勉強の仕方について考えている。
小学校、中学校、高校までの勉強では「1つの予め想定されている答えを導き出す」こと。それに合わせて問題が用意されている。だから昔よくあったマークシート方式の解答用紙で事が済んだりしたのだと思う。
(今でもマークシートは生きているのだろうか。先日、東急ハンズにマークシート専用シャープが売られていたから在るのかも知れない。)
1クラスに約40人の学生がいて、それぞれが同じ問題を解く、そこに答えは1つ。だから試験中に隣をキョロキョロ見ては試験にならない。そう言うことだ。
悪い事に我々はそうやって育ってきてしまったから、仕事でもこうやって大学などで勉強していてもきっと1つの答えを求めようとする。習慣として。
でも、本当にこれは単なる習慣だと思う。皆が同じ質の人間で、同じ事をやって、同じ問題を解いて、同じ評価を受ける。
実際にやりたいのはそんな事ではない。たった1つの試験の回答探して書いて、どうにかその試験を切り抜ける事などではない。レポートにたった1つの無難な正解を書いて評価を受ける事ではない。レポートも試験も、そんな事は単なる過程に過ぎなくて、本当はその過程から何かを得たり、何かを身につけたいのだと思う。
そう考えてみると、やり方はいろいろありそうに思える。
いろいろな人間がいるのだから身に付け方もいろいろ。聞くのが上手い人は聞けば良いし、話すのが上手い人は誰かに話してあげれば良い。本が好きな人は山ほど本を読むし、まとめるのが得意な人は誰かに聞いた情報をまとめて身に付ける。音楽を聴きながらが良い人もいるはずだし、食べながらと言う人もいる。
それで目的が達成するのならそれで良いのではないだろうか。
皆が同じ方向を向いて同じようにノートをとって同じやり方で勉強をするなんて、子供っぽ過ぎるのかもしれない。
自分に関して言えば、このブログ、勝手に使われたって何とも思わない。それで自分より誰かの評価が良かろうと、それはそれで良い。(それほど価値があるとは思っていないけれど。)と言うより、逆にもしそうなれば嬉しい。うまくすればこちらにも何か得るものがあるかと思うし。
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