2008/06/05

卒業研究のテーマは その4

6月9日までに卒業研究のスクーリング申し込みをしなければならないので、そろそろ本格的にテーマを決めておく必要がある。とは言え、後で変更になるかも知れないと言うことで、暫定案となるかもしれないのであるが。


以前に9案まで出ていたので10からとなる。

(10)都市公園から公園都市へ
街を歩くと、時々、公園に行き当たる。公園は空地(あきち)ではないので管理された公共の土地である。「どうぞ皆さん使ってください」のような顔をしてそこに空けられた都市の穴のような場所になっている。

公園に入るにはまず、道路を横切って入り口に達する必要がある。入り口には自動車が入れないように簡単な柵が設けられている。ここからコントロールされている感じがしないではない。

そこには遊具が設置されていて、木が植えられていて、花が植えられていて、砂利が敷いてあって、ベンチがいくつかある。座ることと子供達が遊ぶ以外に取り立てて用途も無いが、そんな場所でも割合きちんと管理されていて特に不可はない。

不可は無いが、それ以上に面白みも何もない。特に花が綺麗に咲くでもなし、する事もない。積極的に人が集まるようにも作られていない。雨も防げないし、寒かったら寒いまま、暑かったら暑いままである。たまに防災用の設備があると言えばある。「どうぞ使って」ではなく、「使ってもいいよ」なのかも知れない。


昔は、子供は公園ではなく空地で遊ぶのが普通だったと思う。都会の子はどうだったんだろう、とも思うが、「三丁目の夕日」などを見ると都会の子も公園より路地や空地で遊んでいたのだろうか。

今時はそう言う空地と言えば地上げにあったか何かで建物が撤去された土地があるが、そこは金網の柵できちんと仕切られていて猫でも入れないようになっている。もはや誰にも管理されない土地で自由に時間を過ごすことは子供にも猫にもできないことになってしまったようだ。


してみると、何らかの管理が成された公園のようなシステムを使って管理の成されない時間の使い方を模索するしかないのだろう。逆に大々的に管理のされた公園、その中で暮らす方法や公園と言う定義、制度、形の見直しをしたらどうだろうか。日本にも時には気持ちよく時間を過ごせる公園はあるだろうから、それを都市の中にどんどんと広げていって、都市と公園を同化させてみたらどうだろう。(ここはかなり端折ってる。)

ガーデン・シティーを強力な権力で作っているシンガポールは住民にとってどんな具合なのだろうか。(嫌いな都市だけれど。)
シンガポールの緑化政策



(11)動く都市
屋台、縁日、台湾などの夜市など、必要なときに必要な形となって現れる都市機能を実現するにはどうすべきか。

家族と言う単位が解体するときに、ヤドカリのように部屋ごと移動するシステム。必要な機能を選んで組み合わせる家や店や事務所。必要がなくなったらまた解体して次の場所へ移動するか売ってしまう。

日本の家ではちゃぶ台を広げるとリビングになり、布団を広げると寝室になる家のシステムがあったが、それを街にまで拡大してみるやり方。メタボリズムとも関連する。

住民票のシステムはどうするのだろうか?

0 件のコメント: