建築デザイン論の成績が送られて来た。
「A」だった。
この科目の試験問題は自分の考えを書かせるものだったので、前日まで解答案を考えて校正し続けた。とりあえず良かった。
新ブログ「もんく+a : reloaded」へ移行し、建築仲間Team OBASUの活動記録を投稿します。
リンクは右の欄のリストにあります。
(2021年~)
アイデア等全てのコンテンツの引用やコピーはご自由に。
コンテンツ概要
2009~2013年:建築物と建築についての雑記です。
2007~2009年:大学の課題に関するノートです。
2007/10/03
2007/09/08
試験終了 2科目
建築環境工学と建築デザイン論の試験を受けてきました。
建築環境工学の問題は
2.人工光源の種類と特徴
7.空気汚染物質が人体に与える影響
どちらもテキストを見て要領よくまとめれば済みそうな問題だったので2は表にして、7は箇条書きで網羅してみた。あまり面白い問題じゃなかった。
建築デザイン論の問題は
4.建築が浮遊する感覚
8.街や自然からの拒絶
でした。
4は昨日まで考えていた事に加えて、上下の視線の違いによる断絶のようなものもあるのかな、と考えてそれも付け加えて書いてみた。メリットとデメリットの分かりやすい(ファニーな)イラストも入れてみた。
8はだいたい考えていた通りに書いたけれど、書いている途中で設問7にある自然や街の導入と反対の事かと思いついてそんな事も付け加えて書いてみた。イラストも入れた。
結果が楽しみだ。
建築環境工学の問題は
2.人工光源の種類と特徴
7.空気汚染物質が人体に与える影響
どちらもテキストを見て要領よくまとめれば済みそうな問題だったので2は表にして、7は箇条書きで網羅してみた。あまり面白い問題じゃなかった。
建築デザイン論の問題は
4.建築が浮遊する感覚
8.街や自然からの拒絶
でした。
4は昨日まで考えていた事に加えて、上下の視線の違いによる断絶のようなものもあるのかな、と考えてそれも付け加えて書いてみた。メリットとデメリットの分かりやすい(ファニーな)イラストも入れてみた。
8はだいたい考えていた通りに書いたけれど、書いている途中で設問7にある自然や街の導入と反対の事かと思いついてそんな事も付け加えて書いてみた。イラストも入れた。
結果が楽しみだ。
2007/09/05
建築デザイン論
この科目は深く建築デザインについて考えなければならない所がキツい。
(以下、どの参考資料にも書かれていない内容なので注意。記事掲載後に追加編集します、たぶん。そして記事が長い事を覚悟すべし。)
1.視覚化
デザイン手法として「視覚化」を使う意味は何だろう。
a.芸術的意味合い
見る者へのインパクトを意識している。
b.見せる事自体が機能
人を誘導したり、機能を見せたりする目的がある。
c.見えてしまう(消極的)
内部を広くしたいので設備が外に出てしまった場合など。
d.上記の複合
例えば構造を視覚化して見せたいと思ったとする。
構造を見せるには構造を見えるところまで引っ張り出して来るか、壁を透明にしてしまう必要がある。見せたい物を見せるのには、全体や隣にある別のパーツをどうにかしなければならないって事だ。
柱「なんだよ下水管、目立たなきゃならないのはオレだろう。何でお前が出て来るんだよ。」
パイプ「仕方ないだろ。お前を目立たせるために壁が消えたんだから。オレまで消えるわけに行かないだろ。中に流れるウンコが丸見えになっちゃうとお前までカッコ悪いぞ。」
映倫「大丈夫、私がパイプさんを黒塗りしておきます。ご安心下さい、モザイクじゃありませんから。」
視覚化すると見せたくないものまで見えるようになってしまったりする。今まで表面だと思っていたものが表面じゃなくなって中にある椅子とか便器とか配水管とかもともと表面じゃないものが表面に出てくることもある。だから部分によってテイストが異なってしまったり表面が煩雑になってしまったり、そんな弊害が出る。
2.文節・分割と言うデザイン手法
省略
(テキストのp37「フィッシャー邸」のところで「暖炉が...偶発的な角度で」と書かれているが、こう言う情緒的記述は止めて欲しいものだ。暖炉の事なんか何も分かっていないくせに。)
3.環境との調和と不調和
イタリー車のデザインはラインを調和させるのが上手いと思うが、アルファロメオなどはどう見ても調和から外れたラインを1本だけ入れる事がある。全てのラインを溶け込ませて全体の美しさを見せると言う通常のやり方でなく、破綻した1本をアクセントにする事で全体を個性あるものにする手法だと考えられる。
意味も不調和
日本の伝統的な住居のスタイルは開放的なものが多い。伝統的集合住宅のような、つまり長屋などでは1つの住居としては構造的にも不完全であるし、そこに住んでいる1家族だけで生活は成り立たない。簡単に言ってしまうと助け合ったりしながら成立している。これは形がそうさせたのか、それが良くて形が決まったのか議論の余地はありそうだが。
そう言う場所に閉鎖的な(鉄の扉で区切られたマンションのようなスタイルの)家を入れてしまったらどうか? 伝統的なやり方は成立しなくなる。しかし、現代的な生活スタイルにコンバージョンしたと言えばそれはそうなのかも知れないが。
自然を認識しているか?
日本人は東京湾を自然の一部である海として認識しているか? 最近はだいぶきれいになったとは言え、やっぱり東京湾岸は工場地帯、荷物の発着所、埋立地であってそれは自然の一部ではなくて都市機能の一部なのではなかろうか。お台場には有名建築家による作品があるし、横浜MM21にはヨットの帆のようなホテルがある。あれは東京湾を自然と認識した上での形なのか。それとも埋立地におけるビジネスセンターや港湾施設(それが観光地であっても)を意識した調和なのだとしたら、自然にではなく人間の営みとか欲望への調和ではないのか。それとも無意識に人工と自然をダブらせて(勘違いして)いないのか。
4.浮遊
空を飛ぶのは、地上で直立歩行する人間の夢である。
本当に飛んだら危ない感じもする。日常の感覚に合っていないんじゃないか。
5.象徴
建築の耐用年数は数十年~(うまくいって)数百年である。
よって建築はどうしても歴史の一部となるものではなかろうか。とすれば建築は、これからの人間が目指す方向を指し示す物であると同時に現在までのマイルストーンではないのか。
靖国神社は何の象徴なのだろう。
それが造られた時と現在では象徴するものが変わってしまったとも言われる。過去の何かを持ってきて現在の解釈で象徴とするのは危険だろうか。
中国の神様はほとんど実在の人間だ。当時は将軍だったり参謀だったり何がしかの働きをした人が亡くなって今は神として廟に祭られる。廟は神社じゃなくてお墓だ。たぶん当時は評価されていなくても、途中の時代にお話になり劇になりで次第に神格化が進んだ人も多いんじゃないだろうか。それを権力者が取り上げる事がナショナリズムの気運を盛り上げ、国の統治に役立ったかもしれない。中国では今でも亡くなった政治家を再評価して神格化する事が多い。自国の営みの中であれは間違った歴史だとは言いたくないのだろう。もちろん中国ばかりではない。
6.囲む
日本の現代の建築物は外界ときっちり分けるように扉が閉まる。中で誰かが死んでいても数ヶ月間気づかないこともある。昔の家は(30年以上前)縁側があって道を誰かが歩くとお互いに眼が合って挨拶するほどだった。覗こうと思わなくても中のちゃぶ台まで見えていたりしたし、声がして出てみると誰かがうちの縁側に座ってまっていたりもしたものだ。
それがいつの間にか敷地の境に安いコンクリートブロックの塀を立てたり、表から見るとコンクリートの壁にしか見えないような家、柔らかなピンク色の壁と洋風の小さな玄関ドアと車が入る穴のような部分しか露出していない家ばかりが建つようになった。
こんなに変わっても、日本人の男性は家に帰っても「○○会社の△△さん」だし、女性は「××ちゃんのママ」だったりする。家と街は壁で囲まれても心の中の境目はグラデーションなのだろうか。
7.建築への街や自然の導入
人間は人工的に作り出した街や自然の中でも、自然にできたそれと同じような行動をするのだろうか。そうであればその行動パターンを建築の中に再現することで建築は何かを得るだろうか?
街にはいろいろな人がいる。あたりまえだ。街が建築に導入されればそのいろいろな人々が建築に入って行くだろう。でも建築は意図的に作られるもので、プランの中には使う人を想定していたりする。建築の中の人工街の入り口でパスポート、銀行口座の有無、その他の入場資格の有無などを確認したらそれは街ではなくなってディズニーランドになるだろう。
建築に自然を導入したら虫も入って来る。夏は蚊に刺されるかもしれない。そんな所には絶対に行かないだろう。でも蛍だったら許す。建築に自然を導入すると言ってもそれは人間に都合の良いところだけで、完全な自然ではダメだろう。自然との共存を願っても街にクマが歩いていたら困る。人間はかなり自分勝手な動物だ。
共通して言えるのはコントロールできない無秩序を導入してしまうリスクがあると言う事だろうか。
フロアの端から端まで行くのにバスが必要なほどの工場で働いた事がある。そう言う建物の中に入ると自分の向いている方向もポジションも全然わからない。仕舞には時刻もわからなくなってしまう。工場だから街でのように人が歩いているわけではない。
それだけでとても不安に感じるものだ。
人間は群れや自然から離れては生きられない、それは本当かもしれない。
知り合いではなくても周りの人間の様子を見て自分の立場を決めたり、自然を見て心を落ち着けたりしているのだろう。建築は人工のもので、その奥に入るほどあまりに機能的で人工的で恣意的すぎるのだろう。籠に入れられた虫のように弱々しいものになってしまう。
だから適当な距離のところに群れがあり、自然がある事が必要なのだろう。
8.拒絶
拒絶することで外部の何かから内部の営みを守ることができるが、反対に外部との交流を無視して生活することになるし、内部で起こったトラブルから逃げ場も失う可能性があるだろう。周辺環境との共存は不要だろうか? 入り口が狭い=出口も狭い。
9.装う
「装う」意味は何か?
a.同化
b.異化
(c.その両方)
外壁を立てる事は同時にその内側空間を規定することになる。装いはそれにより内部空間と対立しないか? また装う事は偽者を作らないだろうか? 何かのスタイルを選ぶと言う事は、他を捨てることになるが、一部の歴史を肯定しながら別の歴史を否定してしまわないだろうか? 同化する事は公共性や社会性重視の態度であるが、新しい活力を殺してしまわないだろうか?
10.形から入るか?
テニスを始めるのに衣装選びから入っても上手くならないかもしれない。
兵隊「隊長、足が痛くてこれ以上進めません。」
隊長「馬鹿者、皇国臣民一億総火の玉となって闘っておる時に、キサマ何を言っておるか。足に靴を合わせるのでなく、靴に足を合わせろ!」
街や都市はいったい何のためのものか。
もし中国だったら「国家の威信を示すもの」であるかも知れないが、日本はどうだ?
最近の賃貸住宅のチラシには「近くにコンビニあり」と書いてある。コンビニはうちの冷蔵庫や物入れと繋がっている。銀行はお財布と繋がっていて、最近ではその途中に携帯電話やプラスチックのカードが介在する事もある。公園は庭で、家のテレビは電波を通じていろいろな場所と繋がっている。インターネットも同じ。
そう考えると街も都市も家も、家の中身も同じ目的のもののようだ。
だったらそれらを作るのにどこから手をつける?
動物園のオランウータンは毛が長いし地面に座る。自然の中でのように枝で毛が擦り切れることもなければ、伝って渡れるだけの密度で木が生えているわけでもない。オランウータンは地上30cmの高さでも木につかまっているものだ。動物園は人に見せるための形態をしているがオランウータンの生活のスタイルを反映しているものではない。
(以下、どの参考資料にも書かれていない内容なので注意。記事掲載後に追加編集します、たぶん。そして記事が長い事を覚悟すべし。)
1.視覚化
デザイン手法として「視覚化」を使う意味は何だろう。
a.芸術的意味合い
見る者へのインパクトを意識している。
b.見せる事自体が機能
人を誘導したり、機能を見せたりする目的がある。
c.見えてしまう(消極的)
内部を広くしたいので設備が外に出てしまった場合など。
d.上記の複合
例えば構造を視覚化して見せたいと思ったとする。
構造を見せるには構造を見えるところまで引っ張り出して来るか、壁を透明にしてしまう必要がある。見せたい物を見せるのには、全体や隣にある別のパーツをどうにかしなければならないって事だ。
柱「なんだよ下水管、目立たなきゃならないのはオレだろう。何でお前が出て来るんだよ。」
パイプ「仕方ないだろ。お前を目立たせるために壁が消えたんだから。オレまで消えるわけに行かないだろ。中に流れるウンコが丸見えになっちゃうとお前までカッコ悪いぞ。」
映倫「大丈夫、私がパイプさんを黒塗りしておきます。ご安心下さい、モザイクじゃありませんから。」
視覚化すると見せたくないものまで見えるようになってしまったりする。今まで表面だと思っていたものが表面じゃなくなって中にある椅子とか便器とか配水管とかもともと表面じゃないものが表面に出てくることもある。だから部分によってテイストが異なってしまったり表面が煩雑になってしまったり、そんな弊害が出る。
2.文節・分割と言うデザイン手法
省略
(テキストのp37「フィッシャー邸」のところで「暖炉が...偶発的な角度で」と書かれているが、こう言う情緒的記述は止めて欲しいものだ。暖炉の事なんか何も分かっていないくせに。)
3.環境との調和と不調和
イタリー車のデザインはラインを調和させるのが上手いと思うが、アルファロメオなどはどう見ても調和から外れたラインを1本だけ入れる事がある。全てのラインを溶け込ませて全体の美しさを見せると言う通常のやり方でなく、破綻した1本をアクセントにする事で全体を個性あるものにする手法だと考えられる。
意味も不調和
日本の伝統的な住居のスタイルは開放的なものが多い。伝統的集合住宅のような、つまり長屋などでは1つの住居としては構造的にも不完全であるし、そこに住んでいる1家族だけで生活は成り立たない。簡単に言ってしまうと助け合ったりしながら成立している。これは形がそうさせたのか、それが良くて形が決まったのか議論の余地はありそうだが。
そう言う場所に閉鎖的な(鉄の扉で区切られたマンションのようなスタイルの)家を入れてしまったらどうか? 伝統的なやり方は成立しなくなる。しかし、現代的な生活スタイルにコンバージョンしたと言えばそれはそうなのかも知れないが。
自然を認識しているか?
日本人は東京湾を自然の一部である海として認識しているか? 最近はだいぶきれいになったとは言え、やっぱり東京湾岸は工場地帯、荷物の発着所、埋立地であってそれは自然の一部ではなくて都市機能の一部なのではなかろうか。お台場には有名建築家による作品があるし、横浜MM21にはヨットの帆のようなホテルがある。あれは東京湾を自然と認識した上での形なのか。それとも埋立地におけるビジネスセンターや港湾施設(それが観光地であっても)を意識した調和なのだとしたら、自然にではなく人間の営みとか欲望への調和ではないのか。それとも無意識に人工と自然をダブらせて(勘違いして)いないのか。
4.浮遊
空を飛ぶのは、地上で直立歩行する人間の夢である。
本当に飛んだら危ない感じもする。日常の感覚に合っていないんじゃないか。
5.象徴
建築の耐用年数は数十年~(うまくいって)数百年である。
よって建築はどうしても歴史の一部となるものではなかろうか。とすれば建築は、これからの人間が目指す方向を指し示す物であると同時に現在までのマイルストーンではないのか。
靖国神社は何の象徴なのだろう。
それが造られた時と現在では象徴するものが変わってしまったとも言われる。過去の何かを持ってきて現在の解釈で象徴とするのは危険だろうか。
中国の神様はほとんど実在の人間だ。当時は将軍だったり参謀だったり何がしかの働きをした人が亡くなって今は神として廟に祭られる。廟は神社じゃなくてお墓だ。たぶん当時は評価されていなくても、途中の時代にお話になり劇になりで次第に神格化が進んだ人も多いんじゃないだろうか。それを権力者が取り上げる事がナショナリズムの気運を盛り上げ、国の統治に役立ったかもしれない。中国では今でも亡くなった政治家を再評価して神格化する事が多い。自国の営みの中であれは間違った歴史だとは言いたくないのだろう。もちろん中国ばかりではない。
6.囲む
日本の現代の建築物は外界ときっちり分けるように扉が閉まる。中で誰かが死んでいても数ヶ月間気づかないこともある。昔の家は(30年以上前)縁側があって道を誰かが歩くとお互いに眼が合って挨拶するほどだった。覗こうと思わなくても中のちゃぶ台まで見えていたりしたし、声がして出てみると誰かがうちの縁側に座ってまっていたりもしたものだ。
それがいつの間にか敷地の境に安いコンクリートブロックの塀を立てたり、表から見るとコンクリートの壁にしか見えないような家、柔らかなピンク色の壁と洋風の小さな玄関ドアと車が入る穴のような部分しか露出していない家ばかりが建つようになった。
こんなに変わっても、日本人の男性は家に帰っても「○○会社の△△さん」だし、女性は「××ちゃんのママ」だったりする。家と街は壁で囲まれても心の中の境目はグラデーションなのだろうか。
7.建築への街や自然の導入
人間は人工的に作り出した街や自然の中でも、自然にできたそれと同じような行動をするのだろうか。そうであればその行動パターンを建築の中に再現することで建築は何かを得るだろうか?
街にはいろいろな人がいる。あたりまえだ。街が建築に導入されればそのいろいろな人々が建築に入って行くだろう。でも建築は意図的に作られるもので、プランの中には使う人を想定していたりする。建築の中の人工街の入り口でパスポート、銀行口座の有無、その他の入場資格の有無などを確認したらそれは街ではなくなってディズニーランドになるだろう。
建築に自然を導入したら虫も入って来る。夏は蚊に刺されるかもしれない。そんな所には絶対に行かないだろう。でも蛍だったら許す。建築に自然を導入すると言ってもそれは人間に都合の良いところだけで、完全な自然ではダメだろう。自然との共存を願っても街にクマが歩いていたら困る。人間はかなり自分勝手な動物だ。
共通して言えるのはコントロールできない無秩序を導入してしまうリスクがあると言う事だろうか。
フロアの端から端まで行くのにバスが必要なほどの工場で働いた事がある。そう言う建物の中に入ると自分の向いている方向もポジションも全然わからない。仕舞には時刻もわからなくなってしまう。工場だから街でのように人が歩いているわけではない。
それだけでとても不安に感じるものだ。
人間は群れや自然から離れては生きられない、それは本当かもしれない。
知り合いではなくても周りの人間の様子を見て自分の立場を決めたり、自然を見て心を落ち着けたりしているのだろう。建築は人工のもので、その奥に入るほどあまりに機能的で人工的で恣意的すぎるのだろう。籠に入れられた虫のように弱々しいものになってしまう。
だから適当な距離のところに群れがあり、自然がある事が必要なのだろう。
8.拒絶
拒絶することで外部の何かから内部の営みを守ることができるが、反対に外部との交流を無視して生活することになるし、内部で起こったトラブルから逃げ場も失う可能性があるだろう。周辺環境との共存は不要だろうか? 入り口が狭い=出口も狭い。
9.装う
「装う」意味は何か?
a.同化
b.異化
(c.その両方)
外壁を立てる事は同時にその内側空間を規定することになる。装いはそれにより内部空間と対立しないか? また装う事は偽者を作らないだろうか? 何かのスタイルを選ぶと言う事は、他を捨てることになるが、一部の歴史を肯定しながら別の歴史を否定してしまわないだろうか? 同化する事は公共性や社会性重視の態度であるが、新しい活力を殺してしまわないだろうか?
10.形から入るか?
テニスを始めるのに衣装選びから入っても上手くならないかもしれない。
兵隊「隊長、足が痛くてこれ以上進めません。」
隊長「馬鹿者、皇国臣民一億総火の玉となって闘っておる時に、キサマ何を言っておるか。足に靴を合わせるのでなく、靴に足を合わせろ!」
街や都市はいったい何のためのものか。
もし中国だったら「国家の威信を示すもの」であるかも知れないが、日本はどうだ?
最近の賃貸住宅のチラシには「近くにコンビニあり」と書いてある。コンビニはうちの冷蔵庫や物入れと繋がっている。銀行はお財布と繋がっていて、最近ではその途中に携帯電話やプラスチックのカードが介在する事もある。公園は庭で、家のテレビは電波を通じていろいろな場所と繋がっている。インターネットも同じ。
そう考えると街も都市も家も、家の中身も同じ目的のもののようだ。
だったらそれらを作るのにどこから手をつける?
動物園のオランウータンは毛が長いし地面に座る。自然の中でのように枝で毛が擦り切れることもなければ、伝って渡れるだけの密度で木が生えているわけでもない。オランウータンは地上30cmの高さでも木につかまっているものだ。動物園は人に見せるための形態をしているがオランウータンの生活のスタイルを反映しているものではない。
2007/08/25
受験票到着
9月8日、2科目受験(東京)の受験票到着。
1限目:建築環境工学
2限目:建築デザイン論
今回は両方ともに印があった。
前回は片方忘れられていて大学に電話しなければならなかったが。
さて受験勉強に入りましょうか。
1限目:建築環境工学
2限目:建築デザイン論
今回は両方ともに印があった。
前回は片方忘れられていて大学に電話しなければならなかったが。
さて受験勉強に入りましょうか。
2007/08/08
科目終末試験の申込書を送った
建築デザイン論のレポートが帰ってきたので、建築環境工学と合わせて試験の申込みを送った。
9月8日
1限目 建築環境工学
2限目 建築デザイン論
前回は2限目と4限目と間を空けて取ったが、今回は続けてみた。途中が空くと退屈してしまうから。
9月8日
1限目 建築環境工学
2限目 建築デザイン論
前回は2限目と4限目と間を空けて取ったが、今回は続けてみた。途中が空くと退屈してしまうから。
建築デザイン論のレポートが帰ってきた
評価は「A」だった。
講評は分析方法、表現方法ともに良いとの事。
ただ、選んだ建築(川崎市立川崎病院)に分析ポイントが少なかったとの事で、もう少し複雑な建物を選ぶべきだった。
確かにクレージーゴンは力学的にバランスを保つ必要と、病院と言う用途から分かり易く構成する必要がある等の理由から、あまり凝った形状にはしなかったのだと思われる。(建物については以前書いたのでここでは省略。)
写真は分析して表現した図のうちの一つ。実際の病院の柱と斜梁は赤でない。これはバイクとの類似を示すために着色したもの。中央の小さい絵は手描き。
クレージーゴンも載せたかったが良い写真が見つからなかったので断念した。
2007/07/07
建築デザイン論のレポートを提出
クレージーゴンについて書いたレポートを郵送した。
見直せば見直すだけ書き足りないような気がしてくるので、もう見ないでそのまま封印してしまう。郵便局は土曜日の午前中は開いているのかと思っていたら休みだったから、図書館に本を返すついでに自転車で開いている大きい方の郵便局の窓口に置いてきた。今日はレポートと表紙合わせて6枚なので15円で済んだ。お天気は雲行きが怪しくなってきていたが雨はまだらしい。助かった。
今日はこれから上野の国立西洋美術館に行ってみようかと思っているが、思案中。ル・コルビュジエの作った日本に唯一の建物を見るために。だから常設展だけ、学生証で130円だ。お天気が良い日の方が良いだろうか。
見直せば見直すだけ書き足りないような気がしてくるので、もう見ないでそのまま封印してしまう。郵便局は土曜日の午前中は開いているのかと思っていたら休みだったから、図書館に本を返すついでに自転車で開いている大きい方の郵便局の窓口に置いてきた。今日はレポートと表紙合わせて6枚なので15円で済んだ。お天気は雲行きが怪しくなってきていたが雨はまだらしい。助かった。
今日はこれから上野の国立西洋美術館に行ってみようかと思っているが、思案中。ル・コルビュジエの作った日本に唯一の建物を見るために。だから常設展だけ、学生証で130円だ。お天気が良い日の方が良いだろうか。
2007/07/06
建築デザイン論のレポートを書いてみた
建築デザイン論のレポートを書いてみた。
課題は適当な公共建築を選んでデザインコンセプトや空間構成を分析しろとの事。
近所に題材になりそうな建築が有るような、無いような。つまりはそれほど興味が持てるような公共建築が無かったのだけれど、迷った挙句候補を「チネチッタ」と「川崎市立川崎病院」に絞込む。調べてみるとどちらも資料がそれほど多くは無いらしい。つまり世間での注目度は低かったのだろう。仕方ない。
070715追記
チネチッタは商業建築であって公共建築ではない。
そんな事も知りませんでした。病院は大丈夫だと思う。
何を書こうか迷ったが、ウルトラセブンに出てきた宇宙ロボット怪獣「クレージーゴン」にそっくりな「川崎市立川崎病院」に決めた。キーワードを4つに絞り、その各々について1ページづつ書くことにした。選んだキーワードはこれ。
「浮く」「見せる」「つなぐ」「人の動線を見せる」
「浮く」
この建物を外から見た時の一番の特徴が「浮いている」だ。
浮くと言っても風船のように軽いから浮いているのではなくて、重いのに頑張って浮いている感じだ。仙台メディアテークなどとは正反対で重量感を消そうとはしていない。むしろ強調していて江戸東京博物館の方に近い印象の浮くだ。江戸東京博物館は象かサイのような足が四隅に付いていてどっしりと踏ん張っているがこちらはヤジロベエ式にバランスをとっているからもっと凄い。凄い不安定感や危機感を感じる。こんな建物は珍しいんじゃないだろうか。
「見せる」
見ての通り、トラス梁が完全に露出して見える。
これに一番似ているのはモーターサイクルじゃないだろうか。クロモリ鋼のトラスフレームが金属の塊(エンジン)を抱えて、しかも1本足でバランスしている。見た目は不安定だが実に安定して立っている姿が似ている。レポートにもバイクの写真を並べてみた。ついでに建物の梁もバイクと同じ赤に色付けしておいた。
「つなぐ」
この建物の足の左右にある別棟は構造も用途も全く異なる。驚くことに、元々この別棟のところには旧棟が存在していて、それは何とこのヤジロベエの施工中にも病院として稼動していたらしい。頭上で15階もの建物が建設されていながらも旧棟の病院は患者を診察したり入院させたりしていたと言うことなのだ。
従ってこのヤジロベエが完成した後にその旧棟は壊されて、その後に別個に作られた建物を繋いだことになる。施工中を見てみたかった。
「人の動線を見せる」
外観の意匠は実は病院と言う建物にとってはどうでも良いことだ。地味ながらこの「人の動線を見せる」方がこの建物にとって本質的な問題であったらしい。
であるから中身は単純なる長方形であり、通路も長方形の回廊となっている。アトリウムには通路とエスカレータが露出していてこれも実に分かりやすい。災害時に慌ててどちらに走ってしまっても逃げられる。六本木ヒルズなどろは全く反対なのである。
レポート的にはどこかに比例美などを検討すべきだったのだが、絵に描いてやってみるとやはり力学先行で設計されているらしくそれらしき処が見つからない。比例は割愛した。
今回はレポート用紙の方眼紙側を使うようにとの指示だったので始めてフルにパソコンで書いてみた。やっぱり楽だった。レイアウトの都合を考えればプレゼンテーション用のアプリで書くべきかと思ったが、最終的に印刷だったのでDrawを選ぶ。どっちが良いのかわからないが。
登録:
投稿 (Atom)