建築環境工学のレポートを提出した。
今回は2課題合わせて15枚(+表紙)で109g。送料と返信用切手が各25円、計50円になってしまった。絵だけのページが4枚で、挿絵がたぶん2.5ページ分程度だから本文は8.5ページ分だろう。行をあけて段落を入れたりしているからページが増えたけれど、文字数は1課題1300程度だと思う。
(レポート用紙はもっと薄い紙でも良いのに、などと勝手な事を言っても仕方ない。)
内容は昨日までに書いたもの、そのまま。
どうも一度レポート用紙に書き終わってしまうと見直す気にはなれない。図以外は手書きしているから直すのが面倒と言う印象が残るのと、手書きはやっぱり疲れるからもうこれで終わりにしたいと思う心が強くなるためだろうか。
字が間違っていても、少し位なら良いやと思って出してしまう。良くない傾向だ。
12 件のコメント:
こんにちは、せんたろーです。
mixiは、折角教えていただいたのですが、
良く分からないので、見ているだけです・・・
本日、やっと「建築史」と「建築構造学Ⅰ」の
レポートが完成しました。
明日発送する予定です。
orang-uさんのレポートを参考にしたかったのですが、
真似してしまいそうなので、
敢えて読むのを我慢しました。
mixiはそろそろ「はじめまして」が出揃ってきたのでちょっと静かかもしれませんね。何か書いてみては。
レポートについては、私もいつもみなさんに悪いかなと思っています。自分で勉強すべきことですから。
書き終わってから復習の意味でやり取りしてみるのが良いかもしれませんね。他の人の視点がどうなのか私は知りたいです。一人では視野が狭くなっていてもわからないですから。
orang-uさんへ
すみません。コメントの仕方を間違っていたかもしれません。
このブログは、大変参考になっている人は多いと思います。
レポートの進み具合や取り組み方、また、試験についてなど、未知の部分について、orang-uさんが先陣を切ってコメントを公開してくれているので勉強になります。
私は影響を受けやすいタイプなので、敢えて提出するレポートの部分は読まなかっただけで、感謝している人は多いはずです。悪いことではないと思います。
レポートで勉強したことを誰かと雑談でも良いから話したいですね。周りの人に「寝殿造」の話しても浮いちゃいますからね。
いえいえ、悪いかなと思っていたのはこれを始めた当初からだと言うのが本当なのですよ。だから時々「間違いがありますから注意して」なんて入れてたりしてます。
コメントありがとうございます。
ところで寝殿造は私もレポート出した後なんですが、今でも謎です。ルーツが中国だと書物には書かれていますけれど、釣殿が後から発生したのならあの庭は囲まれていなかったわけで、それなら全然真似してないように思えるのです。
書物に書かれている事が単なる解釈なのか、それとも何処かの文章に「見てきて真似した」とあるのか? などなど、謎は謎のままです。
それに平安貴族はマフィアのようなだとレポートに書いたんですが、先生は否定しませんでしたよ。どうなのでしょうね。
orang-uさんへ
「寝殿造」は、南池が変遷のポイントだと思います。寺社仏閣の中国からの直輸入に対して、寝殿造は、当初、内裏のような直輸入な幾何学的形式から変遷を遂げ、日本独自の建築形式を完成させた。みたいなことが、近所の図書館で見つけた「寝殿造」という誰も開いたことがないような分厚い蔵書に書かれていた気がします。
ところで、日曜日、試験勉強をしいて、「CH.ジョーンズの方法」が分からないので、ネットで検索してみると、まともな検索結果は、このブログしかありませんでした。このブログは凄い!と、またまた思いました。
CH.ジョーンズについて試験の設題に出すのって、ちょっと難しすぎないでしょうか?
すいません また、長くなってしまいました。
orang-uさんは、コルビジュ展に行くなど、私が漠然と考えていたことを即実行されているので、書き込みたい内容が一杯です。
匿名さんコメントありがとうございます。
C.H.ジョーンズに限らず、テキストにちょっと図が出ているだけのところからの出題が多いですよ。
多分参考資料をたくさん読んできなさい、と言う意味じゃないでしょうか。
さらに悩みの寝殿造に関してです。
私も寝殿造には悩まされました。
あの池については歴史的には寝殿造(塀で囲まれていてあのような建物になったものを指します)の成立以後に追加されたと私の調べた資料にはありました。寝殿造成立後の変遷の中ではポイントだと思います。
しかし資料には池がなぜ生まれたかがあまり書いていませんでしたので、私は中国の真似してなんとか京を作るにはまとまった平地が必用で、それが日本では盆地になったために「暑さしのぎ」だったのではないかと想像しました。レポートにも書いてみましたが、これは結論の出る話ではないですね。
中国からの「内裏のような直輸入な幾何学的形式」と言うところちょっと私は知識不足なのですが、資料でも講評でも中国の「三合院」「四合院」形式の真似となっています。成立した後のあの姿から想像すればそれも理解できないことも無いのですが、「寝殿造」でない単体の「寝殿」と言うものがそれ以前からあった可能性があり、しかも構造は中国のそれと全く関係ない、どちらかと言えば出雲大社の神殿のような構造であることから考えると、私見としてですが資料に対して疑問を感じざるを得ません。
中国の「三合院」を見てきてあの寝殿造になるでしょうか? 見てきたのだったら少なくともその当初はかなり似たものを建てるのでないかと思うのです。それがいくら領地が広いからと言ってあんなにスカスカな平面構成になるのはどうもおかしいと考えます。釣殿だって後から追加したものですから、当初は庭が建物で囲まれてすらいなかったはずなのです。塀では囲まれていましたが。
資料はどれもそこのところを素通りしているようなのです。もちろん私も膨大な資料に触れているわけではありませんから、もっと何かあるのかもしれません。(上の文章を信用しないでくださいね。)
また何かわかったら教えていただければ嬉しいです。よろしくお願いいたします。
すいません 前回匿名になってしまいました。
私はレポートを書くために「寝殿造」をちょっとかじっただけなんで、しっかりとした発言は出来ないのですが、
唐の宮殿→平安京(内裏)→南池→南門消滅→釣殿→寝殿造完成
南池の設置は、中国からの輸入ではなく、
1.日本人の自然を愛でる心
2.平安京という地形的環境(北から南へ水が流れてくる)
日本独自のものでないかと思います。
しかし、これは全て参考資料を自分勝手に解釈したものです。
orang-uさんの言われるとおり、伝来した中国の宮殿様式も調べていませんし、平安時代以前の住居形式からの変遷も検討していません。本来、そーいった所まで踏み込んでレポートに取り組めば面白いものが出来たかもしれませんね。
私自身、刺激が欲しくてこの大学に編入したのですが、いつの間にか(まだ2ヶ月ですが、)レポートや試験の為の勉強になってしまっています。本来なら今までの生活では巡り合えない情報の刺激を喜び、果敢に貪欲に取り組んでいくべきなのですが・・・
私も7/21に建築計画学Ⅰと材料学の試験を受けます。何も考えず1限目2限目としてしまいました。orang-uさんは、3限目を空けて試験を受けるあたり、流石ですね。
多くの資料が「中国からの影響」って簡単に書いてあるだけなのが何となく怪しいのですよ。QWERTYの法則(ちょっとしたきっかけで始まったことが意味なく後世に行き続けてしまう)では無いかと疑ってしまいます。
あの頃の貴族はきっと遊んで暮らすことばかり考えていたんだろうなあ、と感じませんか。今も決して勤勉な国民ではないけれど、あの頃は家に池を作るほど積極的に楽しんだのかもしれませんね。
>レポートの為の勉強
そうなりつつありますよ。この寝殿造が後で何かの役に立つでしょうか?
「材料学」私は後回しにしていますよちょっと困る内容の課題です。「仕上表」ってどう書けば良いのですか?
「仕上表」は、テキストにある仕上表が参考になると思います。
しかし、その「仕上表」の中に「要求される性能」と「特徴」をどうやって入れ込むかを悩みました。
結局、テキストにある表の形式にはせず、面倒くさく、見にくいのですが、各項目ごとに箇条書きにして説明を加えました。
先生からの講評には「性能や特徴の記述が少ない」との酷評がありました。
ありがとうございます。参考にさせていただきます。
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