フランク・ロイド・ライトにおける「有機」と言う言葉についてまとまてみた。
建築用語として「有機的」とは良く使われる言葉になっているが、フランク・ロイド・ライトはかなり早くからこの言葉を使っているようだ。現在の建築に関するいろいろな文章に出てくる「有機的」は今ひとつ定義がはっきりしていないようで、読んでいて何だか気持ちが悪い。
そこで、知る範囲でそれらを分類してみたら、だいたい4つ位に分される。
(1)概念として関係があるの意
周辺環境、人間生活、街などと建築に意味的なつながりや関係があると言うこと。
(2)空間構成の事
部分と全体(ディテールと立面など)または部分と部分に関係やつながりがある。
(3)美や形状の事
自然の形、自然の構造や構成を用いていた建築の方法。
(4)(単なる)イメージ
機能的に整理されていない関係である。からみあったような関係がある。非人工的。自然の何かを連想させる。
フランク・ロイド・ライトの「有機」はきちんと定義されていて、上の分類では(1)になる。結果として作られる空間には(2)が認められる。全然矛盾が無い。
フランク・ロイド・ライトの「美」と形状はどうかと言うと、初期から後期まで一貫して幾何学の美である。「グッゲンハイム美術館」などでは、丸くぐるぐる巻いている巻貝のような形状のイメージから「有機的」と評されることもあるが、よく見てみればコンパスや定規を使って描いた線の組み合わせになっていて、最近よくあるぐにゃぐにゃしたタイプの「有機」とは全く違うのである。
ついでに、ル・コルビュジエのロンシャン教会は、あの曲線は日本の陶芸であるような手捻りの曲線で、美術家の使う線であろう。もともとル・コルビュジエはピアノやバイオリンなどの曲線を使うのが好きだ。ル・コルビュジエもフランク・ロイド・ライトも別に幾何学をもって近代建築の定義としたわけではなくて、(19世紀的な構造からくる制約に対する)「自由」の方が重要なテーマだったので、ロンシャンでそれを示してみたかったのだろうか? (そんな事どこにも書かれてはいない。)
本題に戻って、フランク・ロイド・ライトは自然の生物の真似をしたような形の「有機」を好まない。それは造花のような物と考えたからだ。人間が作らねばならない美は人間の美感に投影された普遍性にあると考えていた。
それなら、グッゲンハイム美術館に「有機」はあるのか?
初期のプレーリーハウスが砂漠地帯に溶け込むようにデザインされたと同じような関係を、グッゲンハイム美術館は街と持とうとはしていない。その外観は周囲のビル群のパタンやルールを無視している。これは逆説的方法だろう。その方が良い場合もあるのだから。(ここでは、細かい事は言わないでおくことにするけれど、AlfaRomeoの線を見て欲しい。)
参考資料
「ライトの遺言」 フランク・ロイド・ライト 彰国社
「建築家:フランク・ロイド・ライト」 テレンス・ライリー他 (株)デルファイ研究所
「建築について (上下)」 フランク・ロイド・ライト 鹿島出版会
「巨匠フランク・ロイド・ライト」 デービッド・ラーキン 鹿島出版会
「見る建築デザイン」 宮元建次 学芸出版社
「伊藤豊雄 建築|新しいリアル -パンフレット」 神奈川県立美術館葉山
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