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2009~2013年:建築物と建築についての雑記です。
2007~2009年:大学の課題に関するノートです。
2007/09/24
建築設計Ⅰ-1 スクーリング3日目
今日でスクーリングは終了した。
結局、図面の小さな誤りが幾つか見つかったのでトレーシングペーパーに全て描き直した。コンセプトは変更せずに。
そして作品に名前を付けた。「Rotonda」と。要求が大きな仕事をしている建築家の家族のための表参道の家であったので(皆課題の条件が違いますから未だ受けていない方の参考にはなりません。)、家族が皆家の中心へ視線を向けて生活するプランとした。中心に8角形のリビングを設け、そこを核にできるだけ破綻のない平面を心掛けた。つまりルネサンスのパラディオのヴィラ・ロトンダを連想させるものだ。
実際にはどうしても綺麗に空間分割できず、汚い線が多数できてしまった。生活と言うのはそんなものかも知れないが、空間のプランとしてはイマイチになる。1日目に考えたコンセプトのリカバリとして、やるだけのことはやったと言うだけかもしれない。
その8角形リビングを吹き抜けにしてしまった事がさらに事態を悪化させてしまった。なぜなら、吹き抜けは1Fも2Fも同じ形になってしまうから(そうしない事もできるが構造上は工夫が必要になる)、上下各階の機能の違う空間どうしが形状の上で影響しあってしまうのだ。これは組石構造で家を作っている時(つまり19世紀まで)と同じ欠点が現れる。そんな事をわざわざしてしまうなんでやはり間違いとしか言いようが無い。ただ、部屋割りにとらわれて構造が成り立たなくなる事が避けられるだけだ。
次の機会は(それが有ればだが、)もう少し上手くやろうと思う。
今日の課題は前回のCADⅠから1歩進んで、プレゼンテーションまで採点された。設計内容が今ひとつだったので見せ方で少しシンプルに、そして印象深くなるようにしてみた。どう見えただろうか。
前回のCADⅠそして今回、と、設計を行った中で気になった事は「線の質」だ。なぜこの直線を引くか、なぜここに線を引くか、なぜこの形を選ぶかと思う。
例えば直線を引くのは、つまり「そこに定規があるから」ではないのだろうか。良く解釈すれば世の中にはまっすぐな材料が多いから、通常はそれを使う事が効率が良いし自然な事だ。
しかし、形を選ぶのも線を引くのも、全てが自由であったとしても我々は直線を引く可能性が高い。幾何学的にすっきり完全な形が作れて美しいからだろうか。いや、「そこに定規があるから」ではないのか。考えもせずそれが普通だからと言う理由で直線を引くのではないか。そうでないと言い切れるだろうか。
CADであればなおさら幾何学的に完全な形状を選択し易い。それどころか不完全な形状を選択する方が難しいだろう。これでは道具に使われているようなものだ。21世紀になってプラトンの完全性を求める必要など無くなったはずなのに、それとは違うこんなバカな理由で直線を引き続けているなら我々は退化したとしか言いようが無いではないか。
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プレゼン用の立面図であります。住宅らしさが無いのは意図。
窓枠も細かく描くべきだが思い切って省略している。スケール感が無いのはそのためか。
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2 件のコメント:
スクーリングお疲れ様でした。
「一線入魂」という感じでしょうか?
先日、建築デザイン論のレポート作成で見学に行った施設の基本設計を見る機会があったんですけれど、敷地内の南北の線と富士山と筑波山を結ぶ線の交わる「点」を中心として、放射線状にグリットを作るというものでした。
なんか当てつけのような気もしましたが、こだわりも感じました。ひとつの点や線に対する思い入れって、設計者にとって大切なんだなぁと奥の深さを感じます。
>ひとつの点や線に対する思い入れ
そうですね。建築家の方々の線や点にはそれを感じるものが多いですね。私なんて字余りのような割切れない分数のような妥協的線がどうしても出てきてしまいます。
線はそれが描く自分の身勝手なのか必然なのかが大問題ではないでしょうか。建築家は全ての線や点に理由が欲しいのかなと考えたりしています。
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