安藤忠雄の言葉は分かるようで分からない。
ル・コルビュジエ、黒川紀章やフランク・ロイド・ライトと比較するとその理由ははっきりするだろう。歴代の巨匠は自分で言葉と概念を作っていた。だから、言葉を発する時にその定義を一般の言葉ではっきりと説明してから用いた。
続く安藤忠雄世代の建築家はその言葉を定義されたものとして使う世代なのである。しかし、その言葉の定義は時とともに曖昧になって用いられるようになってきている。すると、その定義を読みながら追う必要が出てくる。
例えば以前に書いた「有機」であるが、これも安藤忠雄は幾何学的形状に対する形状を表す言葉として使用している。そう言う事が多くあって、そんなに単純で良いのかどうか迷わされるのである。
そう言ったわけで、著書を読む事はこれで止める事にした。
迷った挙句、GoogleEarthで上から見ていたのであるが、これが以外に収穫があった。
安藤建築は鳥になって見ると特徴がある。近くまで行ってコンクリートの地肌を見るよりもよほど特徴があると分かったのである。
その結果が1つ前の記事で書いた事だ。
2 件のコメント:
現代建築論の最後の建築家は、どうやら安藤忠雄に決まったようですね。私のレポートも安藤忠雄を選びました。著書が多かったし、素人には手が付けられそうな気がしたんです。調布同行したかったです。
安藤忠雄に決めました。
今日は一人寂しく行ってきます。
そのうちまた見学会しませんか。
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