評価は「A」。
「路地が店舗であるのは良いと思う」と、そこだけは評価していただいたが、これが一体どこの街に会うデザインかと言う疑問点は書かれてしまった。確かに頭の中で街路樹のある街路を想像して、云わば勝手に想定していただけなのでこれを見せられた方はそう思うだろう。その部分はリアリティーが欠如していたと言えなくもない。具体的な場所(課題の文章に書いてあるような街を探して)を指定する方が、当たり前だが、良かっただろう。
M先生はさすが建築家であって、現実的な指摘をされている。真冬や天候の悪い日は、室内で飲食可能な空間も庇も用意していないがどうするか、個室(だけ)は壁で囲まれているが制約にならないか、窓が少ない事から日当り湿気風通し、室内が暗く無いか、パン工場に出入り口をもう一つなど。
客室を設けなかったのはこれは意図的なつもりであったが、パン屋としてはどうなのだろう? 街のパン屋を見ているとカフェのように大きなスペースを割いていても、それが青山や駅ビルのような所でない限り、それほど客が入っている気はしない。それほどのスペースを用意すると昼時以外でも集客できなければかえってリスクが大きいように感じる。個人経営のパン屋にそれが可能だろうか。そのあたりは具体的な数字が無いので何とも言えないところである。
窓の少なさ、これも書きはしなかったがその通り。まじめにパン作りをすると言うのは早朝どころか深夜2時に起きて仕事を始め、昼の2時には寝ると言う生活もある。だから空調・換気・照明は機械設備に任せることにした。小さな窓の遮光カーテンを閉めれば昼か夜かわからない方が良いかと思っていたためだ。パン屋でなくても三交代の仕事をするとそう思うのではないだろうか。そのために祖父母夫婦、夫婦の部屋は離しているが2Fにまとめ、普通のサイクルで生活するであろう子供たちは3Fに分離している。何を想定したか、ちゃんと説明を入れるべきだったと思う。
立面形状については「パンですか?」とだけ書かれていたが、これも何も説明はしなかった。確かにふっくらした屋根はパンのように見えなくも無いが、これは単なる「形」のつもりなので「?」と疑問符が付いて正解だったと思っている。
模型についてはコンセプトモデルだけだったのはやはり良くなかったと思う。ちゃんとプレゼンモデルも作るべきだったろう。コンセプトモデルは中央通路の日当りを気にして作ったもので、完全にコンセプトモデルとは思っていなかったけれど、ここはやはりプレゼンなのだからもう少し時間をかけて模型を作る必要はあったと反省するところだ。
評価は悪くはなかったが、「仕方ないな」と思われた可能性は高いだろう。次回はこの講評を参考にもう少しがんばってみよう。
新ブログ「もんく+a : reloaded」へ移行し、建築仲間Team OBASUの活動記録を投稿します。
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(2021年~)
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コンテンツ概要
2009~2013年:建築物と建築についての雑記です。
2007~2009年:大学の課題に関するノートです。
2008/04/16
2008/04/01
建築設計Ⅰ-2提出
建築設計Ⅰ-2の課題を提出した。
パン屋にとって重要なのはパン屋自信であるが、それよりもお客さんが大事であるので、お客さんのための空間を先にデザインしてる。だからタイトルは「xxxxのパン屋」ではなく、「隙間-パン屋のあるすきま-」となっている。
家としての機能についても少し変ったデザインをしてみた。先日このアイデアのイラスト描いておいたが、石庭のように固定された機能とその周辺にある流動的な空間配置を試みた。(いろいろ言いたい事もあるがここでは省略。)
外観からはパン屋さんのようには見えないと思う。外側にパン屋の部分は全く露出していない。これは以前の黒川紀章の研究を反映してもいるし、正月の初詣客の観察も反映させているつもり。だからどうしても反対側に突き抜ける空の抜けた通路が必要だった。
平面図は建築設計Ⅰ-1(スクーリング)の時の作品に似ている(知っている人には)と思われるかも知れないが、これでもこれが8案目で発想は全く別物のつもり。似ているのは後から気付いた。
2008/03/31
建築設計のパース
2008/03/28
パン屋のアイデア
パン屋さんの設計のアイデアの幾つかをメモしておく。
この絵を見ても何の事やら?だろうと思う。
きっと後で自分が見てもわからないと思うので解説。
一番上の絵は竜安寺の石庭のようなもの。
石はコケが生えるほど変らないが、家の中にも人が生活する限りにおいてあまり変えられないものがある。食べる事、風呂に入ること、寝ることなどがそれだ。そう言う機能は石のように固定しておくことにした。
波打って流れる砂利の部分は流動的でどうにでもなる部分。建築家がここはこう使うだろうと思って設計しても固定されていると時間が経ってから何かしら不都合が出たり、事情や環境が変わって使い難くなる事は想像できる。であるからある程度まとまった空間を何にでも使えるようにしておく。図面にも具体的な家具を仮想線で描いたり、xx室などと書いてはおかない。
逆にそうすることで家主さんがいろいろアイデアを出しながらエイジングしていく事を考えた方が楽しんでもらえるだろう。それに固定された石のような空間の周りとの距離感をいろいろに感じるなどと言う微妙な楽しみ方ができたりしたらもっと楽しめるかもしれない。これはちょっと建築趣味的でありすぎるか?
2番目の絵は犬がオシッコでテリトリーを作っている図。
家族と言えども個人個人なのであって、ある程度のテリトリーは作られる。お父さんはお母さんにうるさく言われない書斎で本を読みたいと思うだろうし、子供も男の子と女の子の兄妹なら必然的に時間の使い方も違ってくる。
しかし、テリトリーを仕切るのに壁では重過ぎると思う。もっと時々の事情に合わせて流動的であっても良いだろうと考える。だから壁は極力用いないことにする。その代わりに何を使うかはいろいろ考えてみた。もちろんオシッコの臭いってわけじゃない。
3番目の絵は糸を引いた蟻さんがお互いの糸を結ぼうとしている図。
地域のお店と言うのはただ物を供給するだけでもその機能としては満足なのであるが、それだけではライバル店が近所にできた時に、例えば大きなスーパーができてそこに安い量産されたパン屋が入っただけでそっちに移ってしまうお客さんだって少なくはないはずだ。だから初めからパンを売るのは当たり前品質と考えてそれ以上のものである方が良いだろう。(普通の考え方だ。)
以下は想像通りなのであえて書くまでもないだろう。
もう一つ、地元のパン屋さんは自営業者なので時間もお金も私生活と商売で完全に分ける事が難しい。急いで食事を掻き込んでまたすぐパン作りをしなければならないだろうし、お店用と家庭用の物をいっしょに買ってくることもある。ならば、割り切って私生活とお店をある程度混ぜてしまってもそれはそれで楽しいものになるのではないか。お客さんにとってもどこから来てそのショーケースに並んだのかわからない物を食べさせられるより、この人が作っているパンと分かる方が良いと思う。「いらっしゃいませ」で始まり「ありがとうございました」で終わる買い物にはしたくない。そう言うのはコンビニやファミレスに任せておこう。看板が綺麗に書かれていなくても「こんにちは」って普通の挨拶で普通に迎えてくれるパン屋さんを作ってはどうかと思うのだ。
そんな事と以前に現代建築論で調査した黒川紀章の考えかたをミックスして図面を引いてみた。そうしたら建築設計Ⅰ-1(スクーリング)でやった住宅と何だか似てきたようだ。
2008/03/25
CADは苦痛
建築設計Ⅰ-2で設計の練習をしながらCADで作図をしている。
どうしてもCADで引ける線に頼るように頭が働いてしまうのを感じて苦痛だ。トイレの両壁は真っ直ぐ平行でなければならないわけではないだろう。仕方なしに家の隅っこに置かれるトイレなど描く価値があるのだろうか。
どうしてもCADで引ける線に頼るように頭が働いてしまうのを感じて苦痛だ。トイレの両壁は真っ直ぐ平行でなければならないわけではないだろう。仕方なしに家の隅っこに置かれるトイレなど描く価値があるのだろうか。
2008/03/21
猫はどうして
建築設計Ⅰ-2で「パン屋さん」の設計をしている。
....している、とずっと考えているとどうしても「パン屋さん」を造ろうと思ってしまう。
でもそこにはパン屋さんを営む家族が住んでいる。つまりパン屋さんであると同時に普通の住居でもあるわけで、そちらを疎かにするわけにもいかないのだと思い返す。お店も家も両方同時に造らないといけないのである。
パン屋さんを営む家族はきっとパン屋さんの商売がうまくいく事を願っているだろう。しかし同時に家族の生活にもそれを望んでいるだろう。となれば、家を設計したときにその家を見てその家族にはちゃんと自分の家だと認識してもらわなければならない。
猫は引っ越してもその家を自分の家だと認識するのにたいへん時間がかかる。ダンボール箱に布を入れ、餌を置き、臭いを付けて快適にしてやってもなかなか自分の居るべき場所だとは思わない。最後には半ば諦めさせるようにして家だと認識させなければならない。
それに対して人間は順応性があるために、自分の家と考えてそこへ入ることに躊躇が少ないだろう。逆にそうであるからちょっとした違和感に対して設計者に何も言ってくれないかもしれない。少しの無理をずっと我慢して住み続けてしまうかもしれないだろう。
そのあたりをちゃんと考えて描かないといけないのだろうと思うが、CMのように「帰りた~い、帰りた~い♪」となる家はどうしたらできるのだろうか。
....している、とずっと考えているとどうしても「パン屋さん」を造ろうと思ってしまう。
でもそこにはパン屋さんを営む家族が住んでいる。つまりパン屋さんであると同時に普通の住居でもあるわけで、そちらを疎かにするわけにもいかないのだと思い返す。お店も家も両方同時に造らないといけないのである。
パン屋さんを営む家族はきっとパン屋さんの商売がうまくいく事を願っているだろう。しかし同時に家族の生活にもそれを望んでいるだろう。となれば、家を設計したときにその家を見てその家族にはちゃんと自分の家だと認識してもらわなければならない。
猫は引っ越してもその家を自分の家だと認識するのにたいへん時間がかかる。ダンボール箱に布を入れ、餌を置き、臭いを付けて快適にしてやってもなかなか自分の居るべき場所だとは思わない。最後には半ば諦めさせるようにして家だと認識させなければならない。
それに対して人間は順応性があるために、自分の家と考えてそこへ入ることに躊躇が少ないだろう。逆にそうであるからちょっとした違和感に対して設計者に何も言ってくれないかもしれない。少しの無理をずっと我慢して住み続けてしまうかもしれないだろう。
そのあたりをちゃんと考えて描かないといけないのだろうと思うが、CMのように「帰りた~い、帰りた~い♪」となる家はどうしたらできるのだろうか。
2008/03/12
建築設計Ⅰ-2にとりかかる
建築設計Ⅰ-2の課題のパン屋さんの設計を始めた。
以前にも黒川紀章を考えている時にアイデアの端っこが出てきたりしていたが、そのときから頭の中は進んでいなかった。考えていてもなかなか出てくるものではないので、白い紙にスケッチしてみたり近所を歩いてみたりして少しだけ進めてみた。
人はどんな所を通りたいのか、どんな所を通りにくいと感じるのか、反対に留まりたいと思うのかを考えてみた。少しアイデアが浮かんだ。
この後は何かアウトプットしてみなければ、と思っていきなり図面を描くのは止めよう。見るのがあのM先生なのだから、やっぱり模型から入るべきだろうと思う。これも良いアイデアだろうか?
以前にも黒川紀章を考えている時にアイデアの端っこが出てきたりしていたが、そのときから頭の中は進んでいなかった。考えていてもなかなか出てくるものではないので、白い紙にスケッチしてみたり近所を歩いてみたりして少しだけ進めてみた。
人はどんな所を通りたいのか、どんな所を通りにくいと感じるのか、反対に留まりたいと思うのかを考えてみた。少しアイデアが浮かんだ。
この後は何かアウトプットしてみなければ、と思っていきなり図面を描くのは止めよう。見るのがあのM先生なのだから、やっぱり模型から入るべきだろうと思う。これも良いアイデアだろうか?
2008/01/20
ゴミ箱の集客力 -パン屋設計のための調査
ゴミ箱は看板より集客力があるかも知れない。
路上観察していると、ゴミ箱の周りをお客さんが取り巻いている光景が目に付く。最近はやたらとゴミを路上に捨てる人が少なくなったようだ。食べながら歩く人は少なくないが、ゴミ箱があるところまで行って立ち止まってゴミを捨ててからまた歩き出すようだ。
以前聞いた話では缶飲料の自動販売機の横にゴミ箱が有る方が缶飲料も売れるらしい。また、自動車道路に何の表示も無ければゴミを窓から捨ててしまう人が多いが、「ゴミ箱この先xxメートル」と看板が出ていると道路がゴミだらけにならないと聞いた。路上売りにおいてゴミ箱は侮れないものであるらしい。
さらにもう一つ侮れない存在はベンチである。食べたい、飲みたいという衝動に「座って」とか「落ち着いて」と言うニュアンスが含まれるのであろうか、ベンチの集客力もバカにならないようである。路上のベンチは、店内の椅子とテーブルに比べて拘束力が弱い。そこで買ったものを食べながら持ってきたペットボトルのお茶を飲んでいても罪悪感を感じ難いのだろう。
ベンチに順ずるものとして、フードコートのような場所がある。特に安いもの、例えばファストフードやパン、お弁当などを食べる時に心理的拘束を感じずにスーパーで買った別のものを一緒に食べたりできる。
ベンチも侮れない。
路上観察していると、ゴミ箱の周りをお客さんが取り巻いている光景が目に付く。最近はやたらとゴミを路上に捨てる人が少なくなったようだ。食べながら歩く人は少なくないが、ゴミ箱があるところまで行って立ち止まってゴミを捨ててからまた歩き出すようだ。
以前聞いた話では缶飲料の自動販売機の横にゴミ箱が有る方が缶飲料も売れるらしい。また、自動車道路に何の表示も無ければゴミを窓から捨ててしまう人が多いが、「ゴミ箱この先xxメートル」と看板が出ていると道路がゴミだらけにならないと聞いた。路上売りにおいてゴミ箱は侮れないものであるらしい。
さらにもう一つ侮れない存在はベンチである。食べたい、飲みたいという衝動に「座って」とか「落ち着いて」と言うニュアンスが含まれるのであろうか、ベンチの集客力もバカにならないようである。路上のベンチは、店内の椅子とテーブルに比べて拘束力が弱い。そこで買ったものを食べながら持ってきたペットボトルのお茶を飲んでいても罪悪感を感じ難いのだろう。
ベンチに順ずるものとして、フードコートのような場所がある。特に安いもの、例えばファストフードやパン、お弁当などを食べる時に心理的拘束を感じずにスーパーで買った別のものを一緒に食べたりできる。
ベンチも侮れない。
2008/01/17
パン屋設計のための人の移動調査
建築設計Ⅰ-2「パン屋の設計」のための予備調査。
正月に課題について何も出来なかったので通りを見ながら考えたことを簡単にまとめた。
通りに向った店面における人の動きと庇(ひさし)の効果について。
概要
1.同じ通りで店面に庇がある店と無い店では、有る店の方がお客が立ち止まるようだ。
頭の上に何も無いよりも有る方が1つの区切られた空間に入ったような感じがするように思う。壁は4方のうち1面しか無いので入り易いが、一度庇の下に入ると何も無いよりは少し安心できるように感じないではない。屋根の無い商店街よりアーケードの方に人が集まるのと同じではないか。
2.庇の大きさにも関係があるようだ。
歩道の庇が別の店のそれと繋がっているとアーケードのように通り過ぎることができるので人は店面に留まらないのかも知れない。隣と繋がっていてはいけないように思われる。
3.また、歩いて行く先の向こう側が行き止まりではなかなか足を踏み入れることができないようだ。店であれば本当に用がある(買いたい希望が強い)場合でなければ警戒心が生まれる。一見通路に見えるのが良いようだ。
4.スピードダウンの効果
店面に興味深い物が置かれていたような場合、歩くスピードは落ちる。スピードが落ちると店面の距離の中にいる人間の数が多くなる。それを見て他の人がやはりスピードを落とすので加速的に人の数が増加していく。例えば食べ物が売られている店であった場合には1人のスピードはゼロとなり、さらに滞留効果は増す。人間はお店に置かれている物に興味があると言うより、人間の方に余計に興味があるように見える。多くの人間がそこにいればそれだけ興味が増して寄ってくる。
5.通路への出っ張り
通路に少しだけ出っ張るようにテーブルや展示テーブルが出ていると良い。出ていないより出ている方が滞留効果が大きい。お客をまっすぐに歩かせず少し蛇行させると良いようだ。
定量的な調査ではないので実際の効果などはわからない。これをどう利用するかも別途考えるべきだろう。このまま普通に歩道面への応用ではたいした事はない。
2007/10/25
黒川紀章とパン屋
現代建築論のために黒川紀章を読みながら、次の課題である建築設計Ⅰ-2のヒントを無意識に探してしまう。
今までは順序として近代に触れる事が多かったのだが、黒川紀章を読んでやっと近代とその後との「継目」に触れることができた気がしている。同じメタボリズムの他の建築家からは黒川紀章ほど強烈で明確な継目を意識はできなかったのだが。
ところで、上の絵は「黒川紀章ノート」を読みながら建築設計Ⅰ-2(パン屋の設計)のために書いたメモ。(本にはパン屋の事は書かれていない。)
パン屋をパンを作って売るだけの機能として捉えるだけにはしたくないと思っている。最近は個人経営のパン屋でも、ドアを入ると「いらっしゃいませ」で始まるコンビニやファストフード店と同じ接客をする店が多い。そのやり方は確かに無難で不可はないのだが、それでは単にパンを買う機能を果たしているに過ぎない。人間が動かしている自動販売機みたいなものだ。
そう言う店は買わないで通り過ぎる人間にとっては無である。毎日歩くその道にある個人経営のパン屋が通路の壁であってはつまらないだろう。
生活の側から見ればパン屋はその一つの部分であるし、街の機能から見ても部分である。そして店の場所はその繋ぎ目なのである。パン屋を営む人間から見でば、パン屋は外の世界と生活の繋ぎ目である。自営業は生活を業務の区別はサラリーマンのようにハッキリ分ける事はできないものであるから、店を単なる収入のための道具と割り切る事はできないはずだ。
2007/10/24
黒川紀章 その2
黒川紀章の資料に選んだ「黒川紀章ノート」が厚い本でなかなか読み終われない。
この本は1994年に発刊されたもので、それまで三十数年間の黒川紀章の思索の経緯が綴られている。本人がそれについて書いているので読み方によっては自己顕示欲の産物のようでもあるが、時代によって考えた事はその都度ユニークである。そこに使われる言葉も所謂(いわゆる)建築用語ではなくて、黒川用語であり、その定義まできちんと説明している。だから一般の建築評論における文章と違って読み易い。ありがたいことだ。
日本の伝統についての見方もよく研究された成果と言ってよく、よくある伝統構法の部分的な特徴を西洋のそれと比較して「こうだ」と断言するような議論とは随分と異なる。大学院の時代からこうだったのでは嫉妬深い人々からはさぞ煙たがられたのではないかと想像できる。
まだ全て読み終わってはいないがこの現代建築論以外に、建築設計Ⅰ-2の課題のヒントもここにありそうな気がしてきた。
参考資料
「黒川紀章ノート 思索と創造の軌跡」黒川紀章 同文書院
この本は1994年に発刊されたもので、それまで三十数年間の黒川紀章の思索の経緯が綴られている。本人がそれについて書いているので読み方によっては自己顕示欲の産物のようでもあるが、時代によって考えた事はその都度ユニークである。そこに使われる言葉も所謂(いわゆる)建築用語ではなくて、黒川用語であり、その定義まできちんと説明している。だから一般の建築評論における文章と違って読み易い。ありがたいことだ。
日本の伝統についての見方もよく研究された成果と言ってよく、よくある伝統構法の部分的な特徴を西洋のそれと比較して「こうだ」と断言するような議論とは随分と異なる。大学院の時代からこうだったのでは嫉妬深い人々からはさぞ煙たがられたのではないかと想像できる。
まだ全て読み終わってはいないがこの現代建築論以外に、建築設計Ⅰ-2の課題のヒントもここにありそうな気がしてきた。
参考資料
「黒川紀章ノート 思索と創造の軌跡」黒川紀章 同文書院
2007/10/19
パン屋設計のための調査
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