2008/11/30

グリッドを自由の基盤に



昨日のゼミでスケルトン・インフィルの話が出ていたので、グリッドシステムを拘束と考えるのでなく、自由の基盤と考える方法を簡単にメモしてみた。

自分の卒研の内容とは無関係。

2008/11/29

PALと成績票到着

東京サテライトから帰ったら、PALと成績票が到着していた。
もう12月なのだ。
PALにはもう来年度のスクーリング表が掲載されている。
(来年度のスクーリングから予習が必須になるらしいと書かれている。)

成績票はもう提出したもの全ての成績が記載されていて、あとは未提出の建築設計Ⅱ-2と卒研の単位だけが空白だ。設計Ⅱ-2は12月中に提出しなければならないので12月15日から取り掛かる予定。そちらははっきりしないままの構想が少しはあるが、実際どうなるかは作ってみないとわからない。1週間程度で仕上がるだろうか。卒研よりは楽だろう。

簡単なイラスト



全く意味なし。
上の絵はスケールだけは合っている。

今日行こうか?

今日、午後5時から(スクーリング終了後)ゼミだけれど、行こうかどうしようか迷っている。
まだ模型が完全ではないし、パネルも未着手の状態。

ただ、さっきベランダに模型を運び出した時に、この大きな1000x1000の模型を電車で持っていく予行演習はできるかもしれないとも考えた。今なら壊れても直すことは可能だ。

どうしようか?

2008/11/24

人と人との間に

建築の言葉の中には「コミュニティ」「コミュニケーション」などがけっこう多く出てくる。「建物の××のようなところが○○を誘発して人と人の関係性が△△」みたいなお決まりのセンテンスも多い。深読みしせずに「うんうん、そうかも知れない」などと思って済ませてしまえばよさそうなように書かれている。万人が納得しそうな説得力と言うより、雰囲気がある場合によく使われるようだ。ちょっとその筋の人の言葉っぽくて学生なら真似したりしても良いのかも知れないが、しかしあまりに頻繁にお目にかかると.....背筋が寒くならないでもないものでもある。(ちゃんと意味を考えながら読んだらバカっぽいってことだ。)


それはそうとして、現代建築でこう言う言葉が多用されるのはわけがありそうだ。
なぜなら、もう当たり前すぎてだれも正面切って言わないが、現代建築の根本的なテーマはズバリ、「人と人の関係を築く」事だ。多分現代の全ての建築家はそのためだけに建築と言う作業をやっているようなものだろう。個別には建築家の雑誌インタビューなり著書なりを読めば皆そう言っているのでここでは省略。


さあ、その人間関係をどうやって築くかと言うことになると、実はどの建築家の言葉もとたんに曖昧になる。人と人がどうやって出会うのか、そしてそこで具体的に何を話したり行ったりするのか。そう言う記述は、実はあまりない。時々研究家の論文などで路上のある部分を定点観察したレポートなどが出る程度。

建築家はそれでも人間関係上の何か(?)が起こる場所(空間と言う)を作りたがる。これにはいろいろな作り方がある。人の動線をわざと交差させたり、機能が無くて居やすそうな場所を残しておいたりするのが代表的なやり方だろう。実際に何がそこで行われるかはわからないにしても、そう言うことは考えるのは経済万能、そして土地の値段が高い日本においてなかなかたいしたものだ。

そう言うのを当たり前に見習って、建築物の設計に「中間領域」(これは建築の用語)のような部分を入れておくのは我ら学生にとっても当たり前のようなものだが、本当のところちょっと疑問に感じるべきじゃないのかと思う。


なぜなら、根本のところで「そこで実際になにが起こるか」がわからないと言う点が問題だからだ。単に中間領域を設けるとか、広場などの快適な空間を開放する、コミュニケーションの場を設ける、コミュニティセンターを建てる、開かれた○○空間、交流のための××、ふれあい△△、イベント広場、ロビー、ホワイエ、そんな名前の付いた"物"だけで人間と人間の何かの問題を解決したような気になるのはやっぱりちょっとおかしいんじゃないだろうか。


もしその場所を設けて本当に何かが起こるように考えたのだとしたら、そこで喧嘩が起きる事を設計者は想定しているだろうか? 多分それはしないだろう。きっと牧歌的で良好な人間関係、希薄すぎもせず濃密すぎもせず、適度にプライバシーがあってさわやかな気持ちで帰っていけると言うようなものではないだろうか。

だとしたら、本当はそこでは何も起きないだろう。何事も無く無事に家に帰りつける、そこで一定の時間を過ごして多くの人に囲まれているにも関わらずほとんど誰とも口を利くことも無く家路に着く、その一歩手前の休憩所に過ぎない。「交流のための」とか、「コミュニケーションが生まれる」とかその手の言葉がある空間の説明として出てくる場合はだいたいそんなもので、実際には何の根拠も無い。


人と人との間に何かを起こすのであれば、それは時に喧嘩もあり言い争いもありではないだろうか。なぜなら、世界ではそうして多くの関係が築かれているのが実態だから。何かを本気でやろうとしたら、きっと人は人とある割合で必ず関係悪化を起こすものだろうし、それだからこそ逆に良い関係と言うのもある。それが人間の性質なのだから。


そう考えれば中間領域などと言うものは喧嘩のためのリングだと思って作るべきなのかも知れない。

3.5%

2008/11/23

3%へ


イメージ通りになってこないので作り方を少々変更して行こうか。
もっと密度が高く見えるようにしたい。

2008/11/21

1%の模型



まだこの上に乗せるチマチマしたものが全く無い状態。
あまり長いこと何も書かないわけにもいかないので写真だけ載せた。

2008/11/19

造形Ⅲの作品返却


造形Ⅲの課題で製作した「軽井沢の山荘(吉村順三)の模型(写真)」が返却された。
結果は「A」だった。
(上の写真はスタディ模型2個のレイアウト。クリックすると大きく表示。トレーシングペーパーの上からなので鮮明ではない。)

講評では模型の精度が良い、実際の建築を意識してテクスチャを決めた事、模型写真をA3にまとめたレイアウトなどが評価されたが、建築物と周辺との関係を示す「配置」に相当する写真の不足と写真の一部が小さい事は改善の余地があるとのこと。

レイアウト上に赤でチェックされているのは、階段とフロアがきちんと繋がっているか、図面にはあるが部品図に無い壁が作られているか、コーナー処理、切断面がキレイか、材料の使い分けなど。


初めての模型にしてはまあまあだったようで、大学でサンプルとして保管したいような事が書かれた紙と宅急便の伝票が入っていた。もちろんこれを自分で持っていてもゴミになるだけなので、誰かに使ってもらえるのなら喜んで送り返すことにしようと思う。

(この課題作品は模型写真をレイアウトした紙になったものだが、写っている実物模型も捨ててもらっても良いつもりでもう勝手に東京サテライトに置いてきてしまった。)

2008/11/14

建築の世界 スクーリングの成績が到着

スクーリングの成績が来た。
Aだった。
これは全員Aなのだろうか?
いずれにせよ、楽しいスクーリングだった。

2008/11/11


先日までのモデルとは大きく変わって雲のように分散した構造をイメージ。
実際に模型を作る方法を考え中。何かヒントが欲しいところ。

2008/11/07

なんだかイマイチ




イマイチ、イメージ通りにならないな。
側壁はガラスにしたのでスケルトンに見える。(サッシくらい入れろ!)

2008/11/06

参照資料とともに


既存建築物(敷地)とのスケール比較。
中央下の文字が見えないものは湘南台文化センター。

モデルのための参照建築物。(プレゼンテーションのためのものではない。)
左上はオリジナル。(製作途中)
参照資料画像は著作権がある可能性があるためマスクをかけた。

2008/11/04

卒研面接審査申込

卒研の面接審査の申し込みをした。

卒業研究スクーリング受講申込書
受講票+50円切手
返信用封筒+80円切手
送信用80円切手
コピーはスキャナで0円

合計210円


面接日程(東京)
12月13日~14日