離された(それを望んだとしても)頼りなさが残っていたのかも知れない。

そんな中には新天地で新しい根を張ってたくましく生きていこうとする花もいて、それがフランク・ロイド・ライトであろう。砂漠のような何も無い土地に寂しさでなく自由を感じる建築家。だとすれば、フランク・ロイド・ライトこそ始めての本当の"アメリカ人"建築家なのかも知れない。


歳を重ねてからも新しいやり方を積極的に受け入れていく自由さとたくましさ。アメリカの開拓者魂だろうか。

2007/09/19

製図の道具を買う

終末の建築設計Ⅰ-1のスクーリングに備えて製図用具を買った。

スコヤと三角スケールは近所の道具屋で。(ハンズより少し安い。)芯削り、製図用刷毛、ドラフティングテープ、その他細かい物はハンズで買う。他のものは既に持っているから買わなかったが、全部で5000円ほどになった。CADに比べれば高くはないな。

これを使ってスクーリングで何をやるかと言うと、住宅の建築計画と設計製図だ。前回のCADⅠと同じで基礎から設計までの一通りを3日間でやるらしい。すばらしいスピードと言うしかない。

見えない建築



銀座から徒歩で新橋に歩いていくとこんな特徴ある建物でも全く視界に入らない。
新橋駅に着いて振り返って驚く。あれ?!今来た道にこんなものがあったのか、と。

人間の視界は自分で思うよりとても狭い。知っている街でもたまに空を見上げると何十年もずっとそこにあったであろう物が珍しく感じられる事もしばしばだ。そう思うと、大きな建物の特徴的な外観にどれだけ価値があるか疑問だ。

近くまで行って、中に入って使う人にはその外観は関係ない。遠くにいる人はその外観を眺められるけれどもその人の生活はその建物とは関係ない。それならば特徴ある外観は看板なのか、道しるべなのか。

平面形状に特徴ある建物にも言える。こちらは道しるべにもならない。豊洲のららぽーとはドックに船が数隻停泊した形になっているが、あくまでも平面図上の話。迷子になりそうになって案内図を見るまでそれに気付かないだろう。こう言う事に何の意味があるのか。

これと同じ意味で安藤ストリートを見に行ってみたい。


(あくまで一般的な話。どっちも両立する建物もあるかと思う。)

2007/09/18

MIKIMOTO Ginza2ビル



今各所で評価の良い伊東豊雄氏のMIKIMOTO銀座2ビルを見てきた。

これは見た目が骨格とも言える構造なのでハリボテではない。
中に入ると確かにどこにも柱が無く、隅まで同じ厚さの壁でできているので中を有効に使えると言う意味では理にかなっているかもしれない。そう言うことを考えてインテリアをデザインしたのかしないのか、良くわからなかったが、ミキモトがその空間を広々と有効に使えているようには見えなかった。窓の形が変である以外、外見から想像できるそれよりずっと内部は普通だ。使う人と建物の外見はあまり関係ないと言った印象だ。少し残念。

この写真でも分かるように、最近多いガラス張りビルよりも確かに目立つ事は確かだ。有楽町駅のホームからも目立つ。けれど、これが銀座に合っているかと言われれば、そうれは難しい問題だと言うしかない。

フランク・ロイド・ライト的な意味で有機的と言う事を考えるなら、これが銀座と言う街の一部であって不可分な物と言えるのかどうか? その答えは時間が決めるものかもしれないが、少なくとも今の自分にはわからない。他人がやらない事を試してみたと言う部分に関しては賞賛に値するとは思う。(構造的には2x4住宅や自動車のように壁構造なので開口部を広くとりたい場合にいくらか制限が出てくるのだろうか。もっと床面積の大きなビルでの挑戦に期待したい。)


追加
写真の奥に一つ前の記事に挙げたデビアス銀座ビルが少しだけ見える。隣のビルも敷地ぎりぎりで建てているので凹んでいる分、目立たなくなってしまっている。銀座と言うところは目立ちたがり屋さんがとことん目立たない場所なのである。

デビアス銀座ビル



この写真は有楽町に建設中のデビアスビルを正面から見上げたもの。

ステンレスの曲がった柱に見える物は構造とは何の関係もない窓ワクだ。証拠にこの柱状の物は地面に到着する前に切れている。このビルの構造を支える柱がビルの中央近くに集まっているために正面がこれほど自由に曲げられるらしい。形だけからはオーストリアの中央銀行ビルとかフランク・ゲーリーあたりを思い出す。こちらの方がちょっと大胆さに欠けるけれども。

この形の必要性は何か?
どう見ても外見だろう。(つまり、アヒルか?)

自分でこれを作る発想は無いなあ、と感じる。
ぐにゃぐにゃさせれば良いと言うなら多分誰にでもできそうに思う。目立てば良いだけなら別の方法を考えそうに思う。だから、ここで決断はできないだろうなあ。


ついでながら、汚れ易い部分とそうでない部分に分かれそうな気がするのだけれど、掃除はし難くないのだろうか。

ハリボテ建築 -アンバサダーHotel



ディズニーランドには行かず、アンバサダーホテルを見てきた。
同じホテルがほぼ同じデザインで香港ディズニーランドにあるが、香港の方がずっと良いように思う。

どうも日本人には底抜けの明るさは似合わないようで、建物が似ていてもそれをさらに飾ろうとする心が無いのかも知れない。中国人はスナップ写真を撮るときに、まるで女優さんか俳優さんがグラビア撮影してる風のポーズを(恥ずかしげも無く)とるが、日本人はピースサインと笑い顔だけだ。香港と日本のこの2つのホテルにはまさにそんな違いを感じる。舞浜のこちらは何となくソツ無く、イヤミ無く出来ていても華やかさが感じられない。


香港のこのホテルに泊まった印象が悪くなかった。そこで日本ではどんなものだろうと思って確認しに行った。そしてこのハリボテを現代建築論に書いてみようかとも。なぜなら、好印象を与える建築がハリボテであるなら、建築としてそれがタブーであっても現実を認める事も必要と思ったからだ。

あのパタンランゲージを採用して再生された川越の商店街もよく見ればハリボテで、それを目当てに多くの人が訪れる。その構造はディズニーと変わりない。あちらはC.アレグザンダーの理論があって建築的には注目される存在で、ディズニーは商業主義のハリボテとしてタブー視される。この違いはいったい何なんだろう?

この写真の付け柱(ジャイアント・オーダーだ!)と川越の江戸末期風鉄骨建築に違いは全く無いと思うのだけれど。

2007/09/17

CADⅠスクーリング 3日目



今日でやっとCADⅠが終了した。
写真は設計した部屋のパーティションの図。

CADの操作についてだけ評価されるのかと思ったら、描いた図面の内容までしっかり見られたのには驚いた。昨日までコマンドの練習をやっていたので今日中に設計が完成するかどうか自信が持てなかったがどうにか完成できて良かった。


課題は既存の形が特徴的な有名建築物のインフィル設計。
短時間で完成するために、実際にはあり得ないほどシンプルにしてみた。その中で気をつけた事は、その特徴的な形状故に成立するプランであって、狭いので全体が一つに見え、意図せずできてしまう小さな隅っこのような部分を極力減らす事であった。

また、階段のような移動(と言うどうしようもない必要)のためだけの物は上下階ともに無駄になるのでそれ以外の機能(具体的には書かないが)を加えて部屋の一部分にした。これによって東側窓から階段の斜面に沿って光が入る効果も有りだったと思う。また夕刻に使う風呂はやはり西向きだろうとも思ったのでそうした。

使う人間を想定せよとの事だったので、完全に中年夫婦2人とし、年に1人2人?、来るか来ないかわからない友人や親戚などの外来者も完全に無視した。

図面完成時には消してしまったが部屋の中央に中心線を想定し、その軸を実は重要視してもいた。これは建築でなく、機械設計の方法を使用したつもり。描く自分に規制を設けて芯がブレないように考えてみた。家具も建具も全て寸法規制されていたから実際には作れないかもしれない。

実際に作れないかもしれないことはその他にも有る。階段位置が梁にかかっていて、梁を移動すると言う大工事が必要になった。何しろ建築の常識を知らないまま描いている図面だから仕方ない。(先生によれば、実際の住宅で梁を移動する事もあるらしい。)

また、階段をかなり広くしたので使う材料の事を無視してしまっている。どうにか作れるとしても無駄にコストがかかるだろうし、階段下の支柱が必要かなど、構造にも影響するだろう。

実際に作られない設計だから許していただくとしよう。



その他
人間がどの位の幅の通路やドアの隙間を通ることができるのか、トイレの幅、階段の高さ、天井の高さなど、普通にしている動作とその寸法の体感を常に意識しておかないと、いざ設計となった時にかなり悩む。法的な最低限でなくて、何mmが良いのかと言う、当たり前のことだろうけれど普通に生活する上でそんな事を意識することはなかったのだから。

2007/09/16

建築の図面はちょっと違う

今日、やっとCADで建築の図面を描き始めた。
機械の図面と比べるとやはり違うのだな、と思う。

まず、基準線が壁の中央にあるが、そこが基準線だと言われたら誰がどうやって寸法が合っているかを測定するんだろうと思った。壁の中に仮想線が入っていても定規をあてられない。そこから出る寸法線が次の柱まで行って、その柱からさらに次の柱までも寸法線が入っている。さらに次の柱へも。そうすると全体の寸法と食い違いが出るはずだが、それはどうやって吸収するのだろう。

有効数字が多すぎる。柱間が4025mmとなっているが、これを測定するのはかなり優秀なスケールが必要だ。実際には多分最後の一桁、いいや最後の2桁はいい加減になるはずで、4000から4050の間って感じになるだろう。


以前、職業訓練で機械CADを習っていた時に建築図面の仕事をしていた人が来ていた。その人はCADは早かったけれど、図面の基準線を描かずに端から描いていた。そんな寸法の入れ方では物は作れないと注意されていたのを思い出す。そうは言っても、最近は機械から入っている人もそう言う傾向が目に付くのだが。(実際、去年まで働いていた会社の図面はそんなのが多くて困ったものだ。)

CADⅠスクーリング 2日目

午後になってやっとコマンドから図面に作図に入る。と言ってもまだ構造部分の説明を受けながら描いているだけ。このペースで明日の3時までに描き終わるのかどうか不安だ。今夜中にそうとうエスキスを進めておいて、明日は描くだけにしておかないとダメかもしれない。

できればもう少し1日目のスピードを上げておいて欲しかった。と、言ってしまうとパソコンに慣れていない方もいるのでわるいのだが。(そう言う方には事前にオープンスクールのような形でCADゼロがあると良いかもしれない。)

2007/09/15

CADⅠスクーリング 1日目

今日の内容は以下の通り。

AutoCAD(LT2007体験版)のインストール。
時間はかかるが言われる通りやっていけば別に問題なし。

次にいくつかの基本コマンドの説明。一人でテキストを読みながらではやっていられないが教えてもらいながらだと何でもない。ただ、使わなくなると忘れるだろう。以前の職業訓練でやった事もそろそろ忘れ始めているから用心しなければ。早めに学生版を購入した方が良いと思うが、それを過ぎたら(2年後)かなり高いものなので、仕事で使うようにならない限り、永久に使う機会はなくなるかもしれないのが心配だ。


それと、やっぱり使えないのがマウスだった。
マウスは早く動かした時と細かく動かした時の動作のレンジがあまり広くないのが欠点だ。細かく精度良く設定しておくと長距離でピョンと飛ばないのが面倒臭い。画面のピクセル数が多くなっているのにそんなの何時まで使えるって言うんだ。そのうち加速ボタンが付くんじゃないだろうか。

今日からCADⅠスクーリング

今日から3日間、CADⅠスクーリングだ。天気が良くてよかった。

持ち物はテキスト、パソコン、筆記用具、マンションのチラシ、学生証、受講票。
用心してマウス。傘はいらない。

2007/09/14

無くした本を返す

図書館に無くして出てこなかった本を返した。

受領書が用意されていて、それを交換にもらっただけで済んだ。簡単。何度も言うようだが、無くした本が未だに出版されている本でよかった。規定では無くした本に相当する本を返す事になっているが、C.アレグザンダーのあの本でなければ、返す方としても意味が無い。自分が必要としたと言うことはまた誰かが必要とするはずだし、税金で買うために誰かが選んだ本なのだろうから。

2007/09/13

アメリカの大学の講義

アメリカの大学が講義内容をオープンにする傾向が広がっていて、とうとうこんなところまで来ている。これで勉強しても単位も学位も取れないが勉強したい人には良いことだと思う。普通は自分の大学の講義内容しか知らないから客観的にはどうなのか確認することはできないが、こう言うことになっていればそれも可能だろう。

iTunesU


建築関係も有る。iTunesの検索窓にarchitectureなどと入れて検索すればスタンフォードなどの名門大学の講義がビデオで見られる。建築のビデオはMITが一番充実しているようです。1つ1つはそんなに長くありません。

惜しい事に日本の大学はこれに参加していない。だから英語が聞き取れないと意味がない。残念だ。日本の大学もぜひ参加していただきたいものだと思う。いくつかの大学、先生はHPで内容を公開してくれているけれども、もっと広がることを期待する。


注意
iTunesを持っていない人はダウンロードしてから。
Windowsの人はインストール後に「コントロール」-「QuickTime」-「詳細」の中の「セーフモード」を選択する。

無くした本を買う

先日無くしてしまった図書館の本「まちづくりの新しい理論」を買った。

図書館の本を無くしたら図書館が買ってお金だけ払うのかと思ったら、自分で買って届けても良いとの事だったので、その方が面倒でないと思って買うことにした。Amazonでも良かったのだが丁度図書カードがあったのでそれを使うことにして書店で注文しようと思っていたら、幸いにも駅前の書店にあった。1890円だった。あれだけ何万円もの本を読ませてもらっているから安いものだ。中にはかなり珍しい本まであったから何万円どころではないだろう。

図書館に届けようと思って自転車で走ったら今日は休館日だった。また明日だ。

アントニン&ノエミ・レーモンド展始まる

神奈川県立美術館で、
建築と暮らしの手作りモダン アントニン&ノエミ・レーモンド
が始まる。9月15日~10月21日。

2007/09/12

Imagine Peace Tower - 光の建築

Imagine Peace Towerが10月9日に公開されたそうだ。

先日受けた建築デザイン論で「象徴」の問題があったが、これはとても直接的な答えだろう。さすがオノ・ヨーコ。


彼女の作品が以前、横浜のMM21に展示されていたのを思い出す。貨物列車を機関銃で撃ちまくって空いた穴から光の筋が発散している。貨物車の上方にも一際太い光が放射されており、中から音が聞こえると言うものだった。オノ・ヨーコと言う人が前衛芸術家だとは知っていたが、前衛と言うだけあって何かわけのわからない事を考えてわけのわからない表現をする人だと思っていたが、それを見て見方が180度変った。

今の日本は景気が悪くても以前ほど裕福ではなくても、世界から見れば不幸とは言えない状況にあって、あまり問題もなく生きていかれる。だから個人にも音楽にも芸術一般にもそして人生にも切実なテーマは感じられない。強いて問題を挙げるとしたらテーマが無いと言う問題があるだけだろう。

外国では芸術のテーマとして貧困があり抑圧があり圧政があり死がある。そう言う意味で、オノ・ヨーコは本当に世界で生きている人なんだなあと思う。枠を超えられないと言うだけの問題しか無い日本の芸術や建築は幸せかも知れない。

建築材料学のレポートが帰った

建築材料学のレポートが帰ってきた。
このレポートは評価を心配していたもの。
けれど、どうにか評価は「A」にしてもらえて安心した。

反省
講評では、各建材の特徴は単語だけで表すのは難しい、との事。つまりもう少し詳しく書けと言うことだろう。

仕上表(わりと詳細に書いたつもり)にしても良いとの事だったので、1つの材料を1段の表にしたがもう少し段を広げて文として書いた方がよかったかもしれない。また、要求性能もその横に単語の羅列で記入したが、これも少し詳細に書くべきだったのだろう。


提出した表のまとめ方は、大きく「外部仕上表」と「内部仕上表」に分けた。
「外部仕上表」は屋根、外壁、バルコニ、外窓などに分け、さらに各々使用材料を抽出して特長と要求性能を記入している。
「内部仕上表」も部屋毎にほとんど全ての材料を挙げて同じように記入した。表の別欄に主要部分の写真も添付した。外観からでは中身が不明な部分、厚みが不明な部分は資料を調べて類推して記入した。類推で書いた部分はそれを注記した。写真は添付していないが畳位は一応上げて内部を観察した。

CADⅠの準備として



週末のCADⅠのスクーリングの準備に壁紙を作ってみた。
AutoCADなので壁紙の右端に主要コマンド一覧をプリントした、カンニングペーパーなのだ。コマンドは適当に選び出したわけではなくて、以前の失業時代に職業訓練を受けた時によく使った、線を引くとか寸法を入れるなど、よく使う汎用的なコマンドだけ。

AutoCADの美点はキーボードからコマンドが入れられる事。だからAutoCADはバージョンアップして画面構成が変ったりアイコンが綺麗なものになったとしても、キーボード入力のコマンドはほとんど変らないから戸惑う事はない。小さなアイコンがどこにあるか探すだけでも面倒なのだ。

それに正確な位置はどっちみちキーボードから数字を入力しなければならなから、手はマウス(タッチパッド)とキーボードの間を往復しなければならなくてこれも少し面倒臭い。ならば最初からキーボードでコマンドを打ってしまったら楽だと思っている。


だからAutoCADを使う時だけこの壁紙を張っておいて忘れた時だけ見るわけだ。もうあの講座を受けてからだいぶ経つからかなり忘れていて、常時確認する必要がありそうだが。



もし、キーボード・コマンド好きな人がいたら(壁紙でも元表でも)あげても良いけれど、今時キーボードからコマンド入れる人なんてほとんどいないだろうなあ。

掃除

気温が下がってきているのに暑い。ウェット式の紙ワイパーで階段を下まで拭いてきただけで暑い。それにしてもこの街の空気は悪い。毎日掃除したとしても床はすぐにザラついてくる。フローリングを歩いた足で風呂場の濡れた床に足を置くと、水に黒い汚れが滲む。

昔は工場もトラックも黒い煙を吐いてこの街の空を一面灰色に染めていたようだが、今は青空も見えてだいぶ改善はされている。それでもやはりこの状態はひどい。こんなところでも、まだ移り住もうとする人がたくさん居るのはどうしてだろう。


今時、戸建て住宅は皆小さい。小さいから3階建ては普通だ。3階建てであれば当然階段がある。階段は、踏板と蹴込板と側桁の交わる部分が重箱の隅のようになっている。この部分が1段に左右2ヶ所ある。1階と2階の間にこれが13x2=26ヶ所、3階まであればその倍の52ヶ所ある。この部分にはどうしてもホコリが溜まる。

なぜなら、空気の流れは角で遅くなる。流速が遅くなると風に乗って来たホコリは背中を押されなくなるからポトリと床に落ちてしまう。こうして隅にはホコリが集まってくる。

これを掃除するのはたいへんな事だ。高齢になって手足の動きが今ほどでなくなったらどうすれば良いのだろう。階段の上り下りがたいへんになると言うのに、それを掃除して周らなくてはならないとは。どんなに良い家を建ててもこの問題はオマケとして絶対に付いてくるだろう。

隅の無い家はできないだろうか。
・ウナギの寝床状で細長く、向こう側とこちら側に大きな開口部があって空気の流速が絶対に落ちない家。
・土地が小さい場合はそれを巻貝のように巻けば、カーブの内側の流速は落ちるけれど重いホコリは流速の速い外側に移動するからこれでも良いだろう。巻貝の中心部から時々エアを吹けば家全体のホコリを外に出せるかもしれない。
・床はホコリにもバリアフリーにしてやる必要がある。

2007/09/11

構造力学Ⅰのレポート提出

構造力学Ⅰのレポートを提出した。

1.トラスの算式解法と図式解法
どちらも先日の構造力学演習でやった方法なので注意深くやってみた。図式と算式で少し誤差が出たが、スケールの有効桁数からのまるめ誤差程度。

2.(1)木材の圧縮応力度
これもスクーリングでやったもの。

2.(2)鋼材の圧縮応力度
鋼材はスクーリングでやらなかったがテキストの例題に従ってやってみた。鋼材には許容圧縮応力度の低減率が無く、細長比から表を読んでそのまま許容圧縮応力度出たのが木材とは異なる。それと山形鋼は段目形状に方向性があるので弱い軸を元に計算する。


試験までにもうちょっといろいろな例を検討しておく必要ありだろう。



追加
これで試験のある科目のレポートは全部終了したことになる。
残るは、
「建築基礎製図」製図を描いて出す。
「建築史演習」歴史的建築の調査報告。
「建築設計Ⅰ-2」パン屋さんの設計。
「現代建築論」巨匠の建築評。(これはもう少しで出せる。)

2007/09/08

スクーリング受講票が届く

2科目の受講票が到着した。

CADⅠ 9月15日~17日
建築設計Ⅰ-1 9月22日~24日


CADⅠで使うパソコンも今朝修理から帰ってきた。ファンの制御回路の不具合でファンユニット全交換したらしい。ファンの脱調が発生していたのだろうと思う。ホコリが酷かったからではなくて。熱のせいかもしれない。IBMさん迅速な対処、ありがとう。

試験終了 2科目

建築環境工学と建築デザイン論の試験を受けてきました。

建築環境工学の問題は
2.人工光源の種類と特徴
7.空気汚染物質が人体に与える影響

どちらもテキストを見て要領よくまとめれば済みそうな問題だったので2は表にして、7は箇条書きで網羅してみた。あまり面白い問題じゃなかった。


建築デザイン論の問題は
4.建築が浮遊する感覚
8.街や自然からの拒絶
でした。

4は昨日まで考えていた事に加えて、上下の視線の違いによる断絶のようなものもあるのかな、と考えてそれも付け加えて書いてみた。メリットとデメリットの分かりやすい(ファニーな)イラストも入れてみた。

8はだいたい考えていた通りに書いたけれど、書いている途中で設問7にある自然や街の導入と反対の事かと思いついてそんな事も付け加えて書いてみた。イラストも入れた。


結果が楽しみだ。

2007/09/07

「ディズニーから」関連記事

8月23日に書いた「ディズニーから」に関連する記事が朝日新聞に出ていたので載せておく。

建築の装飾について -asahi.com:住まいのお役立ちコラム


要約
イスタンブール、プラハ、ウィーンの3都市はいずれも世界遺産になっている。プラハとウィーンは「装飾都市」、「仮面都市」といってもいいほどに装飾に満ちている。

一方で、戦後日本の建築デザイン教育では「装飾」は否定されていて、骨組みや素材をそのままの形で表現する「構造表現主義」「素材表現主義」ともいうべき二元論が根幹となった。ディズニーランドのような「張りぼて」あるいは「書き割り」はタブーであることはもちろん、装飾過剰な日光東照宮を「否」、架構と素材が素直に表現され抽象的な幾何学デザインを持つ桂離宮を「是」としている。

実はそれらヨーロッパの建築様式のルーツは、実は古代ギリシャにあり、プラハやウィーンの伝統的とは何ら関係ないものだ。つまりディズニーの「張りぼて」と同じなのである。にも関わらず建築装飾は、宗教や文化や時代を超えた味わい深い感動的なメッセージを感じさせる。

著者:染谷正弘(そめや・まさひろ)
建築家、住環境研究家
(株)デザインショップ・アーキテクツ代表、文化女子大学講師
・シティア(2002年、我孫子)
・横浜タワーリングスクエアー(2003年)
・リボンシティ・レジデンンス(2004年、川口)
・アパートメンツ西麻布(2005年)
・コロンブス・シティ(2006年、幕張)



この問題は考えれば考えるほど分からなくなる。
ミース「誰もが使える建築の言語を作りたい。」
建築家A「ありがとうございます。私もグラスボックスを作ります。」
建築家B「私も四角いのを作ります。」
この瞬間にもう近代建築はフェイクになった。過去のものになった。この後の人たちは皆人まね猿に過ぎなくて、近代建築の装飾を身につけたい看板建築作家だ。ディズニーランドで偽城や偽山を設計しているのと変わらない。あのミケランジェロだって同じだ。ローマやギリシャの真似しかしていないと言えなくもない。
何かのスタイルを身に付けるのがタブーだったら今生きている建築家のほとんどが切腹だろう。でなければディズニーに就職するしかない。

開き直って「アヒル派」宣言でもしよう。
Viva Duckism !

2007/09/05

建築デザイン論

この科目は深く建築デザインについて考えなければならない所がキツい。
(以下、どの参考資料にも書かれていない内容なので注意。記事掲載後に追加編集します、たぶん。そして記事が長い事を覚悟すべし。)


1.視覚化
デザイン手法として「視覚化」を使う意味は何だろう。

a.芸術的意味合い
見る者へのインパクトを意識している。

b.見せる事自体が機能
人を誘導したり、機能を見せたりする目的がある。

c.見えてしまう(消極的)
内部を広くしたいので設備が外に出てしまった場合など。

d.上記の複合

例えば構造を視覚化して見せたいと思ったとする。
構造を見せるには構造を見えるところまで引っ張り出して来るか、壁を透明にしてしまう必要がある。見せたい物を見せるのには、全体や隣にある別のパーツをどうにかしなければならないって事だ。

柱「なんだよ下水管、目立たなきゃならないのはオレだろう。何でお前が出て来るんだよ。」
パイプ「仕方ないだろ。お前を目立たせるために壁が消えたんだから。オレまで消えるわけに行かないだろ。中に流れるウンコが丸見えになっちゃうとお前までカッコ悪いぞ。」
映倫「大丈夫、私がパイプさんを黒塗りしておきます。ご安心下さい、モザイクじゃありませんから。」

視覚化すると見せたくないものまで見えるようになってしまったりする。今まで表面だと思っていたものが表面じゃなくなって中にある椅子とか便器とか配水管とかもともと表面じゃないものが表面に出てくることもある。だから部分によってテイストが異なってしまったり表面が煩雑になってしまったり、そんな弊害が出る。


2.文節・分割と言うデザイン手法
省略
(テキストのp37「フィッシャー邸」のところで「暖炉が...偶発的な角度で」と書かれているが、こう言う情緒的記述は止めて欲しいものだ。暖炉の事なんか何も分かっていないくせに。)


3.環境との調和と不調和
イタリー車のデザインはラインを調和させるのが上手いと思うが、アルファロメオなどはどう見ても調和から外れたラインを1本だけ入れる事がある。全てのラインを溶け込ませて全体の美しさを見せると言う通常のやり方でなく、破綻した1本をアクセントにする事で全体を個性あるものにする手法だと考えられる。

意味も不調和
日本の伝統的な住居のスタイルは開放的なものが多い。伝統的集合住宅のような、つまり長屋などでは1つの住居としては構造的にも不完全であるし、そこに住んでいる1家族だけで生活は成り立たない。簡単に言ってしまうと助け合ったりしながら成立している。これは形がそうさせたのか、それが良くて形が決まったのか議論の余地はありそうだが。
そう言う場所に閉鎖的な(鉄の扉で区切られたマンションのようなスタイルの)家を入れてしまったらどうか? 伝統的なやり方は成立しなくなる。しかし、現代的な生活スタイルにコンバージョンしたと言えばそれはそうなのかも知れないが。

自然を認識しているか?
日本人は東京湾を自然の一部である海として認識しているか? 最近はだいぶきれいになったとは言え、やっぱり東京湾岸は工場地帯、荷物の発着所、埋立地であってそれは自然の一部ではなくて都市機能の一部なのではなかろうか。お台場には有名建築家による作品があるし、横浜MM21にはヨットの帆のようなホテルがある。あれは東京湾を自然と認識した上での形なのか。それとも埋立地におけるビジネスセンターや港湾施設(それが観光地であっても)を意識した調和なのだとしたら、自然にではなく人間の営みとか欲望への調和ではないのか。それとも無意識に人工と自然をダブらせて(勘違いして)いないのか。

4.浮遊
空を飛ぶのは、地上で直立歩行する人間の夢である。
本当に飛んだら危ない感じもする。日常の感覚に合っていないんじゃないか。


5.象徴
建築の耐用年数は数十年~(うまくいって)数百年である。
よって建築はどうしても歴史の一部となるものではなかろうか。とすれば建築は、これからの人間が目指す方向を指し示す物であると同時に現在までのマイルストーンではないのか。

靖国神社は何の象徴なのだろう。
それが造られた時と現在では象徴するものが変わってしまったとも言われる。過去の何かを持ってきて現在の解釈で象徴とするのは危険だろうか。

中国の神様はほとんど実在の人間だ。当時は将軍だったり参謀だったり何がしかの働きをした人が亡くなって今は神として廟に祭られる。廟は神社じゃなくてお墓だ。たぶん当時は評価されていなくても、途中の時代にお話になり劇になりで次第に神格化が進んだ人も多いんじゃないだろうか。それを権力者が取り上げる事がナショナリズムの気運を盛り上げ、国の統治に役立ったかもしれない。中国では今でも亡くなった政治家を再評価して神格化する事が多い。自国の営みの中であれは間違った歴史だとは言いたくないのだろう。もちろん中国ばかりではない。


6.囲む
日本の現代の建築物は外界ときっちり分けるように扉が閉まる。中で誰かが死んでいても数ヶ月間気づかないこともある。昔の家は(30年以上前)縁側があって道を誰かが歩くとお互いに眼が合って挨拶するほどだった。覗こうと思わなくても中のちゃぶ台まで見えていたりしたし、声がして出てみると誰かがうちの縁側に座ってまっていたりもしたものだ。

それがいつの間にか敷地の境に安いコンクリートブロックの塀を立てたり、表から見るとコンクリートの壁にしか見えないような家、柔らかなピンク色の壁と洋風の小さな玄関ドアと車が入る穴のような部分しか露出していない家ばかりが建つようになった。

こんなに変わっても、日本人の男性は家に帰っても「○○会社の△△さん」だし、女性は「××ちゃんのママ」だったりする。家と街は壁で囲まれても心の中の境目はグラデーションなのだろうか。


7.建築への街や自然の導入
人間は人工的に作り出した街や自然の中でも、自然にできたそれと同じような行動をするのだろうか。そうであればその行動パターンを建築の中に再現することで建築は何かを得るだろうか?

街にはいろいろな人がいる。あたりまえだ。街が建築に導入されればそのいろいろな人々が建築に入って行くだろう。でも建築は意図的に作られるもので、プランの中には使う人を想定していたりする。建築の中の人工街の入り口でパスポート、銀行口座の有無、その他の入場資格の有無などを確認したらそれは街ではなくなってディズニーランドになるだろう。

建築に自然を導入したら虫も入って来る。夏は蚊に刺されるかもしれない。そんな所には絶対に行かないだろう。でも蛍だったら許す。建築に自然を導入すると言ってもそれは人間に都合の良いところだけで、完全な自然ではダメだろう。自然との共存を願っても街にクマが歩いていたら困る。人間はかなり自分勝手な動物だ。

共通して言えるのはコントロールできない無秩序を導入してしまうリスクがあると言う事だろうか。


フロアの端から端まで行くのにバスが必要なほどの工場で働いた事がある。そう言う建物の中に入ると自分の向いている方向もポジションも全然わからない。仕舞には時刻もわからなくなってしまう。工場だから街でのように人が歩いているわけではない。
それだけでとても不安に感じるものだ。

人間は群れや自然から離れては生きられない、それは本当かもしれない。
知り合いではなくても周りの人間の様子を見て自分の立場を決めたり、自然を見て心を落ち着けたりしているのだろう。建築は人工のもので、その奥に入るほどあまりに機能的で人工的で恣意的すぎるのだろう。籠に入れられた虫のように弱々しいものになってしまう。
だから適当な距離のところに群れがあり、自然がある事が必要なのだろう。


8.拒絶
拒絶することで外部の何かから内部の営みを守ることができるが、反対に外部との交流を無視して生活することになるし、内部で起こったトラブルから逃げ場も失う可能性があるだろう。周辺環境との共存は不要だろうか? 入り口が狭い=出口も狭い。


9.装う
「装う」意味は何か?
a.同化
b.異化
(c.その両方)

外壁を立てる事は同時にその内側空間を規定することになる。装いはそれにより内部空間と対立しないか? また装う事は偽者を作らないだろうか? 何かのスタイルを選ぶと言う事は、他を捨てることになるが、一部の歴史を肯定しながら別の歴史を否定してしまわないだろうか? 同化する事は公共性や社会性重視の態度であるが、新しい活力を殺してしまわないだろうか?


10.形から入るか?
テニスを始めるのに衣装選びから入っても上手くならないかもしれない。

兵隊「隊長、足が痛くてこれ以上進めません。」
隊長「馬鹿者、皇国臣民一億総火の玉となって闘っておる時に、キサマ何を言っておるか。足に靴を合わせるのでなく、靴に足を合わせろ!」

街や都市はいったい何のためのものか。
もし中国だったら「国家の威信を示すもの」であるかも知れないが、日本はどうだ?
最近の賃貸住宅のチラシには「近くにコンビニあり」と書いてある。コンビニはうちの冷蔵庫や物入れと繋がっている。銀行はお財布と繋がっていて、最近ではその途中に携帯電話やプラスチックのカードが介在する事もある。公園は庭で、家のテレビは電波を通じていろいろな場所と繋がっている。インターネットも同じ。
そう考えると街も都市も家も、家の中身も同じ目的のもののようだ。

だったらそれらを作るのにどこから手をつける?


動物園のオランウータンは毛が長いし地面に座る。自然の中でのように枝で毛が擦り切れることもなければ、伝って渡れるだけの密度で木が生えているわけでもない。オランウータンは地上30cmの高さでも木につかまっているものだ。動物園は人に見せるための形態をしているがオランウータンの生活のスタイルを反映しているものではない。

2007/09/04

建築環境工学

1.光の性質と照明など
外的刺激を扱う場合に注意しなければならないのが、「物理量」と「心理物理量」の違いだ。

例えば、光量を扱う場合に用いる[lm](ルーメン:光束)は光の物理量と「標準比視感度」の積で求められる(実際にはそれに比例定数を掛ける)数値で、光の波長ごとに違う人間の眼の感度を勘案したものとしている。これを元にして照度、輝度などがそれぞれ求められる。

光の色については別途評価方法が異なる。


2.人工光源の特徴
使用電力、効率、演色性、寿命、補器の有無、コストなどによって用途が異なる。


3.音の3属性
これも音の大きさを評価するのに心理物理量を使用している。
音の場合、周波数によって聞こえ方が異なるので標準的な周波数-音圧レベルを示すラウドネス曲線に従った特性で評価。


4.空間における音のコントロール
快適な音空間を得るには外部からの雑音を効果的に遮断すること、内部の音を適度に吸音したり反射させるなどのコントロールが必要である。

a.遮音
遮音には主に2種類ある。

a-1.遮音壁を用いる方法。
主に高速道路などに設置する。

a-2.壁による遮音
単一壁、二重壁による方法がある。
但し、コインシデンス効果により特定の周波数で遮音効果が低くなる。二重壁でコインシデンス効果をキャンセルする方法も有り。

b.吸音
3つの方法がある。


5.熱の問題
熱の伝わり方には主に3つある。
伝導、伝達、放射。

これらによって人体と建物間、及び建物と周辺環境間でそれぞれ熱のやり取りを行っている。


6.結露
結露は冬場の窓ガラスでばかり起こるのではなくて、壁の内部で起こる内部結露にも注意する必要がある。なぜなら、建材は水分を含むものだから。


7.空気汚染物質
省略


8.換気
換気には大きく分けて2種類ある。
a.自然換気
b.機械換気

b-1.第一種機械換気
何にでも使えるが、室内圧と外部圧のコントロールに注意する。

b-2.第二種機械換気
室内圧が高くなるのでファン以外の隙間から空気の進入が無い。ファンからの空気をフィルタに通す方法でクリーンルームなどで使われる。

b-3.第三種機械換気
室内が負圧になるので隙間から空気が漏れることが無い。トイレなどで使われる。


9.人間の生理と心理
人間が外界から受ける刺激情報の量は、人間が感じている量とイコールではないことに注意する。例えば音のレベル[dB]は人間の感覚に合うように評価された心理物理量である。音の大きさのエネルギーが2倍、4倍と大きくなっても人間はその通りには感じない。感じる量は大きくなるほどサチュレートしてしまう。心理物理量=(係数)xlog(物理量)。


10.加齢
知覚機能の低下に注意する必要があるが、機能低下したからと言って突然それに合わせて環境を変化させるのは新たなストレスになることに注意する。
また単一の知覚機能の衰えが単独で起こるのではなく、運動機能低下との複合的な問題を引き起こすこともある点にも注意すべき。

2007/09/03

建築構造学演習のスクーリング申込み

建築構造学演習のスクーリングに申込んだ。
10月6日~8日の3日間、東京サテライト。
このスクーリングが今年度最後のスクーリングだ。

2007/09/02

構造力学演習のスクーリング 3日目

今日は最終日。
最後の方は新しい概念が出てきてかなりハードだった。

<本日の範囲>
静定トラスの解き方。(クレモナ図、と算式解法。)
応力度。(軸、せん断、曲げの各応力度の定義。)
(曲げ応力度だけ他の2つと少し違う。)
ひずみ度、弾性係数、フックの法則。
断面一次モーメントの定義。
断面二次モーメントと断面係数。
曲げ材の算定。(曲げ応力度とせん断応力度による。)
圧縮材の算定。(圧縮応力度、細長比、断面二次半径、座屈低減係数)

「断面二次モーメント」から「断面二次半径」を求めて、「座屈長さ」との比で「細長比」を求め、その値をもとに表から座屈低減係数を読んで許容圧縮応力度を調整した値と、材の圧縮応力度とを比較して安全かどうかを算定する。道のりは長い。


構造力学Ⅰのレポートを書きながら復習する必要ありだ。

2007/09/01

構造力学演習のスクーリング 2日目

今日は朝から昨日範囲の確認小テスト3問。
幸い難しいのは出なくて助かった。

<本日の範囲>
昨日の続きで単純梁の解き方。
但し、等分布負荷がかかっている場合。
(Q図が2次曲線になってしまう。)
片持梁の解き方。
(これも等分布負荷あり。)
静定ラーメンの解き方。
静定トラスの解き方。(クレモナ図、サワリ程度。)

クレモナ図は今までのと解き方が全く違うので分かり難い。
さて、明日もう1日だ。

2007/08/31

構造力学演習のスクーリング 1日目

今日(8/31)から9月2日までの3日間、構造力学演習のスクーリングあり。

<本日の範囲>
単位の基本(質量と重量の違いなどの基本的な事)
モーメントの求め方
力の合成と分解
力のつりあい(つりあいの方程 ΣX=0、ΣY=0、ΣM=0)
支点、接点、梁、トラス、ラーメンのいろいろ
構造物の反力と求め方
部材に生ずる力(軸力、せん断力、曲げモーメント)
N図、Q図、M図の描き方


明日一番で確認試験があるので復習しておかないと。

2007/08/30

美の法則

リンク集に「美の法則」と言うページを入れてみた。

建築を考える上でどうしても美の問題は出てくる。そんなの個人の感性の問題だと言う向きもあるかもしれないけれど、「いいや、美には絶対的な法則があるぞ」と考えていた人は歴史上多いので気にしておいた方が良いかもれない。

こう言う問題を真面目に議論しようとか答えを出そうとする事は割合軽んじられているらしく、参考資料があまり無いようだ。こんな本もあるが、忙しくてまだ読めていない。

「建築美を科学する」小林盛太 彰国社



それより明日は建築構造力学のスクーリングだし、来週は2科目試験なので当分この問題はお預けになりそうだ。

2007/08/28

本を無くす

先日川越に行った時に、東武東上線で本を無くしてしまった。
C.アレグザンダーの「まちづくりの新しい理論」だ。

今日、東武に電話してみたけれど無いようだったので図書館に言ったら、時々マークを見て連絡をくれる方もいるとの事なのでもう少し待って出てこなかったら紛失の手続きをするようにとの事。

Amazonで調べたら1890円でまだ売られている。絶版本じゃなくて良かった。

2007/08/26

川越の街並みとライトの明日館



川越の一番街商店街。(川越市)
パタンランゲージを使って街並みを整備した商店街。改築したり新築した建物も元々ある「蔵造り」に習って建てられていたり、大正時代の洋風建築(中身は木造なので看板建築とも言える)があったりで見た目、なかなか特徴ある街並みになっている。

細部を見ると観光用に偽者を作った感じがしないでもないが、それは生活とこの形の建物がどう関わっているか、つまり表面の形だけなのかそれとも生活のスタイルに関わるものなのかが一度の訪問ではわからないために何とも言いようがない。

大正時代の建築だってもともと看板建築であるし、それにこうする事で商売が成り立つのであれば深く考えなければ生活密着型の街造りなのかもしれない。しかも元がこうであったのだから、全くの作り物でもないわけだ。

パタンの1つに「職住一体」と言うのがあるために、お店の裏と2階はほとんど住居になっている。お店には住居が付いているので、観光客が多くなったからと言って大資本のチェーン店が入り辛いのだと考えられる。これは地元の人にチャンスを与える形の活性化の成功例じゃないだろうか。他の街の活性化ではしばしば、消費地は作られるが地元にビジネスチャンスを与えるものにはならない。手っ取り早く成功していて無難な企業の店舗を誘致するだけだからだ。この点で川越のやり方は凄い効果を得ているのではないだろうか。



フランク・ロイド・ライトの明日館。(池袋)
日本初の2x4建築だそうだ。見た目が鉄筋コンクリートのようだったので誤解していた。だから壁をたたくとポコポコする。

この建物を正面から見ると屋根の上に向こう側の高層ビル群が見えてしまってとても風景に調和してはいない。これができた頃(1920年代)は屋根の向こう(北)には木が茂っているだけだったそうで、もったいない事だ。ただ建物の内側から色の無いステンドグラスを通して庭側(南)を見ると芝生と2本の桜の木が青々と葉を茂らせていて落ち着く雰囲気だ。壁や天井や床やテーブルの色も良く合う。

これをネタに現代建築論のレポートを書こうと思う。