2007/11/08

安藤忠雄講演会に行ってきた



安藤忠雄の世田谷区民会館ホールで行われた講演会に行ってきた。
テーマは「世田谷・東京~美しいまちづくりへ」。

講演の内容は、これまでに手がけてきた建築、東京オリンピック、東京湾のゴミの島を森に変えるなどの緑化の紹介とそれにかける思いを披露するものであった。建築そのものについての話でないのはやはり聴衆が一般人だからであろう。質疑応答も無かったのは残念。


話の中で「今の日本人は元気が無い」と強く言われていた。
よく言われる事でもあるが、産まれた時から何でも揃っていて何も困ることが無いから自分で考える必要も無いのだろうと。学校が終わっても塾や習い事が用意されていて考えなくてもやる事は多い。これでは勉強ができる優秀な人間はできるかも知れないが、自由に考えることができる人間にはならない。だからもっと子供が自由に考える時間を与えるべきだ、との事。


(ここから先は講演会での話ではない。)

本当にその通りだと思う。
学校では授業と授業の間に10分か15分の間があるが、その時間も学校の規則に縛られているし、まずもって塀を超えて外に出ることはできない。日本映画やテレビドラマの一場面に授業と授業の間の休み時間に学生が塀を超えて学校を抜け出す場面はよくある。つまり学校と言う枠の中にいる時には時間的にも空間的にも自由が無いし、それが日本では疑問の無い普通の状態と考えられていると言う事だ。学校の休み時間に起こった事故は学校の責任になるのもそんな枠があるからである。

逆から見れば、子供はそんな枠や大人に縛られているうちは何も考える必要はないと言うことだ。勉強しなさいと言われて勉強していればそれで良く、勉強しなければ「勉強しなさい」と言われる時間を耐えていれば良い。やりたくなくても運動会で走ったり動いたりして時間をやり過ごせば良いだけだ。それよりもっとしたい事を考える事なんて必要ではないのだ。

放牧場の羊のような生活である。



今、こうして通信の大学で学んでいて思う。(ここから話はかなり飛躍する。)

通信と言うのは、レポートや課題と試験しか無い。上で述べた普通の通学生の学校(小中学校や高校、最近は大学も似たようなものだが)のように決まった休み時間も毎週のスケジュールも無い。つまり結果だけ出せばそれで評価が決まる。「廊下を走ってはダメ」とか「スカートの長さはxxx」のような部分が無いのである。

放牧されている羊ではないから、勝手に放浪の旅に出てもそれはそれで良いのである。

この自由さが学問には必要ではないだろうか。義務教育であろうと何であろうと、隙間は自分でどうにかする。トイレに行く、本を読む、話す、絵を描く、走る、飯を食う、逆立ちしてみる、何か作ってみる。全部自分で用意して自分で勝手にやる。そう言う事が将来、勉強した内容を何かに活かす知恵になるのではないかと思う。自己マネジメントである。


これを建築で実現したらどうか。(また飛躍する。)

学校には教室しか無い。広い敷地に教室がいくつかポツリポツリとまばらに置かれている。廊下は無い。トイレ位はある。塀も門も無い。敷地は街に繋がっていて境目がはっきりしない。子供達は勉強の時間が来るとどこかの教室に入って授業を受ける。終わると教室を追い出される。次の授業まで好きな事をして過ごせば良い。自分のクラスの部屋も机も決まっていないから、教室には荷物を置いておく場所は要らないだろう。子供は学校に1日中いる必要は無い。必要と思う時に必要な教室にいれば良い。腹が減ったらどこかで弁当を広げて食べるか、近所の食堂かお菓子屋で食べ物を買う。次の授業の開始のベルが鳴らないので自分で何らかの方法で時間を確認する。授業開始時刻は先生が予め決めた時刻であってどの授業も一斉に始まったり終わったりするのではない。だからよくある時計塔のようなものは不要だ。晴れた日は川原の土手で授業が始まることもあるし、見学を兼ねて街のどこかに集合と言う事もある。受けるべき授業は先生に相談してできるだけ自分で選ぶ。高学年になれば特に自分で選ぶ。5年生でもわからないなら3年生の授業を受けても良いし、その逆も可だ。そうすると子供が相談に行く相談窓口になる建物も必要だろう。図書館も必要だ。但しこれは街の人も利用できるもの。運動会などは子供達が企画して先生や親や街の人たちを招待する形にする。夏休み冬休み土日は決められていない。自分と先生と親や家族の都合で休みたいときに休むようにする。


と言うわけで、安藤忠雄とは全然関係ない結論なのである。

10 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ぱちぱちぱち!

おもしろい考えですね。

すごくいいです。

匿名 さんのコメント...

こんにちは
私は 学校というものが好きだったためしはない
あれは体のいい監獄みたいなものですから

反面 その強制があったからこそ 反動反骨としての今の自分があることも否めない
ある意味原動力でしょうか。

学校とは 学ぶところ

学ぶとは本来 自発的なものであるはずだと思います

インドの教育事情についてNHKがやっていたのを見ました

貧困の中から何とかして インドの大学に進もうとする学生とその家族を見て涙が出た

学びたい者が学べばよい

学びたくなったら学ばせてあげればよい

強制は不要だと 思うのです。

建築は 学びの場では 単なる箱物
極端な話屋根壁があればいいと思うのです

年齢 性別 職業の貴賎 貧富の差なく 自ら 情熱をもって学べる場所

それが学校本来のあるべき姿だと思います。

マンキー

orang-u さんのコメント...

確か、ルイス・カーンの著作の中にも大学の在り方に関する記述が少しだけありましたね。大学を街に分散させてしまう、と言うような。

また森毅氏の東大が「倒産する日」なんかもこれからの教育を考える上で面白い本だと思いますよ。


学校を設計する依頼が来たらどうします?建築家としてどこまで踏み込んで意見を言うべきでしょうか?

匿名 さんのコメント...

私は 図書館をそのまま学校にすればよいと思いますね

もちろん運動場や体育館プールは必要でしょうが

そして 図書館の周りにそれぞれの学科担当公務員ないし民間教育担当者がいて 生徒の疑問に答える

基本は自律学習です。

そして 図書館ですから 老若男女だれでもよい。
各科目ごとのテストに合格すれば まあ単位は与える。

図書館ですが、喫茶店や食堂があるといいですね。

休憩室も。
実験室も。

また、基本的に大学とか高校とか 分ける必要もないと思います。

そうすると結構楽しい。
いじめはなくなると思います。

そうですね 大衆浴場もついていればいいかも。

なんかローマの広場みたいになってきました。

ピコンときましたね。

古代ローマをモチーフに 日本の寺子屋的要素も組み入れ 和を取り入れた 総合的学びの場

これこそが、新しい時代に即した 教育 創造の場ではないでしょうか

貧しい つめこみだけで 創造性も 個性も糞もへったくれもない いままでの貧相な教育では なんも生まれないと思います。


大切なのは 自由と 個性と モラルと 品性と 創造性だと思います。

その点 東大を頂点とする 日本の学制は 官僚の頭の中の出来事にすぎない ちっぽけなものであり 夢がない。

最近は 法人化されて 商業主義的になってきてもいる

ヘドがでますね。

では

マンキー

匿名 さんのコメント...

マンキーさんもおもしろい考えですね。

私はそんな発想が浮かびませんよ。
あっぱれです。

しかし、私は自由過ぎると勉強しないかもしれません。
誰も見ていないと、規則がないと、言われないと、頑張れない人もいると思います。

orang-u+aさんや、マンキーさんみたいに
優秀な方ばかりではないので、
学校のあり方というのは難しいと思います。
そういう意味で、
教育を突き詰めて勉強したプロの方に
お任せた方がいいのではないんでしょうか。

orang-u さんのコメント...

太郎さん
私に関して言えば、優秀とは程遠い者です。今この歳になって何も成し得ず、ここでこうやってゼロから勉強せねばならない状態ですから。学生時代の友人や先生を探し出して聞いてみるとすぐにわかるのですけれどね。

ところで、建築家としては、自由すぎると勉強しない立場からだとどんな学校を提案しますか?

匿名 さんのコメント...

建築家としてはではなく、
私個人の意見ですが、勉強する目的、意味を持てば勉強すると思います。
実際、いま勉強しているのは目的があるからですし。
でも、ただただ学ぶことが好きな方もいらっしゃるからなんとも言えません。
本当に世の中にはいろんな人がいるのでこれがいいとか、あれが悪いとか、正解はないと思います。

どんな学校を提案するかですが、
開放的な学校にしたいです。
一般企業(働いている人)と学校をうまく結び付けられないかなぁと考えます。具体的な案はないのですが。

あとは、オシャレな学校にしたいです。
これも具体的な案はないです。

話は変わりますが、
orang-u+aさんは優秀ですよ。
ブログを見たらわかります。
私はまだまだレポート、試験、課題がたくさん残っているので大変です。

orang-u さんのコメント...

>目的、意味を持てば....

そこ、良い着眼点じゃないですか。
今時普通にやってたらだいたい生きていけますし、算数のやり方なんて黙ってても先生が教えてくれます。

でも、それって何のためにやるの? 大人になったらどうやって使うの? ってとこに先生も大人も答えられないですよ。

だったら学校では目的、意味を考える勉強とか練習したら良いのかも知れませんね。自分の事でも世の中のいろいろな事でも未解決の問題を探すってのは良いではないですか。

3+4=?
ではなくて、
?+?=7
を解くように。

匿名 さんのコメント...

マンキー参上!

さて、毎日毎日 自殺者の山

この国は 本当に心底 狂っていると思う。

電車が 確実に毎日遅れる。
自殺によって。

こんな国はない こんな時代はない。
この国は 本当に 狂っている。

個人的には、バブル期くらいを境に人間は加速度的におかしくなってきた思う。

教育と 現在の狂気がどう関連しているかは分からない。バブル期は受験戦争も絶頂期だった。

とにかく この国は戦争でも、高度経済成長でも、受験戦争でもバブルでも狂っていた。

今は 自殺で狂っている。

今 自殺が一番 はやっている。
人を押しのけることが常道の都会で。
人を押しのけることが常道の教育界で。
人を押しのける人が集まる都会で。


正直 この国の国民は 単一民族であるが故の なんでもまねまね まねっこ乞食病で狂っているのではと思う。

バブルだから わしもバブル 受験戦争だから わしも受験戦争 東京だから わしも東京


ほんまうぜえ


確かにこりゃあ 死ななきゃ治らんね。


何が 言いたかったかというと 自分をしっかりともって 流されずに 自分の人生を自分のペースで生きたいと思うということでした。

学問は ある意味 暇つぶしってとこだね。


マンキー

匿名 さんのコメント...

その着眼点を建築に生かせるよう頑張ります。
しかし、苦悶の毎日です。
早く一人前になりたーいい。
ベロ