2007/04/30

スカイハウス その3



護国寺に行ったついでに、その近所にある「スカイハウス」も外から見せていただきました。もうレポート書いてしまったけれど、一応現物確認。でも現在の姿は外から見ても本で見るあのスカイハウスっぽく無いですね。残念でした。

代官山ヒルサイドテラス



28日に現地を訪ねてきました。そしてやっとレポート書きました。
以下はその資料と概要です。
(見た方は信用しないでください。これはメモです。)

建築計画学Ⅰのレポート第2課題のテーマ。

資料
「見えがくれする都市」槇文彦 鹿島出版会
「記憶の形象 都市と建築との間で」槇文彦 筑摩書房
「都市の地球学」原広司x槇文彦x黒川紀章 ウェッジ
「現代日本建築家全集19」三一書房


ポイント
槇文彦への理解。
1.都市からのアプローチ。(集合住宅でなく)
人が好ましいと思う都市=住環境
2.都市の環境性。
地域社会・集団の共有する記憶(原風景)が表れている街であること。
3.日本の都市の成り立ちの特殊性。
都市=集団の領域(小宇宙)
空間のひだ、奥がある。
奥へ向かう時のドラマ、儀式性=プロセスを大事にする。
西洋は中心のシンボル<->日本は奥(中心が無い)
4.代官山ヒルサイドテラス
街並みの形成。
樹木を残す。
小集団のための小さな場所を多く作る。
5.個々の住居、店舗の使われ方に言及しない。
? 場所の特殊性が前提。
? 使用者、施主への信頼。
? 万人を集める観光地的開発ではない。


集合住宅と思って入るとあまりにもアプローチが特殊です。
槇氏の生まれ育ち、施主との関係など意味としてはかなり特殊でいきなり建築物を理解する事が難しい。また住居部分についての図面等の資料が見つからない。特殊でありすぎるために第三者による使用者側からの検証作業が成されていないかも知れない。
現在は多くの観光客を集める場所になってきてしまった為に存在の意味合いが違ってきている可能性もある。


HILLSIDE TERRACE
代官山ヒルサイドテラス-美しい景観のための土地利用
代官山・旧山手通り・ヒルサイドテラス-東京観光旅行(写真)

これはちょっと面白い。代官山がどういった土地であるかが良く分かります。
新・都市論ウェブ-TOKYO 第7回・代官山 凶暴な熊に荒らされる運命のユートピア


追加(070618)
1年前に「ヒルサイドテラス+ウエストの世界 -都市・建築・空間とその生活-」(槇文彦 鹿島出版会)が発売されていました。全然気付きませんでしたが、ヒルサイドテラスを扱った資料としては珍しく住居内部の図が多数入っています。

提出したレポートの内容が的外れではなかったと確認できて安心しました。

2007/04/27

明日は代官山へ行こう

明日、5月28日は代官山に行く予定。
「代官山ヒルサイドテラス」と言うのを見に行こうと思います。

建築計画学のテキストの「集合住宅」のところにちょっとだけ出ている建物なのだけれど、どこを見てもこれの「住宅」としての事が書かれていない。建築家、槇文彦氏本人の書いたものにも「住宅」って言葉は出てこないと言う不思議な集合住宅。

いったい、どうなっているんでしょう?

代官山ってずっと前に1回だけ行った事があるけれど、そんなインパクトは無かったようで、全然覚えていません。時々テレビでオシャレなところとして紹介されているけれど、そうなの?

2007/04/26

スカイハウス その2

建築計画学Ⅰのレポート第1課題のテーマは「スカイハウス」にしました。

資料は下記。
「代謝建築論 か・かた・かたち」菊竹清訓 彰国社
「日本型建築の歴史と未来像」菊竹清訓 学生社
「現代日本建築家全集19」三一書房

ポイント
1.日本の伝統建築をどう解釈するか。
2.1958年当時の時代背景。高度経済成長の時代。
3.1950年代における建築上の課題。

自分が産まれる前の時代なので物事の前後感覚を掴むのがなかなか難しいものです。
出雲大社の時代まで遡って考えないといけないとは思いもよらず...

中銀カプセルタワー

黒川紀章氏 作「中銀カプセルタワー」が近く解体されるとの事なので見に行ってきた。なかなか面白い形。何の予備知識も無くこの写真を見てもこれが何だか、多分わからないでしょう。

マンションなので中入る事はできないけれど、1Fエントランス横にこのカプセルユニットが展示用に1個置かれていていてその丸い窓から中を観察することができた。外見から察する通り、中は狭い。でも今時のカプセルホテルよりは数倍広くて、まるで船室のよう。そうそう、船の客室に一番近いかも知れない。

ユニットバスがそのまま居室まで延長されて一体で作られている感じ。アイボリーのプラスチックでできたヌルッとした曲線、曲面でできている。昭和の時代に考えた21世紀って感じ。存在しない未来がそこにあるような、何か変な感じがする。


それにしても、大阪万博後の1972年(昭和47年)当時から(多分今も)黒川氏は尖がっていたのだろう。

2007/04/23

スカイハウス


テキスト「建築計画を学ぶ」のp116(図)とp220(写真)の「スカイハウス-1958年」について、何だか面白そうだったのでメモしておきます。上は現在の周辺の様子。黄色いピンがスカイハウスでその右側の住所が菊竹氏事務所。(Google Earth)

K.Kikutake Architects:菊竹清訓(きくたけ きよのり)氏の建築事務所


ここに菊竹氏のプロフィールに加えて往時のスカイハウスの写真が掲載されいている。
斜面に建てられたハウスに隣家等は無く、高いビルも見当たらない。
菊竹清訓-(社)日本建築家協会

「私は日本建築の思想と、アイデンティティーを受継ぎ、これを現代建築で豊かに実現することを念頭に計画、提言を進めてきました。」と書かれています。確かにスカイハウスも部屋の用途を限定しない日本家屋の建築計画を採用しているようです。しかし、上のサイトに登録されたのはスカイハウスから40年以上経過してからの事です。当時と同じポリシーを貫かれているのでしょうか。

上と180度反対側からの写真が掲載されている。
大建築6 -山岡哲哉建築設計事務所


2005年時点でのスカイハウス。
だいぶ太ったらしい。
スカイハウス -Office Ishii

ムーヴネットとはどんな物か。
菊竹氏の事務所に在籍された仙田満氏による紹介文。
FRPムーブネットについて -工芸ニュース 7

量産されたムーヴネットの写真。
現在で言うユニットバス、システムキッチンに近いものらしい。
沿革:日立ハウステック -日立ハウステック


疑問
なぜ空中に居住空間を置いたのか?
夫婦二人だけのプライベート空間を実現するためと解説される事が多いが、空中である必要があったのか?

トイレ、台所などの水周りまで動かせるムーブネットは実際どの程度動かす事が容易なのか。
->ムーヴネットの絵を見ると素人が動かせるようなものでは無いらしい。そうでしょうね。

動作寸法を考慮した建築計画

●動作寸法とは
人が行為を行う時に必要な最低限の寸法。

<->身体寸法
行為をする時でなく静的な状態での寸法。


建築計画で考慮すべき点
1.対象者(利用者)が誰か。
2.対象者がその空間で行う行動は何か。
3.上記によって必要な三次元空間はどの位か。
4.必要な三次元空間+余裕スペース。
5.上記を組み合わせて必要な室内空間とする。

成長する家

家を成長させる住空間への要求は年とともに変化する。

変化の要因
1.家族数の増減
2.子供の成長。
3.住居者の高齢化。
4.世の中の流行変化。
5.生活水準の変化。
6.住宅の陳腐化。
など。

計画時
1.スケルトンインフィル住宅として成長の余地を残した住宅計画。

変化後の対応
2.部屋の使用内容を変える。
日本家屋では部屋が特定の機能を有していないので用途を変更して対応可能。
3.家具、間仕切りを動かして変更する。
建築時にはできるだけ柱を少なくした大空間にしておくと変更し易い。
4.増築する。
敷地面積に余裕を持たせておくと良い。
5.集合住宅で隣接する住戸を連結して接続する。
6.改築する。
7.転居する。

2007/04/20

C.H.ジョーンズの方法

テキスト「建築計画を学ぶ」のp171の右側に表が出ているだけで、本文には登場しない。テキストだけでは本文との関連がつかめないので別途「建築術5 設計方法を探る(彰国社) -システマティックデザインの項p94~」を見る。


建築設計に用いるプロセス

1.非システマティックな方法(従来の方法)
自由度が高いが、どうどうめぐりしてしまう可能性がある。


2.システマティックな方法
建築は他の工業生産品と異なり一品生産的要素が強い。創造的設計の中に合理的アプローチも必要であるのでシステマティックなプロセスを用いる事は有用である。

a.PERT
直線的なプロセスで既に決定したプロセスの進行に適する。

b.DERT
PERTの直線的プロセスを元に設計プロセスに適合するように改良したもの。意思決定イベント、フィードバック、情報収集を重視している。

c.C.H.ジョーンズの方法
Black-Box Method(制約の無い自由な発想、思考を喚起する方法)とGlass-Box Method(分析、総合、評価などを段階を経て行う直線的な方法。PERTなど。)を融合し、設計過程における論理的(理論的ではない)分析と創造的思考の対立を解決している。
●プロセスを大きく分析、総合、評価の3つに分けて進める。(Glass-Box Method的)
●上記3つの各プロセスに現実的限界を考慮しない自由な発想は思考をブレインストーミング、KJ法などを現実的限界からくる制約から自由なアイデアを出すプロセスを数項目入れている。

2007/04/19

長屋/テラスハウス/コーポラティブハウス

長屋-Wikipedia

テラスハウス-Wikipedia
阿佐ヶ谷住宅日記*WHAT01
テラスハウス型 -団地百景

コーポラティブハウス-Wikipedia


「テラスハウス」は「長屋」と、現在はほぼ同義語で使われているようです。
これらは建築の形態の特徴を表す言葉で、1棟を水平方向に区分して共同利用する形の集合住宅を表す。テラスハウスには特にテラスを有するもの。

->「テラスを有する」はテラスハウスと名づけられているものの、どちらかと言えばそれが目的と言うことでは無かったかもしれない。一つの土地を区分して戸建住宅を建てるよりも側壁を共有とする事で「戸建住宅に近い住み心地とプライバシー」を有する集合住宅計画と考えられる。結果として日本の伝統的な長屋のような集合住宅となったのではないか。

「コーポラティブハウス」はその建築の形状ではなく、供給方式による分類。
集合住宅では利用者が確定していない段階で建築が行われる場合がほとんどであるが、本方式では土地の入手その他の建築に関わるほとんどの事を入居者で構成する共同組合で対処する。住戸内部に関しては入居者が戸別に行う。


疑問
1.テラスハウスのテラスは「戸別の庭」なのか「共同の庭」なのか、またはどちらでも良いのか。
阿佐ヶ谷住宅では住民は戸別専用テラスと書いているが、別に区切りの無い庭と書いている人もいる。実際に庭には柵が無いように見えるが。

2.コーポラティブハウスでは一般に集合住宅を建設するようだが、建売一戸建住宅にあるように敷地を共同購入してそこに戸別に一戸建てする場合はコーポラティブハウスでは無いのだろうか。テキスト等に書いてある定義からすると一戸建てでも良いように思うが。

2007/04/18

視知覚と建築計画

建築計画学のテキストには「第11章 空間と知覚」と言う章があって、この中には知覚に関しての知識ばかりが書いてあって、建築計画上注意しなければならないとの記述はほんの少ししかない。

仕方ないので自分の想像力を働かせて考えをまとめるしかないらしい。



ここからはその解釈の概要です。(正解じゃないから気をつけて。批判くれたらうれしい。)

●視知覚のいろいろな効果は(1)計画する側が気をつけるべき事、と(2)建築物を使う側への配慮、の2方向から意識する必要がありそう。

(1)計画する側が気をつけるべき事。
a.プルキンエ現象:実際の壁面の明るさが計画時に想像できないので色が違って見える可能性。
b.色の面積効果:小さな色見本と実際の壁面等では異なって見える可能性あり。
c.計画時には2次元上の表現で、実際は3次元であるので眼球の筋感覚、両眼の視線がなす角度、両眼視差などの生理的奥行知覚が異なる可能性あり。
d.計画時と実際の建築物ではテクスチャの密度勾配、輪郭部の重なり、陰影の違いにより経験的奥行き知覚に差異が出る可能性あり。

(2)建築物を使う側への配慮。
a.暗すぎると凹凸部などが認識できず危険。
b.暗順応には30分ほどかかってしまうので明暗差が大きい場合には危険。
c.眼球には盲斑があるので頭部にあたる部分に突起などがあると危険。
d.網膜像の大きさやテクスチャの密度勾配により狭い空間を広く感じさせることで、精神的ゆとりをもたらす事ができる。一方でスロープや段差では距離感の誤認による事故の可能性もある。
e.老齢による視知覚の弱り、弱視者、色弱者への配慮などバリアフリー化も考慮すべき。

※全然テキストに書かれていない内容もあります。



追加
「プルキンエ現象」を「プルキ"エン"現象」と間違って表記していたのを訂正しました。正解は「プルキンエ」です。

解体される歴史的建造物

最近、近代の歴史的建造物が解体される例が多くなっているようです。

こう言った情報は新聞などのマスコミよりもブログやWeb上の方に情報が豊富のようです。マスコミはどこに新しいショッピング、レジャースポットができたと言ったお金になる情報の方が重要なのかもしれません。スポンサーも付きますし。古いビルの解体ではそうはいきませんから、仕方ないのでしょうか。

三信ビルディング-Wikipedia
三信ビル保存プロジェクト

中銀カプセルタワービル-Wikipedia

東京女子大学レーモンド建築 東寮・体育館を活かす会

壊されていく、近代建築・・・ tansei.net


ではいったい、ビルはどの程度の耐用年数があるのかについてはこちらに記述がありました。

建築学会声明97.12
「同時期に建設された建築物が半分になる年数を寿命と提起した場合、約38年から40年程度」だそうです。日本では近代的なビルが作られてからそれほど歴史が経過していませんからこの数字は実際にビルがどの程度解体されているかを表したものです。物理的にどれだけ耐久性があるかと言う数字ではありません。それはわからないのかもしれません。


もっと古い江戸時代以前の建物であれば歴史的建造物と言う事で保存される可能性はありますが、ビルのように実際に使用してなんぼで価値が決められる中途半端な古さでは「歴史的」とは受け止められないのでしょうか。現在ご活躍中の有名建築家の先生が未だ生きて活躍されいるうちにその作品の方がずっと早くに姿を消すのですね。

そう考えると歴史に地図に名を残すのは何と難しい仕事でしょう。
逆に万里の長城、エジプトのピラミッド、法隆寺などはそれだけすごい物なのですね。


最近は映画「三丁目の夕日」が公開されるなどで「昭和の佇まい」を懐かしがる、いえいえ面白がる傾向もありますが、昭和時代の普通の家やアパートや街並みは実際それほど保存すべきものとは認識されないと思います。トタン張りのボロい家は単にボロい家として何も惜しまれずに壊されていくのでしょう。商店街からそういった建物が一つづつ無くなっていっても「あそこには何があったんだっけ?」とすぐに思い出せなくなってしまう位ですから。

2007/04/17

建築環境

建築環境の定義は何か。

建築環境システム 宿谷研究室-武蔵工業大学 の中では下記のようになっている。

●「建築環境」とは、窓や壁・天井・床などで構成される環境空間のこと。

建築家とは-(社)日本建築家協会には建築環境(
built environment)となっていて、明言されていないが上記の宿谷先生と同じように「建築物内部の環境」と言う意味で使用しているらしい。

上記の中で「住環境」と言う言葉が使われているがこれとの違いは何なのか?


建築と言う仕事の範囲を建築物そのもの意外、つまり周辺環境を含むとように書かれているものが多いのに建築環境と言うときに建築物内部の環境と定義するのには違和感を感じる。
またその前に言葉の定義がはっきりしていない、どこかに書かれていないのもおかしい気がする。


追加
建築環境工学で調べると建築物内部ばかりでなく、その外側についても対象にしているようだ。
建築環境工学とは-東北大

建築環境工学-Wikipediaでは下記を含む建物の性能に関するもののように書かれている。
空気調和工学

2007/04/16

アフォーダンス

アフォーダンス(affordance)とは

アフォーダンス-Wikipedia

アフォーダンス-はてなダイアリー

アフォーダンス-量子論と複雑系のパラダイム

●afford(英単語)
[他動-1]~ができる、~する余裕がある
[他動-2]~を生じる、産出する、提供する、与える


建築計画とアフォーダンスについて (あくまでも私見です。)
建築計画では人の願望や意図、計画する空間の用途、利用する上での効率、快適さ、あり得そうな状況変化、事故防止などを考慮してその空間に最適なアフォーダンスを与える必要がある。

アノニマス建築

アノニマス建築とは何だ?

●anonymous(英単語)
[形]匿名(性)匿名の、無名の、無記名の、名を伏せた、無著者名の、作者不明の
[名]匿名

●建築用語サイト:名のある人の手によらないこと、無名の人たちの手によることを示す語。

Web上でいろいろ書かれているのと読んでみたら「アノニマス」と言う言葉が一人歩きしてしまっているように見えた。「無表情」「無個性」のように使われているのがほとんど。


SD選書184 「建築家なしの建築」(鹿島出版会)
このあたりの解説が参考になるかもしれません。

「伝統を共有し、経験の共同性に基づいて働く、全住民の自発的継続的な作業によって生み出された共同作品(バーナード・ルドフスキー)」としての建築。->アノニマス建築。
経済性、美しさなどを恣意的に求めて作られる建築でなくてもっと風土に即した建築、生活の実感やその知恵の積み重ねから自然に産まれた建築。

これに相対するのは「建築家個人の仕事としての建築」かな?



疑問
セキスイハイムM1のように、時代背景から工業的生産を目的に企画され実際に作られる時には施主がその仕様を自らの使い勝手の良いように決めるタイプの住宅はアノニマス建築に入るのか?

ツリーハウス

図書館で「ツリーハウスで遊ぶ(TREEHOUSES)」(二見書房)を借りて読んだ。

何てロマンチックなんだろう、樹上の家なんて。
こんな家で暮らしたら楽しいだろうなあ。

「最近はインターネットがあるからどこにいても仕事できる」なんて言っているくせに本当にそれを実現する人はいない。ちょっと前のIBMのテレビCMで砂漠の真ん中に事務所だか何とかセンターを...のような極端なのがあったけれども本気でやってはいないんだろう。

それとは全く反対でIT企業だったら六本木みたいに言われていたり、都心の再開発地の高層ビルの方に人気が集まっていたりする。.....バカじゃん。

2007/04/15

入学オリエンテーション終了

主な疑問点解決項目
1.質問表やレポートに同封する返信用封筒(質問表など)も第四種扱いになる。
2.終末試験の回答文字数の指定は無い。1問あたり30分以内で書ける範囲。
3.終末試験の持込可能テキストは科目概要に掲載の1冊だけ。特に指定あれば別。
4.上記テキストには「学習指導書」は含まれない。特に指定あれば別。
5.レポートの書式の中に図やスケッチ資料の添付レイアウトは可。
6.スクーリングと試験会場(東京は2ヶ所)は送られてくる試験概要で都度指定される。
7.スクーリング、試験日程はWebとPALで異なるがPALが正しい。
8.スクーリング、試験のキャンセル連絡は実施初日の3日前まで厳守。

入学オリエンテーション

東京会場での入学オリエンテーションに参加します。

2007/04/14

建築計画学Ⅰのテキストで???

とりあえず最初に提出するレポートに関係のあるテキストにざっと目を通す事にし、到着したばかりの建築計画学のテキスト「建築計画学を学ぶ(理工図書)に目を通す。

「第5章 文化と建築」のところで暗礁に乗り上げる。35章293ページあるテキストのまだたった32ページのところだ。


「「住宅は住むための機械である」というル・コルビュジェの言葉は、美しく響きもするが悲しくもある。」でこの章は始まる。続けて「そこには、言葉どおりに実践された8畳間ほどのカプ・マルタン小屋と両親のために建てた小さな家が同居している。」


この文の意味、分かる?
どこが「美しく響く」のか、どうして「悲しい」のか、なぜ「2つの建築物が同居」しているのか?
建築以前に日本語として全然意味がわからない。

その後を読んで、住まいを機械のように合理的で経済的なものとして追求して行くと、それを使う人々の住まいのイメージとはズレてしまいこの「住むための機械」と言う言葉が受け入れられないものであったために「悲しい」と表現したのかと想像できた。

しかし、もしそうならその悲哀はル・コルビュジェが受け止めるべきものであって、第三者がこの工学書で言うような事ではないように思う。もしそこに触れるとすれば「悲しい」のでなくて「間違っている」とか「住む人々の思いを考慮する視点に欠ける」などとすべきでないだろうか。

だた、この「住むための機械」と言う言葉はその後の建築学の中ではどう扱われているのだろうか。これは今後どこかで分かるかもしれない。ル・コルビュジェほどの有名人ならきっとどこかで誰かが議論の対象にしているはずだから。

2007/04/13

3年次テキスト到着

3年次の科目テキストが全て到着。

建築家の仕事の範囲

「建築家の仕事の範囲」の定義は建築家とそうでない人々ではその思うところが異なるようだ。

素人から見れば、与えられた土地に許された時間とコストの範囲内で快適に使用できる建物を作ってもらうことが建築家の仕事であろう。(先日都知事選に出た黒川氏ほどになれば、一つの街をデザインするような事もあるらしいが。)



建築雑誌等の中の議論を見ていると、どうも素人が考える以上の何かがあるように見える。少なくとも当の建築家はそれが有ると考えているようだ。

例えば最近制度化されたホームヘルパーが家に入る事一つとっても「以前は玄関で住居と社会が分かれていた。しかしホームヘルパーが家に入ることがその境界をこれまでとは異なるものにした」と言うように、建築家は解釈するらしい。そこから議論は住居と言うものの再定義、はたまた地域社会や都市のデザインにまで発展してしまう。つまり、建築家の仕事範囲は住居のみに留まらずそこから外へはみ出していると捉えている。



それでは実際にはどうなっているのか。

実感としては多分、見ての通り、自治体の行う埋立地でのプロジェクトや何とかの跡地を利用した大規模再開発でも無い限り地域や都市デザインまでは行えはしないだろう。そんな大規模プロジェクトでさえ建物を作って引き渡すまでで終わりになっていて、その建物や土地の運用にまでは関与しないのであるから、数年後に思ったようにうまく行かずに廃れてしまってもそれはもう建築家とは何の関わりも無いのではなかろうか。

つまり通常は、建物を設計して作って引き渡すまでしか仕事では無いのではないか。逆に言えばそこまでしか仕事は与えられないのではないか。デザインが周囲に大きな影響を及ぼすと言う意味なら別だけれども。(これは今後の課題にしておきます。)



もし地域や都市をデザインする事までが仕事であれば、設計その他の建物に付随する以外の仕事をしている建築家は世の中にどれだけ居るのだろう。

建物を離れて路上に出ればそこには土木関係者がいるし、町並みをデザインしようとすればそこには条例や法律を立案したり施行する専門家もいる。とすれば益々建築家の議論はどう役に立つのか。また役に立たせる別の分野の仕事を自分の前に引っ張って来なければならないのではないのか。

実際に行政その他建築を取り巻く環境整備を行っている人々に建築家が何かを投げかけているのだろうか。いるにしてもそう言った(お金にならない)仕事をしようとしている建築家はどれだけいるものなのだろうか。



自らの仕事の定義と言う根本的なところから考えながら生きていかねばならぬとは、建築家は何とも面倒くさい職業に思える。

2007/04/12

建築家は多弁

建築家が書いているものを読むとかなり多弁な人が多いことに気づく。

建築に対する批評、自らの作品に対するコメントの導入部にはその建築の背景に関わる部分が必ずある。読む方からしてみたらまるで全然違う種類の書籍のエッセイが編集段階で間違って挿入されたかのような印象を受ける。アジア人がスナップ写真を見るときにまずその背景の景色を気にする。つまり誰が写っているかより、どこで写したかの方が重要なのだ。それと同じ事なのかと想像する。


建築家の文章にはそれ以外にもかなりの特徴がある。
文章の中で書かれている内容と文章から受け取れる関心度が高い項目は概ね以下のようになっている。

1.その建築を成り立たせる「理由」。
2.その建築の「芸術」的価値。
3.その建築に使われる「技術」の特徴と新奇性。

1の「理由」についてが一番多く語られるところで、その内容は、
 a.環境問題からの理由。
 b.周辺環境との整合性による理由。
 c.クライアントから要求される機能や性能による理由。
 d.災害対策による理由。
が多いようだ。
だが不思議と他の業種で問題にされる「コスト」や「耐久性(耐用年数)」などはほとんど文章に盛り込まれる事は無い。これは謎だ。


2の芸術的価値については文章の中ではそれほど多くを占める事は無いようだ。
この事について文章の中で言うとすれば「伝統」との折り合いのつけ方についてだけだろう。芸術性についてはあまり主張や評価をすると出る杭になってしまうのか、それとも建築家は芸術より技術の人であると言う暗黙の了解があるのだろうか。

3の技術についてはさらに使われる語彙数が少ないようだ。




建築に関して時間軸での評価や検証が行われないと言うのも気になる点だ。

古い建築については歴史の中での評価をする文章があるのだが、新しい建築についてはそこまで予測して述べられることが無い。

建築のプランは「これを意図して作った」と語られ、添付される写真や図もプラン段階か施工完了段階のものだ。実際に使用する人が数年使用してみてどうであったか、またはどう感じたか、新しいうちにもそのプランの意図は実際に成功するか、意図と異なる不都合が生じる可能性があるかどうかまで予測される事は無いようだ。

コンクリート作りの建築物の歴史は浅いし実際に、その材料による耐用年数とは無関係に仕様の問題やメンテナンスコストの問題から30年や40年程度で取り壊される。そう考えれば作られて最初の数年もてば後の事は考える必要もないのだろうか。10年先の使われ方や100年先の古び方などは問題ではないのかもしれない。

今だから

建築を勉強するための準備として建築関係の雑誌を読むことにした。
ハードカバーの書籍は内容がオーソライズされていて、それはそれで有用なのだけれど、そっちは大学のテキストが来てからにしようと思う。雑誌は新鮮だし、用語がわからなくても雰囲気が掴めるかもしれない。


これから勉強を始めると、どっぷりその中に入ってしまって建築やその世界について外から見る視点を失ってしまう可能性も考えられるので稚拙ながら少しでも現在思う事を書いて置こう。

Hello !

建築の勉強用に新たにブログを立上げました。