2007/06/30

人体の熱収支と温熱環境指標

建築環境工学のレポートの課題の2つ目を書いてみた。

課題は光、音、熱のうちから2つ選んで書けば良いことになっていて、最初に光を選んだのだが、この光は大変だった。テキストを前から順に読むと、普通は小説のように各セクションが論理的に繋がっている事を想定した読み進めてしまうのだけれど、そうなってはいなくてバラバラに知識が散りばめてあると言った印象なのだ。思わず「書き直せ!」と言ってやりたくなる。こう言った分野には、著者の主張とか観点を入れられる余地が少ないと感じているのだろうか。

そんな事が我らのレポートのストーリーを作り難くしているなあと思う。



「人体の熱収支と温熱環境指標」
人間が空間を快適と思う条件の一つに「暑さ寒さの感覚」がありますが、この感覚は単に物理的な熱や温度の条件を指すのではなくて人間の感じる「快適さ」を指標とする熱の条件の事。だからレポートでは物理的な熱収支から温熱環境指標を導き出すような書き方を考えてみた。

1.物理的および生理的要素
人間と周辺環境の間における熱の収支概要モデルは、テキストにも参考書にもある図なのだが、どれもちょっとづつ違う。熱の平衡状態を想定して蓄熱分を絵に入れていない簡単なものとテキストにあるように着衣量まで描いたもの。どれも同じなので簡単なのを描きなおして入れようかと思ったが、レポートを書くうちに割愛した部分の説明が必要になってくるので少し複雑な絵になってしまった。

でも説明は極力簡単にする。なぜなら自分がわからないから。
人間は通常状態では周辺環境と熱的に平衡を保っている。このバランスが崩れた状態が暑いとか寒いになる。
M>C+R+E+L →放熱不足、熱流入過多→暑い
M<C+R+E+L →放熱過多、熱流入不測→寒い

熱の出入りに関係するパラメータはこんな感じだ。
○周辺環境要因
   室内気温(乾球温度)
   室内相対湿度(水蒸気分圧)
   室内気流(気流速度)
   輻射(周壁平均放射温度)
○人体要因(テキストにはもう一つ「ぬれ面積比率」が出ているがこれは後の指標計算にも使わないし、他の資料には内。多分他の要因から計算できるものだろうと推測して割愛した。)
   代謝
   着衣量


人間の身体はこれらの各要因からくる熱収支の状態に応じた生理的反応を起こして熱的平衡を保とうとする。これは血流、身体の震え、発汗、産熱を増加させるなどだ。分かりやすくするためにだいたいどの条件でどんな反応をするか絵を描いてみた。
※2のP64とか、※3のP124などが参考になる。

注意しなければならないのは、ここで熱収支が平衡しているからと言って、それがイコール「快適」と言うわけではないと言うこと。では快適な領域をもっと具体的に示すとどうなるか、と言うのが次だ。


2.温熱環境指標と快適さ
人間が快適かどうかを判断する基準を等価と思われる数値で表したものが「温熱環境指標」と言う。これはいくつか提案されていて一長一短がある。テキストにもだいたい書かれている。


3.PMVによる模擬計算例
吉村美香氏によるエクセル版PMV計算シート※4を使用して模擬的にPMVを求めてみた。

課題にクールビズがどうの、と書かれていたのでこれを使ってその効果を確かめてみた。
スーツでの事務作業ではエアコン23.5℃に対してクールビズだと26.0℃で同じ快適さを得られると計算結果が出た。残念ながら、しばらくYシャツ着て仕事などしたことがないのでYシャツが無い。よって実感レポートはできなかった。

他にもう一つ状況を考えて計算してみた。これは何かストーリーを考えてやってみると面白いと思う。風が強い日にカバンに入れて持っていく上着は何が良いかとか。これはサッカー観戦でスタジアムに到着したら気温は同じだけれど風が強い場合に着衣量をいくつに変更したらPMVが0.5以内に収まるか、としたらできるかもしれない。これは楽しめる。


※1「最新 建築環境工学 改訂2版」 田中俊六 他  井上書院
※2「図説テキスト 建築環境工学」   加藤伸介 他  彰国社
※3「初学者の建築講座 建築環境工学」 倉渕隆  市ヶ谷出版社
※4「エクセル版PMV算出シート」吉永美香 (名城大学 理工学部建築学科 講師)

2007/06/29

建築の光環境について

建築環境工学のレポートを作成している。
第1課題は「人の光環境に対する特性と、昼光と人工光源の特徴と比較」。
いくつかのセクションに分けて書いてみた。


1.大前提
a.建築の目的に対して適切、b.危険が無い、c.使用者が快適である事。
->この目標に従って計画する。
->適切に光をコントロールする。(これをテーマに書いてみた。)


2.人の眼球の構造と性質
人の眼球はカメラの構造に似ている。
注意として網膜は中央部と周辺部で性質が異なる。
錘状体:明るい時に色や形を感じるが感度は良くない。
かん状体:感度が高く暗い時に光を感じるが色判別には難。

性質
明順応と暗順応。->コントラスト大では危険。
プルキンエ現象。

眼球の性質と環境の関連から起こる諸現象
グレア。
モデリング。
シルエット。
これらを念頭に置いて計画すべき。


3.コントロールすべき照明は下記の2種類。
(1)採光(昼光-直接光と天空光)
(2)人工照明(人工光源による光)

主なコントロールの方法。
(1)採光
直接光は時刻や天候での変動、また指向性が強。->グレア発生。
->一般には直接光を遮り、天空光を活用する。

窓の位置、大きさ、向き、形状などによりコントロール。
概して片側窓よりも両側窓の方が、同面積であっても高い位置に設置したもの、横長より縦長窓の方が均斉度が良い。側面窓よりも屋根部分にある窓の方がさらに良い。

(2)人工照明
自然環境の影響を受ける事無く安定、コントロールの自由度高。エネルギー消費多。
器具、光源の種類、数や色、取り付け位置などでコントロール。

人工照明は照明の方式、配光、照明の取り付け方法などによって分類できる。
->適宜組み合わせて使用。


4.シーンによる光の演出
有名な建築と身近な建築について照明の効果に着目して見直し図示した。



参考資料
「最新 建築環境工学 改訂2版」 田中俊六 他  井上書院
「図説テキスト 建築環境工学」   加藤伸介 他  彰国社
「初学者の建築講座 建築環境工学」 倉渕隆  市ヶ谷出版社

参考図書の内容はどれも似たようなものなのでできるだけ簡潔に書かれているものが1冊あれば良かったと思う。

2007/06/27

「伊東豊雄 建築 | 新しいリアル」 葉山でやってます

去年、東京オペラシティでやっていたものが今は葉山に来たようです。
9月2日までと長期間やっているようなので、どこかで時間を作れば行けそうだ。

神奈川近代美術館 葉山


この中の写真を見たらわかった。
銀座で見たあの穴だらけのMIKIMOTOのビルを作った人だったと。何とも目立つ変わった形なのである。建物と言うより彫刻、それも周りに銀座の景色が無かったらもっと小さくて、全高100mmと言われても納得しそうなスケール感の物。

しかし、ただ形が変なだけじゃ済まないかも知れないと思う、こんな経験がある。
あのMIKIMOTO Ginza2ビルを初めて見たときのこと。ずいぶんと思い切ったビルを建てたものだと思って見ていた。最近銀座にはいろいろな意匠のビルができていて、そのほとんどは古いビルの外観にガラスなどを貼り付けて新しく見せているだけのものが多い。

だからこのビルも外装に凝ったのだろうと思って眺めていたのだけれど、ふっと奇妙なことに気付いた。意匠だと思っていたその外壁の穴位置がランダムで、内部に垂直に立っているはずの柱が全く見えない事に。

あれ? どうしてなんだ?。

このビルは自動車とか昆虫のように外骨格なのか? 柱が立っていないと言う事は、どうしてもそう考えざるを得ない。ただの意匠のための壁と穴だと思っていたものが実は構造体かも知れない。

やってできないとは思いませんが、そんな事、わざわざやるものですか?


残念ながら、あれから未だその真相を確かめてはいないのですが、実際はどうなのだろう。
そのうちまた見にいって、今度は中身までちゃんと確かめて来よう。

2007/06/26

森美術館「ル・コルビュジエ展-建築とアート、その創造の軌跡-」を見てきた

ル・コルビュジエの建築に「触れる」またとない機会なので見てきました。

「触れる」と言う意味は文字通り「手で触れる」と言う意味。
「パリの自宅アトリエ」、「カップ・マルタンの休暇小屋」、「マルセイユ・ユニテ」が実物大で再現されていてそこを歩いて見て回ることができます。なかなか簡単に海外視察もできないのでこれは貴重な経験です。「自宅アトリエ」などは図面に忠実に微妙な平行四辺形で建てられています。ちょっと見て通り過ぎると普通の長方形かと思いますが手抜きはしていないわけです。ただ、プロムナードを体験できるほど展示スペースが無いのは残念でした。せめて太陽の光は再現していただきたかったと思います。


この展示の中で最初に驚いたことは、家具の造りです。
今売っているル・コルビュジエデザインの家具ではなくて、試作品のイスとか自邸で使用してた一品製作のテーブルが、何と量産を意識した設計になっていることに驚きました。パイプの角のRのパーツがどこも同じパーツを溶接したものだったり、足の床につく部品が汎用品であるのかまたは試作型からできたものか、それが木製であっても引物です。パイプ曲げも、LC4(イス)の微妙なRだけがカッシーナモデルで省かれて直線になっていただけで、どれもベンダーを意識したとしか思えない曲げです。テーブルは贅沢な一枚板のテーブルのように見えて、実は合板ですし、その引き出しをスライドするレールも合板に溝加工してあって別に余計な部品が必要ないものになっています。
どう見ても機械で量産する方法をよく知っている人のデザインなのです。
こう言う事は写真で見ていてもわからないものですね。


この展示の特徴はル・コルビュジエの絵や彫刻が建築模型や図面といっしょに展示されていることです。それを見ると、彼は建築でも絵でも結局同じものを作り出しているのだろうな、と思えてきます。ロンシャンの教会堂で当時のモダニズム建築らしく無さに人はびっくりしたのだそうですが、建築ばかりでなく絵や彫刻も見ていたら相当その印象は変わっていたのではないでしょうか。

よく見ればあの絵にあるバイオリンの曲線が他の(実現しなかった図面も含めて)建築にも少しづつは現れているようです。コンクリートの自由を手に入れたル・コルビュジエではありますが、やはり直線の魔力(効率を求める上でと言うことも含めて)には抗し難く、その結果「四角」が多用されたのかもしれません。しかし「四角」に本質のを見ていたのはル・コルビュジエでなく、見る方だったのだと思います。

直線(単純明快な美しさと効率の良さ)、繰返し(カルピスの包み紙のようなものや比例のようなもの。お店の店頭に小さなキューピー人形とかビニル製の豚が並んでいるだけで視線が引かれます。)、単純さ(把握しやすいモチーフなど)には人間はなぜか心惹かれるものです。そう考えれば皆がル・コルビュジエの「四角」に目を奪われるのもわかりますが、反対にそこに多く注目をしてモダンを論じるのはやはりおかしかったのではないかと感じます。(ちゃんと勉強している人はそうでなかったでしょうけれど。)

前の時代に無い「四角」や装飾の無い「白」、そういった表面的なことに目を奪われなければ、そこにあるのはやや古典的とも思える言葉ですが「比例」なのだと思います。ル・コルビュジエはギリシャやローマのモチーフを使わないパラディオのようです。



そう言えば、ル・コルビュジエ以後の日本の有名建築家の作品はル・コルビュジエのアイデアをモチーフにしているものが多いのにも気付きました。建築家になるような人はル・コルビュジエを熱心に研究していると言うことでしょうか。


ル・コルビュジエについてはいろいろな書物が出版されていて読むのもたいへんな位ですが、それらの中身は二次情報ばかりなので、今回のこの「ル・コルビュジエ展」は貴重な一次情報を提供してくれるものだと思います。

森美術館

映画「スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー」を見た

ル・コルビュジエが「住宅は住むための機械である」と言ったその真意は「美を実現するためには機械を見方につけるべきだ」と言うようなものだったと思う。(「それは違う」って言う人もいるだろうけれど。)


フランク・ゲーリー氏はコンピュータを見方につけたらしい。(映画ではコンピュータを「パソコン」と訳していた。カッコ悪い翻訳だ。)それはただの道具に過ぎないけれど、やっぱりアメリカらしいと思わないわけにはいかない。古いオーソライズされたやり方から、とりあえずでも何でも新しいものも使ってみる姿勢、これはやっぱりアメリカらしい。

カリフォルニアやNYのワインがこんなに短時間でフランスに勝るとも劣らない味になったのも人工衛星とコンピュータの技術を使ってみたからだし、新しい経営の理論、新しい装置をそれが有用そうであれば、以前がどうだったからと言う理由で躊躇(ためら)ったりしないのがアメリカ流なのだろう。


もちろんフランク・ゲーリー氏がコンピュータに頼りきっているわけではなくて、氏の本当の凄さと言うか面白さは自分の発想に制限を設けない事らしい。「爆発させた(褒め言葉)」と言う人もいるけれど、それは自らの美観に忠実であること、オーダー(映画ではオーダーを比例と訳していたけれど、建築書では比例とオーダーは分けて書かれる事が多い。)のような他人の考えた美感に頼らないことが産み出しているもののようだ。それに、ダメだとわかったらいつまでも同じアイデアにこだわらない事も。

そう言う意味で、同じようにマシンを見方につけてはいるけれど、ル・コルビュジエの美はルネサンス時代の美でフランク・ゲーリー氏の美は心の中をえぐり出すような現代美術かもしれない。

それなのにビルバオのグッゲンハイム美術館について「新しいのに100年も前からそこにあったかのよう」に感じるのはどうしてだろう。比例より以前の自然の美が人の(フランク・ゲーリー氏の)脳から出てくるからか。


(ル・コルビュジエがルネサンスなんて言ったら笑われるでしょうか。でも彼の美学はそのモチーフを使わないだけで、古典的比例を具現化したものなのだから。)



映画の最後に「彼と同じようにしたってフランク・ゲーリー氏のような建築家にはなれない」と釘を刺してあるのも面白いとおもった。


「スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー」公式サイト

2007/06/23

試験終わりました

試験終わって帰ってきました。

試験の問題は1番(アノニマス建築)と7番(成長する家)でした。
たくさん書かなければいけない問題じゃなくて良かったです。1時間は思ったより短く感じました。レポートと違って、もっとポイントを絞った形で回答を(頭の中に)用意しておくべきだったと反省。

解答用紙は横掛のレポート用紙を大きくしたような紙で、原稿用紙のようなマス目は無かったのですね。レポート用紙に慣れてしまっていたから最初は書きにくく思いました。もう一つ困ったのは、この解答用紙の紙質が良すぎて鉛筆の芯がよく滑ること。もともと字に自信がないのに、こんなに滑られては全く制御が効かず、何度も消しゴムで修正するはめになってかなり時間ロスしました。家で使っている紙が質の悪い中国製コピー用紙なので、こっちは芯先が良く引っかかる引っかかる。正反対の紙でした。そんな、全然本質とは無関係なところで困った試験でした。

そうそう、試しにアノニマス建築の例にモンゴルのゲルと熱帯地方の家のイラストを簡単に描いてみました。全部言葉で説明するより楽だから。

今日は試験

今日は建築計画学Ⅰの試験だ。
14:20~15:20が試験時間なのでお昼ごろに出発の予定。
持って物は、受験票と設題集とテキストと学生証と筆記具位だったかな。

今日、何人位が同じ時間に東京サテライトで受けるんだろう?
今年度1回目だから人数は多くないんだろうか。
試験なんて何年ぶり?
いや、何十年ぶりだろう?
だからと言ってあまり緊張しているわけでもなし。

試験が終わったら、森美術館と西洋美術館とフランク・ゲーリー見に行こう。

2007/06/22

建築計画学Ⅰ試験の予習

明日はいよいよ初めての試験なので予習をしておこうと思う。

注意:自分で勉強したい人はここから下は見ない方が良いかもしれません。
テキストに出ている内容の箇条書きだけでたいしたものではありませんから、見たからどうなるってほどの物でもないです。

(注意:内容には多分間違いがあります。間違いの指摘は大歓迎。)





第1設題
アノニマス建築(テキスト:第4章 風土と建築)
●アノニマス建築の定義
建築家の手によらず無名の人々によって造られた建築のこと。
インターナショナルスタイルとは対照的。風土的、無名的、自然発生的、土着的。自然条件、地理、歴史、文化などの影響もある。
●特徴
歴史的に積み上げられた生活の知恵や技術の試行錯誤の結果として、経験的な規則性がある。その地域独特の秩序や固有の原理によってその建築方法や外観などが規定されている。
●材料
その地方に自生する植物や産出する鉱物などを使用する。これにより永続的に生活を営む事が可能となっている。またエネルギー消費が少ない傾向にある。



第2設題
人口の構成比と住宅計画(テキスト:第6章 社会と建築)
産業構造の変化->家族構成や人口構成の変化->住宅計画の変化。
●農業中心であった時代
全構成員が一体感ある生活。
->広間を中心に仕切り(プライバシー)少ない。子供多い。
->農業生産に必要な空間も備える。
●工業化時代
都市への人口集中。核家族化(夫婦+子供)を中心とした生活。子供少ない。夫は昼間仕事、子供は学校、同居しながら生活がバラバラ。
->nLDK。面積小。部屋数が多く個別生活重視のプラン。
●高齢化時代(将来)
住居者自身で自己充足不能。介護、介助、その他外部サービスや地域社会にある代替機能に家の機能を置き換える必要あり。
->何らかの方法で「外に開かれた住宅」となる。
->住宅を社会ストックとして考えるなら現在の住人が必要としなくても「外に開く」機能を考慮すべき。



第3設題
健康と建築環境(テキスト:第8章 健康と建築)
これはテキストの内容そのまま。但しテキストには「社会的福祉の状態」について具体的言及が無いようなので、「となり近所、地域社会との良好な関係を築くことができるよう、プライバシーや助けを必要とする場合への配慮が必要」かと思う。



第4設題
視知覚(テキスト:第11章 空間と知覚)
大きく分けて2方向から。
(1)使用者への配慮
(2)計画する側の留意

(1)使用者への配慮
●充分な明るさが必要
●暗順応、明順応に注意
●盲班の存在に注意
●奥行知覚に注意
(これは+面として狭い空間を広く見せることで精神的ゆとりをもたらす。-面として傾斜誤認などがある。)
●高齢者・身障者への配慮

(2)計画する側の留意
●プルキエン現象
●色の面積効果
●奥行知覚
いずれも紙面での設計段階と実物が異なる可能性あり。



第5設題
人と人、人と物の距離とアフォーダンス(テキスト:第12章 空間と人間の行動)
建築は使用者がその空間を快適に感じ、その使用目的を達することができるよう機能的かつ安全なものでなければならないが、アフォーダンスと言う性質を利用することで人と人、人と物の距離が適切なものとなるように計画せねばならない。
(具体例はテキスト)



第6設題
長屋、テラスハウス、コーポラティブハウス(テキスト:第29章 居住系)
●類似点
3者ともに集合住宅。
●相違点
コーポラティブハウスは建築上の形態ではなく「供給方法」による分類。
テラスハウスと長屋は現在はほぼ同じ意味で使用されている、水平方向に区分された集合住宅で各戸の玄関が直接外部に接しているもの。
テラスハウスは共有または個別のテラスを有するのを特徴とし、両側面の壁を共有する一戸建住宅の集合と言う意味合いが強い。



第7設題
成長する家(テキスト:第16章 成長と変化の計画)
建築に対する要求は年が経過するとともに変化する。
その要因
●家族構成の変化(人数の増減、子供の成長、居住者高齢化など)
●建築自体の問題(老朽化など)
●時代環境変化(流行、生活スタイル、生活レベルの変化など)

成長の方法(既存建築物)
●しつらえを変える
間仕切り、カーテン、照明器具の交換など。
●用途変更
利用価値の無い空間を新たな利用価値のあるものへコンバージョン。
●増改築
寿命を迎えた設備を外す、新しい設備やユニットを取り付け、増築、改築など。

成長を見込んだ計画
●スケルトンインフィル
●プロセス・プランニング
●モジュラー・プランニング
●メタボリズム



第8設題
動作寸法と建築計画(テキスト:第18章 寸法の計画)
動作しても危険でないこと。
動作がスムースに行えること。
高齢者、身障者、子供などハンディキャップある人にも考慮する。



第9設題
事故と対策(テキスト:第20章 建築物における事故と安全計画)
これはテキストの内容そのまま。



第10設題
C.H.ジョーンズの方法(テキスト:第24章 設計方法論)
設計を完成させるプロセスは大きく分けて2通りがある。
(1)Glass-Box Method(P.E.R.T.やD.E.R.T.)
(2)Black-Box Method(ブレイン・ストーミング、KJ法、BS法)

「C.H.ジョーンズの方法」は両者の良いところをとって構成した方法。

(1)のP.E.R.T.は決定したプロセスを進行するのに適す。D.E.R.T.はP.E.R.T.を元に設計プロセスに合うように改良したもので、プロセス中の意志決定イベント、フィードバックなどを設けている。直線的に進行するには良いが現実に存在する限界を超えてアイデアを出す事は難しい。

(2)は現実の限界や規制、条件にとらわれない自由な発想を引き出すことができるが、どうどう巡りに陥ってしまい、結果を出すことが難しくなる場合がある。

2007/06/21

通信で勉強すること

通信制で勉強を始めてから約3ヶ月半経った。
レポートはまだ6通で、スクーリングも1回だけ。まだまだ先は長い。


思い起こせば初めて「大学」と言うものを経験したのは二十数年前。
あの頃の大学生と言えば「ちゃらちゃらして勉強もせず昼間から遊んでいる人たち」と言うイメージだったと思う。そんな状態でも何とか卒業できたりしたものだ。

「...と思う」と言ったのは自分の大学はそうでもなかったからだ。ちゃらちゃらした大学生ってテレビなどで聞いてはいたけれど、それは多分有名大学の人たちなんだろうなあと思っていた。同じ東京の大学なのにそんな友人はいなかったから、その感覚は分からず仕舞いで卒業してしまった。自分の通っていた大学は工学部だったこともあって、割と忙しかった。

忙しかったからと言って、何かについて深く勉強できたわけじゃなかった。カリキュラムをこなすのが精一杯だった。しかし、それはそれで目論見通りでもあった。なぜなら、あの大学を選んだのは好むと好まざるに関わらず勉強しなければならない校風で、わざわざそれを選んだのだから。

大学入試の前に一番に思ったのが、小中学校や高校のように決められた時間に席に座っていると何となくでも強制的にでも頭に詰め込んでくれるスタイルはこれで終わりなんだろうなあ、と。大学に入ってこれからは自由に勉強しなさい、と言われるとそれは「良かった」、「開放された」と思う反面やはりちょっと不安がある。だからちょっと忙しい大学を選ぶべきかな、と思ったのだ。檻に入れられた動物が、その扉を開けてもらえば自由を喜んで何処かへ行くかと思えば、今度は外に出るのが怖くて檻に留まってしまうようなものかもしれない。


今から考えると、あれは決して自分として良い選択ではなかったように思う。やはり勉強は自分でやりたい事を選んでやるべきだし、高校を出て人生の目標が何も無い時点で一所懸命勉強もないものだ。それも今だから言えることなのだけれど。


今回の通信制による大学への就学は1年前にやってみようと思って調べておいた事だ。しかし仕事が入っていたしその後台湾に行ったものだから自然と延期になって今年度になった。

科目終末試験の申込書を送った

昨日、「建築史」のレポートが帰ってきたので前回帰ってきた「建築構造学Ⅰ」といっしょに7月21日東京サテライトで試験を受けることにして、申込書を送った。前回と同じように申込書をセブンイレブンでコピーしてから受験票、返信用封筒といっしょに封筒に入れて投函。切手がたくさん必要だ。

試験の前の週にスクーリングがあって大変かもしれないけれど、ここはひとつ、何も考えないで受けることにしてしまう。今ここで試験の設題集など見たら怖気づいてしまうかもしれないから。

2007/06/20

建築史のレポートが帰ってきた その2

第2課題 アンドレア・パッラディオ

講評では建築家に関する記述は良いとのこと。ただルネサンス期の歴史的背景と建築理論に関する記述が少ないのが残念、と書かれてしまいました。

講評注記の概要
「パッラディオ(1508~80)は生涯のほとんどをヴィチェンツァで過ごす。作品のほとんどはその周辺にある。出世作ヴィチェンツァのバシリカは既存のバシリカにドリス式の上にイオニア式オーダーが積み重なった2層のロッジア(柱廊)を付加し古代さながらのバシリカの再現を目論んだもの(パラディアン・モチーフ)。同じくヴィチェンツァで古代劇場の再現としてのテアトロ・オリンピコを設計。当時ヴィチェンツァは経済発展を遂げ、郊外でヴィラの建設が盛んとなり、パッラディオはそのための新しい形式を創案した(代表作、ロトンダ)。古代神殿風ファザードや対称性、幾何学性ある平面が作風はヒューマニスト的特質である。田園邸宅を農作業用建物と組み合わせた、古代ローマ住宅の研究をもとに多くの作品(具体的作品名省略)あり。いくつかの教会堂も建築していて、サン・ジョルジョ・マッジョーレ、イル・レデントーレのファザードは2枚のファザードが重ねられたように見える構成で高さの異なる身廊と側廊を持つバシリカ式にマニエリスム的ファザード処理の一つの回答を得たもの。」


->「古代神殿風ファザードや対称性、幾何学性ある平面が作風はヒューマニスト的特質である。」この意味がわからない。どうしてヒューマニストなのか。
調べてみると「善や真理の根拠を、神でなく理性的な人間の中にみいだそうとする考え方」なのだそうで、なるほど、神殿建築の要素を人の住む家屋に用いるのは人の中に真理があるからと言う意味らしい。

ヒューマニズム -Wikipedia

しかし、これはパラディオの著書を読んでいても、汲取れない考え方である。多分「ルネサンス時代」に共通する認識としてヒューマニズムを定義していると考えられるが、「ルネサンス」と言う言葉を定義したのはルネサンス期ではなくて19世紀である事、この時代はかなり混乱していた時代である事も考え合わせると、果たしてパラディオがヒューマニズムの意識を持って生きていたかは研究の余地ありと思われる。

パラディオはギリシャの神殿建築がギリシャ人の住居建築が基になっていると思っている(これは彼の勝手な想像だけだったと判明している)ので、神殿に使われる比例やオーダーを住居に使うことに躊躇しなかったと考える方が納得できる解釈だと感じられる。

レポートを出してしまった後なのでこの件について充分に調べることはしないが、これを読んで誰かがヒントをくれたら嬉しいのだけれど。


->レポートを書く上ではどうしても歴史的背景は局部的学習になりがちなのでルネサンス全般やその前の時代にまで遡って流れを見るのは難しいものです。そうなると何がマニエリスム的であるのか、どうしてそうなったのかまでは分かりませんでした。そのため、レポートではパッラディオがどんな事をかんがえていたどんな人なのかを中心に書きました。それで精一杯だったと言うことです。(ただの言い訳ですが。)


レポートに書いた概要

パッラディオの著書を読んでもどこが「理論」なのか、単純に意匠についての解説であるのか判然としないと言うのが正直なところなのです。読んでの印象は理論と言うよりは実用的で総合的な知識体系の書です。これは以前に「パラディオ(ルネサンス建築)」で描いた図をもう少し綺麗に描きなおして用いて解説を加えました。
パラディオの目的は「美の追求」にあったと思われます。ローマのモチーフを自由に使うと言うことでマニエリスム建築に分類されますが、それは比例と言う美の本質を表現するためであって、モチーフをそのまま貼り付けて使うだけが古典ではないと言う立場です。

彼は自らを「ローマ建築の正統なる後継者」と考えていたということです。

実際の特徴的と思われる建築の写真と図面のコピーを5点添付し、そこに補助線や吹き出しでコメントを入れて提出しました。


(本にある写真はコピーするよりも自分でデジカメで撮影して加工した方が綺麗に仕上がるように思われます。写真はPacasa2で傾きを直したり色調整をしてからOpenOffice.orgのDrawに貼ってからコメントや補助線を入れています。レポート本体は手書きしているのですけれど。)

建築史のレポートが帰ってきた その1

建築史のレポートが提出後約2週間で帰ってきました。
評価はAでした。とりあえず安心。

安心したのもつかの間、余白には赤字でたくさん書かれています。

第1課題 寝殿造について
寝殿造の寝殿部分を重点に書いた事に対して「平安時代後期になると対屋(たいのや)の縮小、消滅とともに小寝殿がが建てられ二棟廊や待廊の重要性が増すこと。日常生活の場としての常御所が生成され生活様式・家族構成・相続形式など多くの変貌を遂げる」事を書き加えた方がよかったとの講評でした。

本文中に注記いただいた点(その1)
寝殿の特色は次の2点。
(1)敷地の四周に塀を巡らすこと。
(2)コの字またはロの字型に建物を配置する中庭型住宅とすること。
中庭型住宅は中国の都市型住宅、三合院や四合院に起源を持ち、平安時代初期に導入された。また塀を巡らすのは藤原京造営時に貴族に班給された宅地が1町(約120m四方)~4町と広かったためと推測される。

->中国の建築を範とした事は参考書にありましたが、作りについては高床の掘立であるので古代の神殿に用いられた様式ではないかと私は考えます。また、中国の庭を囲んだ様式に寝殿造は似ているのですが、参考資料に当時の中国の人々の暮らし方やどのような身分の人たちの住宅かなどが書かれていませんでしたので、どの程度真似たのか不明だったので私はレポートには書きませんでした。
->小寝殿その他、北側の重要性は増していったのですが、その暮らし方や時代背景、権力関係など、これは建築以外の歴史まで別に調べておく必要があります。これは歴史に興味のある方でないとかなり大変です。

先生の注記(その2)
「平安時代後期になると、寝殿造住宅にさまざまな変化。左右対称を理想としながらどちらかの対屋を欠くなど。寝殿平面には北庇の外に北孫庇を設けて拡張されるが、その原因は母屋や南庇を儀式や行事に使うことが多くなり、生活の場を北側に移したためであろう。北庇と北孫庇は一体となり寝室である塗籠(ぬりごめ)が北庇に入ったり、日常の座である置畳や寝る為の帳台を置くようになる。中世には塗籠の無い寝殿が現れ、母屋が生活の場として使われなくなった事を示す。対屋に代わり小寝殿が建てられ、さらに小御所に変わった。小寝殿が建てられた目的は不明だが、小御所(内裏では東宮御殿と呼ばれた)は世子の為のもの。寝殿造では対屋は娘の為に、小御所は息子のためのもので、家族構成の変化に対応していると考えられる。結婚形態も妻問い婚から婿取り婚h変化してきているが、平安時代の終わり近くになると親が息子のために家を用意し嫁を迎える形式が現れてくる。」

->私が書いたのは家族構成についてこのようなもの。
「行事が行われるとしてもそれはファミリーに近い人々が集まるもので、謂わば親睦会のようなもの。政治的な決断をする会議よりは結束の方が重要と考えられる。だから故人宅に集まるのだし、行われる場所(庭)も中国の四合院と違ってそこは外部に接してはいず、庭であっても一度は建物を横切って入らなければならない裏庭のような意味合いの庭になっている。」

->ハレとケについては下記のように書きました。
「ハレとケは平安後期のこの時代に建築に現れ始めたもので、ハレとケが儀式の予定に多く記されるようになるのもこの頃。ハレとケは北と南といった方位で区別されるのが基本。しつらいによって顕著に表されるのは"屏風(唐絵はハレ、大和絵はケ。)"と服装の色程度。」

2007/06/18

映画『スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー』

映画『スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー』が公開されています。東京ではBunkamuraで6月中(7月は未定)、その他地方では順次です。

建築家フランク・ゲーリー氏はスペイン、ビルバオのグッゲンハイム美術館、神戸のモニュメント、フィッシュダンスなどの作家だそうです。


私にはどんな建築家なのか全然予備知識がありませんでしたが、Wikipediaにある作品写真を見て、その形には驚きました。建築の形はこんなにも自由にして良いものなのか、と。「建築家の思い通り」にして良いものなのか、と言う意味での驚きです。

建築物を見て思う事の一つに、その建築に表れる1本の線は建築家の「傲慢」かそれとも「必然または必要」なのかと言うことです。建築が芸術であれば傲慢もあり得るものですが、建築と言うものにはそのオーナーもいれば使用者もいる、使用者でなくて外から見るだけの人もいます。建築に表れている1本の線は誰のためのものなのでしょう。

フランク・ゲーリー氏に頼むような方は氏の傲慢かもしれないその線を望んでいるわけですからそれで納得されるのでしょう。建築家を目指している多くの皆さんはこう言う人になりたいと思うのが普通なのでしょうか。

でも現実に建てられる建築物のほとんどは、氏のものとは正反対にかなりストイックなもののように見受けられます。つまり、フランク・ゲーリー氏のような建築家はごく一部なのでしょう。



........!

日本の建築家が全員フランク・ゲーリー、安藤、ル・コルビュジエ、黒川....のような人だったら日本は遊園地みたいに楽しい景観を持つのでしょうか。見てみたい。

試験が終わったら見に行こうかと思います。

フランク。ゲーリー -Wikipedia

2007/06/17

新日曜美術館(070617)~ル・コルビュジエ~

NHK教育TV
「新日曜美術館~近代建築の父 ル・コルビュジエの真実~」が放送されていました。
(再放送あり。今夜20:00~21:00)

森美術館でやっている「ル・コルビュジエ展:建築とアート、その創造の軌跡」に連動した内容です。普段写真と言う固定した視点からしか見られない建築を実際に歩いたようにして見られるののが良いと思います。




ル・コルビュジエの建築を(写真で)見る時に、まずその「四角さ」を見てしまう。その「四角さ」と「モダニズム」を結びつけてしまうところに見る我々の限界があったのではないだろうか。そして「住むための機械」と言う言葉を聞くことで一種の固定観念ができてしまうのかもしれない。さらには同時代のミース建築、そのちょっと前のライト建築やキュービズムがそれを補強する。

ル・コルビュジエの描いた絵、その建築における比例を総合して観るときに、ルネサンス後期のパラディオを思わないわけにはいかない。モチーフに対して自由すぎると言われても、異様と思われても、そこに一貫してあるのはやはり何時でも「比例」であり「美学」なのであって、現在的な定義における建築と言うものではないように感じられる。

だからル・コルビュジエの建築に「四角さ」を見てはいけないのではないだろうか。

2007/06/15

ル・コルビュジエ その2

ル・コルビュジエについて2冊ほど斜め読みしてみた。


建築の内部空間について、ル・コルビュジエがどう考えているかについての記述。
「建築とは内部のサーキュレーションであるとは言えまいか。無論、単なる機能的な意味ではない。建築とは内部空間におけるサーキュレーションだと言うのは、むしろ情緒的な理由による。建築作品の様々な表情-決して忘れ得ぬ交響曲の美しい調べ-は歩を進めるにつれてその全貌を現し(中略)。内部空間におけるサーキュレーションの質が、生物のように建築を作品としてまとめ上げる。」※1-p38~39

建築家が学ぶべきことについての記述。
(伝承文化を利用するだけに陥ってしまったアカデミズムに対してと言う意味で。)
「自然、意識、そして芸術こそが、我々が意を決して学ぶべき課題のすべてであるとわかったであろう。」※1-p56

ル・コルビュジエは建築を「芸術」に属するものと考えていた。
「機械とともに歩む」必要があるのは、云わばそれが時代の流れであり、美学上の「比例」を表現する手段として「機械を使う」と言う立場の表明である。つまり、ル・コルビュジエはあくまでも「芸術家」と言う建築家なのであって、「技術者」とは一線を画す。

現代建築論のテキストになっている「20世紀建築の空間」(瀬尾文彰-彰国社)の中で、「有機的」と表現されていた。これはミース建築の「均質空間」に対照して言われたもので、確かに区分けされた空間と空間が一つの大きな囲いの中で関係を持つように構築されていると言う意味では「有機的」である。しかし、他の建築における「有機的」とル・コルビュジエのそれが随分違っている印象は拭えない。

それは、簡単な言い方をすればル・コルビュジエが、我々と同じような「生活者」ではなかったからだと思われる。空間と空間の関係はル・コルビュジエが歩く事によって次々と変化する風景の展開におけるものを意味し、映画の場面展開のようなものなのである。多分ル・コルビュジエは床に掃除機をかけなかったであろうし、自分で魚を焼かなかったのではないかと思う。


そう思っていたら、別の資料にこんな記述があった。
「アラブの建築は、足で歩くことによって理解されるものである。歩いて、動いて、やがてその建築の秩序を知ることができる。ところが、これはバロック建築とは全く逆の原理だ。(中略)まさにアーキテクチャル・プロムナードが導入されている。これによってたえず変化していく眺めが展開される。それは予期することができず、時には驚くほど素晴らしい眺めである。」※2-p41

これは東京の西洋美術館のためのアイデアに限定されるのではなくて、ラ・ロッシュ邸(1923年)における「散策斜路(プロムナーディング・ランプ)」にまで遡るそうだから、建築家として活動し始めた割と早いうちに建築家としての態度を決めてしまって、そこから大きく動く事がなかったのではないだろうか。


ル・コルビュジエの設計した家に住んだ感想を書いた資料は無いものだろうか?
できれば自分で一度住んでみたいものだ。



参考書はル・コルビュジエについて盛り沢山の内容で、ここにその概要を書ききれるものではありません。いろいろな意味で資料価値があるものだと思うのですが、ここでは初学者として「ル・コルビュジエってどんな人?」という初歩的なところに絞って読んでみました。


参考書
※1「建築家の講義 ル・コルビュジエ」岸田省吾 丸善
※2「ル・コルビュジエと日本」高橋秀爾(しゅうじ)他 鹿島出版会

受験票到着

昨日(6月14日)、建築計画学Ⅰの受験票が届いていた。
5月28日に提出したから17日目だ。試験までは1週間とちょっと。
これから建築計画学Ⅰを思い出して復習しないと。もうだいぶ忘れているはずだから。

2007/06/10

ル・コルビュジエ その1




現代建築論(選択)の参考図書「第一機械時代の理論とデザイン」から"ル・コルビュジエ"に関してまとめてみた。

この参考書では近代の建築の思想史が解説されていて、コルビュジエに関しては1920年代を辿っている。

テキスト「20世紀建築の空間」の中では「ル・コルビュジエの幾何学的な箱の中には、生活と言うもののまるごとのイメージあるいは人が生きることへの夢がおさめられていた。」ことで、その建築から受ける第一印象とは違い「有機的である」ように書かれています。しかし「第一機械...」の方では(1920年代)「機械とともに歩むべき」となっていて、この時代には未だその具体的生活のイメージは限定された人々(つまりは建築家のクライアントである中産階級以上)のものだったように思える。今ひとつ有機的であるかどうか納得しかねるところあり。



「家は住むための機械」とは。
読んで字のごとくわかる、と思える言葉だ。工業の発展に刺激されて「これからはこう言う時代」と感じた故の言葉かと思っていた。確かにそう言う面はあるけれど、それ以前にこの言葉には前提条件があったようだ。

・伝統的、古典的なモチーフを用いて建築を構成する事の意味が無くなってしまった時代であったこと。
・機械化、工業化は同時にやってきた。(ある意味、たまたま同時に来ただけ。)しかしこれは産まれる次から滅びる運命にあるもの。
・残っているのは人間の理性(幾何学)と情熱からくる「美学」だけ。これは滅びない。そしてこれは建築の仕事である。
・ここに新しい調和、規律を作らねばならない。これが「住むための機械」と言う選択。(ルネサンス期のパラディオに似た発想。)


(画像をクリックすると読み易くなります。それでも読めないならコメントください。高画質に差し替えます。...必要ない?)

2007/06/09

建築構造学Ⅰのレポートが帰ってきた

建築構造学Ⅰのレポートが帰ってきました。
評価はAでしたが、もう少しこうした方が良かったとも講評いただきました。

第1課題
木造3構法について
(1)構法の成立・変遷の歴史的起源
(2)柱・梁などの「主要構造体」の概要
(3)「小屋組」の方法
(4)柱・梁などの「軸組」の耐震に対する配慮
(5)特徴(長所と短所)

レポート
(1)歴史年表の抜粋をA4にまとめて添付しました。
(2)かんたんなスケッチ(パソコンで描いた)を表形式に添付しました。
(3)各小屋組のバリエーション数点づつをA4にスケッチ(パソコンで描いた)し表にまとめました。
(4)(5)箇条書きを表にまとめました。
全てに箇条書きでまとめた文を書き上記「図表を参照」と記入したのですが、講評では図に直接文(箇条書き)を書き加えた方が良かったとの事です。文字数よりも一覧で伝わる方法を採るべきだったと思います。



第2課題
「鉄骨構造」について「鉄筋コンクリート構造」と比較して述べる。
(1)~(5)第1課題の木造と似た設題。

レポート
これも木造とだいたい同じようにまとめました。
やはりこれも図と文章部分をレイアウトしてまとめた方が良かったかもしれません。
講評では「鉄筋コンクリートの記述が少ない」と書かれてしまいましたので、鉄骨と同じ量になるように鉄筋コンクリートについても書くべきでした。
歴史年表には鉄とコンクリートの生産体制が整い始めるところからと思い18世紀からにしてしまいましたが、講評では「紀元前7000年頃のイスラエルでセメントに似たものが使われ、古代ローマ帝国でも組み石造りでコンクリートに似たものが使われています」との事でした。これは分かっていて省いたのですがちゃんと記入すべきでした。

2007/06/06

建築史のレポートを提出



やっとのことで建築史のレポートを郵送。封筒の重さ91gだった。切手代は15円。

図書館に本を返した。自転車が重かったけれど、今日は晴れていて助かった。

2007/06/05

パラディオ(ルネサンス建築) その2

「アンドレア・パラディオ」についてのレポートがようやくまとまった。

このレポートをまとめるのに苦労したのは「何がローマ的で何が建築家オリジナルなのか」という基礎知識が全く無かった事に尽きる。写真や図面を見てもどこがどう工夫されているのか、ローマ時代の建築とルネサンス建築の区別も分からないのだからまさに致命的。
しかも、それが力学的にどうか等と言う現代人に普通理解できる話ではなくて、「美」などと言うところから入るのでなお意味不明になる。写真を見てそれが威厳たっぷりなのか、女性的優しさなのか、検討もつかない。


「アンドレア・パラディオ」
1.時代背景

パラディオはルネサンス後期の建築家である。マニエリスムの時代。

パラディオの態度
パラディオ自身から見ればローマ的「美」の原則論を貫く姿勢が重要なのであり、単に自由勝手にに改変しているとは考えてはいない。むしろその反対。マニエリスムと同視して良いとも思えない。パラディオはローマ建築の正統なる後継者を自認していたのではないか。


2.建築理論
「理論」ばかりでなく実用的で総合的な知識体系。

美の追求
パラディオ建築の中心になるものは「普遍的美」の追求にある。
調和比例の中に美が存在する。自然の法則の中の美を求める態度。

実務的要素
彼が30歳まで建築家ではなく石工であった事が関係しているのか。
材料、施工、間取、実用性、気候、建築主に似つかわしい装飾などを提起。

2007/06/04

建築史のレポートがあと半分

建築史のレポート、日本建築の課題ができた。

寝殿造についてはこの前調べておいたのだけれど、「ハレとケ」を説明しろと言われるとこれについて解説している本が見つからない。それで、イマイチ確信が持てなかった。

いろいろ調べてみたら住について考えるための基本図書に「日本中世住宅の研究(川上貢 中央公論美術出版)」と言う本があった。寝殿造は中世ではなくて古代に入るのだけれど、中性に入る前の「ハレとケ」の成立について少しだけ書かれてる。

これによれば「ハレとケ」で住宅を規定するようになったのは平安時代後期になってかららしい。なるほど、それならば寝殿造の成立と「ハレとケ」の成立はリアルタイムに関連していると言う事か。......

建築造形Ⅰのスクーリング申込み

建築造形Ⅰのスクーリング(7月14~16日)は今日から申込み期間に入った。
たった今、費用を振り込んで申込書を大学に送りました。
初めてのスクーリングです。

7,500円/単位 x 2単位 = 15,000円
払い込み手数料は150円、申込書を念のためコピーして10円。

2007/06/03

「猫の建築家」と言う本

ルネサンスの古典主義を調べていたら「美とはそもそも何だ?」と思った。
古典主義について書いた本にはオーダーの事、比例の事、そして代表的な建築家とその作品について相当詳しく解説されている。

けれど、どうしてルネサンスの建築家たちは美の源泉をローマに求めたのか。たまたまそこに残っていた多くの遺跡に自らの先祖の威光を感じたものだったのか。基本的な疑問としてオーダーはいったい何のためにあるものなのか。

比例の法則に従うだけならば数学を勉強すれば良い。立派な付け柱なら立派にデザインを考え出せば良いはずなのに。何故自らが古代ローマ人建築家の継承者でなければならないのか。その規範にどんな美を見出すと言うのか。



そんな事を考えながら街を歩く。
工場や古い雑多な建物が壊されて新しい高層マンションがニョキニョキと建設されている。

もともとそこにあった古い建物は確かに汚かった。けれどそこには人の生きる臭いに満ちていた。今は重機が入って一面の赤土の原だ。「高層マンション」聞いただけで胸が悪くなりそうになる。

なぜ「高層マンション」にそんなに嫌悪感を感じるのだろう、と、ふっと思った。



もし、その高層マンションをパラディオが設計していたら?
(亡くなった人だから無理だけれど。)
ローマの美を現代に再現した高層マンションであったら、こんなに嫌悪感を感じないで済むものだろうか。



アメリカなどでは大学の図書館その他多くの建築に古典主義の要素が使われている。そして実際に使われている。アメリカの歴史などたかだか200年。ローマ時代はその10倍も昔の事。そんなローマの建築がアメリカの大地に存在する地理的な理由は全くない。

そういった事が日本で起きたら。つまり普遍的な美を追求する高層マンションがそこいらじゅうにできるとしたらどうだろう。この嫌悪感は無くなるものだろうか。高層マンションが理想的な美を約束する言葉であったら。


「猫の建築家」と言う本を見つけた。
猫が「美」について考えていた。いったい美はどこに存在するものなのだろうと改めて思った。猫のように。



「猫の建築家」
作 森博嗣(もりひろし)
画 佐久間真人(さくままこと)
光文社

パラディオ(ルネサンス建築)



パラディオについて調べてみた。

古典主義と言ってもローマ時代を忠実に再現しているだけではなく、ルネサンス期以前に成立した構法(ボールト天井など)、当時流行していたもの(マニエリズムの影響など)の影響も受けている。

その上で美の源泉をローマ建築に求めている。
美は建物の輪郭における比例関係の中にある。(軸線は用いていない。)

研究したのはローマの神殿だが、神殿は住居の構法を拡張して造られたはずだと言う確信(仮説)に基づいている。古代ローマ人が神殿に用いた様式を住宅に適用している。

比例関係とオーダーの様式以外は自由な計画を行っている。

キリスト教の無いローマ時代の信仰は迷信だと考えている。よって比例から来る美は神や信仰からくるものでは無く、もっと普遍的な「自然の法則」のようなものから導き出されたものと考えている。


アンドレア・パラディオ
(1508~1580 ルネサンス後期、マニエリズム又はマナリズム期にあたる。)
13歳で石工の徒弟となる。
2回脱走の後ヴィチェンツァへ移り石工となる。
1530年石工のマエストロ資格取得。
1534~36ヴィチェンツァ大聖堂の大祭壇の製作。
1537~38屋敷の改造工事でトリノッシと出会う。
1538~50トリノッシに師事。建築を学ぶ。
ローマにて建築調査旅行。(1541、1545~46、1546~47、1549)



参考書
「パラーディオ『建築四書』注解」桐敷真次郎 中央公論美術出版
「古代主義建築-オーダーの詩学」A・ツォニス R・ルフェーブル 鹿島出版会
「『アンドレア・パラーディオの建築と図面』解説」桐敷真次郎 本の友社