コートハウス。 -好きなままで長く+α
コートハウスと言うことで、上のブログにコメントしようと思ったらなぜかスパム扱いで入らなかった。どうせならここにちょっと拡大版コメントしてみようと思う。
西沢 文隆の自宅 -木心エッセイ
1.ヨーロッパの住宅では家の中に庭が入っていて外壁は閉鎖的と言うのはけっこう一般的らしい。日本ではそうでもないようだけれど、よく考えてみると現代の日本の住宅はけっこう閉鎖的と言えるのではないだろうか。
家は家族と言う単位が住むところなので、一定の完結性がある。だから全体を囲ってパラダイスにしてしまうって発想があると思う。日本のマンションなんかはその発想の表れだと思うけど、正面の無い家もそれに近く見える。マンションだったら必ず上階があるから自由に庭を作れないけれど。
だからと言ってヨーロッパそのままの閉鎖性なのかと言うと、それはよくわからない。日本では閉鎖しておくとそのうちに孤独死してしまうが、こう言う閉鎖的な家に慣れたヨーロッパ人は別に何か工夫して生きているかも知れないし。
西沢氏の正面の無い家はそのあたりどうやって生きていくつもりで建てられたものなのだろう?
(何の結論も無し。)
2.建築と環境の間には必ず「境界線」があって境目がはっきりしている。特に現代、特に日本では。建築するときにそこからはみ出してはできないが、家と環境をあいまいにしたいって気持ちも人には確かにある。閉じてばかりはいられない。
そんな時に外を敷地内に引っ張り込んでしまうって発想があるが、その方法にもいくつかバリエーションがあるようだ。
a.黒川記章氏なんかもよくやってたけれど、黒川氏は引っ張り込んだところを仕切らなかった。
b.西沢文隆氏、安藤忠雄氏は仕切って自分だけのものにしてしまった。
c.西沢立衛氏は仕切らなかったけど全体を囲いもしなかった。
d.やっぱり引っ張り込むだけじゃ充分じゃないからはみ出そう。(これは無い?)
(ここでも結論無し。)
3.家族が住むときに、その構成員はどっちを向いて生活するかと考える。
西沢文隆氏は家族の視線がバラバラになるようにした。そして構成員(家族)どうしの間には庭と言うクッションがを作った。庭を隠してみれば何となくマンションっぽい。
(マンションは外の開かれた方向を向いていると言うかも知れないが、あれは建築基準法上の開口部と言うだけで空に向いているわけだから、別に外(社会)に向いているのでは無い。もし景色が良いラッキーな場所ならそれはコートハウスの箱庭のバリエーションと考えるべきだろう。)
もし自分だったら、皆がどこかの1点を向くように作ってしまうかと思う。その事が不和となるか和となるかってのはあると思うが、どうせなら真剣に向き合うようにしてみたらどうだろうか、などと思うから。こう言うことについては建築計画学テキストには記述が無かったようだから、考えてみる価値はあるのかも知れない。
(また結論が無い。)
追加
京の「町屋」 -DigiStyle京都
「三つの庭を持つコート・ハウス」のプランにおける黄金比について : ミース研究(5) -佐野 潤一
コートハウスについてネットで調べていると、京町屋とヨーロッパの建築スタイルの共通点をあげるものが多かったようだ。その多くは研究した結果としてそう書かれたものではなく、単に形の上で(それも現代に残っている古そうな建築物について)似ている事を言っているに過ぎないようであった。桂離宮と近代建築を形の共通点だけを見て何かの簡単な結論に飛びついてしまうのと似たような、あの感じがしてしまうので逆に懐疑的な感覚が呼び起こされる。
この2月に見てきたジョグジャカルタにも京町屋のような、細い袋小路になっていて通り庭も坪庭も備えたジョグジャ町屋(今考えた造語)はあったし、台湾にも有った。そう言う物も形の定義から言えばコートハウスと言えるように思うが、それはかなり乱暴な気がする。
(全く結論無し。)
3 件のコメント:
拡大版コメントありがとうございます^^
(なぜ、スパム処理されてしまったのでしょうか??
一度見てみますね。すみません。。)
コートハウス論っていう文献もあるんですね。いつも、いろんな情報ありがとうございます^^
建築ってホント、奥深いですね。
スパム処理は多分、私のブログのURLを入れたからかも知れません。原因追求まではしませんでしたから。でも大丈夫ですよ。本質的な問題ではないと思いますので。
こちらこそ、ヒントをいただいて感謝しています。
コートハウスという言葉を知らなかったのですが、中庭ですかー・・・・
この前のCADⅢ-2で”自然の中にある家”というタイトルで設計したのですが、先生から徹底的なコメントを頂きました。それは、自然を中に取り込みたいのか、自然の中に入り込みたい(自然に溶け込む)のか??と。確かに中庭を作りつつ、外壁に開口を設けて外の自然も楽しもうという、このどっちつかずの内容で、コメントを頂いた時は、おっしゃる通りとちょっと他人事のように内心つぶやきつつ(やっとその瞬間、客観的に見れたのかな?)、それからまたどうしたかったのか考えました。
結局は、入り込みたい半面、オラングさんのおっしゃる閉鎖的にしてパラダイス的なことも考えて、中途半端になったようです。
私は田舎育ちで、あまり仕切りのないような環境で育ったもので、自然の中にいたいという願望と、都心への通勤圏内に住む現在の環境での隣人交流の希薄さ(地域活動に参加せねば!!)から生まれる閉鎖的空間内にオアシスを求めたところからきたと結論づけました。
以上のことは、やってしまった後にこういう事だったのかな?というなんとも情けない結果になってしまったのですが、今後、しっかりコンセプトを形にできるように心がけてみます。
私事ばかりで、長々と申し訳ありませんでした。
ヒントをいただいたので、感じたままに書いてみました。
では、明日も宜しくお願いします。
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