2007/11/28

安藤忠雄の空間構成 その2

レポートに使う文章と挿絵が出来た。

先日来書いていた安藤建築に関する文章の内容から大きく外れる新しいアイデアも無かったのでここでは再度書くことはしない。



仙川と言うところ
新宿から京王線で30分以内にある。
駅に降りると思いの外小さな駅で、駅前から四方に路地が広がる。広がると言っても路地の終わりまでは徒歩で5分かそこらしかない。路地には小さな駅であった割にどこにもあるチェーンの飲食店が多い。区画整理が順次行われているのか新しさとローカルな感じが入り混じる街であった。

安藤ストリートへは駅から徒歩で5分もかからないだろうか。角を一つ曲がるともう安藤建築だなとわかるコンクリートの尖った建物の一部が見える。その尖った建築物にたどり着くと区画整理で生まれた歩道付き2車線道路で、それがもう安藤ストリートである。

安藤ストリートを見てすぐ分かる事が2点ある。1つは安藤忠雄設計の建物が右にも左にも細長く続いていると言うことと、安藤建築の前の歩道だけなぜか電線が無い事だ。新しくできた道路だから電線が無いのか、それとも安藤建築の前だから無くしたのかはわからない。


よく、閉じた建築、開いた建築と言う言い方をするが、この安藤ストリートにある安藤建築はどちらかと言えば「閉じている」と感じられるものであった。車の多い通りに対して住宅が開いているのもどうかと思うので、それはそれで考えたのだと思う。住宅の向いにある公共建築はもう少し開いた感じがしても良さそうなものであるが、(建物の壁が一部欠けているような形でエントランスがある) これもまだ工事中でどうなるかわからない。実は車道側より裏側の方が人通りが多いし、そちら側も工事中であるので車道側は裏口扱いかもしれない。

全て完成し、人の通りが安定してから再度見てみたいと思う。その時に住宅棟の表にある店舗に人が入るかどうかも楽しみである。


ところで、この仙川と言う街であるが、歩いて回れる範囲のどこを見ても昭和から平成にかけて作られたような割に新しい戸建住宅ばかりである。安藤ストリートの少し先に大きな古いお屋敷が1つだけあったが、それ以外は、(誤解を承知で) 日本のどこにでもあるつまらない街並みに見える。

都市計画の用語にスプロールと言うのがあったが、まさにその結果生まれた街のように感じられる。ここはその昔どんな土地であったのか、住んでいる人のほとんどが何も知らないかのような、そんな風な気がしてしまう。もちろん調べているわけではないのでそれは間違った印象かも知れないが。


以前に代官山ヒルサイドテラスを取材したことがあった。
あれは一人の地主が一人の建築家(槇文彦)に依頼して長期計画で一つの街を作った特殊例と理解しているが、この安藤ストリートも出来方としてはそれに近い。ただ、もちろん街が違うので同じ答えは出てこない。代官山は当初は多分誰がどんな個性の人間がそこを使うかはっきり分かっていたのではないかと思う。現在のように観光地ではなく、東京にしては落ち着いた生活者の街であったと考えられるからである。

しかし、仙川の場合はスプロールによる無秩序開発の後始末を行政がやる機会に乗じてと言うことなので、普通に考えたら土地を読みにくのではないだろうか。それほど個性が無いからだ。

逆に、安藤忠雄を採用することがそれを作り出すのであろうか。無名の建築家であったらどんな良いものを作ってもそれは難しいだろうと想像する。安藤忠雄を検索する人は山ほどいるが、「東京アートミュージアム」や「仙川」で検索する人はほとんどいないだろうから。


だとしたら建築家冥利に尽きますねえ、安藤さん。

7 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

マンキーです
毎日 建築のことを考えても飽きない
強靭な頭脳が欲しいと思わずにはいられない

オラングさんのブログを見てそう感じる

自分が同じように思考継続した場合
間違いなく破綻する

学者とかもそうに違いないが、本当に
そういう人たちって凄いなあと思う。

私の場合、必ず併行して他のことをやらないと、完全に思考停止して、頭が働かなくなってしまうようです。

人間の脳っていろいろなタイプがあるようで不思議ですな。

orang-u さんのコメント...

そう見えるのはこのブログだけ見ているからですよ。他のこともたくさん考えていますって。

腹減ったとか、映画見たいとか、いろいろ。

短い時間でたくさん切り替えて考えているような感じです。日本て、1点豪華な専門職が有利だけれど、私はどっちかと言うとゼネラリストタイプ。だから所謂「成功」ってできないタイプじゃないかな。

匿名 さんのコメント...

そうなんですか

それにしても凄いと思いますね

いやあ 本当に継続力というか
持続性というものは大事ですね

私も 断続的には続けていくほうなんですが。

ところで、オラングさんは安藤忠雄嫌いのようですが、嫌いですかやはり。

私は、嫌いのほうだと思います。

何か、やはり主観的にコンクリートっつうのは、血の通っていないお墓のようで、どうも冷たく感じていやなものです。

殺伐とした感があります。

もちろん、コンクリート建築を否定するのではありません。おおいに役立っております。

しかしいざデザインのメインテーマ的な扱いとして浮上してくると、ぬくもりを感じない建築には住みたくないなあと思ってしまう。

無機質も限度っつうものがあると思います。

もちろん使い方で、東京カテドラルの内部なんかは、まるでスターウォーズの宇宙船内部みたいになっていて、面白いですが。

何しろ、それがすべてみたいになってくると、おえっぷとなります。

それにしても、東京は緑が少ない。
安らげない。
落ち着けない。

ドイツの落ち着いた文化的な趣のある雰囲気のある町もあって欲しい。

歴史や文化がまるで反故にされている。

では 


マンキー

orang-u さんのコメント...

長いことコメントしないですみません。今までレポート仕上げていました。たった今終わりました。

安藤忠雄ですが、今回のレポートのネタだった人です。どうしてもコンクリートのイメージがあるようですね。最近の雑誌かなにかのインタビューでもその話題出されていたようですね。

確かに彼はそれを使うんですが、言われるほど表に出ていないんじゃないかと、調べているうちに思いました。表参道なんか、そう言うイメージで見る事できませんよね。

安藤建築、すごく嫌いってわけじゃないけれど、全てに受け入れられるほどでもないです。距離を置いて見ているって感じでしょうか。

匿名 さんのコメント...

丹下健三の新宿都庁へ行くと、殺伐とした気持ちになるのは、なぜもっと植栽を植えなかったのかと思うことです
自然との調和というコンセプトなど 糞喰らえ コンクリートにふててしまえとばかりのコンクリートの巨塊。
でかいお墓だあれは。


今 都会に必要なのは、何か

へんてこな形 奇をてらったデザイン
己の個性とやらを打ち出すだけの 落書き帳なのか
落書き帳なら、早く書き直して欲しい。

個々の建築家は、それぞれいろいろ考えてやっているのでしょうが・・・
でも俯瞰すればそれらの建築はひとりよがりの 有象無象のコンクリートの集合体だと思います。

とにかく、社会が今何を求めているかに対して、応えようとする感受性がかけているといわざるを得ない。

だからいまだにコンクリートの塊 高層ビルだのを どんどこどんどこつくり続けるデリカシーのない都市を太らせている。

田舎者が望む都会らしい都会とでもいいましょうか。
ヘドが出る。

 まるで東京という腐れた豚を太らせる、頭の弱い牧場主か何かのように 欲望の赴くままに エネルギーを大量に投入し(その裏で環境破壊が行われていることにも無頓着に)、大量の廃棄物(コンクリートの塊だの糞だのナンだの)をまきちらす。

この豚どもが! と叫びたくなる。

だから東京は、日本の粗大ゴミ集積場、糞捨て場 中性脂肪の腐敗工場だといいたいのです。

こうした現状があるのは、彼らのような代表的建築家、そしてそれを崇め奉る社会、裏を返せば建築業界、行政そして国民の意識が 低く、さもしいからだと思います。

東京の姿は、国民のレベルの投影だといわざるを得ない。

公害だの言われてから、半世紀。

土建屋国家。
羞恥心のない建築家 行政 国民。

ストレスフルな都市
自然から乖離した都市

東京は 世界でも第一級の 恥の具体例だと思います。


マンキー

追伸
故有名建築家の近代美術館のガラスのスキン

二重になっていて 外側がルーバーになっていて あたかも自然の風を導入できるのかとおもいきや

ただついているだけ
内側にきちんとはめ殺しのガラスが。

はあ
なんじゃこりゃあ?

ガラス掃除が大変なだけじゃん

意味ねえええええええ・・・

と思いました。

匿名 さんのコメント...

追伸

私は 東京が嫌いです

できるなら 田舎に行きたい

と思いつつ

文化的な町を求めて 今から 東京散歩にでかけてみます

あくまでも 日ごろのストレスを捨てに!

では ASUを求めて!

orang-u さんのコメント...

マンキーさん

何とコメント返して良いのか困ります。書かれている事に焦点がたくさんあってそれらが混み入っていて。

1点だけ
>東京の姿は、国民のレベルの投影だといわざるを得ない。

好意的に見れば、東京がそのゴミ捨て場であるからこそ、他の地域がそうでなくていられるとも思うのです。

しかし、逆に別の地域から見れば、と言うのはこのいろいろな面で便利になった21世紀になってまでと言う意味を込めてですが、東京が日本のリファレンスと見なされたままである事は問題があると思います。

東京以外の地域がミニ東京を目指す必要は全然無いと思います。かつて、小京都と呼ばれる土地がいくつか出来た時、それは権力によるものでありました。

しかしこの現代において、社会の主人公は権力ではありませんから、ミニ東京を目指すのは馬鹿げた考えと言わざるを得ません。日本で国民と呼ばれる人々がそこから抜け出すことができずにいるのは何故でしょうか。


ところでマンキーさん、丹下健三はなぜ都庁舎をあのデザインにしたと思われますか? 鈴木都知事時代、豪華な都庁舎を税金で建てることについて批判が多かったのですが、結局あれができてしまいました。マンキーさんが依頼を受けたらどうされましたか? 止めとけって都知事に進言しましたか?