2011/05/16

高床式マレー・ハウス in Alor Gajah

1105 Alor Gaja

クリックするとアルバムページに飛びます。67名あります。
解説はアルバムの写真に添付していますのでご覧ください。

マレー式高床住居については日本でも書籍でいくつか資料を探すことができます。ただ、これまで見てきて感じるのはその研究がそのまま全てに当てはまるとは言えない事です。

例えば、日本で人気のあるインドネシアのバリ島についての研究は生活やもちろん住居の様式についても進んでいますが実際のバリは1冊の本で網羅できるほど一様ではありませんでした。本に書かれていることはある村には適用できても隣の村では全く違うのです。昔は今のように通信も交通も便利ではありませんでしたので元は一緒でもすぐにその形も意味合いも分岐してしまうのかも知れません。

マレーも地域によって伝統などが完全に違う複数の人々によって構成されているそうです。このアルバムはほんのサワリに過ぎませんし本に書かれている事と矛盾するところもあると思います。そうした事はできれば指摘していただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

(学術的なお話だけをしようとしているわけではありませんよ。趣味ですから。)

2011/05/15

ビルの大屋根


KLからヌグリスンビラン方面へ高速道路を南下すると有名なマインズ・リゾート・シティ近くにこのビルがある。

多分集合住宅だと思われる建物だ。以前からここを通るたびに気になっていたので今回バスの窓から写真を撮ってみた。マレーシアではビルに屋根を付けるのはよく行われている。屋根と言っても普通は三角屋根で建物の壁面から大きくはみ出すほどのものではない。

屋根が作られるのは、推測であるが、作り慣れた屋根の方が陸屋根よりも防水が楽だからではないだろうか。陸屋根であると防水には防水塗料やアスファルト、防水シートなどそれだけで特別な工事と特別な材料が必要になる。それを屋根にしておけば普通の住宅と同じことをすれば良い。こうした工事は通常インドネシア人など外国人労働者が行うこと、マレーシアには台風も地震も無いことも屋根を使う理由になっていると思われる。

だが、この建物の屋根はその考えは当てはまらない。屋根の無い部分も残されているし、屋根はあまりにもデコレーションとして役目を担いすぎている。にも関わらず、下の住居部分はとても単純で白い四角い普通の建物だ。つまり、屋根が無ければタダのマンションか団地の建物に過ぎない。

まるで建物は安く合理的に造るのが当たり前、建物には屋根があって当たり前。その2つの当たり前を単純に2つ採用してしまっただけの考えなのかと思えてくる。なのに、当たり前と当たり前が接続されただけでこんなに当たり前でない外観になってしまう。不思議なセンスなのである。

2011/05/08

マレーシアの普通の不動産屋さんの広告



建築と言う意味からだとちょっと古い感じがしないでもないのですが、なぜか今まで日本では普通に実現しているような形でもないので写真に撮ってきました。KLCCの地下通路に貼ってある広告です。構造的には別に凝ったものではないでしょう。


マレーシアの場合、建築のデザインの上で日本と違うのは、建築に対しての制限をあまり感じていないらしいと言う事です。

一番感じるのが"南向き志向"の無さです。これは太陽が年中真上に近いところを通る事から来るものだと思いますがそれだけでかなり自由度が高いのです。高層集合住宅の北側も南側も同じように使えますし、土地の形が南北方向に長くても東西方向に長くて関係ありません。どちらに部屋が向いていても誰も損はしないし不公平でもないのです。ただ、日がよく当たるのが良いと言うのではありません。なぜなら日があたると暑いからです。住宅の窓が別の棟に向かい合っていて日が入らなくてもそれはそれで全くかまいません。

2番目は地震が無い事を前提にしているだろうと言う事です。マレーシアは大きな地震がありませんから建物の形状が東西南北でバランスが悪そうでもかまわないのだろうと思います。

3番目は平等じゃなくても良いと言う事があります。さまざまな経済レベルの人が住んでいますのでそれに合わせてさまざまな建物があります。他人と比べる必要なくお金持ちはお金持ちの建物に住みお金持ちのためのショッピングセンターで買い物をし、そうでない人にはそうでない人のための建物があります。要は誰にでも合うように設計、デザインする必要が無いと思われるのです。

簡単な例として駐車場です。お金のあまり無い人向けの集合住宅では駐車場が広くは必要ありませんが富裕層向けにはかならず1戸に1台以上の駐車スペースを確保しないとお話になりません。上の絵でもそうなっています。駐車場だけで1つのショッピングコンプレックスが入るほどの容積を使います。


他にもいろいろ違いはあると思いますが、どうでしょう、自分が何を自然と思っているか、と言うより思い過ぎているかを考えてみてはいかがかと思います。また、逆にそうしないとこうした東南アジアの建築物だけでなく、ヨーロッパなどの有名建築家の作品も正しく評価できないと言う事にはならないでしょうか。