先日講演会に行ったこともあり、安藤忠雄の本を借りてきて読み始めた。理由あって、まだ読み終われない。ちょと苦痛に感じてきたところだ。
「安藤忠雄 建築を語る」安藤忠雄 東京大学出版会
「安藤忠雄の夢構想」安藤忠雄 朝日新聞社
「安藤忠雄建築展2003・再生-環境と建築」デルファイ研究所
まず1冊目を読んでいるが、文章自体はまあ、読み易い。ただ、論点が途中で途切れて自分の建築や体験のディテールに入りすぎてしまうので、ここから脱して頭を元に戻すのがたいへんである。ともすると全く別の部屋に迷い込んだように感じられる。
また、建築家が使う所謂、建築の言葉や単語をかなり単純に使っている事には読んでいてイラつかされる。「対立(内-外、西洋-東洋、部分-全体、歴史-現在、過去-未来、抽象-具象、単純性-複雑性)」「均質化」など、普通に教科書的にまとめられた言葉をそのままの単純な意味で使って良いものかどうか。そう言う基礎的な部分から読んでいて疑問を感じてしまい、なかなか読み進む事ができない。
これは黒川紀章の文章にもル・コルビュジエにもフランク・ロイド・ライトにも (そんな以前の人と比較して良いとは言えないだろうが) 感じられなかった事である。思うに、彼らの時代には自分が定義せねば自分が使える言葉が建築の言葉の中には無かったのかも知れない。安藤忠雄の時代 (現在) にはもうその心配があまり無いのではないか。有り物の単語でも自らが語れる時代なのかも知れない。
本当にその定義は妥当なのかと問う、こちらの問題に過ぎないのであろうか。
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