2009/03/31

SDL2009オフィシャルブック プレゼント?

せんだいデザインリーグのスポンサーである(株)建築資料研究社、つまり日建学院からSDL2009オフィシャルブック プレゼントのメールが来た。

出展者にはもれなく送料まで無料で送ってくれるとの内容。メールの中のURLはダイレクトに申し込みフォームのWebページに繋がるようになっている。会社の先頭ページURLじゃないところが危険な臭い。このメール、本物なのか!と疑わずにはいられなかったから、建築資料研究社で検索してそちらを見たがその同じフォームの場所が見つからない。隠してあるらしい。こまったものだ。

とりあえず、本は見てみたいがこの申し込みフォームに個人情報 (電話番号や住所、性別、生年月日、大学名などが必須になっている) を記入して良いのか悪いのか、ちょっと判断がつかない。もし本物のメールだったとしてもどうせ日建学院からの勧誘メールやらDMが届くことになるだろう。嫌だなあこう言うの。放っておこうか、どうしようか? タダより高いものは無い?

2009/03/30

決算2

08年度の学費の決算をしてみた。

(1)20年度分として大学に支払った額(学費、スクーリング費用、切手など)
40万円強:この額は去年とあまり変わらなかった。

(2)教材費(模型材料、本、CADソフトなど)
14.5万円程:去年は4万円だったので大幅増加。卒研の模型代、中古大判プリンタ8万円が大きい。

(3)その他支出(交際費など)
18万円程:去年は旅費が大きかったが今年は無いので大幅減。

(4)20年度合計
74万円程:但し、奨学金10万円をいただいたので実質64万円となる。


(5)2年間の合計
上記(1)+(2)の必須支出=99.6万円
   (約100万円:奨学金を差し引くと約90万円となる。)
総合計=166.5万円(交際費など必須でないものを加えたもの。)


3年次編入で2年間で卒業するのにどうしても必要だったのは約100万円だったと判明。通学で学ぶよりかなり安いだろう。愛知産業大学の通信はとてもお得だとわかった。

今年は卒研があったので、中古の大判プリンタを買ってしまった。ロール紙2本とインクと送料含めて約8万円かかったが、これは模型の型紙、パネルなどに使った。パネル印刷が外注で約4~5000円であるから、20枚程度印刷するのと同等の金額になる。自分で印刷するのであるから高いソフトは必要ないし、時間待ちもないので実際は10枚以下でもお得かと思う。しかし発色だとかパソコンの具合など工夫が少し必要だったので、誰にでも勧められる方法ではないし、他人のもプリントしてあげられる品質にはならなかった。
また、本は図書館に頼ることができたのでほとんど買っていない。


去年度の決算
決算



追加
集計の方法は郵貯の通帳(勉強に関わる費用専用の通帳を予め作っておいた)から使った分づつ引き出して行き、引き出したら通帳に手書きで使途を記入しておく。時々表計算ソフトに転記して集計した。

卒研の回収

今日で学内の卒研展が終了だったので終了時刻少し前に建築会館に行き、作品を回収してきた。これで本当に大学関係の行事は何もかも終了だ。この余韻にいつまでも浸っていることはできなくて、そこから離れて自分で歩き出すのが必要だし、また恩に報いることなのだと思う。

今やっと建築の世界を歩くための靴の履き方を教わったところなのだ。


今後のこと。
2級建築士の試験は受けない。もともとそれを考えて大学に入ったわけじゃないし、途中で受けようと思うこともあったが自分の中では現実的な選択とも思えないから。
建築とは関係なく海外で仕事をしてみるのも良いかと思っているが、それは建築とは無関係なことなのでこれ以上書かないが、どうなるかわからない。他の案としてはマレーシアあたりで英語を勉強してみたいとも思う。少し一人で歩ける場所を増やしておきたいから。ちんさんがツテでチュラロンコーン大学の先生を紹介してくれるならアジアの建築を研究してみたいとも思ったりもするが(現実的なのかどうかわからない)、それ以外は未定。

2009/03/29

東京にて卒業懇親会

懇親会があった。
これで大学関連の公式行事は全部終わり。
先生方、OBの皆様、一緒に学んだみなさんに感謝いたします。

.....でも、このブログはまだ続くつもり。
なぜなら、建築に対する興味は尽きないから。

2009/03/26

大学の卒研展に模型を搬入

17時頃に先生から電話をいただいたので、田町の建築会館に模型を搬入してきた。学内の卒研展のことが既に頭の中に何も残っていなかったのでびっくり。そうか、まだそちらも終わっていなかったのだ。東京での懇親会もあるのだからそれはそうなのだが。

模型を置くついでにJIA東海に提出したパネルの写真もプリントして置いてきた。せんだい向けのパネルまでは時間が無くてプリントできなかったが、同じようなものだからJIA向けだけで良いだろう。パネルの実物はダンボールが貼ってあって立体だが、今回置いてきたのは写真だから平面だ。それに写真を引き伸ばしているから画像も良くはない。それにA1より少し小さめ。仕方ない。


ところで、模型を置いた台の向うの壁には1月に大学に提出した2枚のパネルがアルミのフレームに入れられた状態で吊るされていた。もう何年も以前のパネルのようで何だか気恥ずかしい感じがした。あれからまだ2ヶ月しか経過していないのに、今だったらこうはできないなあと思った。小学校の入学式の朝に真新しいランドセルを背負った撮ったセピア色の写真を見せられたような、あの感覚に近い。


せんだいに出されていた物もいくつか置かれていたが、せんだいではパネルが1枚のみであったことでどうしてもインパクト重視だったのだなあと改めて思った。こうして当初の通りに2~3枚のパネルが揃うと、ああなるほどそうだったのか、とわかるようなところもあるけれど、逆に説明ばかりでその作品の中に入るとどう感じるのかと言ったエモーショナルな部分が不足するものもあるようだった。勉強になるなあ。

2009/03/24

家は潜水艦


家の外にあるもの、例えば道、公園、図書館、商店街などいろいろ、それらをどう捉えるかは家のあり方をどう捉えるかと同じことじゃないかと思う。

家を考える(それは戸建でも集合でも)ときに我々は完璧にしようと思って何でも詰め込む。そうすると潜水艦と同じになる。潜水艦はじっと息を潜めて敵を待つために生きるために必要な何もかもを蓄えていて、しかもコンパクトだ。家もそれと同じ。ただ、自ら移動しないところが違うだけ。

そう考えると現代の街はたくさんの潜水艦が停泊するドックだ。道路は防波堤のようにコンクリートで家を繋ぎ止めている。その上を補給のための人員が行き来している。人員は補給に疲れるとときどき休暇をとって息抜きに出る。給金が良ければ遊園地とか動物園や飲み屋に行くし、そうでなければ公園あたりで一服するかもしれない。それはどっちでもかまわない。家にほとんど何でもそろっているから家に閉じこもっていることだって可能なのだ。家が完璧だから外なんかどうだってかまわない。




その昔、日本の街には”かいわい”と言う独特な場ができている、と言った人がいた。でも、それももう昔のこと。

40年位前の家では家に入ると家族は玄関の方向を向いて暮らしていた。小さな家でも誰かが訪ねてくるとか近所の人が声をかけることを想定していたから。今は家に入ると玄関に背を向けている。玄関はもう玄関じゃなくてただのドアになった。だから”かいわい”なんて出来っこないのかも知れない。

ドアの外がどんなに環境を整えた街であってもそれはそれ。たまに息抜きに出るかも知れないが基本的には何の関係もない。街の環境のためにドブ掃除させられたりしたら敵わないのだ。家が海の底に沈んでいても関係ないのかもしれない。

卒業式の集合写真届く

卒業式で撮影した集合写真が届いた。
送料込みで1000円。
こう言う写真を今頃この歳で撮ることになるとは思わなかった。
七五三みたいだ。

2009/03/22

わからない その3~4


その3

その4

絵本はここで終わり。

「建築」と聞いて最初に思い浮かべるのはやはり”建物を造る”と言うことだろう。しかし、それをそのまま受け入れるのは人にとって”枠”になるものであるし、プロはそう考えていない人も多いから素人的視点から抜け出せていないとも言える。

次に出てくるのは、”なんとか建築”と言うタイプをそのタイプの中で(その定義を保ったままに)解決する事を選択するかどうかだけれど、これは”なんとか建築”の中の工夫は多くの先人によってかなり考えられていて新たな回答を探し難いだろうし、”なんとか建築”を受け入れる事自体が”枠”になりかねないからできるだけ止めたいと思う。建築が未来に対しての何かであれば、ここはやはり定義にも疑問符を突きつけるべきなのだろう。”なんとか施設”をもうちょっと良い”なんとか施設”に変えるって事はできないと言うこと。

作りかたでは、高次に組織化されたもの(有り物)を何も疑う事無く使ってしまうのは止めたいと思った。高次に組織化されたものは進化を止めたに近いわけで、未来への変化が少ないのだし、低次の能力を制限する可能性が高い。

トイレではウンチをする事に決まっているから人はトイレでウンチをするが、人にはキッチンでも事務所でも交差点でもウンチをする能力はある。つまりトイレがウンチをする機能を想定して高次に組織化されている存在になっていることで、逆に人間を拘束していると言える。そう言うことを建築はしているわけで、再開発でできた場所などはそれを大規模にやっていると言うことになる。そこに中間領域を作っても、その中間領域には”ウンチ禁止”となるのが普通なので、想像以上の突飛な行為は起きないと考えるべきだろう。

つまり、人は家を出てからたくさんの人を見て、そしてそのまま帰ってくるだけになる確率が高い。そう言うことが一番問題だと思うのだ。


おしまい。

2009/03/20

わからない その2

JIA東海卒業設計コンクールに送る

雨が止んだのでJIA東海卒業設計コンクールにパネルを送った。
着日を3月23日に指定。宅急便で1690円。

応募要領ではサイズ、枚数、パネル化も何も指定が無く、模型は実物でなく写真で27日の午後4時までになっているだけだった。何を期待されているかよくわからないが、前出のパネルを2枚送っておいた。

これにて卒研ネタは終了になるだろうと思う。1つのネタで1年間良く楽しめたものだ。

わからない その1


卒業研究のパネルを見てもわからないと思われるので、故林家三平のように「え~何がおもしろいのかって言いますと....」って感じて説明をしてみる。まずは近代->現代建築の歴史と言う大枠から。

2009/03/19

模型写真


JIA東海の卒業設計コンクールへの提出模型は写真でとのことだったので写真パネルを作成。

2009/03/18

JIA東海用パネル


前回まで出していたパネルレイアウトはパソコン上で描いていたものだったが、これはA1サイズパネルの実物を写真撮影したもの。

背景に着色すべく現物大にて検討した結果、パーツを手前に持ってきた関係で背景色は新聞紙(本物)に決定。その方が中央部に奥行きが感じらたため。
SITEを示す航空写真の中央の当該敷地はダンボールをくり抜いた一段奥に配置している。

JIAの提出物はこれ以外に模型の写真のみ。

2009/03/16

さらに変更


相変わらず下地の色は手塗り、茶色の島の部分はダンボール。ダンボールの部分のmapは当該地区部分だけ抜いて立体感を出す。左下の小さい絵もくり抜く。
タイトルの影は止めようと思っていたが、どうしようかな?。
端のパーツを全面に出しても中央パースの立体感は出そう。
JIAの場合はもっと設計らしいものの方が良いのかも知れないが今から変更するのは止めてこのやり方のまま出すことにしよう。

少し変更

2009/03/15

まゆ -この街の猥雑さはボクらに羽根を与えるか-



蚕が繭を編むように。


追加
SDLが終わったのに何をやっているかと言うと、JIA東海の卒業設計コンクールに出すパネルを1枚作っている。こちらはサイズや枚数などの指定は何もない。

2009/03/14

卒業



岡崎へ行って卒業式に出席した。

朝早く起きて新幹線に乗り、式が始まる1時間も前に到着。受付で名前をチェックして学生証を返したときにもまだ雨は止んでいなかったが幸いにもズボンの裾が濡れるほどでもなかった。式は昔ながらの格式ばった卒業式らしいやり方で執り行われて終わった。集合写真を撮ったり学部に分かれての授与式の後にパーティーで終わり。久しぶりにたくさんの人に会って楽しい時間を過ごした。

けれど、一緒に卒業するS氏が来ていなかったのはやっぱり寂しい。仕事の都合とのことで仕方ないのだが最初の頃から近代建築について話し合った彼がやっぱりこの場にいるべきだろうとの思いは拭えなかった。卒業するとは言えこれで縁が切れるわけではないのだが。


卒業式が終わってもまだもう少しだけやる事があるので、この2年間を振り返るのは後にしよう。

2009/03/09

from せんだい

仙台に来ている。
ホテルにインターネットの設備があったのでありがたく使わせていただいている。

今朝、新幹線で仙台に到着してバスに乗りメディアテークに入る。なぜか裏口から入れられ1Fフロアで並ばされる。IDを確認されて出場者全員と作品データの印刷されたパンフレットをもらうためだった。

そこから5~6Fの展示場に上がるとゴチャゴチャと作品が置かれていたので5Fの端から見ていったところ奥の方のテーブルの端に自分の作品が並べられていた。すでに昨日の7日にエントリー数776作品の中から100作品が選ばれており、その作品のパネルには赤いバラが付けられている。

残念ながら100選には入らずだった。入ると期待していたわけではないが。しかし堀口徹氏(建築批評家/東北大学助教授)が1票入れてくれていたようで、パネル下に貼られた小さな紙の氏の名前の下に小さな丸い黄色のシールが貼ってあった。びっくり、嬉しかった。その堀口氏はなぜか他の審査員が選ばないものを選ぶ傾向があるらしい。プロフィールではアメリカ生まれで活動の場と学位のいくつかはアメリカからのもののようで、もしかすると建築に関する視点が自分が指導していただいた先生と共通するものがあるのかも知れない。よくはわからないが。


このシールが多く貼られている作品もあったが、それがすなわちファイナルに残ると言うことでもないらしい。多くの審査員が注目しても話し合いが行われて選ばれないこともあるらしい。

審査は各審査員が係の学生に連れられて歩きながら採点していく。見ているとどれもほんの10秒と言ったところ。それはそうだろう。セミファイナルでも100点もあるのだから。

ファイナル10点の作品のプレゼンを見ていたが、空間がユニークでパネルや模型でそれが分かり易く表現されているものが多く選ばれているように感じた。つまり空間が見えると言うことが大前提のようだった。ただ、そうして選ばれてもインタビューするとやはりどこか欠落している感じがあるものもあって、言葉を重ねるたびにガッカリと言うのもある。傍で見ていると、それはわざと考えてないんだから何も言い訳しなくて良いのにとか、そんなことは絶対言われる事なのだから答えを用意しておくべきだろうと思う場面もあった。


多くの作品の傾向としては、個人のファンタジーが作品を作る動機になっているものと、哲学が元らしきもの、造形のユニークさから入っているものに分けられるようだった。造形のユニークさを求めたものでは、形の操作を教科書から引いてきているものが多くてどこかで見た感じがするもののけっこうあるようだった。だから出来が悪いと言うこともないが、あれだけたくさん見ているとさすがに飽きる。飽きさせないようにヤルのは一つのキーポイントなんだろうとも思う。



最後にメディアテークを実際に見た感想。
とても「ストイック!」なデザインだと思う。
スラブとニョロニョロを考えたところで思考を完全に止めてしまったように感じる。
臓物が全部黒く消されているなどデザイン上無き物になっていて、それはスラブと柱を強調することになるがだからと言って無いと言うことでもなく、やはり機能部品は数々あるわけで、白黒に塗られて有る/無いに分けられていることで待遇がずいぶん違うのが変に気になる。恥らとスラブの見せ方だけのためにその他は陰にされたところで、そのまま凍らせてしまったような建物だと思った。そのストイックさがとても日本人らしいとも思う。
また、もし建物内部に何も置かなければ空間はもっとふにゃふにゃした感じに見えるかと思うけれど、トイレでも書棚でも床にテープで描いた線(SDLのために学生が描いた)でもカクカクしていてどうも不整合な感じがする。どうしてだろう。
柱がスケルトンだから広く感じるかと思うと逆に柱が強調されて狭く感じたりもする。各フロア間の移動がエレベータかニョロニョロの中の階段(非常階段のような)しかないのと、上下階が見通せると言うようなこともないのでそれぞれ中にいると階ごとにきっちり仕切られた空間のように感じる。ニョロニョロに触れるところはほとんど無くて(防火上の制約もあるし)フラストレーションを感じないでもない。そのあたりは写真で見ていた印象とはちょっとちがう。伊東先生、いろいろ実験してくれてありがとうございます。

2009/03/06

経緯-レイアウトの変遷

(画像の下に画像の説明文。上の画像が新しいもの。)


mapのあたりが沈みすぎるのでmapだけ白紙印刷のものに変更して敷地の白抜きが目立つように変更。

通路の黄色とパイプに伸びがない感じがしたのでこれを直接変更する代わりにパーツで伸びやかに見えるようにしてみた。

これは黄色に赤を薄く引いてみたもの。


テクスチャに手塗りで色付けしてみた。

テクスチャを少しぼかしてみたが、これは良くなかったので採用しなかった。

ほとんどのパーツを実際に置いてみたもの。但し背景の赤はソフト上でつけたもの。
中央のスケッチはダンボールに貼り付けて立体化している。(規定では5mmのスチレンボードでパネル化となっていて立体化するなとは書かれていない。)

素材を茶紙にモノクロプリント。実際にはモノクロフォーカルにしたものもある。

下記テクスチャを通常の白いプリント用紙でなく、低質な茶封筒のような紙に変更したことを想定して色をスタディしてみた。中央のスケッチを浮き上がらせてその他を完全に背景にするため。また、レイアウトも変更している。

背面テクスチャを新聞(色抜き)に変更。

下のを元に色変更。緑、白、黄、黒。

レイアウト変更。

経緯-スケッチの変遷




アップしていなかったスケッチの途中経過。
CADデータからのパースに実際に撮影した店舗とビルのテクスチャを貼り付けモノクロとした。パラペットを描き、背景画像を変更、人物を写真とし色彩調整をしている。

2009/03/05

せんだいへ作品発送


このブログを見直してみたところ、3月2日に「明日は完成しよう」と書いていて、完成したのは実は4日になってしまったが、出来上がりが全く違っているのに自分でも驚く。その間にスタディが何段階もあったのでたった3日前の画像がはるか昔のもののように思える。長かったと思ったのに、48時間だったわけだ。
(パネルだけ大学に提出したものを変更して、模型は全くそのままとした。)


本日持ち込んだのは東京メトロの辰巳駅から5分程度のところにある日通航空。手続きは模型箱の表面に所定の紙2枚を貼ったのを名簿と照合するだけでとても簡単だった。ちょうど昼だったがもう大型トラックの荷台にはかなりの数が積まれていてその他にも大きな箱が5名分ほどコンクリートの床に置かれていた。どの模型もASUのみんなの作品よりかなり大きい。大型犬の犬小屋や箪笥が入っていそうなものばかりでびっくりした。

箱の表面に貼られた紙に中身の写真が貼られているのでそれを見たらどれも対象敷地のかなり遠くまでちゃんと作っているものが多いようで地形が作られいてた。やはり土地を読むところから入るのだろうか。

作品のタイトルは「思索のなんとか(わすれた)」など概念的なタイトルばかりで、「なんとか施設」みたいなのは、見たものの中にはなかった。パネルは写真が無いので見られなかった。

そして、間に合わなかったのか、箱の脇で一人模型をこつこつ作っている人がいた。運送会社の人も別に何も気にしていなかったから毎年そう言う人がいくらかはいるのだろうか。きっと朝からずっとやってるのだろう。細かい木製の街に5mm角ほどの赤い点々を貼っていた。日本中の学生がそうして執念を燃やして作ったものが集まるのだから、仙台の会場はものすごいことになっているのだろうと想像。週末が楽しみになってきた。

2009/03/02

卒業諸経費を送金

2万円の卒業諸経費を郵便局から送金。手数料80円。

パネル作成への経緯


スケッチの変更とパネル化へのスタディ。パネル3点は却下したもの。全く違ったレイアウトになる予定。

今日は完成しようと思う。

2009/03/01

卒業確定通知書が届いた

たった今、卒業確定通知書が届いた。

卒業手続きをせよと書かれている。
1.卒業経費の納入:2万円(同窓会終身会費として1万円、記念事業費->寄付と記念品1万円。)
 3月6日まで。
2.学生証返却
 3月14日までに郵送。

その他に卒業式と懇親会の案内が書かれている。
卒業式に行く予定だったが、顔の調子が悪かったので行くのは止めることにしていた。東京の懇親会にだけ行くことにしよう。3月28日だ。


卒業が確定してしまっても、まだ卒研をいじくり回しているのでそんな気分でもない。早いとこせんだい向けパネルを終わらせないと。3月5日に日通航空東京営業所に持ち込みだから。