2007/07/31

ル・コルビュジエの都市計画

ル・コルビュジエの都市計画について調査している。
調査内容は前回ほぼ書いたのでここでは触れない。

ただ、困るのがル・コルビュジエの都市計画について「後世の都市計画に多大な影響を与えた」と多くの資料に書かれているにも関わらず、具体的にどの部分であるとか実際に行われた計画に影響を与えた事例、現在の計画方法でどう考慮されているか等を記した資料が全く見つからないのだ。後の批判意見だけはいくらか発見できる。

(ちなみに一つ前の記事に挙げたC・アレクサンダーも「パタン・ランゲージ」によって批判票を1票投じているらしい。)


どうもこの分野では新しい研究が多く出てきていて、過去の案は批判の対象として見られるだけのものになっているのかも知れない。

ル・コルビュジエは書物にして自らの案を丁寧に説明しているのでそれについて他人が意見を言う機会が多い事、計画が壮大過ぎて実行可能な思想と考えられなくなってしまった事などによって、「後世の都市計画に多大な影響を与えた」の一言で済まされるものになってしまっているように感じられる。

まるで神棚へのお供え物である。思考停止である。巨匠礼賛はこう言った後遺症も産むものなのだろう。




巨匠礼賛に組するわけではないが、ル・コルビュジエの都市計画について一言書いておく事にする。

「ル・コルビュジエの都市計画における思想は、人間生活の延長上に都市が存在すると位置づけるものであって、機能主義と言われながらもそこには人間臭さが感じられる。実行するのは国家であるとしたが、アカデミックでも権威主義的でもない人間中心の考え方については現在でも学ぶものが多いと結論付けたい。」

2007/07/28

パタン・ランゲージ

建築を考えていくうちに、どうしても突き当たる所に「美」の問題がありそうに思う。

前回、建築造形Ⅰのスクーリングで先生(もちろん現役建築家)に問うたところ、どうも現代の建築では「建築家は自分自身の美観を信じる」と言うことらしかった。この前の建築史の試験に出た「装飾を主題にする建築様式」と「非装飾」においては、装飾主題の場合はやはり個人の美観、非装飾では普遍的な美(比例)と対立していた。最近読んでいるル・コルビュジエについてはもちろん比例である。

結局それはどちらを採用するかと言うことであって、つまり建築史上では「流行」なのかも知れない。もちろん建築史と言っても、日本における建築の「美」、アジアやその他地域の「美」については何故かほとんど触れられていないのであるが。


そこで必ず出てくるのが「パタン・ランゲージ」だ。パタン・ランゲージがある街並みだからと言ってそれが必ず「美」と結びつくかと言えば、「わからない」としか言いようが無い。「比例」を一つのパタン・ランゲージだと考えれば「美」の一つと言えなくもないが。


ただ、外観に何らかの統一性を持つ街並みは「良い」ように感じる。

旧街道の宿場町や京都町や街並みは「良い」ように思う。これは街並みに限らない。綺麗に円錐状に刈り込まれた銀杏の並木、玩具店の店先にある箱の中に並んだ100個もの子豚の人形、果物屋店頭に並んだ琵琶やリンゴ、飛行機で上空から見たプランテーション農場の椰子の木などなど、よろず似たような物が綺麗に並んであるパタンを成していると「良い」。

これは「良い」のであって「美」ではないかもしれない。
絵画作品の「美」にはこういったパタンはあまり無い。アンディー・ウォーホルの作品などにはあるようだが。彫刻作品にはあると思う。


それで、今後読んでみたい本を見つけた。
「パタン・ランゲージ」C・アレグザンダー 鹿島出版会(SDライブラリにもあり)
「パタンランゲージによる住宅の建設」C・アレグザンダー 鹿島出版会(SDライブラリにもあり)
「パタン・ランゲージによる住まいづくり」中埜 博 井上書院

また上記「パタン・ランゲージ」を基に川越市の景観ルールが作られたとの事なので、そちらも実際に見てみたい。
自主協定の景観ルールで町並み保存



しかし、これは大学の科目内容とは全く関係ない。道草を食うだけだ。


変更
「アレクサンダー」ではなく「アレグザンダー」が正解なので訂正。

成績表が来た

大学の機関誌と履修状況連絡表(成績表途中結果)が届いた。
まだまだ先は長い。


ブログのラベルに"ル・コルビュジエ"を追加した。
多くの科目でル・コルビュジエが関係してくるので、一括検索できるように巨匠として特別扱に決めた。

2007/07/27

「プレシジョン(下)」 - ル・コルビュジエ

この本は1929年にブエノスアイレスで行われた10回の講演内容(一部付加有り)をまとめた物の下刊である。


この刊で最も興味深いのは、ル・コルビュジエが実際に住宅のプランを作り出すプロセスを公開している点だろう。

・自由な平面構成
・自由な立面構成(ファザード)
・独立した骨格
・水平連続窓、あるいはガラス壁面
・ピロティ(住宅の足)
追加として、
・収納棚で不要家具を排除した内部

ここまでは他の本でも多く取り扱われている部分で、これは新しい技術を取り入れることで実現するもの。「自由」と表現している。石による組積構造よりは格段に自由と言う意味。

この自由を生かすために考慮すべき事
・経済性
・効率性
・無数の現代的機能の実現
・美

そして方法
・分類整理
・寸法決定
・動線
・構成
・比例関係決定

長くなるので詳細は割愛するが、例として実際建築された建物の名前も記されているのでル・コルビュジエの住宅を理解する一助になる内容であると思う。



都市計画の問題についても書かれている。
都市計画自体については別途、参考になる書籍が出版されているが、この刊では都市計画を遂行するにあたっての資金調達など、周辺状況についての考え方に詳しい。つまりは大規模都市計画を発表しても、資金調達に関して出される疑問点についての回等になっている。

まとまった敷地を開発するには資金が必要だ。この疑問に対して、開発することが逆にその土地の価値を高めることになり回収可能であるとの考え方。この考え方は現在では普通になっているが、ル・コルビュジエを原点としたものかどうかは不明。後世に影響を与える考え方であることは確かだろう。

構造力学演習のスクーリング申込み

構造力学演習のスクーリングに申し込んだ。

8月31~9月2日の3日間。
10月末に受ける予定だったが早める事にした。
受講料は15000円。
払い込み手数料は150円、申込書をコピーして10円。

今日は薄曇りだが30℃ありそう。
相変わらず姉歯マンションの取壊しの音響く。まだまだ先は長そうだ。



最近何を勉強するにもル・コルビュジエに当たる。
犬も歩けばル・コルビュジエに....これが建築の道なのか。

2007/07/26

「プレシジョン(上)」 - ル・コルビュジエ

この本も都市計画学と現代建築論のために読んでいる。

この本は1929年にブエノスアイレスで行われた10回の講演内容(一部付加有り)をまとめた物の上刊である。(当然、下刊もある。)


ル・コルビュジエの都市と集合住宅と住居は全て同じ方法論の中にあるのだと、この本を読めばよくわかる。この1920年代に現在、もう21世紀であるが、ある都市に関する多くの問題点についての予言をし、さらに解決策まで出してしまっているようで興味深い。「介護や福祉」と「都市や住宅」を関連付けて考える意思のある方はこれを一読しておいても良いかも知れない。

また「現在の四角い建築が存在するのはル・コルビュジエ在ればこそ」などと言われるが、これが大きな間違いだとわかる。現在でも四角いガラス張りの立面を持つ高層ビルが多く建設されているが、これはル・コルビュジエが提唱した合理的「建設方法」だけを便利に用いているに過ぎない。狭い敷地にたくさんのフロアを積み上げる技術の結果であって、そこにル・コルビュジエの目指した物は何も反映されていない。



140ページに客船の話が出ている。
船室にはベッド、執務机、絨毯、洗面台、箪笥、鏡、電灯などが約15㎡の中に全て入っている。食事、台所は無いが、50人の調理人が2000人の乗客の食事を作っているので自分は1/40人の調理人を雇っている事になる。それで調理人の不足は緩和される。その他に20人の面倒を見ている使用人がいるのであるから1/20人の使用人を雇っていることになる。合計で1/40+1/20=3/40人雇っていることになる。

これは船の中の事であるが、これを我々の家庭生活にあてはめる。
それが「都市計画」と「現代住宅」の基礎になる原理と言及しています。

「まず、2階建ての住戸を作り、その裏側部分に1本の街路を通す。これを6m毎に重層する。」これは何の説明かと言うと「集合住宅」である。これにエレベーターを付け、屋上に庭園、体育室、プールなどを付けるのであるが、これはまさに「縦にした都市計画」と言えるものだ。街路であって廊下と言わない所に注目すべきである。


現在の高層マンションでは単に高さを重ねる事で容積をかせぎ、収益性を高くしているだけだ。外からちょっと見たところル・コルビュジエの集合住宅と変らないように見えるけれども、2者の考え方には大きな溝がある。


最近は住宅に関して「開かれた」をテーマに語られる事が多い。これは高齢化社会になって個別にその機能を充足できなくなって初めて言われ始めた事だと思う。閉じた住宅は夫婦+子供世帯ではそれなりに良かったが、子供が別居し親は高齢化して介護ヘルパーが出入りしなくては生活できない状態になった時に、地域と住宅の内部が壁で完全に仕切られた状態であるのが不合理になったと言う事だ。


もし我々日本人がル・コルビュジエのように集合住宅を造っていたならば、(お金の事ばかり考えていないで生活について真面目に取り組んでいたならば、と言い換えても良い。)現在の日本はもっと楽に高齢化社会を迎える事ができたのではないだろうか。

「輝く都市」 - ル・コルビュジエ

都市計画学のために読んでいるが、この内容は現在「持続可能な都市」を考える上での基礎資料としても読んでおく価値があるかも知れない。



ル・コルビュジエの考え方の中で「住宅」と「都市」は独立したものでは無い。
学問的に細分化した中に居る我々の頭脳中では、「都市計画」と言う立場からその街路などの部分だけを抜き出して考えたり、「住宅計画」と言う立場からその外部とは無関係な空間について論じる事は普通にあるものだ。

しかし、ル・コルビュジエは「都市計画」を論じる場合に人間の生活の意味での「住宅」と「住宅の延長」を定義するところから入る。

「住宅の延長」とは食料補給、家庭奉仕、保険衛生、身体保持、体質改善、学校、仕事、社交、とそれを繋ぐ交通によって定義される人間の生活に必用な全ての体系である。
「都市」はその延長上に存在するものである。



ル・コルビュジエはこの事を歴史方向からの考察によっても考える。

近代以前からの都市は、ロバや人が時速4km/hで通る「路地」の隙間に住居を構えて暮らす状況であった。産業革命以後その地に工場が出来、原材料や産品を運ぶ車がが往来するようになり、労働者や食料はその間を縫って往来する姿に変わった。つまり産業構造が変化し労働も変化したにも関わらず都市はその「廊下式通路」を変化させる事無く続いてしまった。工場はその立地を間違えたし、それを改善する計画も実行されなかった。


デカルト「自然が作り出したものと、人間精神が作り出したものとの間には一つの統一がある。」

つまり人間は、都市を「組織化」しなければならない、と考える。
組織化は都市や住居に生物学を適用する事、個々が全体の一部として完全に機能するような「調和」を目指す事である。


具体的には
まず「土地の占拠」の問題を整理する必要がある。
・行政の中心地であった従来からの同心円上にあって放射状をなす町は「商業都市」となり、商品の交換の中心となる。
・原材料の補給と商品の搬出に使われる道路に沿って工場を配置した直線状工業地帯(直線状都市)は商業都市と交差する。これらは同心円状都市の衛星都市となる。
・上記2者によって区切られた三角形地帯では農業が行われ、農民生活の容れ物となる。

都市においては時速4km/hの移動手段と時速50~100km/hの自動車が完全に分離されることで、住居や事務所となる建物が完全に機能する。
完全に機能すると言うのは「太陽」「緑」「空間」の3要素を満足する事である。
消極的な言い方をすれば、従来の都市にあった不都合「交通の混乱」「街路からの騒音やホコリ」「住居が太陽光に向いていない」「住居の周囲に緑が無い」と言う廊下式街路の制約と圧制からの開放である。


住宅は郊外に無限に広く拡散する「拡散する都市」となることなく、高さ方向に成長させ「集中する都市」。これにより住宅から仕事場まで長時間通勤する必用なく生活が可能である。

これはまた、水平方向の交通(自動車)より垂直方向の交通(エレベーター)の方が総合的に考えたエネルギー効率が良いと言うことである。




最後に、ル・コルビュジエの都市計画を「Static(静的)」であると表現する事があるようだが、これを読んだ中ではそうは感じられない。そちらの意見もどこかで読んでみる必要がありそうだ。

参考書
「輝く都市」 ル・コルビュジエ 板倉準三 訳 丸善
       (鹿島出版会のものでは無い。)

2007/07/25

建築環境工学のレポートが帰ってきた

結果は「A」だった。
これでまた次回の試験に1科目申込みできることになった。

今回の反省会。

1.光環境と照明方法について

人の目の光に対する反応の名称は記述したが、具体的に「xxxxな時にxxxxxとなる現象」等と書く方が分かりやすかったと思う。今回はあまりにもコンパクトにまとめ過ぎた。また、一般的な光に対する目の反応は記述したが、年齢など別のパラメータによる視覚の変化は書かなかったがこれも書くべきであった。人工光と自然光による照明の分類はきちんと図表にしてまとめた。しかし、それらがどう言う目的で使用されるかについても記述すべきだった。

2.人体と熱について
熱の伝わり方の各用語や、身体が熱により起こす反応については最も基本的な事として省略し記述しなかったが、説明を入れて分かりやすく書くべきだった。また、温熱指標の1つを模擬的に計算してみたのは良かったようだ。

3.全体
字の間違いがいくつかあったので、これからはもう少し注意深く書こう。


先生には丁寧に読んでいただいて、講評についても筋の通った見方をしていただいた結果と納得するものだった。

建築計画学Ⅰの成績が来た

建築計画学Ⅰの成績が出た。

「A」だった。
良かった良かった。

これは6月に試験を受けて結果が葉書1枚帰ってきただけなので、試験回答の講評は無し。

「近代建築史」と言う本

先日図書館が買ってくれた「近代建築史」を読んでみた。

この本は読み難い。
1.いちいち表現が情緒的すぎる。
「洗練」「精緻な」「完成度の高い」「独自の境地にまで達している」「ダイナミックな」「美しい」などの形容詞が多用されている。それは引用でなく本文として書かれているのだが、歴史上の建築物にこう言う情緒的な表現が許されるのはそれが業界のコンセンサスだからなのかそれとも著作物は著者のものと割り切っての事なのか。

2.建築家数人がやった事を歴史の中の一つの流れとして書いていて信用して読んで良いのか悪いのか判断がつかない。特にに最近の事象については細かく書かれているのはありがたいが、その事を「...ism」と同等に扱って書いている。最近の事なので時間が評価していない部分であるので仕方ないとも言えるが、このあたりは眉に唾をつけて読む必要がありそうだ。

3.出てくる建築物名が多すぎて写真掲載が無いものが多い。インターネットで建築物名を検索して写真を表示させながらでないと、この本は面白くないところが多いと言う事。

4.日本の建築が強調されすぎていて背景にある西洋との遠近感があいまいな印象がある。日本人の書いたものなので仕方ないと思う。日本以外のアジアにほとんど触れていないのはそこに流れが無いからなのだろうか。

5.近代における都市計画と建築単体や建築の思潮、それに歴史そのものを全て通しておおまかに眺めることができるのは本書の良いところだと思う。

例えば、近代に都市計画が必用になった背景の一つに都市化があると言われるが、これについて具体的に「仕事場と住居が離れて存在するようになったのは近代になって初めて」と書いてある。現在は仕事場まで交通機関を使って移動するのが普通であるから、その感覚で歴史上の都市計画を見ようとしてしまう読者の視点に警告を与えてくれる。これはすばらしい。

6.疑問点
「ドミノ」に関する記述(P128)の中で、
『1914年から鉄筋コンクリートの軸組と量産住宅の主題についての研究を発展させ、「ドミノ」とよばれる構造体系を考案する。』と書いてあるが、先日の雑誌"Casa BRUTUS vol.89"では「ドミノ」は木造建築のために計画されたと書いてあった。Wikipediaにも「鉄筋コンクリートによる」となっている。
これはどう言うことなのだろう。


参考資料
「近代建築史」石田潤一郎/中川理 昭和堂

勉強の仕方はいろいろ

勉強の仕方について考えている。

小学校、中学校、高校までの勉強では「1つの予め想定されている答えを導き出す」こと。それに合わせて問題が用意されている。だから昔よくあったマークシート方式の解答用紙で事が済んだりしたのだと思う。

(今でもマークシートは生きているのだろうか。先日、東急ハンズにマークシート専用シャープが売られていたから在るのかも知れない。)

1クラスに約40人の学生がいて、それぞれが同じ問題を解く、そこに答えは1つ。だから試験中に隣をキョロキョロ見ては試験にならない。そう言うことだ。


悪い事に我々はそうやって育ってきてしまったから、仕事でもこうやって大学などで勉強していてもきっと1つの答えを求めようとする。習慣として。


でも、本当にこれは単なる習慣だと思う。皆が同じ質の人間で、同じ事をやって、同じ問題を解いて、同じ評価を受ける。



実際にやりたいのはそんな事ではない。たった1つの試験の回答探して書いて、どうにかその試験を切り抜ける事などではない。レポートにたった1つの無難な正解を書いて評価を受ける事ではない。レポートも試験も、そんな事は単なる過程に過ぎなくて、本当はその過程から何かを得たり、何かを身につけたいのだと思う。



そう考えてみると、やり方はいろいろありそうに思える。

いろいろな人間がいるのだから身に付け方もいろいろ。聞くのが上手い人は聞けば良いし、話すのが上手い人は誰かに話してあげれば良い。本が好きな人は山ほど本を読むし、まとめるのが得意な人は誰かに聞いた情報をまとめて身に付ける。音楽を聴きながらが良い人もいるはずだし、食べながらと言う人もいる。

それで目的が達成するのならそれで良いのではないだろうか。

皆が同じ方向を向いて同じようにノートをとって同じやり方で勉強をするなんて、子供っぽ過ぎるのかもしれない。


自分に関して言えば、このブログ、勝手に使われたって何とも思わない。それで自分より誰かの評価が良かろうと、それはそれで良い。(それほど価値があるとは思っていないけれど。)と言うより、逆にもしそうなれば嬉しい。うまくすればこちらにも何か得るものがあるかと思うし。

2007/07/22

通信制大学って

通信制で学ぶ事にはメリットがあると思う。
「自分のペースで学べる」なんてどこかの大学のパンフレットみたいな事は言わない。なぜなら、それほど楽じゃないから。

レポート書くにも大学から来たテキストだけじゃ全くの不十分で、それ以外の参考図書を少なくとも数倍のページ数めくらなくてはいけない。テキストの内容だって一応専門書なのでそこに書いてある「専門用語」は別に調べる必要がある。これは想像以上、かなり大変な事だった。でも、昔の人に比べればインターネットがあるだけずっと環境は良いのだろうとは思うが。

一番大きいのが学費の安さかも知れない。同じ事を通学で学ぶ場合1年目に150万円も必用なのに通信だと3年編入するとして2年間でその半額で済む。何故かわからないがお徳としか言いようが無い。


勉強のやり方も通学よりはやり易いと思う。なぜなら短期、中期の目標が入学時から決まっていて、それが大学がくれる冊子にちゃんと書いてあるのだから。これを見ればある程度最低限身につけるべき事がわかるようになっている。読んでおくべき本も分かるようにしてくれているし、自分で関連資料だって探しやすい。

 これが通学制だったらカリキュラムが示されるだけで半年後、1年後に何が起こるのか、どう評価されるのかは示されないから闇雲にひたすら勉強するしか無いし、結果が的外れだったらどうしようもない。

勉強の仕方においても通信制は無駄が無いと思う。



しかし、今までやってきた中で通信制の欠点と思う点も出てきた。

それは同じ事を勉強している人になかなか会えないために、ちょっと他人に聞けばすぐに済む疑問をなかなか解決できない事。下手すると本当に一人で何もかも孤独にやらなければならない事だ。レポートも試験も実質的にはたった1回だけだから、ちょっとした疑問が未解決のままに通り過ぎてしまう危険がある。

この点はどうにかしたいと思う。

大学へ提出するレポートは、テキストやその他資料にあるものを纏めて覚えればそれで良い、高校までのそれとは違う。情報を吟味して自分なりの考えを書かなければならないものが多い。そう言うものは、同じ課題に対するレポートでも人それぞれ内容が違って正解なのだと思う。これを一人でやってると思考が堂々巡りしてしまって進まう。

どうにかならないものか。

2007/07/21

試験終了

建築構造学Ⅰと建築史が終了。


建築構造学Ⅰの問題は、

第1設題:木造住宅の「木造枠組壁構法」と「在来構法」の比較。
これはテキストにある内容なので問題無かったと思う。それにレポートの内容とも重なるので、ちゃんと絵入りの表にして見やすくすればOKのはず。

第10設題:異種基礎併用について。
これはテキストの内容からははみ出す問題。しかし基本的にダメだと言う事とその理由、そして異種基礎併用可能とする手段が書いてあれば良いと思った。記述量は少なかった。

鉄筋の問題じゃなくてよかった。それが救いだ。



建築史の問題は、

第2設題:3つの仏教建築とその内の1つの特徴。
これもテキストの内容からはみ出していないので問題なし。時間に余裕があったので構造のイラスト付きで提出してみた。

第7設題:芸術を主題とする建築とそうでない建築の様式比較。
これは自説が正しいかどうか確かめたかった問題なのでちゃんと書いた。各々どの様式を指すかまず分類して考えるところから必用なのでかなり準備して臨まないといけない問題だろう。しかし、直接この設問の答えになる文章は参考図書には無かったと思う。建築の思潮を横並びで比較している文献などあるのだろうか?


それと、妻のまねっこして買った0.9mmのシャープは効果を発揮した。今回は紙の上でツルツル滑ることなくちゃんと書けた。ありがとう。しかし、字は汚いままだ。そっちは自分のせいだけれど。

終わって良かったと安心したところで、評価のことは忘れてこれからは別のことをやろう。

2007/07/20

シャープ0.9+2B

シャープペンシルを買ってみた。ぺんてるのTUFF0.9と言うもの。東急ハンズの柱に掛かるたくさんのペンの一番下の列、地上20cmほどのところに地味に吊るされていた。367円だった。

明日は試験、前回の試験ではあまりにも回答用紙の質が良すぎて普通のシャープが滑って滑って、ただでも汚い字がよれよれ。あまりにも醜い状態だったのでこのペンで少しはその状態を軽減してみようと思った。


このシャープは0.9mm芯。2Bの芯が標準で入っていた。書き心地は当たり前だが柔らかい。だからと言って試験の出来には全然関係ない。

ただ、もう何年も鉛筆など持ったことが無かったからシャープで書くことに違和感がある。中学校あたりから授業のノートはボールペンで、書いて消すなんて面倒臭くてした事が無かった。試験ではもちろんしていたけれど。社会人になって試験が無くなってからずっと鉛筆なんて大嫌いでほとんど持つ事がなかったから仕方ない。


明日の試験はどうなる事やら。

夏の宿題...らしい

雑誌Casa BRUTUSで『「ル・コルビュジエ」はこの夏の宿題です』ってやってる。

本屋で立ち見してみた。
ル・コルビュジエ関係の本の中の写真はほとんどどれを見ても同じだから、この雑誌の写真はちょっと目に新鮮だ。そうか、ドミノシステムは木造のためのアイデアだったのか、などと基本的なところに感心してしまう。


それはそうとして、この雑誌っていったい誰が読むものなのだ? 誰向けなんだろう。続けて出ているのだからいつでも一定の人が買っているんだろう。不思議だ。建築関係の人向けだったら内容はそれほどでも無いし、一般の人がル・コルビュジエでもないだろう。疑問だ。


それも置いといて、こっちが夏の宿題になりそうだ、ル・コルビュジエ。現代建築論。

ヴィクトール・オルタ .....アールヌーヴォー

先ほどNHKで「世界遺産100」と言う短い番組をやっていた。たまたまテレビを点けていて、寝ようと思ったところにいきなり「アールヌヴォーなんとかかんとか...」と出てきたので見ていたらヴィクトール・オルタの自邸を紹介し始めた。


びっくりした点が2つあった。

1.当時の新素材である鉄とガラスを巧妙に使いこなしていたこと。室内に向かってRを描く窓ガラスに「アメリカガラス」と言う鉄粉入りを用いて室内への光を拡散させている。それに微妙な色使いもよくコーディネートされている。落ち着いた色合いであっても黄色などなかなかうまく合わせるのは難しい色なのに。

2.鉄で作った蔓状の装飾は全て個別に石膏で型をとった鋳物であった。設計する物件によって全て形が違うはずなので型でなくても良さそうなものだが、これは複数作るため型でなくてあの滑らかな形状を実現したいための型なのだろうと想像する。槌で打って削るのでは肌の感じが出ないからだ。鉄も当時は新素材だから少なくとも2つの新素材を使いこなしていたことになる。テクノロジーの面から見ても最先端の応用技術なのかもしれない。


残念ながら、彼が生きているうちにアールヌーヴォーの時代は終わってしまう。これは時代の要求に応えられなかったからだろうが、建築の分野の1つでなくて工芸とか芸術のものであれば生き残っていて良かったのではないか、と思う。

日本でも北澤美術館がたくさんコレクションしていて、ずっと以前に見たことがあるが、それを見た時にこれが建築の流れの中の物だとは思わなかったし想像もできなかった。日本でアールヌヴォー様式の建築に触れる事が無いせいだろうが、どうしても工芸品に見える。

オルタさん間違った認識でどうもすみませんでした。悔い改めます。

2007/07/19

図書館が本を買ってくれた

以前、近くの図書館に読みたい本が無くて神奈川県内図書館の横断検索をしていたら数冊だけあったのだけれど全て貸し出されていた。人気のある本らしくなかなかこちらに回って来ないらしい。仕方なく待っていたら何と図書館がその本を買ってくれた。
ありがとう県立川崎図書館。いくらも税金払っていないのに。

「近代建築史」石田潤一郎/中川理 昭和堂 (2,400円+税)

現代建築論の参考図書だ。


追加
今までずいぶん生きてきたけれど、こんなに図書館と仲良しになったのは初めてだ。恩返しもできないけれど。

2007/07/18

建築史-世界史

今日も天気が悪かったけれど、雨は降らなかった。降らなかったと思う。図書館に入っていたから良くわからなかった。閲覧室には1日中机に向かって何か勉強しているおじさんが多い。皆50代以上だろう。仕事なのだろうか。それとも資格でも取るつもりなのだろうか。


西洋の建築全般

1.ギリシャ建築の後世への影響について
「建築史はギリシャ時代から始まる」と昔から言われるだけあってギリシャ建築の影響は幅広い。それとは反対にギリシャ建築の形態の幅はかなり狭くて「バシリカ」に尽きる。

「バシリカ(バジリカ)」と言う言葉は2つの意味に使われるから注意しなくてはならない。
・建築様式としてのバシリカ:これは列柱が身廊を取り囲む形式の事。(後に教会建築の代名詞になった。)
・建築の用途を指す場合:ローマ時代などでは公共建築をバシリカと呼んだ。

これらの影響はかなり時代が下っても見る事ができるが、影響の与え方は2方向に分岐しているように思われる。(これはどの本にも書かれていない。)
(1)列柱と身廊がある平面構成が変遷しながら伝播していく方向。
(2)オーダーが装飾として伝播して行く方向。

これらを調べていくにはなかなか時間がかかると思う。


2.中世の様式全般
中世に作られた建築の各様式はそれぞれ何らかの構造的問題を解決したり、他文化の影響を受けたりした結果であったりするものらしい。そして次第に元もとの考え方が失われて表面的な形だけになってしまうものもあるようだ。
先人も多く試行錯誤しているらしい。


3.ルネッサンスについて
近世ルネッサンスの理念は誰が見ても割と明確で、建築にもそれは良く現れていると思う。それはヴィトルヴィウスと言う教科書があった事が大きいのではないだろうか。それによって方向性がはっきりしていたのだと考えられる。スポーツの試合をするのと似て、ルールに則った中でいろいろ技を磨いていたようなものだ。


4.建築の「装飾」と「非装飾」
(注意:以下の内容はどの参考書にも書かれていない。)

装飾が魅力的と言うのは、芸術作品が魅力的に見えるのと似ている。概ね装飾を旨とする建築様式において、その作家は芸術家的な作品作りをするように思われる。
作家の美観から出たものであって、過去の様式や普遍的美の基準のようなものからはフリーである。また装飾が施される場所もクライアント個人の居室である場合も多い。様式とはならなかったがガウディの建築は狭い地域の風土を根本としており、普遍的とは程遠い一品物なのである。

対して非装飾を主題とする建築は、機能性、合理性を追求するものであり、その結果として社会性、文化といった広い範囲に普遍的に影響を与え、再生産を促す傾向を持つもののように思われる。

(追加:各々、「美」がどこにあるのか-個人の中かそれとも人間の外にあるのか-によって分けて考えてみたらどうかと思う。)

参考資料
「近代建築史」桐敷真次郎 共立出版


5.産業革命とそれ以後の建築の動き
(注意:以下の内容はどの参考書にも書かれていない部分を含む。)

産業革命は建築においては3つの新素材を提供する事になったが、これを最初に使って建物を造ったのはエンジニアであった。その理由はもちろん実用上の目的を達するためである。安価で収益性のある産業用建造物が求められたためだ。

この時代以前(中世や近世)の建築はどちらかと言うと裕福な貴族階級の要求を満たすものであったり教会建築であったりした為、形式美の追求、権威や威風を示すと言う要求に応える形で発展してきた経緯がある。しかし産業革命以後、近代になると産業の発展により合目的性、実用性、収益性が求められるものが変化してきたと考えられる。また産業構造の変化により街が都市化し、中産階級が増加したために建築も大衆化しなければならなかったであろう。


6.近代建築の基本要素
近代建築では新素材(鉄、ガラス、コンクリート)を使う事で空間構成や外観デザインに大きな自由度を得た。それまでの組積造では壁は厚く、開口も自由でなかったのだから、その衝撃はたいへんなものだったと想像できる。日本では石を積んで建物を造ると言う発想自体が無いのでその感覚はわからないかも知れない。

2007/07/17

建築史-日本史

今日は雨だったが図書館に行って資料を閲覧してきた。
このあたりの資料は横浜の神奈川県立図書館の方が揃っているように思われる。川崎の図書館は建築史と言った文化的なテーマに関する資料よりも、構造や材料のような工業的な資料が揃っているようだった。


日本の建築全般

1.神社建築について
日本の神殿(寝殿ではない)形式はいくつかあるが、その多くに共通するものがある。
柱が掘立である事、柱が丸柱である事、切妻屋根である事、例外もあるが棟持ち柱が使われている事などだ。この特徴は、古代よりずっと遡ったBC3~4世紀の大陸から伝わった高床式建築と共通する。

この高床式建築がその後の古代住居と神社建築のルーツだと考えられるが、どこで分化し、どんな部分が取捨選択されたのかは別途検討する必要があるだろう。

神社建築は各々何が違っているのか分かり難いので簡単なイラストを描いてみると違いがはっきりするように思われる。

参考資料
日本の原型・・古代から近世まで
日本の歴史と建築様式-賃貸のホームメイト


2.仏教建築について
日本の仏教建築は数段階に分けて朝鮮半島または大陸の影響を受けている。
影響を直接反映した様式もあれば、それを日本式に解釈して独自様式としたものもある。現存するどの建築もほとんどが古びた木材の色となっているせいで、知らずに見ていると皆同じに見えてしまう。そんな多くの建築に時間の奥行きを見るにはその構造の細かい部分を分類して見ることが必用だろう。なかなか面倒な作業である。

仏教建築はその様式の特徴が細部の構造だけのもの、敷地内の平面構成に特徴があるものなど、特徴の出方がいろいろで本当に分かり難い。構造だけ追えば良いと言うものでも無いらしい。

参考資料
「日本建築史図集」 日本建築学会編 彰国社


3.住居建築について
住居建築の様式は長い歴史の中でそう多くは無い。
それぞれの様式にそれぞれの時代の生活様式との対応があるのは当たり前であるが、これはわざわざ書いておくほどの事も無いかも知れない。

これも簡単なイラストにしてみるとその特徴がつかみ易いかも知れない。

参考資料
「日本建築史図集」 日本建築学会編 彰国社


4.近代の日本における西洋建築との接触について
近代になってこれまで日本建築には影響を与えていなかった西洋からの影響があった。

この影響を受けた建築の中には、現在も異国情緒のシンボルとして保存されているものがある。例えば長崎のグラバー邸等。あれらは異国情緒ではあるが、決して本当の異国では無い。よく考えてみれば、あんな建物は当時のヨーロッパには無かっただろう。むしろ植民地であった東南アジアの建築に共通するものを見かける。そう言う意味で面白い建築かもしれない。

同じ時期、殖産興業のための工場を外国人技師(建築家ではない)によって行い、その後政府の招聘により外国人建築家コンドルが来日している。


070719追加
「4.近代の日本における西洋建築との接触について」の内容に誤りがあったので訂正。
西洋との接触経路のうち、一番最近を1910~20年代の西洋の思潮導入としていたのは間違い。導入期と言うには時代が下り過ぎているため。

2007/07/16

建築知識能力検定 (資料集)

このブログの資料集(リンク集)に建築知識技術普及協会を加えた。

これはスクーリングでお世話になった先生が理事として参加されているNPOで「建築知識能力検定」を行っているところ。建築に関する知識の普及と啓蒙が趣旨だとのこと。

建築造形Ⅰスクーリング3日目



今日で建築造形Ⅰのスクーリング終了。

写真は模型造りをする中でふざけて作った「ロンシャンの犬小屋」と言う作品。これは提出するつもりで作ったものではなく、お遊び。まじめに作ったものはいくつかありますが、それは自分で見るだけにしてここには載せないことにする。

しかし、一応この科目ではこんな感じの製作をやった。これは立体で物を考える練習との事。確かに絵を描いて考えるのとはずいぶんと違う。絵は表面だけ描けるけれども、立体では表面を作ると自動的に裏面や内側まで作られる。それに絵は描いた時点で視点が固定されるけれども、立体はたとえ小さい模型であっても視点移動ができる。この違いは確かに大きいかも知れない。

建築家がする仕事について考慮するなら、なるほどこの授業を一番先に受けた方が良いと言う理由はわかる。

さて話は元に戻るが、ここから美が生まれるかどうかはまだ分からない。先生も自分を信じるしかないと言っていたが、結局そうなのだろう。

2007/07/15

建築造形Ⅰスクーリング2日目

無事台風も小さくなって通り過ぎ、今日の授業も予定通り終了した。

この科目は課題制作がメインであるが、先生達の大変にお話が面白い。今までに実際にそれを仕事にしている「建築家」と言う人からお話を聞いた事はなかったので、自分にとっては文化の異なる外国人の話を聞くように新鮮に聞こえる。



特に興味があるのは「美」についての意識。

自分のような素人には建築家の作った建築の美しさと言うものがよくわからない。巨匠と言われるほど有名な建築作品であっても、そのライン一つ一つについて「それで良い」と判断できないしもっと言えば「他にも方法があったのでは」と疑問に思うこともある。もちろん他の方法と言っても具体的に指摘できるのとは違う、単なる疑問なのだけれど。

今日は「美しい街並み」と言うような場合の「美しい」についての話を聞いた。
要点だけ言うと、以下の2つであった。
1.統一感 (適切な言葉を聞いたけれど忘れた)
2.建築家個人の自分の美観を信頼すること

1.統一感
現在の日本の都市は建物を作る人間が自由勝手に作ってしまっている事によって、統一感ある街並みが生まれる要素が無い。日本は昔からそう言う発想が無かったが、昔はその地域の大工が建てていたので統一感ある街並みは生まれた。現在は住宅メーカーが住宅を作るなどで地域性が無視されるようになったためにその機能が果たされない。また建物を建てる事が経済の問題としてしか捉えられないのもその大きな要因である。
「統一感が美をもたらす」と言う話である。

2.建築家個人の自分の美観を信頼すること
ずっと以前は「比例」などの美の客観的基準があった。現在は建築の流れの中でそう言ったものを用いない、「なんとかism」の中でものを考える事はしない。(これが単なる流行であるのかどうかは後世にわあるのかも知れない。)すなわち、建築家が自分自身の美観を信頼する事から美を生み出すと言うことになる。

これはちょっと事情が複雑ではないだろうか。なぜならその信頼は傲慢とか自分勝手と紙一重かも知れない。もし評価されなければそれはゴミになってしまうかも知れないし、もしその絵建築を他の建築家が読んで汲み取ってくれなければ統一も何もない。街はひっくり返した玩具箱になってしまう。



これ以外にも質問に答える形でいおいろ話を伺うことができたのであるが、あまりにも内容が多岐に渡るために頭の中で整理できず。

2007/07/14

建築造形Ⅰスクーリング1日目

昨日までの試験勉強で今日のスクーリングの予習もしていなかったし、テキストも読んでいなかったけれど、それで正解だったとの事でよかった。建築と建物の違いについての考え方も興味深かった。これについては、もうちょっとよく考えてみたいと思う。

模型の課題は考えて作ると言うよりも「手に考えさせる」感じで、とりあえずたくさん作ってみる事にする。

明日は気象庁の予報ではもうほとんど暴風雨になるらしい。家で自習になりそうだ。

2007/07/13

明日から3日間はスクーリング

明日から建築造形Ⅰのスクーリングが始まる。

デザインコンセプトモデル(多分模型)と言うのを作るらしい。
課題は3日間なのに5つもある。時間足りるだろうか。

持って行くものは三角定規、カッティング用定規、はさみ、カッター、セロテープ。忘れないようにこれから用意しよう。そうそう、カメラも持って行かなければ。

それより明日の天気が心配心配。

建築構造学Ⅰの試験の予習

建築構造学の試験の予習をしている。
テキストだけでは解決できない問題がけっこう有るようだ。かなり調べないとマズい。それなのに明日から3日間スクーリングがあるので中断しなければならないとは.....


試験の出題範囲にはテキストだけで解決できない問題がいくつかある。

●木造の継手については絵をみただけでは実際にどうやって使うのか、形の違いがどう性能の違いに繋がるのかなどがわからない。

参考資料
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/araki/kyomachiya/kigumi/
http://www.10sei.com/t01.html

●鉄筋コンクリートの「つりあい鉄筋比」もテキストには無い項目。
概念としてはそれほど難しくはないようだけれど、これを実際に計算で求めるのはかなり複雑な思考が必用らしい。どこからどこまでを有効な断面積と見るか、それによって中立線がどこになるのかと言うような事。

参考資料
http://www.htokai.ac.jp/DA/wtnb/bit/wds/a20700/data/kk201_05.pdf

●鉄骨構造の高力ボルトと溶接の併用継手

間違い易い事に「併用」と「混用」と言う2種類があるらしい。
「併用」は高力ボルトと溶接に並列に力が伝わる方法。
「混用」は直列に力がかかる。これはテキストに出ている溶接で構成されたダイヤフラムにウェブを高力ボルトで取り付けるような方式のことらしい。

参考資料
http://www.teikoku-seibyo.com/info/faq/faq_02.html

●溶接の欠陥
1.ブローホール、ピット
溶接金属内部の気泡。ピットは表面に開口している場合。
原因:シールド不良、脱酸剤不足、母材表面の錆やメッキやプライマーの表面付着、溶接材料中の水分。
対策:母材表面のクリーニング。

2.低温割れ
溶接後に冷却(200℃以下)してから発生する割れ。(数時間~数十時間)
原因: 
 ①溶接熱による溶接熱影響部の硬化が大きいこと。(組成の変質による)
 ②硬化部に一定値以上の応力が作用すること。
 ③一定値以上の水素が存在すること。
対策:予熱、後熱、溶接棒の乾燥と脱水素処理。

3.高温割れ
溶接中または直後に発生する割れ。
原因:成分の偏析による凝固温度の低下と溶接時に発生する収縮応力。
対策:不純物元素の低減、溶接速度低下。

4.融合不良(溶け込み不足)
溶接境界の一部に未溶融部分が残存すること。
原因:電流、電圧不足、溶接速度が速い。
対策:電流、電圧を上げる。または溶接速度低下。

5.アンダーカット
母材の一部がえぐれた状態のもの。
原因:電流過多。溶接速度が速い。
対策:電流低下。速度低下。

6.オーバーラップ
溶融金属が母材を溶融することなく硬化した状態。
原因:電流が少ない。速度が遅い。
対策:電流上昇。速度を上昇。

7.スラグ巻き込み
溶融金属中にスラグが残留した状態。
原因:溶融金属の流動、スラグの粘性、アークの不安定。
対策:スラグの除去など。

8.のど厚不足
9.のど厚過大
10.脚長不足


参考資料
http://www-it.jwes.or.jp/qa/details.jsp?pg_no=0050010050
http://www.watanabesato.co.jp/pavements/knowledges/csteel.html


●異種基礎の併用
これは基本的にはするべきでないと言うことが法的に決められているとのこと。
しかし、しなければならない場合も多くあるらしい。

2007/07/12

姉歯マンション解体中



姉歯物件マンションにシートが掛けられて解体工事が始まっていましたが、今日はハンマードリルの轟音が聞こえてきました。どうやら構造部分の解体が始まったようです。地震があれば危ないと言うことで壊されてしまうのは仕方ないのですが、何とももったいないものです。



ずっと以前の石油危機などいろいろあってリサイクル促進のような動きが始めて世の中に出てきた時代、そんな時代でも車が欲しい人がいて車を作って生きている人や会社があるわけです。その頃のモーターショーでは自動車メーカーさんは自動車の燃費が良くなった事や排気ガスがきれいになった事で先進性をアピールしていました。

ショーが終わると、各自動車メーカーのブースには解体作業員がやってきて展示に使ったデコレーションを全てトラックに載せられるまで細かく破壊し運び出していました。そんな中でダイムラー社だけはそのショーに使った機材全てを畳んで持って帰りました。他でまた使うためです。ショーが終わってのことですから見ているのは関係者や工事業者しかいないわけで、そんな事は宣伝にも何にもなりませんけれども。


ちょっと想像力を働かせて考えれば、作るは壊すにほぼ100%繋がっていて、それは人間の死亡率が100%であるのと同じです。建物を作ると言う責任の中には壊すとか片付けると言う責任も50%は含まれるのだろうと思います。さて、この姉歯マンションの瓦礫はどこに埋められるのでしょうか。

建築造形Ⅱの課題を提出

昨日までに描いた課題のパース2枚を提出した。

アドバイスに従って、ちゃんと1枚づつトレーシングペーペーでカバーしてデカいダンボールに入れた。切手代は片道35円、往復で70円だった。ダンボールと空気を運ぶ料金だからやっぱり安い。例によってちゃんとコピーもとっておいたが、鉛筆画なので描いた通りには濃淡が出ないものだとわかった。

こんな疲れる課題で再提出にはなりたくないなあ。

2007/07/11

パースの提出方法で困る

昨日失敗したパースに再チャレンジして一応完成した。
送ろうと思ったら、これは課題作品なので今までのレポートと送り方が違うことに気付いた。作品の場合は表面にトレーシングペーパーを貼り、裏に課題作品提出票を貼る。そして指定のダンボール箱に丸めて入れると書いてある。

それはそうなんだが、たかがA3コピー紙2枚をあんなデカイダンボールに入れてもスカスカで、あまり意味がない気がする。2つに折って封筒に入れればそれで良いのではないだろうか。仕方ないので大学のサイトに質問を入れておいた。幸いにもこの課題は提出後に試験が無いから急がなくて大丈夫なのだ。




影の補正が分かり難い。
3点法では影までパースシートで補正しなければならないから本当に最上級に面倒臭い。

テキストにある2点透視修正簡略図法(これがテキストで言う3点法)ではパース図の一番上の面、つまり室内であれば天井、外観であれば屋上を基点にその下に垂れ下がる線を補正する。だから地面に落ちた影を補正するには、この原則に従えばその影を天井や屋上と同じ面に予め描いておいて、そこから実際に影ができる地上または床面に補正して描かなければならない。これがなかなか分かり難い。



光の方向。
この第2課題のパースは自然光による陰影を付け加えるのに光の方向指定が無かった。だから適当に自分で決めて描いてしまった。

自然光は平行光で、これは正面図における光の向きと側面図における光の向きを決めてしまえば平面図における光はおのずと決まってしまう。テキストの演習問題で陰影を描くものはすでに光の方向が3つの図面ともに矢印で指定されているが、これを自分で決めるときにはちょっと迷う。

実際の太陽光では東西方向と上下方向の2つが分かれば太陽の位置が分かると考えれば確かに図では左右上下がわかれば良いと納得できるのだけれど。

2007/07/10

パースの課題で失敗した

建築造形Ⅱのレポートでパースを描いていたら失敗した。もう消しゴムで消すのが嫌になったので明日、新しい紙に書き直すことにした。この課題は大変。


3点パースは面倒臭い。
建物の一番高いところの点からパースシートの斜線に沿うように上下方向の線を修正していくが、基点になる部分を間違えたからビルが太ってしまった。室内パースではできたのに。疲れてくると学習能力が減退するらしい。


ところでパースシートの使い方とか書き方がテキストに出ているが、テキスト付属のではパースを描く紙に重ねたら見えなくなるし、トレーシングペーパーにシートを描いてみたいな事が書かれているけれど、おいおいそれは反対だろう。シートを重ねてどこにパースを描くって言うんだい。何か方法があるのかもしれないが、思いつかなかったのでシートを窓に貼ってその上からパース用のA3を重ねて貼って外の光で透かしながら描いてみた。

それに課題の文章には影の付け方は陰影をどうのと書いてあるが、テキストの影はベタじゃないか。仕方ないので面毎に描き方や濃さを変えてみることにしよう。それ以前にどこに影ができるか考えるのも大変。3点法だとそれも補正しなくてはならないから。

何とも肩が凝る課題なのである。

2007/07/09

受験票2枚が到着

7月21日の科目終末試験の受験票が来た。
建築構造学Ⅰ 2限目
建築史    4限目
(東京サテライト)

ちょっとトラブルあり。
建築史の受験票に大学の印が押されていなかった。電話で問い合わせたら事務手続きの手違いうだった。そのままの受験票で受けられるようにしておいてくれるらしい。一件落着。


そんな事があったせいで、初めて大学の電話番号と言うものを意識した。大学から来たたくさんの書類の中身をひっくり返して探してみたがなかなか書いて無い。それも新発見。最後に2ヶ月に1度送られてくる愛産PALの裏表紙の下にやっと見つけた。忘れないうちに電話に登録しておいた。一安心。


前回の試験の時に電車が止まったり遅れたりしなくてよかった。あの時は大学の電話番号を持って歩いていなかったから。

2007/07/07

国立西洋美術館を見てきた



唯一日本にあるル・コルビュジエ作品、「国立西洋美術館」を見てきた。

驚いたことに建物内部で写真撮影可だ。但し、ストロボとシャッター音は禁止。


写真はその内部通路。頭上のアルミサッシのような部分も当初は展示用通路であったとのことだが現在は倉庫のように使われているらしい。それにガラス裏からの照明ともなっている。その部分の高さは手を上に伸ばしてあと10cm程度の高さだったから、モデュロールの一番上の高さよりは少し高い位だと思われる。前回森美術館に再現されていたル・コルビュジエのアトリエ等の実物大模型では手を頭の上まで伸ばして立つと、丁度指先が天井に触れたから少し違うのは確かだ。

全体としてはなるほど、プロムナードだ。正方形の角を曲がる度にちょっとづつ展示スペースが違っていて軽い迷路感覚がある。美術館自体がアイデア段階より小さくなったためか、それとも所々に外側向きの窓があるせいか、全く自分の位置がわからないと言う事ではない。天井は高い部分と低い部分が交互に現れて、高さ方向にもリズムが付けられているようだ。ただ、その事によって壁面に制約が生まれるので展示したい美術品のレイアウトが自由にできないのではないか、と心配になる。

他の美術館では高さ方向にはかなり余裕を持たせていると思われるが、ここはそれとはずいぶん違って空間がこじんまりしている感じである。だが、建物自体がそれほど個性を主張しているでもなく、展示してある美術品が目立たないと言うこともない。

これに接続された前川國男氏設計の新しい展示室は天井にかなりの余裕があって広々としている。続けて見ることになるのでどうしてもそのコントラストが目立つ。後者の方が普通の美術館のように思える。ノーマルに近いと言うか個性が無いと言うかはわからないが。もちろんどちらが良い悪いと言うのではないけれど。

建築デザイン論のレポートを提出

クレージーゴンについて書いたレポートを郵送した。
見直せば見直すだけ書き足りないような気がしてくるので、もう見ないでそのまま封印してしまう。郵便局は土曜日の午前中は開いているのかと思っていたら休みだったから、図書館に本を返すついでに自転車で開いている大きい方の郵便局の窓口に置いてきた。今日はレポートと表紙合わせて6枚なので15円で済んだ。お天気は雲行きが怪しくなってきていたが雨はまだらしい。助かった。


今日はこれから上野の国立西洋美術館に行ってみようかと思っているが、思案中。ル・コルビュジエの作った日本に唯一の建物を見るために。だから常設展だけ、学生証で130円だ。お天気が良い日の方が良いだろうか。

2007/07/06

スクーリング受講票が届く

建築造形Ⅰのスクーリング受講票がたった今届いた。
初めてのスクーリング、いったい何があるのでしょう?

予習は必用なのだろうか?

建築デザイン論のレポートを書いてみた


建築デザイン論のレポートを書いてみた。
課題は適当な公共建築を選んでデザインコンセプトや空間構成を分析しろとの事。

近所に題材になりそうな建築が有るような、無いような。つまりはそれほど興味が持てるような公共建築が無かったのだけれど、迷った挙句候補を「チネチッタ」と「川崎市立川崎病院」に絞込む。調べてみるとどちらも資料がそれほど多くは無いらしい。つまり世間での注目度は低かったのだろう。仕方ない。


070715追記
チネチッタは商業建築であって公共建築ではない。
そんな事も知りませんでした。病院は大丈夫だと思う。


何を書こうか迷ったが、ウルトラセブンに出てきた宇宙ロボット怪獣「クレージーゴン」にそっくりな「川崎市立川崎病院」に決めた。キーワードを4つに絞り、その各々について1ページづつ書くことにした。選んだキーワードはこれ。

「浮く」「見せる」「つなぐ」「人の動線を見せる」

「浮く」
この建物を外から見た時の一番の特徴が「浮いている」だ。
浮くと言っても風船のように軽いから浮いているのではなくて、重いのに頑張って浮いている感じだ。仙台メディアテークなどとは正反対で重量感を消そうとはしていない。むしろ強調していて江戸東京博物館の方に近い印象の浮くだ。江戸東京博物館は象かサイのような足が四隅に付いていてどっしりと踏ん張っているがこちらはヤジロベエ式にバランスをとっているからもっと凄い。凄い不安定感や危機感を感じる。こんな建物は珍しいんじゃないだろうか。

「見せる」
見ての通り、トラス梁が完全に露出して見える。
これに一番似ているのはモーターサイクルじゃないだろうか。クロモリ鋼のトラスフレームが金属の塊(エンジン)を抱えて、しかも1本足でバランスしている。見た目は不安定だが実に安定して立っている姿が似ている。レポートにもバイクの写真を並べてみた。ついでに建物の梁もバイクと同じ赤に色付けしておいた。

「つなぐ」
この建物の足の左右にある別棟は構造も用途も全く異なる。驚くことに、元々この別棟のところには旧棟が存在していて、それは何とこのヤジロベエの施工中にも病院として稼動していたらしい。頭上で15階もの建物が建設されていながらも旧棟の病院は患者を診察したり入院させたりしていたと言うことなのだ。
従ってこのヤジロベエが完成した後にその旧棟は壊されて、その後に別個に作られた建物を繋いだことになる。施工中を見てみたかった。

「人の動線を見せる」
外観の意匠は実は病院と言う建物にとってはどうでも良いことだ。地味ながらこの「人の動線を見せる」方がこの建物にとって本質的な問題であったらしい。
であるから中身は単純なる長方形であり、通路も長方形の回廊となっている。アトリウムには通路とエスカレータが露出していてこれも実に分かりやすい。災害時に慌ててどちらに走ってしまっても逃げられる。六本木ヒルズなどろは全く反対なのである。


レポート的にはどこかに比例美などを検討すべきだったのだが、絵に描いてやってみるとやはり力学先行で設計されているらしくそれらしき処が見つからない。比例は割愛した。

今回はレポート用紙の方眼紙側を使うようにとの指示だったので始めてフルにパソコンで書いてみた。やっぱり楽だった。レイアウトの都合を考えればプレゼンテーション用のアプリで書くべきかと思ったが、最終的に印刷だったのでDrawを選ぶ。どっちが良いのかわからないが。

2007/07/04

パースの練習で挫折中

建築造形Ⅱのテキストでパースの練習をやってみた。
簡単そうだから3日もあれば終わるかと思った。やり易いようにテキストの演習問題を全て切り取り線で切りとってみた。この程度ならレポートもすぐ終わるはず。

...大間違い。解説にある絵は単純なものなのに、練習問題の絵は細かい。窓やドアのほんの少しの出っ張りまで描かなくてはならないが、それを描いていると0.5mmのシャープの線がいくつも重なってしまう。補助線はできるだけ必用なところだけにして、消しながら次々と描く必用がある。しかし、紙はA4サイズ。かなり面倒臭い。

A3にコピーすべきか?

2007/07/02

建築環境工学のレポートを提出した

建築環境工学のレポートを提出した。

今回は2課題合わせて15枚(+表紙)で109g。送料と返信用切手が各25円、計50円になってしまった。絵だけのページが4枚で、挿絵がたぶん2.5ページ分程度だから本文は8.5ページ分だろう。行をあけて段落を入れたりしているからページが増えたけれど、文字数は1課題1300程度だと思う。

(レポート用紙はもっと薄い紙でも良いのに、などと勝手な事を言っても仕方ない。)

内容は昨日までに書いたもの、そのまま。
どうも一度レポート用紙に書き終わってしまうと見直す気にはなれない。図以外は手書きしているから直すのが面倒と言う印象が残るのと、手書きはやっぱり疲れるからもうこれで終わりにしたいと思う心が強くなるためだろうか。

字が間違っていても、少し位なら良いやと思って出してしまう。良くない傾向だ。