2007/02/26

進路に迷う40代

「子曰く、
 吾れ十有五にして学に志ざす。
 三十にして立つ。
 四十にして惑わず。
 五十にして天命を知る。
 六十にして耳従う。
 七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。」


私の場合は40代にしてまだまだ惑います。
すごく迷っている、これが本音。

このまま大学で学んでもそれを活かす事のできる仕事を、若くして同じ事を勉強した人たちと同じように貰うなんて事は.....できない。もっとも、こちらとしてもそんなの嫌だ。まっぴらごめん。

だったらこれから得るであろう知識をどう生活に結びつけるか、それが問題だ。

アイデアが少しは無いではないけれど、実現可能かどうかなんて全くわからない。ここで通信制大学に入るのは、これからの人生にとって間違った選択である可能性は.........大いにある。普通の日本人はしない事だ。


日本人は.......???
ならば、もし自分がアメリカ人だったら?

「キャサリン、この春から大学に入って勉強し直すことにしたよ。」
「スティーブン、いいじゃない!素敵な事だわ。」

うーん?
アメリカ人ならそう言う事もするって聞いた事はある。
そうだ、昔の友人のイギリス人も日本の銀行辞めて香港で数年間中国語を習ってからイギリスに移ったって言ってた。彼は今どうしているんだろう。

そう言えば台湾人だってそうだった。
3年間ある会社で仕事をしたらほとんどの人は辞めて別の仕事に就く。日本人が10年間も同じ仕事をし続けている方が「変だ!」って言う。



この迷いは将来不安によるものが多いと思う。
何年か前には通帳を持っているのが無駄な位のわずかなお金しか持っていなかった。その時と比べれば今はずっと余裕がある。でも一向に不安は解消していない。

何故か彼の国の人たちはそんなにお金が無くても不安無く生きている。どう見ても自分の方が持っているお金はずっとずっと多いのに、どう見ても自分の方が不安定だ。この違いは何だろう。彼らはいったい何を拠り所にして生きているのだろう?


四十にしてまだまだ惑います。

2007/02/21

大学へ

今日はずっと昔に卒業したあの大学に卒業証明書をもらいに行きました。

しばらくぶりに大学近くの駅に降りると、路面が石畳になっていたり建物もほとんどが建て替えられていて、目に入る物の中に知っているものが何一つ無い状況、それなのに道順だけ覚えていると言う不思議な感覚でした。

大学も半分以上の建物がコンクリート打ち放しの現代的なものに更新されているし、スポーツクラブにあるようなジム設備があるし、図書館も現在的な美術館のように大きくて綺麗だし、売店には携帯電話売ってるしと、まるでテレビで見るアメリカの大学のようでびっくり。

学内の掲示板にある教授達の写真を見ても全然知らない方々ばかりでこれもにもびっくり。掲示板には海外留学の斡旋情報なども多く出ていて時代は変わったものです。



ところで何故卒業証明書が必要だったかと言うと大学に編入しようかと思っているからです。

今年の初めで仕事を一段落させた後時間がたくさんできましたから、通信制の大学で「建築」を学ぶ事を実現させようかと思っているのです。去年の春に始めようと考えていたのですが仕事が忙しくなる可能性があったので見送っていました。


候補の大学は以下です。
大阪芸術大学通信教育部(2年次編入)
愛知産業大学通信教育部(3年次編入)

どちらが良いでしょうか?
ご意見募集いたします。


ところで、通信制は日本中どこにいても勉強できるのがメリットなのですが、もし入学することになったらとりあえず大学の近くに引っ越してしまおうかとも思っています。安くて入試の無い大学だと思って使わせていただくのも良いように思います。幸いにもどっちの大学も家賃の安いところにありますので。そうだ、図書館があれば本代も節約できるし、できるだけ学食で食べていたら食費もかからないなあ!