先日「近隣住区論」を読んで書いたのであるが、ふと思いつく事があったので記しておくことにする。
「近隣住区論」の考え方の一部は現在の日本でもその考え方は「都市公園法第2条」に反映されていて、都市公園整備を行う場合に実際に使用されている。
1つの近隣住区に対して2haの広さを持つ近隣公園を中央部に1つ、0.25haの広さを持つ街区公園を分散させて4つ配置する事になっている。
そこで思い出すのは黒川紀章である。
ヨーロッパは広場を中心に生活が営まれるが、日本には広場が無い。その代わりに路地を中心とした界隈がその生活の中心として機能していると言うのである。庭と路地と家の縁側は近隣住民とのコミュニケーションに使われるセミパブリックな場所となっている。現代の家は閉鎖的になっていて、もしかしたら実感が湧かない人も多くなっているかもしれないが、わからない事ではない。
反対に欧米の家は路地と逆側を向いていて、「近隣住区論」でも家は住区の内側を向いて建っているし、不特定多数の人が来る恐れのある店舗は家から見えない所に配置するとしている。つまり、日本の伝統的な生活習慣とは異なる前提で考えられたものなのである。
家が閉鎖的な構造になってきた現代でも、日本の家は通りを正面にして建てられる。実感としても近所との付き合いは(薄くなってきているとは言え、)通りを隔てた向かいやお隣が濃くて、裏は隣接地であっても薄い。
幼児を連れて母親が公園に行くのに「公園デビュー」と言う言葉があるが、ご近所デビューとは言わない。公園はやはり日本人にとって、敷居の高い、公式の場に近いものなのではないだろうか。
そうであれば、改めて公園整備するよりは路地整備を行い、「路地公園」(今作った言葉)と言った選択肢もあるのではないだろうか。もちろん自動車の排除問題も同時に考えなくてはならないが。
豊臣秀吉は京都の碁盤の目状の区割りを、道で囲まれた平面図上のブロック単位から、通りを中心とした菱形のブロック(町)に変更している。これも日本の家屋が通りに面していて通りを中心に生活する習慣を認めたものであろう。高い学歴を持ち専門の勉強をして行政を司っている現代の公務員よりも、農民上がりの秀吉の方が民衆の生活実態をよく見て実情に合わせた判断ができたのかも知れない。
参考資料
「図説 都市地域計画 第2版」青山吉隆 丸善
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