2007/10/31

黒川紀章 その7

現代建築論のための黒川紀章に関するレポートがほぼまとまった。
1000字は少ないので何時も通り論点を一つに絞って書いた。採り上げる建築物も国立新美術館と日本看護協会原宿会館に絞る。


黒川紀章建築にあるあの「よく分からない空間の存在」を問題にする。
よくわからない空間とは国立新美術館のうねるガラスで覆われたロビーと日本看護協会原宿会館の正面階段である。どちらも効率と言う面では無駄なのである。東京と言う地価の高い都市においてはほとんど何も価値を産まないであろうあの空間をなぜ作ったのか。

19世紀ヨーロッパでは都市は王侯貴族のものであった。現在の東京は大規模開発が行われ派手な宣伝活動とともに報じられる。つまり資本家や企業のものであったり、ひいてはお金のものと言うことになる。それはそれで我々は楽しめるのかも知れない。現に多くの人がそういった商業施設を訪れる。そして高価な物を買い、話題の店で食事したりしている。企業は我らを飽きさせないために次から次へと新商品や新サービスを考え出して宣伝する。

それもお金があるうちであるし、飽きないうちなのであって、実際に人間としての生活とは無関係のお祭り騒ぎ、レジャーでしか無いのである。


これからの人間の生活や生き方を考えた場合に、それで良いのだろうか。
人間はプログラムされた機能的な動きややり方をずっと続けて生きるのではなく、思いも寄らぬ「何か」との偶然の出会いによって突然変異(黒川によれば「メタモルフォーシス」)するのである。

あの「よくわからない空間」はそんな「何か」のためのものであり、これからの都市と言うものの在り方への「答え」なのだ。



黒川紀章は本質的な人間の生物としての「進歩」や「向上」を信じているのであろう。人間がこのままでいるはずは無いと。そしてもっと良くなるであろうし、その意志を秘めているであろうと。


参考資料
「黒川紀章ノート 思索と創造の奇跡」 黒川紀章 同文書院
「別冊 新建築 黒川紀章」 新建築社
「<現代の建築家>黒川紀章2」 鹿島出版会
「黒川紀章作品集 代謝から共生へ」 美術出版社
「建築の詩」 黒川紀章 毎日新聞社
「花数寄」 黒川紀章 彰国社


....
レポートのための文章より後に書いたこちらの文章の方が良い部分もあるので置き換えようかと思った。そう言うこともあるものだ。

黒川紀章 その6

黒川紀章は分かり難いかと思えば逆で、説明し易いのかもしれない。
それは理論がよく練られていて最後には単純な結論に達するほどのものである事、そして人間の内側から発する「美」を言わないからであろうか。芸術家としての建築家と言うより、どちらかと言えば社会派なのである。

黒川紀章の建築について書くことが頭の中でほぼ決まったので、今日は図書館で写真資料になるものを借りてきた。書く内容はまた別の記事に上げることにしたいが、メインはやはり分かりやすい六本木の「国立新美術館」にしようと思う。これと、以前に見学したル・コルビュジエの上野の国立西洋美術館と対比して補足するつもりである。


レポートに書きたい内容を簡単に言えば、ル・コルビュジエの西洋美術館には絵を鑑賞する目的がある人しか利用しないが、黒川紀章の国立新美術館はそうではないだろうと言う事。国立新美術館を物として見た場合にはそれほどでも無いかも知れない。伊藤豊雄のそれほど派手でも新しい仕掛けがあるわけでもない。ギャラリとしての機能をきっちり持たせた四角い入れ物、そこにあのうねるガラスをはめ込んだだけで、どちらかと言えば目新しくは無い。

それでも他の美術館よりはずっと多くの人に利用されるであろうと言うところがミソだ。

2007/10/28

黒川紀章作品見学ツアー

個人的、黒川紀章作品見学ツアーに行ってきた。


うりきり屋
築地にある小さな陶磁器屋さん。
立面が特徴的。

WINS銀座
これも立面が特徴的。
中身は地階から6Fまで何も変わらない。全て馬券売り場。表裏通り抜けできる。

スパッツィオ・ブレラ銀座
今日は上階が貸切だったので残念ながら外観のみ。

青山ベルコモンズ
側面の棚状の部分が(我々観光客の為のものでなく)そこに住んでいる人の為のものだと感じさせる。昔の青山はこんなに騒がしい街ではなかったのかもしれない。

日本看護協会原宿
これは国立新美術館に近いやり方。中央に何のためにあるのか分からない階段があって、その上にカフェがあった。商売のために開放していると言うより、休憩所を提供しているよう。しかし裏に抜けていないのは観光客を路地に入れない配慮だろうか。

国立新美術館
雑誌では晴れた昼間の写真が多かったのでわざわざ夕方から夜を見てきた。写真で見ると壮大で近寄りがたいものかと思っていたが、ゆったりした感じがする外観。ざっくりすっぱり単純に作った感じがする。


その他
TOD'S表参道(伊藤豊雄)

築地本願寺
これはすごく面白い建物。
初期インド仏教建築風にデザインされたと書かれていたが、どうもそれだけでは無さそう。

テアトル銀座
菊竹清訓氏の作品で、側面への光の当たり方が特徴的。

2007/10/27

建築構造学演習の成績

前回のスクーリング建築構造学の成績通知が来た。
「A」だった。

これは先にレポートが帰ってきたときに封筒にAと書かれていたので、そのままと言うこと。

2007/10/25

黒川紀章から伊東豊雄を振り返って見る

黒川紀章を読んでいたら、伊東豊雄の文章が気になった。
伊東豊雄の文章に出てきた幾つかの単語が黒川紀章の定義したものだと分かったからだ。

例えば「ノイズ」。
黒川紀章はこれを、メタモルフォーシス(突然変異)のきっかけになる何かと定義している。中間領域、あいまいな場所のようなところで偶発的にその何かと出会う事で突然変異が起こる。固定した機能を持たない場所では予期せぬ何かが、偶発的な出会いによって変化する。取るに足らないと思われた何かと遭遇する。その何かをノイズと表現している。情報化社会においては情報がノイズとなる場合もあると言うことだ。

例えば「ノマド」。
黒川紀章のノマドはその名の通り「遊牧民」を指す。
人間をその生活パターンで分類すると、一般に「農業従事者」と「商工業従事者」は違うと考えがちであるが、これは同じである。決まった時間に決まった事をして生活を成り立たせているからである。
遊牧民の生活はこれとは異なる。常に遠くの敵やオアシスについてできるだけ早く情報を得、それによってパターンを変化させなければならない。決まったパターンは通用しない。これが今後の情報化社会の人間の生活パターンと似ていると言うのである。


伊東豊雄の言葉はこれを踏まえた上でのものであった。
但し、ノイズもノマドもこの定義を知った上での集約された記号のように使っている。建築用語として使っているのである。だからノイズもノマドも分かるようで分からない。


建築家や批評家の書く文章で、何時も迷惑に思うのはこの事だ。その世界の人間でないと定義が分からない業界用語になってしまっているからだ。建築関係の書籍や雑誌と言うのはほとんどがその業界の人間か、建築を学ぶ学生か、もしかしたら建築オタク(のような人間がいるのかどうか分からないが)が読むものになっている。一般人が読んで楽しいものでは全く無い。

だからこそ、こう言うわからない言葉が通用するのだろう。建築を学ぶ学生はそういった特殊な世界に憧れて一所懸命に単語を覚えて、早くこう言った小難しい議論に参加したいと願うのかも知れない。(何と従順なのだろう。)



その点、黒川紀章の言葉にはそういった業界用語が少ない。多分建築家の中にあって極端に少ないのではないか。なぜなら彼はその言葉を定義しながら作る立場であろうとしたからかも知れない。だから黒川紀章の文章は読み易い。

黒川紀章とパン屋



現代建築論のために黒川紀章を読みながら、次の課題である建築設計Ⅰ-2のヒントを無意識に探してしまう。

今までは順序として近代に触れる事が多かったのだが、黒川紀章を読んでやっと近代とその後との「継目」に触れることができた気がしている。同じメタボリズムの他の建築家からは黒川紀章ほど強烈で明確な継目を意識はできなかったのだが。




ところで、上の絵は「黒川紀章ノート」を読みながら建築設計Ⅰ-2(パン屋の設計)のために書いたメモ。(本にはパン屋の事は書かれていない。)

パン屋をパンを作って売るだけの機能として捉えるだけにはしたくないと思っている。最近は個人経営のパン屋でも、ドアを入ると「いらっしゃいませ」で始まるコンビニやファストフード店と同じ接客をする店が多い。そのやり方は確かに無難で不可はないのだが、それでは単にパンを買う機能を果たしているに過ぎない。人間が動かしている自動販売機みたいなものだ。

そう言う店は買わないで通り過ぎる人間にとっては無である。毎日歩くその道にある個人経営のパン屋が通路の壁であってはつまらないだろう。

生活の側から見ればパン屋はその一つの部分であるし、街の機能から見ても部分である。そして店の場所はその繋ぎ目なのである。パン屋を営む人間から見でば、パン屋は外の世界と生活の繋ぎ目である。自営業は生活を業務の区別はサラリーマンのようにハッキリ分ける事はできないものであるから、店を単なる収入のための道具と割り切る事はできないはずだ。

2007/10/24

黒川紀章 その2

黒川紀章の資料に選んだ「黒川紀章ノート」が厚い本でなかなか読み終われない。

この本は1994年に発刊されたもので、それまで三十数年間の黒川紀章の思索の経緯が綴られている。本人がそれについて書いているので読み方によっては自己顕示欲の産物のようでもあるが、時代によって考えた事はその都度ユニークである。そこに使われる言葉も所謂(いわゆる)建築用語ではなくて、黒川用語であり、その定義まできちんと説明している。だから一般の建築評論における文章と違って読み易い。ありがたいことだ。

日本の伝統についての見方もよく研究された成果と言ってよく、よくある伝統構法の部分的な特徴を西洋のそれと比較して「こうだ」と断言するような議論とは随分と異なる。大学院の時代からこうだったのでは嫉妬深い人々からはさぞ煙たがられたのではないかと想像できる。


まだ全て読み終わってはいないがこの現代建築論以外に、建築設計Ⅰ-2の課題のヒントもここにありそうな気がしてきた。

参考資料
「黒川紀章ノート 思索と創造の軌跡」黒川紀章 同文書院

2007/10/23

黒川紀章 その1

現代建築論のレポートで次に採り上げる予定は、先日亡くなった黒川紀章氏である。

黒川紀章と言えば国立新美術館が開館したばかりだが、この写真を見て何かしら不思議な感じがした。巨匠の作にしては大人しいのだ。

海外からやってきた有名建築家の作にしても雑誌に取り上げられる海外の有名建築家の作などは、よくこんな事を思いつくと感心するほど奇抜であるものが多い。黒川紀章も日本にてはなかなか個性的な人物のようであるし、海外コンペで多くの仕事を取って来る建築家なのだから、一見して黒川作とわかるほど奇抜であろうとの先入観があるせいだろうか。

そう言う目で見ていたせいか、とても大人しく感じられたのだ。

そんな訳で、あの形がどう言う意味を持つものなのかを解明してみたくなったのである。幸いにも、ネット上には納得できる答えが見つからない。建築好きの人々や学生も、ル・コルビュジエは熱く語るが、評価の定まらない最近の建築を判断する事には遠慮がちらしい。



ところで、今日図書館で黒川資料を漁っていたら、奇妙な事を発見した。

先日、伊藤豊雄の資料を読んでいたら彼は彼より前時代の建築について都市の理想像、人間生活の理想像のような大枠から建築を発想するように解釈していた。その前時代の代表の一人が黒川紀章なのであるが、黒川紀章の文章からはそれは全く違うものとなっているように見える。

黒川紀章は最初から多様性を大きく認めていて、時間軸でも空間の中にも対立するものが同時に存在するとしている。未来を予想するもそれが神の与えた良き方向へと言うような絶対的なものではない。前者が大枠と言うようなものであれば、それをさらに上から眺める風なのである。


伊藤豊雄は彼の前時代の建築と言うものを(短期間であるが)師である菊竹清訓から感じていたからかも知れない。黒川紀章は同じメタボリズムの菊竹氏を含む他の建築家について何も言及していない。メタボリズムにいながら彼らとそのコンセンサスを同期する動きをして来なかったからのようである。


確かに、黒川資料を少し読んだだけでも菊竹清訓のメタボリズムとは随分異なる感じを受ける。

菊竹清訓の場合は日本建築の伝統を出雲大社に求めているが、これは過去から現在に至るまで多くの様式が発展し変化してきた中にあってずっと採用されてきた考え方を探る態度なのである。黒川紀章から見ればこう言った日本の伝統から要素を抽出する行為自体がすでに欧米的なのであろう。ヨーロッパ人がその美の理想をギリシャやローマに求めた態度と同じなのであって、それは態度からして日本の伝統から離れてしまうものなのである。

黒川紀章の場合、出雲大社も茶室も日光東照宮も同じ日本の中にあり、それはある意味対立しながらも同じルールの中に、つまり日本と言うシステムの中に共存するのである。「ワビ、サビはそれ単独では存在しない。紅葉の燃えるような華やかさを知らない者にワビ、サビの感覚はわからない。」のであると。

2007/10/19

パン屋設計のための調査



建築設計Ⅰ-2の課題でパン屋を設計する必要があるため、製パン用機器の調査を行った。(上の表)他に調理パンのための卵を茹でたりする場合にはガスコンロが必要だろうが、だいたいこの程度でできるのではないだろうか。固定された機器以外にも動く物も入っている。


参考書
「パン菓子機械総覧 2001」日本製パン製菓機械工業会 光琳

2007/10/17

アントニン&ノエミ・レーモンド展を見た

アントニン・レーモンド、何の予備知識もなし見た。

旅行などで外国に行くと、ずっと長くそこにいる人間よりよくその国が見えると言うことはあるものだ。アントニン&ノエミ・レーモンドも日本に対してそうであったようだ。我々日本人が日本的と思って見る日本風デザイン、実は外国人が発見した日本を見ているのかもしれない、この展示を見るとそう思えてくる。

特にノエミ・レーモンドのデザインを見ると、彼らが日本を見てショックを受ける部分と西洋のデザイン手法がミックスされて、無理も不自然も無い一つのものになっているのが不思議である。浮世絵に影響を受けたとされる印象派よりもさらに自然にブレンドされている。


建築の事も書いておくべきなのだけれども、どうも変な方に関心を持って見てしまった。


神奈川県立近代美術館
アントニン&ノエミ・レーモンド展
学生証提示で850円
JR鎌倉駅から徒歩10分程度
今週末10月21日で終了

まことちゃんハウス

まことちゃんハウスの件で「東京地裁、工事差し止めの仮処分の申し立てを却下(071012)」のニュースが報じられた。

一戸建て住宅の並ぶ街で今後お互いにどう言った付き合い方をしながら生活されるのだろうなあ、と思う。目と鼻の先に気に食わないご近所さんが居て、ゴミを出しに出たり買い物に出る時に挨拶もなしでずっと快適に生活できるものだろうか。



考えてみれば、都会ではそれが普通なのだ。隣にどんな人が生きているか、死んでいるかもわからないマンションに住む。新しい住宅街であれば知らない所から移り住んだ人々がそれぞれ何の関係も関わりもなく偶然そこにいるだけと言うことは普通にある。

そもそも現在の都市は無関係な人間が何かの都合で勝手に集まってできたものだ。田舎の地縁を捨てて都会の生活を選んだ。鉄のドアで仕切られた家の内部には核家族のみで半ば完結した生活を成立させる事の方を選んできたのだから。

そこには田舎にあった地縁血縁は無いし地域のルールも無い。だから面倒臭くないし、ある意味快適であったと思う。しかしその代わりに必要になったのが、警察組織や法などと言った物であろう。何か問題が出る毎に法や条例を多く作ってきた。それらは複雑過ぎて専門家にしかわからないほどに多くある。道路には車や人をいちいち細かく規制しようとする信号や標識がニョキニョキ立っている。昔小学校の壁に「廊下を走ってはいけません」とつまらない張り紙がしてあったが、それと似ている。

日本ではよく親が子に向って「xxxしちゃダメ」と叫んでいるのを目にする。(「日本では」と言うのは他の国ではほとんど見ないと言う意味)日本の教育は、実は「xxxしちゃダメ」しか無いのではないだろうか。だから大人になってもそう言う発想でしか世の中を制御できない。まことちゃんハウスの様な事例を受けて各地でやっと景観条例ができて、「家のxxxな外観はダメ」みたいになるのだろうか。



アメリカの映画を見てうらやましく思うことがある。
子供に見せる「スパイダーマン」のようなものでも、人間としての理想像の1つを提示している。アメリカでは「xxxしちゃダメ」と言うネガティブな方向ばかりでなく、こうなったら「カッコいい」と言う像を子供に示す事ができるのである。(だからと言ってアメリカが全てうまく行っているのではない。あちらの方が犯罪が多いのも事実だから。)

これは大人にそのカッコいい理想像があるからできる事ではないだろうか。マイケル・ムーアのような変った映画監督がいるが、彼の生き方はやっぱり1つのやり方として「カッコいい」のである。


振り返って我ら日本人にはそういった理想像が無い。ホリエモンのようなやり方がカッコいいと言われる時代があったが、あれは日本人の理想像であったか。個人の利益を追求する事は悪いことではないし、他の多くの日本人がストイックであるすぎたと言う意味で見習うべきところはあっただろう。しかし、理想像ではあり得なかった。

学校では個人の成績が良いことが評価される。しかし友達の成績を良くする手助けができたり、グループで何かを成し遂げたことはほとんど評価されない。受験には役立たないからだ。これで日本人はどんな人間になるべきだと言うのだろう。年金着服、賄賂、生活残業、自分のためになる何かを皆がやっているだけの人間か。


その意味で、まことちゃんハウスを作った楳図さんもそれを訴えたご近所さんも同じ部類の人間なのだろう。裁判所が結論を出しても、まだ出ない結論があるように思われてならない。




こう言う日本人のために建築は何が提供できるものなのだろうか。

2007/10/15

伊東豊雄論、ほぼ、まとまる。

長くかかっていた伊東豊雄論がほぼまとまった。

内容は前回書いた分析を、実際の建築の方から遡ったものにした。そうでなければ説得力が出ないであろう。逆に実物からであると論理的にまとめ難い。その上、伊東建築は年代によってポイントが変化していて、一貫した説明でまとめる事が難しい。そこでここ10年の新しいもの絞って書くことにした。

ポイントが変化していると言うのは、同じように見える手法であっても本人の思いに違いがあって、それを一つの表現としてしまうのは正確とは言えないように思うのである。人間は成長するものであるから、その人の一生を全て一つの記号として扱うのは失礼と言うものであろう。ル・コルビュジエのようにどこで切っても割りと一貫性の保たれている人間は少ないのが普通だ。



そして、現代建築論の次のターゲットは誰のどんな建築にしたら良いだろうか。やはり時節柄、黒川紀章であろうか。明日、伊東豊雄に関する資料を図書館に返して考えることにする。

建築構造学演習のレポート返る

先日の建築構造学演習のスクーリングで書いたレポートが返ってきた。正式な評価通知ではなくてレポートの封筒に記されたものであるが、どうやら「A」らしい。正式通知を待つことにしよう。


少し前にあるところで「地震多発地域に引越すが、安全な建物の構造は?」と誰かが書いていた。これは大変難しい質問で、木造だからダメで鉄骨だから安心と言うような簡単なものではないらしいし、今はほとんど使われない江戸時代までの伝統構法が実は高度な伝統技術であったとも気付かされた。素人考えの安易なイメージだけで判断するのは危険なのだ。

有意義で楽しいスクーリングであったと思い返される。

AutoCAD 体験版の使用期限

AutoCAD LT 2007 体験版の使用期限延長をお願いしたが、リクエストコードが認識できないとメールが返信されてきた。確認したがリクエストコードは間違っていないのだが。まさか、同じリクエストコードで他の人が延長したら2人目からはダメなのだろうか。

やってみた方はいませんか。

2007/10/13

Auto CAD 関連いろいろ

CADⅠのスクーリングで Auto CAD LT 2007 体験版をインストールし、図面ファイルを作成したところファイル形式がDWGになった。そろそろ体験版の使用期限が迫ってきたので作成したファイルをAutoCADで開けなくなる可能性がある。そこで体験版といっしょにインストールされたViewerアプリケーションで開こうとしたら開けない。よく見るとインストールされたのはDWGではなくてDWF Viewerであった。

これはまずい。Autodesk社のサイトを探して見たらDWG Viewerを発見。無料で使えるのでインストールしてみた。無料だが個人情報を要する登録は必要だ。多少は仕方ないだろう。

Autodesk - DWG

もう一つ、体験版の使用期限30日延長の申込みもできるようだ。動作が重いと言う2008の体験版もここで入手可能。

Autodesk - 体験版申込み窓口



AutoCAD はどうしても将来個人としては使えなくなる可能性があることも考えて、Jw_cadも検討しておかないとならない。下記サイトからダウンロードしてみた。ダウンロードされるファイルの小ささに驚く。

Jw_cadのページ


AutoCADそっくりなCADも提供されている。値段はそれほど高くはない。

Intelli Japan


VectorWorksは早くから3Dに定評あるCADだったように思う。

VectorWorksホーム


AutoCADやJw_cadのファイル形式が扱えればフリーのCADでも何でもかまわないのが本音だが、どの程度の互換性があるかの情報が少なくて困る。操作が違うだけなら慣れれば済むが、ファイル形式互換性が無いのは致命的だ。多くのCADソフトはAutoCADのファイル形式の読み込みや編集が可能と言っているがその程度が問題であって、詳細にチェックしている人はいないものだろうか。

2007/10/12

伊東豊雄

現代建築論の中で伊東豊雄の建築について考えている。


1.都市の捉え方
・絶えず変化する。
・流れの中にある。
・秩序無く造られては壊される。
・いろいろな印がCOPYされ消費され続けている。
・コラージュされている。
・表面的である。

2.都市の中の人間
・情報を消費する存在。
 -ブランドのバッグは物としてもバッグで無く印としてのバッグ。
・情報の中の遊牧民。
 -印、情報は絶対的ではなく何時か流れていってしまう。固定的でない。
・物理的な肉体と情報的な肉体の両方を持つ者。

3.都市の中での建築の位置付け
・建築は形態的にも機能的にも完結し、独立したものではあり得ない。
・建築は流と相対的な関係を持つ渦のような「現象的」存在。
 -固定化された物である建築と都市の在り方とのギャップに対して。
・古典的な都市の枠組から見る建築の否定
 -「都市はこうあるべき」からの建築は不可能である。

4.伊東豊雄の建築の理念
・仮想的
 -流れ、変化に対して固定的でない事。
・ニュートラル
 -流れ、変化に対して中立であり可変である事。
・メディア
 -情報の入れ物である事。情報の変化とともに変化するモニュメンタリティ。
 -従来の建築は固定的で時代の変化の中でも意味が変らない事に対する。
・建築のプリミティブ(原初的)で自然な状態の模索。

5.伊東豊雄の建築の表現方法
・グラフィカルなエレメントで構成する。
 -柱、梁などの機能エレメントで構成しない。
・コラージュ
 -都市(東京)の論理


6.新しい方法論
・人々の動物本能に訴えかけるもの
・自然界の構成原理に近づく
・運動体の幾何学のルールに基づく
・新しいシンボル性を持つ
・新しい装飾を発見する



所感など
従来建築(近代、ポストモダン)の枠組の挫折
近代もその後の建築も幾何学的秩序のある都市の理想像を基に建築を造ってきたと考えれば、
19世紀以前と変わり無いと言える。現在の都市の実態を見ればそれは既に挫折していると見て間違いはないだろう。都市は(東京は)無秩序なまま造られ続けていて何の抑制も無い。

それまでの建築は固定的で永遠性を体現する事を目標に造られた。しかし現代の建築は社会や都市の変化の中で変化する事を要求される。しかし形態を固定化をする建築はそれに応えられずギャップは広がるばかりである。ここに建築は挫折したのである。

伊東豊雄の建築はそんな挫折の時代に産まれた。

都市における人間の生活も変化した。生活は固定的でなく、出現しては流れていく情報(伊藤はノイズと表現する)の中にある印を求めて行動するようになった。人は物としての建築に集まるのではなく、情報の発信源に集まる。建築はメディア(情報の入れ物)化しなければ存在できないと伊東は考えたのであろう。

故に従来建築の重さからフリーな軽くて変化するものであろうとした。そして前時代に用いられた普遍の美からも自由となろうとする過程で、自然の中の原初的な美、うつろい行く幾何学の美、そういった形態を採用することになる。

(ル・コルビュジエなどの近代の元祖的建築家は普遍の美を採用してはいた。しかし彼らが主張したのは"自由"であって、その四角さを言ったのでは無い。四角さを言ったのではなく、ギリシャ・ローマを言わなかったと解釈すべきではないか。この先人の解釈の誤りを受け入れながら、それを否定していると思われる。)

造形表現では樹木などの自然の形態、動く幾何学の形態を用いている。しかしそれはあくまでも「形」の再現においてであり、ガウディのように自然現象の力学的引用までは行っていない。力学的には建築技術の力学であり、造形表現との関連は薄い。つまり「造花」を造っているのではないだろうか。

またある意味、伊東建築は新しいメタボリズムの表現であるとも受け取れる。伊東の建築はメディアと言う入れ物であり、内容物は情報のようなソフトウェアであると捉える事で固定したものとして想定はしない。固定してプランニングする事への「諦(あきら)め」であるとも感じられる。



参考資料
「風の変様体 建築クロニクル」伊東豊雄 青土社
「建築を考える」菊竹清訓 鹿島出版会
「シミュレイテド・シティの建築」伊東豊雄 INAX
「伊東豊雄/ライト・ストラクチャのディテール」伊東豊雄建築設計事務所 彰国社
「<現代の建築家>伊東豊雄-風の変様体-」鹿島出版会
「自ずと生まれる生きものが暮らす空間(対談)」生命誌ジャーナル2007年秋号
「伊東豊雄 建築|新しいリアル(パンフレット)」神奈川県立近代美術館 葉山 

2007/10/10

試験の申込み

11月の試験の申込み書類を送付した。

11月17日(土)
1限目 構造力学Ⅰ
2限目 建築材料学
3限目 都市計画学

いつものように申込書のコピーはとっておく。封筒には80円切手を貼り、受験票3枚と返信用封筒(80円切手添付)も入れた。受験票がいつもより1枚多くても80円で済んだ。葉書1枚多い程度なら当たり前かもしれないが、万一途中で帰ってきてしまうと面倒なのでちゃんと民営化した郵便局の秤で測ってもらった。


1月に1科目残しておこうかと思ったが、試験まで1ヶ月以上ある事と延ばしても準備しなければならないのは同じで、試験勉強の間に課題も作成しなければならない事を考えると11月で終わらせておくべきだろうと思って止めた。時間があるからと言ってそれだけ質の高い試験解答ができるわけではないだろう。こう言う事は考えても始まらないもので、決めてから考える方が良いのである。

2007/10/09

CADⅠの成績が来た

CADⅠの成績が来た。
「A」だった。

スクーリングの結果なので講評も何も無い。



この科目ではAutoCADを使うのであるが、このシステムは手描きをそのまま機械でするだけの事で、すべき事は操作を覚える事だけだ。手描きなら手や指の操作や道具を交換しながらやるような事を、小さい機能に分割されたコマンドに代えて行う。

機械に複雑な仕事をやらせると言うより、機械のやり方に人間の方が慣らされると言った方が近い。「CADができる」と言うのは、手品ができるとか経営ができるとか、そういった「できる」とは全く違って機械に飼いならされたような、つまりは「ポチはお手をできる」と言うような意味に近いものがある。

全くもってこの手の機械は遅れていて、いつまで線を1本1本描かせるのだと言いたくなる。21世紀にもなって原始的過ぎるだろう。

やりたいのは線1本を描く事ではなくて、木材を切って柱を作ったり鉄骨を溶接したりと言う作業とその結果が描きたいのだ。つまりCADは線と言うコマンドを用意するのでなくて、材木を用意し、のこぎりコマンドを用意し、ノミコマンドを用意し、溶接機コマンドを用意し、クレーンコマンドを用意しておくべきだ。


いつまでも線とか円弧とかそういった、実際の作業と関係ない変なコマンドを用意し続けるからCADができて設計ができない人間を増産することになるのではないのか。理想的な長さの線を描けるCADよりも、人間が加工したと同じだけ交差を発生してしまう"不"正確さを持ったCADを作るべきじゃないだろうか。

2007/10/08

建築構造学演習スクーリング 3日目<完>

今日は主に鉄骨と鉄筋コンクリートについて。
最後にこのスクーリングについてのレポート提出。


レポートに書いた内容の概要は下記。

「木造伝統構法と耐震」
木造伝統構法は明治以来長らく研究されて来なかったが、伝統構法の中にも耐震技術として学ぶべきことがある。だがこの研究成果と取り入れて建物を造るのは難しいであろう。
1.例えば制振ダンパのような物を取り付ける場合、建物は1つ1つ異なる為に建物Aでは効果があったとしても、建物Bでは効果が無い事も考えられる。よって、これを取り付けておけば安心と言うようにはならないだろう。
2.建物を柔構造と考える場合、これまでのように1つの塊りと考える力学では解を求めることは出来ないであろう。多くの部分が別々に動く分散定数となるために、波の運動を解くような分散定数の解とする必要があるだろう。
3.これに伴って材料や、現場で施工する継手などをどう定数化できるかなども問題になると考えられる。


スクーリングの感想にはならず、疑問ばかりになってしまった。

2007/10/07

建築設計Ⅰ-1の成績

早くも先日のスクーリング、建築設計Ⅰ-1の成績が送られて来た。
「B」だった。
これで2つ目のBだ。

今回の設計は初めから自分でも疑問を抱えたままのものだったので仕方ないか。3日間のうちにプレゼンテーションまでしなければならないから、図面をだいたい描いた後で別の案に変更するには時間が足りなかった。次回はもっと....

建築構造学演習スクーリング 2日目

今日も木造伝統構法の続きから始まった。
午後はトラス、継手、アーチなどの模型製作とトラスの破壊実験。

伝統構法は作られた時代によって違いがあり、太い柱が容易に入手できる時代と入手できなくなってからの時代の工夫には差があるようだ。太い柱の入手などと言うどうしようもない事情もあるが、どう言う人がどう思って構法を発展させてきたものだろうか。

トラスの強さは計算すれば出るが、数字だけで捉えるよりも実地に破壊試験をして見るとその強さ感覚を実感できるものである。こう言う感覚を知っているかどうかは大事だろうと思う。

2007/10/06

建築構造学演習スクーリング 1日目

1日目は主に木造伝統構法についての内容だった。
礎石の上に乗っているだけの柱、重い屋根、組物、それらが揺れに対して復元方向に働く。見た目の感覚とは反対で地震に強いとの事。

現在は木造伝統構法で建築できるように法律が変ったが、未だに体系立った建築として確立していないらしい。経験則で建てられる人材も少なくなってしまって、これからこの構法はどうなるのだろうか。漠然とであるが心配だ。

2007/10/05

構造力学Ⅰのレポートが帰った

構造力学Ⅰのレポートが帰ってきた。
結果は「A」だった。

先生は計算の過程をいちいち丁寧に見ているようで、レポートの途中途中に赤で丸印が入れられている。計算の過程を細かいところまで省略せずに書いたのは評価されたようだ。レポート課題以外にも学習すべき事をアドバイスしていただいた。


これで来週申込みできる11月の試験は3科目になった。
いや、なってしまった。11月の試験を2科目に留めて、1科目は来年に受けるつもりだったがどうすべきだろう。3科目の試験準備は辛いかもしれない。

2007/10/03

瀬戸屋敷-18世紀の伝統構法



神奈川県の開成町(かいせいまち)に保存されている「瀬戸屋敷」と言う建物を見てきました。

18世紀に建てられた規模の大きな伝統構法の家屋で6年前まで人が住んでいました。現在は改修保存されていますが、釜戸も土蔵(これは明治20年のものらしい)も住んでいた時点の状態です。縁側部分にガラス戸が付けられている以外は構造は江戸時代のままと思われます。

神奈川県西部のこの地域は関東大震災で湖ができるほどの活断層があるが、少なくともその手の大地震であきらめられるだけの大きな被害は受けなかったのであろう。太い柱は礎石上に置かれているため、屋敷のどこも土地には固定されいてない事が幸いしたのだろうか。屋根は茅葺である。天井板無しで小屋組は全て見える。建築構造学の教科書にある構造そのままの家屋である。

木造在来構法の家屋は筋違があり土台に固定されているが、これは太い木材が使えなかったり、土地が狭くて2階や3階建てにする必要がある場合の構造なのだろうか。もしこの瀬戸屋敷のように土地が充分に広く地盤が安定で太い柱を使えたならば伝統構法で良いと言うことは無いのだろうか。

「伝統構法で良い」ではなくて「伝統構法の方が良い」とする説もWeb上にはあるようである。


一見の価値ありです。

あしがり郷瀬戸屋敷 見学料は無料

建築デザイン論の成績が来た

建築デザイン論の成績が送られて来た。
「A」だった。

この科目の試験問題は自分の考えを書かせるものだったので、前日まで解答案を考えて校正し続けた。とりあえず良かった。

2007/10/01

建築環境工学の成績が来た

先日試験を受けた建築環境工学の成績が来た。
「B」だった。残念。

試験の問題は、
2.人工光源の種類と特徴
7.空気汚染物質が人体に与える影響

これはどちらもテキストにある内容をまとめるだけ(テキストの内容に少し足した点はある)のような問題だったので面白みが無いと思ったのだが、あれ以上何か書くことがあったのだろうか。