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2007/09/21

フランク・ロイド・ライトのまとめ

フランク・ロイド・ライトにおける「有機」と言う言葉についてまとまてみた。

建築用語として「有機的」とは良く使われる言葉になっているが、フランク・ロイド・ライトはかなり早くからこの言葉を使っているようだ。現在の建築に関するいろいろな文章に出てくる「有機的」は今ひとつ定義がはっきりしていないようで、読んでいて何だか気持ちが悪い。


そこで、知る範囲でそれらを分類してみたら、だいたい4つ位に分される。

(1)概念として関係があるの意
周辺環境、人間生活、街などと建築に意味的なつながりや関係があると言うこと。

(2)空間構成の事
部分と全体(ディテールと立面など)または部分と部分に関係やつながりがある。

(3)美や形状の事
自然の形、自然の構造や構成を用いていた建築の方法。

(4)(単なる)イメージ
機能的に整理されていない関係である。からみあったような関係がある。非人工的。自然の何かを連想させる。


フランク・ロイド・ライトの「有機」はきちんと定義されていて、上の分類では(1)になる。結果として作られる空間には(2)が認められる。全然矛盾が無い。


フランク・ロイド・ライトの「美」と形状はどうかと言うと、初期から後期まで一貫して幾何学の美である。「グッゲンハイム美術館」などでは、丸くぐるぐる巻いている巻貝のような形状のイメージから「有機的」と評されることもあるが、よく見てみればコンパスや定規を使って描いた線の組み合わせになっていて、最近よくあるぐにゃぐにゃしたタイプの「有機」とは全く違うのである。

ついでに、ル・コルビュジエのロンシャン教会は、あの曲線は日本の陶芸であるような手捻りの曲線で、美術家の使う線であろう。もともとル・コルビュジエはピアノやバイオリンなどの曲線を使うのが好きだ。ル・コルビュジエもフランク・ロイド・ライトも別に幾何学をもって近代建築の定義としたわけではなくて、(19世紀的な構造からくる制約に対する)「自由」の方が重要なテーマだったので、ロンシャンでそれを示してみたかったのだろうか? (そんな事どこにも書かれてはいない。)


本題に戻って、フランク・ロイド・ライトは自然の生物の真似をしたような形の「有機」を好まない。それは造花のような物と考えたからだ。人間が作らねばならない美は人間の美感に投影された普遍性にあると考えていた。


それなら、グッゲンハイム美術館に「有機」はあるのか?
初期のプレーリーハウスが砂漠地帯に溶け込むようにデザインされたと同じような関係を、グッゲンハイム美術館は街と持とうとはしていない。その外観は周囲のビル群のパタンやルールを無視している。これは逆説的方法だろう。その方が良い場合もあるのだから。(ここでは、細かい事は言わないでおくことにするけれど、AlfaRomeoの線を見て欲しい。)





参考資料
「ライトの遺言」 フランク・ロイド・ライト 彰国社
「建築家:フランク・ロイド・ライト」 テレンス・ライリー他 (株)デルファイ研究所
「建築について (上下)」 フランク・ロイド・ライト 鹿島出版会
「巨匠フランク・ロイド・ライト」 デービッド・ラーキン 鹿島出版会
「見る建築デザイン」 宮元建次 学芸出版社
「伊藤豊雄 建築|新しいリアル -パンフレット」 神奈川県立美術館葉山

2007/09/20

おかげさまで、フランク・ロイド・ライト

先日、CADⅠのスクーリングでせんたろーさんとフランク・ロイド・ライトやル・コルビュジエについてお話ができました。それを種にして今日は頭の中にちょっとだけ飛躍がありました。

まずは、せんたろーさん、ありがとうございます。
これで現代建築論のフランク・ロイド・ライトの部分が進みそうです。


簡単には、フランク・ロイド・ライトの「有機建築」に焦点をあてて書こうと思っています。
フランク・ロイド・ライトの建築は、初期と後期では見た目上スタイル変化が大きいのですが、「有機」については一貫していると思うのです。また、スタイルが変化しているように見えても彼の感じる「美」にも一貫したものが感じられます。そのあたりを例を挙げつつ書いてみることにしました。

詳細はまた後で。

再びフランク・ロイド・ライトへ

再び現代建築論のフランク・ロイド・ライトへ戻っているが彼の巨匠をネタにレポート(現代建築論)書くのは、調べれば調べるほど難しくなってきた。

なぜなら、フランク・ロイド・ライトの場合はその空間構成を論じる前に「自由」「民主主義」から入らねばならないからだ。ルイス・カーンも難しかったが、彼の場合は建築そのもの(狭い意味ではないが)からその思想の範囲が超えて出るほどでもなかったように思う。フランク・ロイド・ライトは前提条件となるものの範囲が広すぎるのだ。


現在21世紀初頭に生きる我々から見るとアメリカはいろいろな問題を抱えるにしても、世界のリーダーと胸を張って自覚する国と見えるが20世紀初頭は決してそうではなかったのかも知れない。新しい土地に移植された植物のような気持ち、故郷から切り離された(それを望んだとしても)頼りなさが残っていたのかも知れない。

そんな中には新天地で新しい根を張ってたくましく生きていこうとする花もいて、それがフランク・ロイド・ライトであろう。砂漠のような何も無い土地に寂しさでなく自由を感じる建築家。だとすれば、フランク・ロイド・ライトこそ始めての本当の"アメリカ人"建築家なのかも知れない。


歳を重ねてからも新しいやり方を積極的に受け入れていく自由さとたくましさ。アメリカの開拓者魂だろうか。

2007/08/26

川越の街並みとライトの明日館



川越の一番街商店街。(川越市)
パタンランゲージを使って街並みを整備した商店街。改築したり新築した建物も元々ある「蔵造り」に習って建てられていたり、大正時代の洋風建築(中身は木造なので看板建築とも言える)があったりで見た目、なかなか特徴ある街並みになっている。

細部を見ると観光用に偽者を作った感じがしないでもないが、それは生活とこの形の建物がどう関わっているか、つまり表面の形だけなのかそれとも生活のスタイルに関わるものなのかが一度の訪問ではわからないために何とも言いようがない。

大正時代の建築だってもともと看板建築であるし、それにこうする事で商売が成り立つのであれば深く考えなければ生活密着型の街造りなのかもしれない。しかも元がこうであったのだから、全くの作り物でもないわけだ。

パタンの1つに「職住一体」と言うのがあるために、お店の裏と2階はほとんど住居になっている。お店には住居が付いているので、観光客が多くなったからと言って大資本のチェーン店が入り辛いのだと考えられる。これは地元の人にチャンスを与える形の活性化の成功例じゃないだろうか。他の街の活性化ではしばしば、消費地は作られるが地元にビジネスチャンスを与えるものにはならない。手っ取り早く成功していて無難な企業の店舗を誘致するだけだからだ。この点で川越のやり方は凄い効果を得ているのではないだろうか。



フランク・ロイド・ライトの明日館。(池袋)
日本初の2x4建築だそうだ。見た目が鉄筋コンクリートのようだったので誤解していた。だから壁をたたくとポコポコする。

この建物を正面から見ると屋根の上に向こう側の高層ビル群が見えてしまってとても風景に調和してはいない。これができた頃(1920年代)は屋根の向こう(北)には木が茂っているだけだったそうで、もったいない事だ。ただ建物の内側から色の無いステンドグラスを通して庭側(南)を見ると芝生と2本の桜の木が青々と葉を茂らせていて落ち着く雰囲気だ。壁や天井や床やテーブルの色も良く合う。

これをネタに現代建築論のレポートを書こうと思う。

2007/08/22

フランク・ロイド・ライトも難しい

哲学者ルイス・カーンに続いて文学者フランク・ロイド・ライトも分かり難い。

参考資料
「ライトの遺言」フランク・ロイド・ライト 彰国社
「建築について(上)(下)」フランク・ロイド・ライト 鹿島出版会

建築家の作品を誰か別の人が解説しているのを読む事もできるのだが、書かれた時代によって解釈がまちまちであるし偏りもあり、あまりあてにできない事も経験済み。特に建築家の書く巨匠本は語彙が詩的な場合が多くて普通の日本語として読めないものも多い。なので今回も本人の文章から入る事にした。

しかし残念ながら、結局、分かり難いのは同じであった。
フランク・ロイド・ライトは文学者であった。何について言っているかわからない比喩が多すぎる。比喩の多くはボザール批判らしいのだが、これはその時の状況を先に知ってからでないと理解し難い。しかし、そんな比喩表現の多いところはだいたいボザール批判なので真面目に隅から隅まで読む必要はないだろう。同じ批判発言が何度も出てくるだけだから。

フランク・ロイド・ライトの建築を要約すると以下のようになる。
1.建築は内部から
2.有機的であるべき
3.単純
4.民主主義


1.建築は内部から
これは2通りの意味があるようだ。
a.人間の魂の内部から出る自由による建築
b.人間の生活する内部空間から出来る建築
bはあまり使われていないが、aは「あらゆる原因結果の内部的要因」のように強調している。


2.有機的であるべき
他の建築家の言葉の中にもよく出てくる「有機的」であるが、フランク・ロイド・ライトの使用が最初なのだろうか? 文学的な使われ方で定義がはっきりしないのがとても困る。(等と書くと建築を勉強されている方々からお叱りを受けるだろう。)

フランク・ロイド・ライトの場合にはまだ明確に「自然の摂理」を意味していて、他の建築家の文章にあるように単なる「こっちの空間とあっちの空間の密接な関係」と言うようなものでは無い。

またこれは、1の内部的要因とも関連していて自然の摂理が生粋、真実、発端のようなものと言っている。であれば建築は有機的であるのは自然な事なのだ。もちろん全体の中の部分、完全性と言う(実際の自然から離れた)抽象的な意味も含む。


3.単純
日本の版画を引き合いに出して「単純さの福音を説いた」と言っている。作品そのものの中に表現された有機的な完全性こそが「美の法則」とした。花を見て美しいと感じ、その模造品を作るのではなく、「様式化」によって美の根本を表現することである。


4.民主主義
人間の自由はその内より得られるものである。人間の自然なあり方としての民主主義。建築は自由に開放的にデザインされるものである。(人間的自然)
これはアンチ-アカデミックとしても説明されるが、フランク・ロイド・ライトの生きた時代の事を考えれば当然であろう。建築に「民主主義」と言う言葉が使われるのは現代日本から見れば驚きである。


その他
フランク・ロイド・ライトの活躍したのは1800年代後半から1900年代中頃と広く、その建築の見た目もかなり違っているように思う。特定のスタイルは重要でなく、その根本が大切であるとの部分で一貫しているのだろうと思われる。(簡単すぎるまとめである。)

8月26日に実際のフランク・ロイド・ライトの建築を見てみる予定。