先日書いた「古代都市の比較」の中で、ギリシャにアクロポリスがあってローマに無いのは何故かと書いた件でご意見いただいたので紹介する。
※アクロポリスが在る無いと言うのは、ギリシャは人間の活動する都市の中心に神殿は置かず、外に置いている。ローマは神殿(アクロポリスと言う名では無い)は都市の中心にある。ローマは先に発展したギリシャの都市構造をモデルにしているのに、この違いは何故起こったかと言うこと。
以下は、ご意見いただいた方からのもの。(原文のままではない。)
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ローマは「全ての道はローマに通じる」と言うように都市計画が計画的に行われていたたに、ローマにすべての施設がうまく集中できたのではないか。
その点、ギリシアは無計画だったのでは。
その要因としてはギリシアは攻めてくる他国から国内を守るのに精一杯であって、都市整備を行うどころではなかったのではないか。とにかく強い兵士を作るのに必死でスパルタのようなポリスで厳しい試練を行っていたのではないでしょうか。
ローマの戦術の一つに、侵略した国の国民もローマ市民として取り入れてしまうという、姑息な手段を使っていたので(奴隷→ローマ市民)領土拡大をしていって人が増え、統制がつかなくなってっ民主制になった。そのうちあちこちに施設が散らばっているととんでもない事に
なってしまうので集中して管理できるようにしたのではないだろうか。
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そして、自分で考えてみた内容は下記。
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ギリシャはローマのように他国、他民族を併合せず、全部自前で済ませた為に他民族の神を受け入れる必要はなかった。だから一番良さそうなところに神殿を作った。ギリシャの神はもともと森にいたから人間とは住む場所がちがっていたと考えたかもしれない。オーダーで囲ったのは森の象徴だとの説がある。石でできた神殿は元は木造であったが、太い木材が入手できなくなったかそれとも長持ちするよう石で造ることにし、白色の方が綺麗と言うこともあって木材から石材へ変えたのか。だからもともとの位置から移動したりすることは考えなかったのかも知れない。
ローマの他国支配は貿易のためであったから支配しても相手がやる気を無くすと困る。だから有能な人は被支配国の人間でも出世させたしそちらの宗教の神も認めた。アジアの神が西の神と統合された形跡もある。であれば、他民族で上手くやる為に神殿は街の中心に置く方が好都合であったとも考えられる。
もう一つに、ギリシャの男は戦いが無いときは実はやること無かったから思考が上に向って、つまり哲学的な方向へ向ったのではないだろうか。ローマ人の方が商人気質であったから思考が横に、つまり外との関係に広がっていったかもしれない。
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意見をいただいた方、ありがとうございました。
また、他の方からもご意見お待ちしております。
追加資料
古代の奴隷制度 - 歴史と世間のウラのウラ
テキスト「地域共生の都市計画」では、古代の都市に関する説明は少なく、ギリシャもローマもステレオタイプな古代のイメージからの説明しかされていない。例えば、「奴隷」と言う言葉、「王政が神から権威を授かる宇宙観...」などと書かれているがギリシャとローマではそのあり方は大きく異なっている。ここから古代都市の何を学べと言うのだろうか。
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