2008/04/06

卒業研究のテーマは その2

(5)日本のリゾート
GWや年末などに海外旅行をする人は多い。その中には短い時間にしてもハワイや地中海岸、アジア地区などの海外リゾート地に行く人たちもいる。だが、よく考えてみると日本にはリゾートらしいリゾート地がほとんど無い。世界で有数のお金持ちの国であるにも関わらず。

労働の形態からリゾートでゆったりするほど時間が取れ無いこともあるだろう。ならばなおの事、国内の近場にリゾートがあっても良いはずだ。それに最近は円が安い(USドルに対してではなくて、その他の外貨に対して)ので外国人が日本を求めて観光旅行に来ている。それでも日本には日本らしいリゾートが無い。お金をかけてたまに造られるリゾートっぽいものはどこかの国のまがい物のようなものだったりする。

ホテルは観光のために宿泊するだけのものでそこで長く豊かな時間を過ごす事はほとんど無い。有って温泉か最近ではスパみたいなものが置かれるだけだ。居るだけで価値がある空間とは思えない。

こう言う事を考えていると、日本らしい日本とはどんなものだろうと言うような昔の建築家同士の議論などが蘇ってくる。

うーん、このテーマは選ばないだろうなあ。


(6)東京の運河に住むボートハウス
この国では人間は基本的に自由と言うことになっているのでどこに住んでも良さそうなものであるが、水の上に住むのは以外に行われていない。日本では係留できる場所は漁業用がほとんどであって未整備であろうと考えられる。東京は埋立地が多く運河が多いがそれは現在単なる川のような扱いとなっている。

ヨーロッパには運河に細長いボートハウスを浮かべて住んでいる人は多い。ボートであることを除けば中身は日本で言う狭小住宅であろう。狭小と言っても地上のそれと異なってスラム化しそうな小ささとは違う。

こう言うものを日本でも、住居としての係留地とボートの両方を考えてみるのはどうだろう。これはちょっと憧れる住み方だ。


(7)街にリビング
介護や高齢者の保健のような問題が現役世代の問題と切り離して、または対立するものとして論じられる場合が多いように思う。それは現役世代がまだ自分はそちら側の人ではないと言うように思うからだと考えられるのだが、よく見ればそれは地続きなのである。と、こう言ってもそんなの当たり前であると理解はしていても実感は無いのが実情だろう。

もし自分が介護や介助を受けなければならない立場になったらどうだろう。足腰の自由度が減って一人で動けなくなったとしたら。家族がケアマネージャにプランを立ててもらい、それに従って家にヘルパーが数時間程度来るか、もう少し重い場合には毎日車で誰かが迎えに来るだろう。そうなれば知らない場所に連れて行かれ皆で歌を歌いましょうとかそう言うちょっと想像したくない生活が突如として始まる可能性がある。

問題なのは"突如"始まると言うところだ。現役世代でも学生であっても突然知らない事務所で働けと言われたり、新学期に新しいクラスで勉強しなければならない場合の緊張は誰でも相当大きなものであると思う。それが年齢を重ねてから突如、と言うことになるとこれはもう想像を絶する苦痛ではなかろうか。

そうなる前に、と言うのはまだ誰の助けも必要ないうちに街にある"リビング"で近所の人々や趣味の合う人たちと時間を過ごすとする。自宅でする事もないからと言ってテレビをボーっと見ていてはいけない。そうしてもし介助が必要になったら介護施設のような特別な場所に"入れられる"のではなく、慣れた街のリビングに最小限の介助で連れて行ってもらうとどうだろう。少しの変化は有っても今までと同じパターンで生活ができる。ショックは少なくて済むかもしれない。

今でも公民館などはあるのであるが、何だか充分ではないような気がする。それはその場がやはり生活の中の場所でなくて特別なイベントの場所であるからだろうか。リビングではないだろう。

パリの老人が毎日自宅でなく街のカフェで時間を過ごすと言うような風景がある。彼らは街を自分の居所と思っているのだろうか。カフェを自分のリビングとし、公園を庭とし、つまり家の延長であるのだろうか。(ル・コルビュジエがそんな事を言っていた。)

日本ではカフェはお客さんになって使わせてもらう場所であるからリビング感覚ではないと思うし、街全体は自分の安心できるテリトリーと感じてはいないのではないか。どこか構えた心理が働いていて、そこで出会った人となかなか気軽に話はできないし、世間体を気にしたりもしている。どちらかと言えば観光客のようなものだろう。

街をリビングにするには何が必要なのか?


(8)田舎に住む
シンプルなタイトルである。そう言うことに焦点をあてた雑誌もあるし、田舎暮らしに憧れる人たちも一定数以上はいる。しかし、日本で実際に起こっている事は都市部への集中であり、田舎へのリターンはメジャーには成りえていない。インターネットができて日本中何処に住んでも情報格差は無くなるだろう、教育格差も無くなるだろうと言われた時代があった。(もう過去だ。)IBMがTVCMでアリゾナあたりの砂漠でも世界規模のビジネスができるように宣伝していたが、実際の企業家達は六本木に住んでいる。

未だに東京あたりに集まるのは戦後と同じで何も変っていない。オラが村に新幹線の駅をと陳情に来る人達は新幹線と高速道路が出来て若者がそれを村を出て行くために利用しているだけだと未だに気付かない。

田舎に住むと言うより、都会に集中しないで分散して住むと言う事をシンプルに真面目に考えるのも面白いのではないだろうか。(どこか特定の地域を再生するのではない。)


(9)?????

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