2007/11/30

堀木エリ子の世界展 at 横浜そごう

「堀木エリ子の世界展 和紙から生まれる祈り」を見てきた。

堀木エリ子は和紙を使った灯や空間デザインをしている方だ。日本の伝統工芸を現代の建築やインテリアに用いることができるように、つまり守りの伝統から使える伝統への橋渡し役のような事をしているように受け取られた。

単なるデザインでなくビジネスや技術開発としてもよく考えていて、単なる芸術家ではない。(創造の中身はHPに詳しいので触れない。)


そのデザインはやはり現代的であって、所謂「和モダン」である。(こんなお手軽な単語に集約してしまうのは失礼かと思うが、長くなるのを避けるためと思ってお許しいただきたい。) 幾何学と伝統柄、そこに偶発的なテクスチャや色が重ね合わされ用いられている。

偶発的と言うのは本人の言うに、水の流れや水滴の飛び方のような人がコントロールできない部分である。焼物でも釜から出てくるまで色の出方や縮みによる変形は名人でもわからないと言うが、それと似たような事かと思われる。

建築では木材の経年変化や壁面のツタの這い方程度しか思い浮かばないが、焼物や和紙のように偶発性を使用する工芸的な手法と言うのは出来ないものかと思う。作る前から全て計画された方法が主であるが、湯呑や花瓶を作るように建築ができても良いかも知れない。

互換CADと言う選択は

CADはもちろんプロ用のアプリケーションなので価格が高い。


そこで出てくるのが互換CADである。

AutoCADの互換CADは主に3種類あるようだ。各社のサイトを見る限りにおいて、見た目もコマンドもAutoCADとほとんど同じ。ファイル形式も同じでまさにクローンと言っても良いほどのもの。これで訴えられないものかと人事ながら心配なければならないほど。

インテリジャパン社
IJCAD 6 Architectural(建築用パッケージ\157,500)

コスモエレクトロニクス社
IntelliCAD+adpack-Desir(建築用パッケージ\118,000キャンペーン)

チャム・ジャパン社
ZwCAD(汎用\100,000)


どれも元ネタは同じインテリCAD(各社にソースコードが公開されている)である。
DWG2008がそのまま読み込み編集可能と書かれている。それにこの程度の値段だったらパソコン1台程度なので買えないこともない。

AutoCADと同じコマンドが使えて普通に図面が描けるならそれで練習用には充分であるような気がするが、どこまで互換があるのか、何か致命的な不都合がるのかを自分のスキルで判断できない。その為体験版のダウンロードを躊躇している。


これを読んでいる方でAutoCADを使われている方、体験してレポートしていただけたら助かります。

2007/11/29

建築家の文章の読み方は

これまで何人かの建築家の文章を読んで来た。
そこから感じたことに加えて、傾向と対策を考えてみた。


現代建築家の書く文章の特徴は、

(1)同じ事を何度も説明したがる。
これは本来の仕事をしながら時々 (求めに応じてか?) 書いているものをまとめて1冊にした本が多いこともあるが、結局それほど要点と言うものが多くは無いらしい。文章の中に自らの作品の解説を入れながらその思想を説明するわけで、異なる建築物に対して同じ思想の説明が入るのは納得がいく事だ。

(2)自分で適当に勝手に定義した単語を使いたがる。特に心理学用語らしきものが多い。
建築は言語に近い芸術と言う人も多い。物事を説明するのに建築の思想に対応する単語が必要であるのだろう。但し、その単語の概念は一般的では無いのであるから、何とかして説明していただかないと困るが、相手が建築であるためにそれはかなり難しい仕事である。建築家も作品を説明するために苦労するのである。

(3)過去に学んだ事を勝手に解釈して言い切る。
建築家だって学生時代はあったはずで、学生時代に我々と似たような書物を読んで何かしらを得たはずだ。その時にどんな学び方をしたか、もしかしたら当時流行の思想の上に解釈していたかもしれない。ある部分はそのままそれで解釈が止まって固定された事もあるだろう。


なので適当に飛ばし読みして、つまらない文章やまた同じ事言ってると思ったらそこは読まない。子供に説明できないようなわけのわからない文章には真面目に付き合わない方が良い。どうせ本人も迷ってるのだろうし、きっと次の本の時には別の事を言っている。それは悪いことではなくて、考えている証拠だろうから。



雑誌などで建築家どうしが対談した内容が掲載されていることがある。そんな場合、絶対相手を批判したりはしないことになっているようだ。予め喧嘩にならない相手をセッティングするのだろうか。褒めあっているだけでほとんどの場合面白く無い。しかも、会話しているようで勝手に自分の事を言い合っていて会話にもなっていないようなのがある。

建築家どうしでないインタビュー記事でもそんなのがあったりする。建築家の先生の話がすぐに建築の細部に入っていってしまうともう話が袋小路に入って、結局はありきたりのところで終わってしまったり。

そう言うときの文章はかなり割り引いて読む必要ある。


何でも相対化して遠くから眺めていないとひどい目にあいそうに思われる。
ル・コルビュジエや過去の巨匠がどうだと言う話題になると絶対化してし神のように扱ってしまう事がある。多分巨匠本人はそう扱って欲しくはなかっただろうし、読む方はそこから先に行くチャンスを捨てることになるのではないだろうか。「建築家XXXのXXXと言う作品が良い」と言う時に、その何処が何故良いのか言葉で説明できないとやはり失礼だろう。

2007/11/28

安藤忠雄の空間構成 その2

レポートに使う文章と挿絵が出来た。

先日来書いていた安藤建築に関する文章の内容から大きく外れる新しいアイデアも無かったのでここでは再度書くことはしない。



仙川と言うところ
新宿から京王線で30分以内にある。
駅に降りると思いの外小さな駅で、駅前から四方に路地が広がる。広がると言っても路地の終わりまでは徒歩で5分かそこらしかない。路地には小さな駅であった割にどこにもあるチェーンの飲食店が多い。区画整理が順次行われているのか新しさとローカルな感じが入り混じる街であった。

安藤ストリートへは駅から徒歩で5分もかからないだろうか。角を一つ曲がるともう安藤建築だなとわかるコンクリートの尖った建物の一部が見える。その尖った建築物にたどり着くと区画整理で生まれた歩道付き2車線道路で、それがもう安藤ストリートである。

安藤ストリートを見てすぐ分かる事が2点ある。1つは安藤忠雄設計の建物が右にも左にも細長く続いていると言うことと、安藤建築の前の歩道だけなぜか電線が無い事だ。新しくできた道路だから電線が無いのか、それとも安藤建築の前だから無くしたのかはわからない。


よく、閉じた建築、開いた建築と言う言い方をするが、この安藤ストリートにある安藤建築はどちらかと言えば「閉じている」と感じられるものであった。車の多い通りに対して住宅が開いているのもどうかと思うので、それはそれで考えたのだと思う。住宅の向いにある公共建築はもう少し開いた感じがしても良さそうなものであるが、(建物の壁が一部欠けているような形でエントランスがある) これもまだ工事中でどうなるかわからない。実は車道側より裏側の方が人通りが多いし、そちら側も工事中であるので車道側は裏口扱いかもしれない。

全て完成し、人の通りが安定してから再度見てみたいと思う。その時に住宅棟の表にある店舗に人が入るかどうかも楽しみである。


ところで、この仙川と言う街であるが、歩いて回れる範囲のどこを見ても昭和から平成にかけて作られたような割に新しい戸建住宅ばかりである。安藤ストリートの少し先に大きな古いお屋敷が1つだけあったが、それ以外は、(誤解を承知で) 日本のどこにでもあるつまらない街並みに見える。

都市計画の用語にスプロールと言うのがあったが、まさにその結果生まれた街のように感じられる。ここはその昔どんな土地であったのか、住んでいる人のほとんどが何も知らないかのような、そんな風な気がしてしまう。もちろん調べているわけではないのでそれは間違った印象かも知れないが。


以前に代官山ヒルサイドテラスを取材したことがあった。
あれは一人の地主が一人の建築家(槇文彦)に依頼して長期計画で一つの街を作った特殊例と理解しているが、この安藤ストリートも出来方としてはそれに近い。ただ、もちろん街が違うので同じ答えは出てこない。代官山は当初は多分誰がどんな個性の人間がそこを使うかはっきり分かっていたのではないかと思う。現在のように観光地ではなく、東京にしては落ち着いた生活者の街であったと考えられるからである。

しかし、仙川の場合はスプロールによる無秩序開発の後始末を行政がやる機会に乗じてと言うことなので、普通に考えたら土地を読みにくのではないだろうか。それほど個性が無いからだ。

逆に、安藤忠雄を採用することがそれを作り出すのであろうか。無名の建築家であったらどんな良いものを作ってもそれは難しいだろうと想像する。安藤忠雄を検索する人は山ほどいるが、「東京アートミュージアム」や「仙川」で検索する人はほとんどいないだろうから。


だとしたら建築家冥利に尽きますねえ、安藤さん。

2007/11/27

安藤ストリート探検



安藤ストリートを見てきた。

この建物群はなぜ長方形がずらされているかと言うと、敷地の形に裏側の線を合わせたからだとわかった。台形の土地に台形の建物を描かなず、長方形を組み合わせたと言うことである。


結果から言えば、鳥瞰図に見られるあの角度をずらした長方形は、地上から見ている時にはあまり気にならないものであった。地面に出来た三角形は鋭角で、そこにはちょっとした植栽があったりするだけだ。あそこが薄い長方形の植え込みでも特に変わらないような気がする。

一番ズレが大きく見えるのは写真のように上空である。しかしこれは道路を隔てた反対側から見たときに気付くのであって、その建物を使うために近づいた場合にはほとんどわからず、効果を上げているとは思えない。もちろん、住宅なので住んで中からどう感じるかは別だろう。今日は中に入れるところが一つもなかったのでこれは分からない。


同じことが表参道ヒルズの商業施設部分エントランスに言える。あの大きな切り欠きは上空から見ると大きなV字が見える。切り欠き部分のエッジでなくて、ボールドフォントのような厚みのあるV字が。

しかし、あの建物を歩いて見る場合、つまり使う立場で近寄っても見ることは出来ない。中に入ってその痕跡を確認しようとしても何も無い。


やはりナスカの地上絵なのである。

2007/11/26

安藤忠雄 その他

安藤忠雄の言葉は分かるようで分からない。

ル・コルビュジエ、黒川紀章やフランク・ロイド・ライトと比較するとその理由ははっきりするだろう。歴代の巨匠は自分で言葉と概念を作っていた。だから、言葉を発する時にその定義を一般の言葉ではっきりと説明してから用いた。

続く安藤忠雄世代の建築家はその言葉を定義されたものとして使う世代なのである。しかし、その言葉の定義は時とともに曖昧になって用いられるようになってきている。すると、その定義を読みながら追う必要が出てくる。

例えば以前に書いた「有機」であるが、これも安藤忠雄は幾何学的形状に対する形状を表す言葉として使用している。そう言う事が多くあって、そんなに単純で良いのかどうか迷わされるのである。



そう言ったわけで、著書を読む事はこれで止める事にした。


迷った挙句、GoogleEarthで上から見ていたのであるが、これが以外に収穫があった。
安藤建築は鳥になって見ると特徴がある。近くまで行ってコンクリートの地肌を見るよりもよほど特徴があると分かったのである。

その結果が1つ前の記事で書いた事だ。

安藤忠雄の空間構成 その1

安藤忠雄の空間構成の特徴をまとめている。


安藤建築の特徴が一番良く現れるのは「鳥瞰図」ではないだろうか。
どれを見ても長方形、正方形、三角、円弧と言った幾何学模様が地面に転がっている。これに匹敵するのはルイス・カーンだけかもしれない。この大胆鳥瞰図のさはそれを超えるかもしれない。

手法としてはル・コルビュジエの都市計画に類似する。
ル・コルビュジエはパリの都市計画では幾何学的な線で土地を分割して機能を決めていた。批判する者はそれをそれは「神の視線」の様に言う。


安藤忠雄も土地を幾何学で切り取る。
分割された空間は周囲と溶け合ったり交じり合ったりする事は無い。土に埋もれたり草木に覆われたりする事はあるが決してその境界があいまいになったりはしないようである。

であるから安藤建築の空間に機能上の曖昧さは無い。このあたりはル・コルビュジエに似て、黒川紀章とは異なる。


しかし、安藤建築が周辺環境から全く孤立しているかと言えばそうではない。

曖昧でない建築の空間には周辺環境の要素の一部が挿入される。それによって周辺環境と建築とが呼応し対話するかのような配慮がなされている。

周囲に緑の自然があれば緑が、海や湖水があれば水が幾何学空間の中に挿入される。
この事で建築は周辺の環境と呼応し、会話し、共存しようとするのである。



なぜ幾何学を使うのか?

安藤忠雄は建築はを人智の結果として捉えていると考えられる。幾何学は人間の知恵の行き着く所であり、また象徴である。安藤忠雄は建築を幾何学と同じようなものとして捉えているのである。であるからその建築空間は周辺環境を一旦は拒絶する。その後に環境との対話を始めるのである。




鳥瞰図における幾何学についての疑問

ただ、実際に人間が建築を鳥瞰図のように見る機会はほとんど無い。空間を近くからは認識できないほど大きな幾何学で切り取る事は、その建築を間近に見る人間にとってどう言った意味があるのだろうか。

この点を実際に安藤建築を見て確認すべきであろう。


つづく

2007/11/24

安藤忠雄を<上から>見る

Google Earthでみる安藤忠雄さんの建築。-ふくだぶろーぐから安藤忠雄建築のkmzファイルをダンロードさせていただいて上空から眺めてみた。

どれも平面図上での幾何学構成に特徴がある。複数の長方形をずらして置いた形に円や時々三角形や楕円が組み合わされる。

以前、表参道ヒルズを見に行った時に建物全体がV字型になっているのは敷地形状の為かと思っていた。しかしこれを平面図で見るともう一つ、丁度エントランスになっている部分に、V字がある。このV字は敷地とは全く関係ない配置である。

他の建築を上空から見てみると、ほぼ全ての作品にこれと同じ造形上の操作が行われている。仙川の安藤ストリートではこの方法が一貫して用いられている。

東京アートミュージアム(安藤ストリート)


これは一種のクセであろうか。定規を用いて図面を引けば直線を描く、コンパスを持てば円弧を描く、地面を読むのに地図から発想する。建築をする自由度の中で、そう言った暗黙の拘束に身をゆだねているものなのか。それとも意図的であるか。

大きな平面に、人間が認識できないほど大きな幾何学を用いることにどう言った意味を感じているのだろうか。ナスカの地上絵は飛行機の無い時代に描かれた。描いた以上はそれに何らかの意味があったのであろうが、現在でも我々人間は上空から建物を眺めるチャンスはほとんど無い。建物を使う立場であれば近すぎてなおさら見ない。

見えない幾何学に意味はあるのだろうか?


近いうちに安藤ストリートを見に行きたい。



<参考>
kmzファイルを利用するにはGoogle Earthが必要です。ダウンロードしたkmzファイルをGoogleEarth上にドラッグ&ドロップすると「場所」に建築物名が表示されるので、それをダブルクリックする。

2007/11/23

安藤忠雄を読んでいる

先日講演会に行ったこともあり、安藤忠雄の本を借りてきて読み始めた。理由あって、まだ読み終われない。ちょと苦痛に感じてきたところだ。

「安藤忠雄 建築を語る」安藤忠雄 東京大学出版会
「安藤忠雄の夢構想」安藤忠雄 朝日新聞社
「安藤忠雄建築展2003・再生-環境と建築」デルファイ研究所

まず1冊目を読んでいるが、文章自体はまあ、読み易い。ただ、論点が途中で途切れて自分の建築や体験のディテールに入りすぎてしまうので、ここから脱して頭を元に戻すのがたいへんである。ともすると全く別の部屋に迷い込んだように感じられる。

また、建築家が使う所謂、建築の言葉や単語をかなり単純に使っている事には読んでいてイラつかされる。「対立(内-外、西洋-東洋、部分-全体、歴史-現在、過去-未来、抽象-具象、単純性-複雑性)」「均質化」など、普通に教科書的にまとめられた言葉をそのままの単純な意味で使って良いものかどうか。そう言う基礎的な部分から読んでいて疑問を感じてしまい、なかなか読み進む事ができない。

これは黒川紀章の文章にもル・コルビュジエにもフランク・ロイド・ライトにも (そんな以前の人と比較して良いとは言えないだろうが) 感じられなかった事である。思うに、彼らの時代には自分が定義せねば自分が使える言葉が建築の言葉の中には無かったのかも知れない。安藤忠雄の時代 (現在) にはもうその心配があまり無いのではないか。有り物の単語でも自らが語れる時代なのかも知れない。


本当にその定義は妥当なのかと問う、こちらの問題に過ぎないのであろうか。

「紙の建築 行動する」と言う本

「紙の建築 行動する」と言う本を読んだ。
建築家 坂茂(ばんしげる)氏の書いたものだ。

建築材料学や構造学には今のところ決して出てこない「紙」を使った建築について書かれている。サランラップの芯に使われているような紙の筒の大きい物を用いるものである。神戸の震災後に造られた鷹取教会がその代表作だとの事。

あの震災の時、私は日本に居なかったので鷹取教会が当時どうであったのか、その後この紙の教会が造られた事が大きな話題になったかどうかは知らなかった。この本で初めて知った位であるから、この本に書かれている事には少々びっくりした。

教会の紙管の厚みが15mm、であれば1/100の模型では0.15mmであるからケント紙の0.3mmの半分しかない。つまり鷹取教会の模型を作る場合にケント紙の半分の厚みの紙で筒を作ることになる。かなりペラペラの紙である。(スケール感を考える場合、普通は模型->実際の建物と考えるべきだろうが、これはその逆。)もっとも、教会の上にはテントしか乗っていないから、紙管はほぼ自重しか支えていないので垂直方向の荷重としては楽であろう。どちらかと言えば高いテント屋根の下の空間を確保する為の構造である。

気になるのが台風などの横からの力に対してどう対処しているのかである。
写真では基礎のボルトで、筒を差し込むための木製の部材を止め、そこに筒を挿している。筒の上部も多分同じようなやり方だろうと思われる。さて、どう対処してるのだろう?



この本の後半ではボランティアの問題も書かれている。日本人にはそれをしようとする人も少ないし、適した人も少ないと言う事だ。確かにそうだと思う。その事についてここで詳しく言う必要も無いだろう。

同じ視点から「建築家は社会の役に立っているの?」と問うた場合、どうか。
......これには答えが出せないと言うことにしておく、今は。

2007/11/22

サイエンスカフェ「新しい建築をめざして」

以下のイベントがある。
行ってみようか、考え中。


横浜国立大学サイエンスカフェ第9回
講師 西沢立衛
「新しい建築をめざして」
12月5日(水)18:30~20:00
BankART Studio NYKギャラリーA
横浜みなとみらい線 馬車道駅6出口4分
600円

西沢立衛

森山邸 -新建築 -QuickTimeVR

注目建築家インタビュー -HOME'S CLUB

ネクスト・デザインへの扉 -Panasonic Design Company

作品リスト:西沢立衛 -telescoweb event



サイエンスカフェ-パンフレット
社会貢献・生涯学習 -横浜国大



追加
申込みました。

2007/11/17

今年度の最後の試験終了

今年度最後の科目終末試験は以下の3科目。


1.構造力学Ⅰ
第4設題 ヒンジラーメンを解く問題。
第6設題 トラスの部材に生ずる力を求める問題。

多分できたと思う。
断面二次モーメントなどを使う問題が出なかったのでがっかり。



2.建築材料学
第3設題 コンクリート製品の種類特徴をあげる問題。
第6設題 木材の各特徴を説明する問題。

どちらの問題も書かなければならない量が多かったので時間が足りなかった。

コンクリート製品については表形式にして整理した。この科目はレポートでも一覧表で説明して良いとなっていたので、こちらもその方式でやってみた。文章では文字数が多くなりすぎて終わらないと思われたため。

木材の問題もテキストに書かれている内容に基づいて書いた。含水率と収縮の関係を分かり易くして文字数を減らすために簡単な(テキストには無い)グラフで説明。これも説明せねばならない細かい項目が多く、文字数が必要であるため、個人の見方を入れて回答する余地が無い知識を問うだけの問題である。問題としては面白味が無い。

こう言う科目でも「こんな時、自分ならどうするか?」を問うていただきたいものである。



3.都市計画学
第1設題 古代ギリシャ、ローマと中国、日本の都城の構成を説明する問題。
第10設題 景観を整備する具体的な手法を説明する問題。

ギリシャ、ローマを一つのもの、中国、日本を一つとして対比すれば良かったのかもしれないが、文化の異なるものを一まとめにできなかったので各々について簡単な図を描いた。(以前の記事の通りの図。)構成についての説明だけでは面白くないので各国の在り方との関連で説明してみた。このあたりはテキストにも少ししか触れられていないし、どの参考書を見ても定説が無さそうなので自説を書いても良いだろうと判断。しかしその結果、西洋と東洋の対比と言う面では弱かったかも知れない。

景観整備手法は景観法や都市計画などのやり方を参考に、テーマを上げるところから監視するところまでを網羅して書いた。途中にケビン・リンチとC・アレグザンダーの手法をイラスト入りで説明した。イラストは概念的な分かりやすさを重視して自分で考えたものを採用。

近隣住区の公園とコミュニティ施設の配置計画の問題を答えたかったが、これは出なかったのが残念。ペリーの近隣住区論の考え方を日本の生活や街のパターンによって変更した独自案を書いてみたかったのである。

2007/11/16

一番基本的な構造力学の公式

<長方形断面 (中心軸が図芯を通る) の場合>

断面二次モーメント I=bh3/12

断面係数 Z=bh2/6

断面係数 Z=I/y (上記と同等)

曲げ応力度 σ=M/Z (Mは曲げモーメント)

せん断応力度 τ=κQ/A (Qはせん断力、Aは断面積、長方形ではκ=1.5)

圧縮応力度 σ=N/A (Nは軸方向力、Aは断面積)

2007/11/15

都市計画マスタープランとは

都市計画マスタープランについて

どんなものか?
市町村における3つの基本計画(社会計画、経済計画、空間計画)の内の物的計画である空間計画の基本となるものである。この中には建設の方針、市街化区域、市街化調整区域の整備・開発・保全に関する10~20年の長期に渡る理念、方針、将来像、手段、プロセス(上流から下流まで全て)が示される。また、行政のみでなく事業者、市民、第3セクターなど全てに共通の基本方針となるものである。


(※注意:以下の内容はテキストや参考資料に則ったものではない。)

特徴
1.市町村が策定することで、広域(県や国)に関する事項を除いた、地域に関する都市計画をきめ細かく地域の実情に合わせて当事者が決める事ができる。
2.決定の過程に市民が参加することで、より生活や地域のニーズに合わせた計画となる。
3.長期計画とすることで、場当たり的でない見通しと将来像が描けるものとなっており、そのプロセスまで明確になるものである。
4.完成イメージを盛り込むことで、規制や単なる行動計画だけでない目標を明確に示している。
5.基本理念が示される事で将来に渡ってその考え方を継承できるものである。

ブキャナン・レポート "Traffic in Town"

「Traffic in Town」(1963)概要

市街地に居住環境地域(Enviromental Area)を設定し、これを市街地の基本構成単位とする。居住環境地区の内部には※3補助幹線道路、※4区画道路だけを通し、※1主要幹線道路、※2幹線道路は外部を通す。

これにより市街地の中に自動車の通過交通から守られる「都市の部屋」を形成する。自動車交通は住民の環境を侵さない範囲で許容される。これは居住環境地域内の道路を安全に横断可能な範囲とする。歩行者重視。

居住環境地域の規模は、自動車交通密度の高い地区では小さく、密度の低い地域では小学校区またはそれ以上に拡大する事もあり得る。



以下はイギリスにおける道路の段階構成。
※1主要幹線道路
※2幹線道路
※3補助幹線道路
※4区画道路


「Enviromental Area」を「居住環境地域」と訳しているが、英語の"Enviroment"は環境と言う意味であって、居住と言う意味は含まない。



参考資料
「都市計画教科書 第2版」彰国社

コンクリートの欠点

コンクリートの「欠点」に重点を置いたコンクリートに関する資料を集めてみた。

コンクリートブロックについてのページであるが、コンクリートの基礎知識の概要が書かれている。
コンクリートブロックの知識

こちらもコンクリートについての基礎知識
HSJ企画
コンクリートの基礎知識 - 広川商事

コンクリートのひび割れについての資料2点。
コンクリートのひび割れ
ひび割れの原因

その他
もっと知りたいコンクリート講座




コンクリートの欠点-概要 (以下の内容には不足があります。)

1.比強度が小さい
高層の建物などでは下層ほど強度が必要となり床面積に占める構造物の占める割合が大きくなってしまい、空間を有効に使えない。
天井に梁が出っ張ったり、天井裏空間が狭くなり空調設備などの配置計画に影響を与える。

2.圧縮強度に対して引張強度は1/10程度、曲げ強度は1/5程度と弱い。
鉄筋コンクリート構造とし、鉄筋に受持たせる。

3.ひび割れ
原因はさまざま。
施工要因
・乾燥伸縮:養生条件(湿度、温度)による。
・継打不良、コールドジョイント
・鉄筋のサビ-中性化:かぶり厚をとる。表面コーティング。
・鉄筋のサビ-骨材に塩化物等の混入:骨材の選定。
・アルカリ骨材反応:骨材の選定。
外的要因
・基礎の不同沈下
・基礎の拘束と丈夫構造の収縮
・凍結融解:内部に水分を浸透させない。
設計その他
・大壁面の場合:収縮目地を作る。
・曲げ、せん断:構造を検討。

4.疲労
静的な強度以下の応力で破壊:振幅が小さくなる構造とする。

2007/11/14

断面二次モーメントの計算



断面二次モーメントの計算をしていたら、2つのやり方で結果が同じにならない。

長方形の断面二次モーメントは上の図のような場合、I=bh3/12 で求めた全体から部分を引けば良いのかと思っていたら、図芯から離れている場合は違うのだと気付いた。当たり前だが勘違い。

2007/11/12

木材の乾燥と性質

天然乾燥指針 - 愛媛県八幡浜地方局産業経済部林業課

木材の含水率は日常生活で言う含水率とは定義が異なることに注意。

みかんの含水率と言った場合。
(みかんの水分量÷みかんの質量)x100=みかんの含水率[%]

木材の含水率
(乾燥前の重量-全乾重量)÷全乾重量x100=木材の含水率[%] 
または、
   (木材の水分量)  ÷全乾重量x100=木材の含水率[%]

※全乾重量 = 乾燥器の中で温度100~105℃で乾燥 し恒量に達した時の質量。



木材の性質 - 神奈川県立総合教育センター

The 座屈

座屈の理論(オイラー座屈)

オイラーの座屈理論 - コロキウム室

建築で一般的には、材の支店部分を補鋼材を取り付けて座屈長さを短くする。材の曲げ剛性を上げるための補強(鉄骨の周囲にコンクリートを巻くなど)を行う。


Ⅲ構造力学 - 独学で目指す 2級建築士

上の「Ⅲ構造力学」では座屈の原因は「圧縮応力がある程度を超えた時に、応力度の分布にばらつきがあるために横方向にはらみ出す」となっている。これも一つの原因であるが、この他にも材が初めから少し曲がっている(これは、材が本当に曲がっている場合と、梁などの場合に横荷重が作用して曲がってしまっている場合がある。)場合、また荷重が垂直でなく少しの角度を持ってかかっているなどもあるだろう。


座屈対策
中心圧縮材の場合の弾性座屈荷重は次の式で表される。
PCR2EI/l2

EIは曲げ剛性、l(エル)は長さ。
この式からは剛性を大きくするか、l(エル)を小さく(短く)することで座屈対策となる。(具体的な方法は別途検索の事。)



材を補強する以外の座屈対策が書かれている。

02 Part05 難問 上を行く - 前田建設ファンタジー営業部



追加
「局部座屈」
薄い板状の要素で構成されるH 型や箱型の断面形状をしている鉄骨構造の部材では、圧縮力やせん断力が加わった時に部分的に断面形状が著しく変わってしまい、部材全体としての耐荷能力を減退させてしまう現象。
局部座屈に関する条件① 4辺の支持条件② 荷の種類と分布形③ 幅厚比④ 鋼種の種類

「横座屈」梁に力がかかると力のかかる方向に変形し、力が取り除かれれば復元する。かかる力が大きくなっていくと力のかかっている方向ではなく横にねじれて破壊する現象。
座屈長さを小さくする。(梁と直交方向に小梁を入れる事で梁の座屈長さを小さくするか、柱と柱のスパンを小さくする。)

参考資料
地震がきても安心です

2007/11/11

古代都市の比較 その2

先日書いた「古代都市の比較」の中で、ギリシャにアクロポリスがあってローマに無いのは何故かと書いた件でご意見いただいたので紹介する。

※アクロポリスが在る無いと言うのは、ギリシャは人間の活動する都市の中心に神殿は置かず、外に置いている。ローマは神殿(アクロポリスと言う名では無い)は都市の中心にある。ローマは先に発展したギリシャの都市構造をモデルにしているのに、この違いは何故起こったかと言うこと。



以下は、ご意見いただいた方からのもの。(原文のままではない。)
*************************************
ローマは「全ての道はローマに通じる」と言うように都市計画が計画的に行われていたたに、ローマにすべての施設がうまく集中できたのではないか。

その点、ギリシアは無計画だったのでは。
その要因としてはギリシアは攻めてくる他国から国内を守るのに精一杯であって、都市整備を行うどころではなかったのではないか。とにかく強い兵士を作るのに必死でスパルタのようなポリスで厳しい試練を行っていたのではないでしょうか。

ローマの戦術の一つに、侵略した国の国民もローマ市民として取り入れてしまうという、姑息な手段を使っていたので(奴隷→ローマ市民)領土拡大をしていって人が増え、統制がつかなくなってっ民主制になった。そのうちあちこちに施設が散らばっているととんでもない事に
なってしまうので集中して管理できるようにしたのではないだろうか。
*************************************


そして、自分で考えてみた内容は下記。
*************************************
ギリシャはローマのように他国、他民族を併合せず、全部自前で済ませた為に他民族の神を受け入れる必要はなかった。だから一番良さそうなところに神殿を作った。ギリシャの神はもともと森にいたから人間とは住む場所がちがっていたと考えたかもしれない。オーダーで囲ったのは森の象徴だとの説がある。石でできた神殿は元は木造であったが、太い木材が入手できなくなったかそれとも長持ちするよう石で造ることにし、白色の方が綺麗と言うこともあって木材から石材へ変えたのか。だからもともとの位置から移動したりすることは考えなかったのかも知れない。

ローマの他国支配は貿易のためであったから支配しても相手がやる気を無くすと困る。だから有能な人は被支配国の人間でも出世させたしそちらの宗教の神も認めた。アジアの神が西の神と統合された形跡もある。であれば、他民族で上手くやる為に神殿は街の中心に置く方が好都合であったとも考えられる。

もう一つに、ギリシャの男は戦いが無いときは実はやること無かったから思考が上に向って、つまり哲学的な方向へ向ったのではないだろうか。ローマ人の方が商人気質であったから思考が横に、つまり外との関係に広がっていったかもしれない。
*************************************


意見をいただいた方、ありがとうございました。
また、他の方からもご意見お待ちしております。



追加資料
古代の奴隷制度 - 歴史と世間のウラのウラ

テキスト「地域共生の都市計画」では、古代の都市に関する説明は少なく、ギリシャもローマもステレオタイプな古代のイメージからの説明しかされていない。例えば、「奴隷」と言う言葉、「王政が神から権威を授かる宇宙観...」などと書かれているがギリシャとローマではそのあり方は大きく異なっている。ここから古代都市の何を学べと言うのだろうか。

「都市のイメージ」 -ケヴィン・リンチ

時間が無いのでざっと読んでみた。
なので、これから書く内容は本書の理解に必ず役立つと思うべきでは無い。



ケヴィン・リンチは都市を視覚的に扱う試みを行っている。

例えば、ル・コルビュジエは人間の生活に関連付けた「意味」として扱っていて、これとはある意味対照的である。(通常ル・コルビュジエの建築は視覚的な特徴を強調される事が多い(四角さを言われたりする事など)が意味から理解すべきではないか。余談。)

また、C・アレグザンダーのように細かな形態上の語彙と文法を抽出する方法とも異なっていて、都市そのもののマクロな形態を多くの人々の心に残る印象に投影したエレメントとして扱っている。これは多くの人に共通するその都市の印象、パブリック・イメージの発見を基にしている。

ケヴィン・リンチは都市をあたかも一つの部屋のインテリアをデザインするような感覚で扱うようである。これは一時的な模様替えと言った静的なものでなく、時間的にも随時変化することも想定している。また謙虚にもそのパブリック・イメージだけで都市のデザインができるのでは無いとも言う。

2007/11/10

道路斜線

テキスト「地域共生の都市計画」の説明と図では道路傾斜の「斜線制限解除の適用距離」が分かり難い。

p138の図11・4(A)「b.道路からの後退がある場合」では建物を道路側の敷地境界線からS[m]後退させているのでビルの上部ハッチング部分は建築可能であるが図では緩和規定無しの場合の高さまでとなっている。図11・4(A)「c.斜線制限の適用範囲」では斜線制限が解除されるまでの適用距離L[m]の端部が建物の壁面の延長線上にあるが、これは妥当な位置ではないし、図のビルの最上階部分はもっと高くしても良いはずである。図の建物高さは法規上誤りではないが、説明図としては誤りである。

建物と道路斜線 -カク企画1級建築士事務所のページの説明が分かりやすい。

「近隣住区論」と「界隈」

先日「近隣住区論」を読んで書いたのであるが、ふと思いつく事があったので記しておくことにする。



「近隣住区論」の考え方の一部は現在の日本でもその考え方は「都市公園法第2条」に反映されていて、都市公園整備を行う場合に実際に使用されている。

1つの近隣住区に対して2haの広さを持つ近隣公園を中央部に1つ、0.25haの広さを持つ街区公園を分散させて4つ配置する事になっている。


そこで思い出すのは黒川紀章である。
ヨーロッパは広場を中心に生活が営まれるが、日本には広場が無い。その代わりに路地を中心とした界隈がその生活の中心として機能していると言うのである。庭と路地と家の縁側は近隣住民とのコミュニケーションに使われるセミパブリックな場所となっている。現代の家は閉鎖的になっていて、もしかしたら実感が湧かない人も多くなっているかもしれないが、わからない事ではない。


反対に欧米の家は路地と逆側を向いていて、「近隣住区論」でも家は住区の内側を向いて建っているし、不特定多数の人が来る恐れのある店舗は家から見えない所に配置するとしている。つまり、日本の伝統的な生活習慣とは異なる前提で考えられたものなのである。


家が閉鎖的な構造になってきた現代でも、日本の家は通りを正面にして建てられる。実感としても近所との付き合いは(薄くなってきているとは言え、)通りを隔てた向かいやお隣が濃くて、裏は隣接地であっても薄い。

幼児を連れて母親が公園に行くのに「公園デビュー」と言う言葉があるが、ご近所デビューとは言わない。公園はやはり日本人にとって、敷居の高い、公式の場に近いものなのではないだろうか。

そうであれば、改めて公園整備するよりは路地整備を行い、「路地公園」(今作った言葉)と言った選択肢もあるのではないだろうか。もちろん自動車の排除問題も同時に考えなくてはならないが。


豊臣秀吉は京都の碁盤の目状の区割りを、道で囲まれた平面図上のブロック単位から、通りを中心とした菱形のブロック(町)に変更している。これも日本の家屋が通りに面していて通りを中心に生活する習慣を認めたものであろう。高い学歴を持ち専門の勉強をして行政を司っている現代の公務員よりも、農民上がりの秀吉の方が民衆の生活実態をよく見て実情に合わせた判断ができたのかも知れない。



参考資料
「図説 都市地域計画 第2版」青山吉隆 丸善

2007/11/09

古代都市の比較



西洋と東洋の代表的な古代都市を比較してみた。
都市計画のや参考資料ではその構成の概要しか説明されていないが、この違いを説明するには各々の政治体制や人々の生活、信条を調べる必要があるであろう。正直、そこまで手が回らない。


ただ、古代日本については以前に建築史の中で述べたように、この時代の政治が家族親戚を増やして勢力を拡大すると言った経営方法であったので、心配すべきは外敵よりも一族郎党のいざこざの方であった。そのため都城の外部に城壁を築く必要は感じられなかったのであろう。

中国の場合は陸続きに全く違う民族や部族が存在していることにより城壁は必要なのである。
城壁の面ではギリシャもローマも中国も同じであろう。

さて、ギリシャとローマの都市は似ているようで少し違う。ギリシャではアクロポリスと言う神聖な場所が市民の生活の中心とは少しだけ離れた高い位置にあったのであるが、ローマではそれが中央広場に移っている。

ギリシャもローマも王政から共和制、民主制に移って行った。どちらも強大な権力を持つ一人の人間が支配するのではなく、どちらかと言えば皆で話し合いで物事を決めるようになった。その為に中心地に広場がある。

ではギリシャにアクロポリスがあって、ローマに無いのは何故か。宗教観の違いであろうか。これは誰かわかる人にご教授願いたい。



参考資料
「都市計画概論 第4版」加藤晃 共立出版
倫理思想史電子ノート -立川察理

「近隣住区論」 クラレンス・A・ペリー

都市計画学を勉強している。


クラレンス・A・ペリーのはそれほど難しい理論ではない。

行政区画(県、市、区といったもの)とは異なる小さなコミュニティと言うものが自然発生することに目をつけ、これを新しい街づくりに応用しようとする研究である。


(以下、「近隣住区論」の完全な要約ではない事に注意。)

原則として以下がある。

1.規模:適正な規模はどの程度であるか。
2.境界:規模と関係するもので、研究の主題が主に自動車を使用して移動する郊外の居住区であるために、近隣住区の外側は幹線道路で区切られることを前提としている。
3.オープンスペース:公園とレクリェーションのための空間の広さと位置について言及している。
4.店舗:店舗等の業務区域が徒歩で行ける範囲に必要である。もちろん自動車で移動する人たちを前提とするが、タバコや食料を買う程度は区域内でまかなう必要がある。
5.地区内街路体系:地区内を安全快適に移動するために通過車両を排除するなど。

この原則を適用した近隣住区による「新たなコミュニティ」を作り快適な生活を作り出そうと言うものである。



近隣住区には前提条件となる考え方がある。

1.育児期にある家庭の環境への要求を前提として考えている。
独身世帯はコミュニティのようなものよりも独立した周囲に干渉されない環境を好み、流動的であるが、結婚して育児期になるとそれ以前よりもはるかに多くを周辺環境に求めるようになる。また、子供が独立して夫婦2人の世帯になるとまた要求は変り、より独身時代に近くなる。現代はその時期の要求に合わせて住居を選ぶことができる。

2.居住地コミュニティが占める広さは、学校、運動場、その他の店舗サービスが効率良く運用される広さと完全に一致する。(調査より)よって、これらを一つに区分してまとめる事が可能と言う考え方に基づく。

3.近隣住区による新たなコミュニティは農村のコミュニティとは異なるものを意味する。職住分離によって現代社会にはコミュニティが消失しているが、これを回復することを目的としているが、あくまでも新しい形のコミュニティを提案するものである。



適正な広さ
子供が小学校まで徒歩で通う距離は1/2フィート(400)程度、約400~500m程度であり、他のサービスも同程度である事が分かっているので、小学校を中央に配置し、そこから半径400~500mの範囲である。
同じく地域コミュニティ施設は中央に配置するが、小学校の建物が兼ねてもよい。

公園とレクリェーション施設の配置
小学校の校庭が子供のための公園を兼ねることもできるが、概ね地区面積の10%が必要なのでこれを校庭でまかなうと広くなりすぎる。また、子供が遊びに出る距離は1/4フィート(200m)程度であるので公園を分散して配置する。

商業施設配置
商業施設は住居から見えない位置にまとめる。また隣の近隣住区の商業施設と向かい合うように配置することで一体化させる。住区の隅部となる。


日本にては既存の居住地域にこれを全て適用する事は不可能であると考えられるが、小学校やコミュニティ施設の配置を決定するなど、部分的には使用できる可能性はあるだろう。しかし、日本では家を流動的な資産と見なせない場合もあり、また都市部では集合住宅も多くなっているなど、条件が異なるためこの理論を適用するにはさらに調査が必要であろう。またこの方法でコントロールする法的根拠の問題もあるだろう。



コントロール
都市計画が必要な理由は、インフラ整備コスト(税金から)の問題であったり、快適性や安全性、景観その他いろいろあるだろう。自宅の近所に風俗店があるのは子供の教育上良くないのであるが、本音ではオネエちゃんのいる店で仕事帰りに一杯やりたいのが人情であるから、それをコントロールしなければならないと言うことになりそうだ。前回書いた六本木ヒルズでも同じビル内に赤提灯があっては資産価値が落ちるし、ステイタスとはならないから困るのであろうが、やっぱり新橋のガード下のモツ鍋が落ち着くから無くさないで欲しいわけだ。そう言った本音と建前をコントロールするのも都市計画であろうか。



参考資料
「近隣住区論 新しいコミュニティ計画のために」クラレンス・A・ペリー 鹿島出版会

新春講演会 at 神奈川県立川崎図書館

現在、神奈川県立川崎図書館の2Fでミニ展示「美 in 日本建築」をやっている。

ミニ展示なのでわざわざこのために見に来るほどのものでは無いが、こう言う企画はうれしいものである。ブルーノ・タウトが桂離宮を見て描いた水墨画風スケッチ(見て描いたものではないから正確にはスケッチではない)のコピー、数奇屋を現代に再現した京都迎賓館の写真も大きく展示している。関連図書の展示も多い。日本文化生涯学習振興会21からの提供ビデオ「数寄工匠」「利休幻の茶室」を小さいテレビだが随時上映していてイスもある。

加えて、来年1月13日(日)に同2Fホールにて神奈川大学工学部教授 西和夫氏 による新春講演会「日本の建築空間-数奇なる精神を踏まえて」が開かれる。

申込みは下記より。無料。
神奈川県立図書館

2007/11/08

安藤忠雄講演会に行ってきた



安藤忠雄の世田谷区民会館ホールで行われた講演会に行ってきた。
テーマは「世田谷・東京~美しいまちづくりへ」。

講演の内容は、これまでに手がけてきた建築、東京オリンピック、東京湾のゴミの島を森に変えるなどの緑化の紹介とそれにかける思いを披露するものであった。建築そのものについての話でないのはやはり聴衆が一般人だからであろう。質疑応答も無かったのは残念。


話の中で「今の日本人は元気が無い」と強く言われていた。
よく言われる事でもあるが、産まれた時から何でも揃っていて何も困ることが無いから自分で考える必要も無いのだろうと。学校が終わっても塾や習い事が用意されていて考えなくてもやる事は多い。これでは勉強ができる優秀な人間はできるかも知れないが、自由に考えることができる人間にはならない。だからもっと子供が自由に考える時間を与えるべきだ、との事。


(ここから先は講演会での話ではない。)

本当にその通りだと思う。
学校では授業と授業の間に10分か15分の間があるが、その時間も学校の規則に縛られているし、まずもって塀を超えて外に出ることはできない。日本映画やテレビドラマの一場面に授業と授業の間の休み時間に学生が塀を超えて学校を抜け出す場面はよくある。つまり学校と言う枠の中にいる時には時間的にも空間的にも自由が無いし、それが日本では疑問の無い普通の状態と考えられていると言う事だ。学校の休み時間に起こった事故は学校の責任になるのもそんな枠があるからである。

逆から見れば、子供はそんな枠や大人に縛られているうちは何も考える必要はないと言うことだ。勉強しなさいと言われて勉強していればそれで良く、勉強しなければ「勉強しなさい」と言われる時間を耐えていれば良い。やりたくなくても運動会で走ったり動いたりして時間をやり過ごせば良いだけだ。それよりもっとしたい事を考える事なんて必要ではないのだ。

放牧場の羊のような生活である。



今、こうして通信の大学で学んでいて思う。(ここから話はかなり飛躍する。)

通信と言うのは、レポートや課題と試験しか無い。上で述べた普通の通学生の学校(小中学校や高校、最近は大学も似たようなものだが)のように決まった休み時間も毎週のスケジュールも無い。つまり結果だけ出せばそれで評価が決まる。「廊下を走ってはダメ」とか「スカートの長さはxxx」のような部分が無いのである。

放牧されている羊ではないから、勝手に放浪の旅に出てもそれはそれで良いのである。

この自由さが学問には必要ではないだろうか。義務教育であろうと何であろうと、隙間は自分でどうにかする。トイレに行く、本を読む、話す、絵を描く、走る、飯を食う、逆立ちしてみる、何か作ってみる。全部自分で用意して自分で勝手にやる。そう言う事が将来、勉強した内容を何かに活かす知恵になるのではないかと思う。自己マネジメントである。


これを建築で実現したらどうか。(また飛躍する。)

学校には教室しか無い。広い敷地に教室がいくつかポツリポツリとまばらに置かれている。廊下は無い。トイレ位はある。塀も門も無い。敷地は街に繋がっていて境目がはっきりしない。子供達は勉強の時間が来るとどこかの教室に入って授業を受ける。終わると教室を追い出される。次の授業まで好きな事をして過ごせば良い。自分のクラスの部屋も机も決まっていないから、教室には荷物を置いておく場所は要らないだろう。子供は学校に1日中いる必要は無い。必要と思う時に必要な教室にいれば良い。腹が減ったらどこかで弁当を広げて食べるか、近所の食堂かお菓子屋で食べ物を買う。次の授業の開始のベルが鳴らないので自分で何らかの方法で時間を確認する。授業開始時刻は先生が予め決めた時刻であってどの授業も一斉に始まったり終わったりするのではない。だからよくある時計塔のようなものは不要だ。晴れた日は川原の土手で授業が始まることもあるし、見学を兼ねて街のどこかに集合と言う事もある。受けるべき授業は先生に相談してできるだけ自分で選ぶ。高学年になれば特に自分で選ぶ。5年生でもわからないなら3年生の授業を受けても良いし、その逆も可だ。そうすると子供が相談に行く相談窓口になる建物も必要だろう。図書館も必要だ。但しこれは街の人も利用できるもの。運動会などは子供達が企画して先生や親や街の人たちを招待する形にする。夏休み冬休み土日は決められていない。自分と先生と親や家族の都合で休みたいときに休むようにする。


と言うわけで、安藤忠雄とは全然関係ない結論なのである。

2007/11/07

フランク・O・ゲーリーのギャラ公開

MIT、著名建築家フランク・ゲーリー氏を提訴 -CNN.co.jp

フランク・O・ゲーリー氏がMITに訴えられたとの報道があった。
排水トラブルや雨漏り、外壁のカビなどがひどく、設計上の欠陥との事です。

そんな事では驚かないが、この記事にはもっと驚くべき事がサラリと書かれている。
「MITのステイタ・センターは、(中略) 総工費3億ドル。ゲーリー氏へは設計費として、1500万円を支払った。」

計算してみると、
3億ドルx115円/ドル=345億円
ギャラが、何とたった1500万円であれば、
0.15億円÷345億円x100=0.043%

0.043% !!!

そんなに安いわけが無い。
絶対嘘だ。

と思って原語記事を検索してみた。
MIT alleges flaws in Gehry building

やっぱり1500万ドルの間違いだ。
きっかり"5%"である。

これでも安いかもしれないが。

2007/11/05

森ビルの街づくり

テレビ東京の「カンブリア宮殿」を見た。
今日のゲストは森ビルの社長、森稔氏であった。

森氏は再開発事業に関して「街を作っている」と言う。
この言葉を聞いたらこの番組を最後まで見ないわけにはいかない。
森氏の言う「街」とは何なのだろう、と言う疑問に答えてくれることを期待して見た。

再開発と言うとその土地に住んでいる住民から土地を買い上げて売れるビルなどを建築して転売するか、賃貸に出すと言うイメージがある。司会の村上龍も言っていたが、その通りのイメージである。

森ビルはそれに対して「街づくり」と言う。
戸建の家を上空に積み上げて密度を高くし、余ったところに緑地、診療所その他生活スペースと仕事場となるオフィスビルを建築する。職住近接した街となる。

ここまで聞くと必然的に思い出すものは、やはりあの人のあれだ。
ル・コルビュジエのヴォワザン計画である。概略、言っていることは同じである。ヴォワザン計画の場合は国が行う前提であるので規模は何倍も大きい。森ビルの場合はあくまでも一企業の行うものであるから規模はせいぜい六本木ヒルズまでである。しかし小さなパリ計画には違いない。ル・コルビュジエと似ているからと言うわけではないが、一理あると言わざるを得ない。


しかし、次の言葉には疑問を感じる。
村上龍「新橋のガード下の屋台でモツ鍋を食え。」に対して、
森稔「路地裏で酒飲んでるのは日本人だけですよ。」
つまり、日本人はそろそろもっと別の楽しみを探すべきであって、何時までもノスタルジーに浸っていてはいけないと言うことなのである。

そう、確かに世界を見ればこんなにだらしなく街で酔っ払っているのは日本人だけだ。その点は自分も外国を見ているので実感するものがある。それに東京に流れる時間は他の都市に比べて遥かに遅い。日本のビジネスマンは安穏としている。だから「いつまでそんな事しているんだ」と言いたい気持ちもよくわかる。

ただ、今それを一掃して東京を全て六本木ヒルズにしてしまったら、それで東京は楽しい街になるのだろうか。戦後や高度成長期からのいい加減な伝統らしきものでであっても、それはもう古いと言えるのは、あまりにも楽天的で成長や進歩や効率礼賛ではないのか。時間軸の進行方向には価値があってその反対には何の価値も無いとする一方向的な考え方である。


六本木ヒルズに赤提灯は無い。でもシャレたレストランはある。 1粒200円もするショコラティエが作るチョコレートショップはあるが駄菓子屋は無さそうだ。こう見ると何でもあるが皆ちゃんとしていて、全部検索可能なほどである。街によくあるいい加減な個人商売の店らしきものは一つも無いようだ。全ての部分が固定した機能を持ち過不足の無い環境を作り出している。


確かに六本木ヒルズは機能的には街かもしれないが、そのいい加減で中途半端でないところが逆に街のようではない。ル・コルビュジエの時代の近代都市計画が批判されたのは、街の成り立ちを無視した機能重視主義であり過ぎた事によるが、森ビルもまさにそうではないだろうか。人間重視をうたいながら機能重視主義となってしまうのは、計画者が神の視点から街を見ている事によるのではないだろうか。それは理想を実現することのできる者が考える街であって実際にそこに住む名も無き人々が考えた街ではないからだろう。


であれば、さて、建築家はどちらに近い人間として振舞うべきだろう。

受験票到着

11月17日の試験分の受験票3枚が到着した。

11月17日(土)
1時限 構造力学Ⅰ
2時限 建築材料学
3時限 都市計画学

試験まで約2週間、今日から試験勉強を始めることにする。

風の塔 伊東豊雄 その2



私が存在すら気付かなかった風の塔の周辺風景の写真を掲載しておく。

遠近感がわかり辛いが、バスターミナルの向こう側にありホテルの側壁や家電量販店の入り口よりはずいぶんと手前側に位置する。写真は駅側から撮影。下の航空写真を拡大すると位置を確認できる。


拡大地図を表示

最上段の写真は横浜駅から、つまり南東(航空写真の右下)方向から北西方向を撮っている。


自分が依頼されたらここにどんな換気塔を建てるだろうか?

2007/11/04

風の塔 伊東豊雄



横浜に寄ったついでに「風の塔」を見てきた。

横浜駅西口の正面にある換気塔である。

こんなに目立ち易い位置にあるのに、そして何十回も何百回もこの前を通っているにも関わらずこの塔を意識して見た事は無かった。テキストや伊東豊雄の研究のために参考書で見て始めてそこにそれが在った事に気付いた。

今日は少し明るいうちから暗くなるまで少しの間観察してみた。

明るいうちは単なる灰色の円筒である。堂々と聳えるシェラトンホテルと昼間でもギラギラした家電量販店に挟まれて全く目立たない。本当にこれが風の塔かと疑いたくなるほどに地味である。

辺りが暗くなり始めると少し光を放ちはじめたか、それとも周囲のネオンが反射して見えるのかわからないほど微妙に光り始める。まだ目立たない。

さらに暗くなると内部から明らかに青い光がちらつき始めた。少し経過すると今度は緑の光が漏れ始める。そうなるとパンチングメタルで作られている事がやっと判明する。そして外皮を支えるフレームもその他の内臓も全てが浮き上がって見えてくる。

それでもこの横浜駅周辺が明るいせいかあまり目立つとは言えない。
これなら気付かなくても当たり前かもしれない。



風の塔は周囲の風や気温によって光り方を変えるそうだ。
それをしばらく見ていたのであるが、それは一体何のためであるのかと言う事。風の吹き方や気温、それを光り方に変えて表示しても見ているこちらは特別楽しくも何ともない。自分だけかと思い回りを見てもこの塔を気にしている人は誰もいない。よくわからなくなる。

都市の情報を取り入れる。それに反応する事で逆に情報を発信する。しかしそれを誰も望まない、気にするほどの情報でないとしたならは、それは単なるノイズであろうか。ある人にとって有用で、ある人にとって無用であればノイズでも発信する可能性はある。飛行機の為の信号は飛行機を操縦する人にとってだけ有用だ。イタリアのブランド名は好きな人、その名を利用したい人にとっては有用であるが、興味のない人にはノイズである。

有用でないにしても楽しいなど、情動を煽るものである場合もある。
表情のあるロボットは入院中の人の心を癒すそうだ。自分の発信した情報(表情や声やしぐさ)に反応してくれるだけでもそれは情報として有用であろう。


風の塔が単なるコンクリートの筒であってもこの環境に与えるものは同じであったろうか。

逆にもっと積極的にこちらに何か発信してくれたらどうだろう。大きな音をたてたら強く光る。車が渋滞していたら赤くなる。駐車場が満杯なら青くなる。時々瞼(まぶた)を開いてこちらを見る。定時にベルを鳴らして時刻を教えてくれるようなものだったら。

しかしそう言うものは他にある。新宿の目、川崎アゼリア地下街入り口の人形が踊る時計、他にもいろいろある。ただ風の塔ほどフレキシビリティが無いのだが。フレキシビリティなら流れるネオンの広告塔や大きな映像を映せる新宿アルタのスクリーンはどうだ。逆に何もしてくれないのにそこにあるだけで良い、東京駅の銀の鈴はどうだろう。風の塔とどちらが良いか。


結局よくわからないままである。

以前、香港映画「2046」を見たが、この映画は叙情詩である。しかも個人的すぎるほどに個人的な詩なのである。それを表現するのに映画と言う技術を使って見せるのであるが、見せられた方はそれに対して特別何も無い。だから印象に残るものも無い。

この風の塔は「2046」と似ているのではないか。そう思った。
建築家の心情は、それを見ている多くの人間のそれとは無関係である可能性は大いにある。

2007/11/03

安藤忠雄講演会のチケットを買う

安藤忠雄講演会
「世田谷・東京~美しいまちづくりへ」

11月8日(木) 18:30~
世田谷区民会館ホール
1000円全席自由(チケットぴあ)
(11/3の昼少し前時点ではまだ200席以上空いていた。)

詳細は世田谷区のHP
(イベントカレンダーの11月8日をクリック)


安藤忠雄の建築については未だ研究だが、見た感じからは「どうなんだろう?」と思うものが多い。先日読んでいた黒川紀章の書いた本にも安藤建築について「どこで何を造っても同じように見える」との記述があった。確かにどれを見ても建築家の個性が見えるものになっている。

講演のお題が「美しい...」であるが、建築家の個性を表現する事と美との関係はどう解決されているのか。そして最近の建築家さんたちは東京に「美」と言う言葉を使わないようであるが、ここでこの言葉を使われるその意味を知りたいとも思う。

モダニズム時代の建築家であれば、都市の理想像に対するアプローチであったり、客観的な美のヒエラルキーを念頭に置いて建築する事もあったであろう。しかし、その後東京の都市の成り立ちを考えると必ずしもそれが当てはまらないと言う見解に達しているし、また別の見方をすれば「あきらめ」のようなものもあると思う。

そこに「美」と言う言葉を持ち込むのはどう言うことなのであろうか。期待したい。