2008/06/30

建築の長寿命化のための建築計画 その2

建築物の長寿命化のための建築計画について一般項目の検討を行った。

1.建築物の周辺において想定される変化とは

(1)建築物自体の老朽化
(2)環境の変化
 a.要求性能の高度化(量的変化の要求)
 b.要求仕様の変化(質的変化の要求)

2.建築物の長寿命化が目指すもの
建築物の長寿命化はそれ自体のみが目的ではなく、社会の問題としても捉えるべきだろう。

(1)環境負荷の低減
(2)経済性の確保または向上
(3)文化的価値の保存

3.長寿命化のための基本的な考え方
(1)メタボリズム:1960年代のムーブメント
(2)プロセス・プランニング:磯崎新

※計画学的には関係無いことだが、氏が本当に大分県立図書館を拡張するために計画したのかは疑問でる。これ以前のメタボリズムグループによるメガストラクチャー建築も成長する人工地盤として成長する建築を目指していた。造られた建築物も本来その構造の一部分でとしての位置付けであったが、プランニングはどちらかと言えばオープンであったように思われる。つまり、どちらにも成長可能であるが、それは単に「技術的に可能」と言うだけで、実際にその方向性を示す計画にはなっていなかった。実際にはいろいろな条件が邪魔をするし、方向性を示す計画者も存在しないために成長はしない。その事に対するアンチテーゼとしての、つまり建築計画としての言葉ではなく、思想としての言葉"プロセス・プランニング"であったのではないだろうか。

(3)モジュラー・プランニング
(4)オープンシステム(オープン・プランニングとは異なる)
(5)スケルトン・インフィル
スケルトン・インフィルは実際の計画学的手法であるが、供給方法をも示す言葉であることに注意。

実際には、未来に想定される使用者像は架空の標準的な人物になり易いため、個性や特徴ある建築物や独特の魅力を持った空間を永く維持する事も、当初から計画する事も難しい事は課題であろう。

4.手法
(1)建築の新規計画時点で採用すべき計画上の手法
 a.前項の理念を元に計画
 b.LCC(ライフサイクルコスト算定)
運用コストが大きすぎるとコンバージョン等をする以前にスクラップされてしまうので重要。
 c.変更を前提とした工法や構造などの注意点
 ・音と振動
 ・ホコリ等
 ・部材の搬出と搬入
 ・採用する部材や部品
 ・廃棄
 ・工期短縮
 ・図面と履歴の保存
 ・社会的に受け入れられる物である事
変更を行う時点のオーナーや管理者、計画者、工事業者、権利関係、運用形態は全て異なっている可能性があることに注意。
また、変更が部分で行われるか、全体で行うかによっても異なる。

(2)建築後、年数が経過してから実施されると考えられる手法
a.リノベーション
b.コンバージョン
※どんな場合にコンバージョンが行われるか、コンバージョンへのプロセスに注意。

(3)稼動中に継続して行われる手法
維持管理

5.運営



参考資料
「メタボリズム以後 戦後日本建築の軌跡」 マイケル・フランクリン・ロス 日経マグロウヒル
「建築再生の進め方 ストック時代の建築学入門」 松村秀一 市ヶ谷出版社
「サスティナブルハウジング」 清家剛 秋元孝之 東洋経済新報社
「コンバージョンが都市を再生する、地域を変える」 松村秀一 他 日刊建設通信新聞社
「性能時代の建築リノベーション」 JARAC建築耐震設計者連合 日経BP社
「改訂 建築物のライフサイクルコスト」 建設大臣官房官庁営繕部 (財)建築保全センター
「コンバージョン[計画・設計]マニュアル」 松村秀一 エクスナレッジ

2008/06/29

卒研ゼミ決定

I先生のゼミに決定した。
前評判とは違って楽しいかも知れない。
期待しよう。

終了までに10回の提出(報告?)が必要であるらしい。
まずはテーマ選定。その後は主にオープンスクールとネット上でのやり取りになる。

ネット上では自分の進捗報告の他にゼミの他メンバーの書き込みに対してコメントを入れるのも作業。それでお互いに成果を高めあう事になるとのこと。遠慮なく厳しいコメントをいただきたいと思う。


(I先生、見てますか?)

2008/06/28

建築の長寿命化のための建築計画

全てがそのまま表題と関係しているわけではない資料。
こうして改めて言葉の定義を確認してみると、簡単に理解していたつもりになっていたものが如何に表面的なものであったかが分かる。

1.プロセス・プランニング

建築家の視点、アーキテクトとしての共通認識 -@IT(コンピュータソフトウェア)

プロセス・プランニングについて(磯崎新) -CiNii(建築雑誌掲載)
概念的過ぎてわかり難い。

大分県立図書館(磯崎新)過去性の新たな意味づけ -土居義岳
蔵書の増加に対する建築の成長。この建築は、はたして本当に成長する意思があったのだろうか?

美術館建築をめぐって 磯崎新+青木淳 - 10+1web site
直接は関係ないが、プロセス・プランニングについて語っている。


2.オープンシステム

オープンシステムの発注, 施工, 手順の典型と問題点 : 建築計画 -内田祥哉

あみだ型オープンシステムのバラエティと自由度 -内田祥哉

オープン部品 開発の手順 : 建築計画 -内田祥哉

建築生産のオープンシステムに関する研究について -内田祥哉(建築雑誌掲載論文)

3.メタボリズム

スカイハウスの増改築とメタボリズム理論 - 菊竹 清訓(建築雑誌インタビュー)

伝統論やメタボリズムの周辺 -川添 登(建築雑誌インタビュー)


4.スケルトン・インフィル

スケルトンインフィル住宅のインフィル自由度に関する研究 -齊藤 章恵 他

住宅供給手法とスケルトン・インフィル区分の関連 -藤本 秀一

集合住宅の長期耐用化のための設計・改修技術 -濱崎 仁、藤本 秀一

SI分離2段階供給方式における法・融資制度 -江袋 聡司 他
供給方式に対する法的考察

2008/06/27

7月の試験の申込み送付

7月26日の試験の申込み書を送った。

7月26日(土) 2限目 建築施工学

申込み書をコピー。(スキャナがあるので0円)
切手 80円。(不足分の1枚のみ購入)

2008/06/23

考察:コートハウス

コートハウス。 -好きなままで長く+α

コートハウスと言うことで、上のブログにコメントしようと思ったらなぜかスパム扱いで入らなかった。どうせならここにちょっと拡大版コメントしてみようと思う。

西沢 文隆の自宅 -木心エッセイ


1.ヨーロッパの住宅では家の中に庭が入っていて外壁は閉鎖的と言うのはけっこう一般的らしい。日本ではそうでもないようだけれど、よく考えてみると現代の日本の住宅はけっこう閉鎖的と言えるのではないだろうか。

家は家族と言う単位が住むところなので、一定の完結性がある。だから全体を囲ってパラダイスにしてしまうって発想があると思う。日本のマンションなんかはその発想の表れだと思うけど、正面の無い家もそれに近く見える。マンションだったら必ず上階があるから自由に庭を作れないけれど。

だからと言ってヨーロッパそのままの閉鎖性なのかと言うと、それはよくわからない。日本では閉鎖しておくとそのうちに孤独死してしまうが、こう言う閉鎖的な家に慣れたヨーロッパ人は別に何か工夫して生きているかも知れないし。

西沢氏の正面の無い家はそのあたりどうやって生きていくつもりで建てられたものなのだろう?
(何の結論も無し。)


2.建築と環境の間には必ず「境界線」があって境目がはっきりしている。特に現代、特に日本では。建築するときにそこからはみ出してはできないが、家と環境をあいまいにしたいって気持ちも人には確かにある。閉じてばかりはいられない。

そんな時に外を敷地内に引っ張り込んでしまうって発想があるが、その方法にもいくつかバリエーションがあるようだ。

a.黒川記章氏なんかもよくやってたけれど、黒川氏は引っ張り込んだところを仕切らなかった。
b.西沢文隆氏、安藤忠雄氏は仕切って自分だけのものにしてしまった。
c.西沢立衛氏は仕切らなかったけど全体を囲いもしなかった。

d.やっぱり引っ張り込むだけじゃ充分じゃないからはみ出そう。(これは無い?)
(ここでも結論無し。)


3.家族が住むときに、その構成員はどっちを向いて生活するかと考える。
西沢文隆氏は家族の視線がバラバラになるようにした。そして構成員(家族)どうしの間には庭と言うクッションがを作った。庭を隠してみれば何となくマンションっぽい。

(マンションは外の開かれた方向を向いていると言うかも知れないが、あれは建築基準法上の開口部と言うだけで空に向いているわけだから、別に外(社会)に向いているのでは無い。もし景色が良いラッキーな場所ならそれはコートハウスの箱庭のバリエーションと考えるべきだろう。)

もし自分だったら、皆がどこかの1点を向くように作ってしまうかと思う。その事が不和となるか和となるかってのはあると思うが、どうせなら真剣に向き合うようにしてみたらどうだろうか、などと思うから。こう言うことについては建築計画学テキストには記述が無かったようだから、考えてみる価値はあるのかも知れない。
(また結論が無い。)


追加
京の「町屋」 -DigiStyle京都
「三つの庭を持つコート・ハウス」のプランにおける黄金比について : ミース研究(5) -佐野 潤一

コートハウスについてネットで調べていると、京町屋とヨーロッパの建築スタイルの共通点をあげるものが多かったようだ。その多くは研究した結果としてそう書かれたものではなく、単に形の上で(それも現代に残っている古そうな建築物について)似ている事を言っているに過ぎないようであった。桂離宮と近代建築を形の共通点だけを見て何かの簡単な結論に飛びついてしまうのと似たような、あの感じがしてしまうので逆に懐疑的な感覚が呼び起こされる。

この2月に見てきたジョグジャカルタにも京町屋のような、細い袋小路になっていて通り庭も坪庭も備えたジョグジャ町屋(今考えた造語)はあったし、台湾にも有った。そう言う物も形の定義から言えばコートハウスと言えるように思うが、それはかなり乱暴な気がする。
(全く結論無し。)

2008/06/21

卒業研究オリエンテーションの実施要綱到着

卒業研究オリエンテーションの実施要綱が到着。

他のスクーリングの実施要綱と同じ表の中に「卒業研究Ⅱオリエンテーション(建築学科)」と小さい文字が入っているだけで、特別な紙でもなく、拍子抜け。ただ、担当教員の欄に先生方の名前が異様に多いのが可笑しい。学生64名に対して先生11名だから1対5.8と、たいそう贅沢な配分。

特別どの先生が良いとか、嫌だとかは無い。そんな事考えていても思い通りになることでも無いので成り行きに任せるしかない。もし合わない先生に当たったとしたら、思いもよらない勉強の機会を与えられたと言うことになって、結果はラッキーなのかも知れない。運命に任せよう。

6月の試験 終了

試験が終了した。

2限目 設備計画学
設題番号は第3設題の給水方式、第9設題のコージェネレーション。

第3設題 給水方式
(1)他の方式との比較概要を表に示した。表の項目は各方式の利点、欠点、適用建築物。
(2)水道直結増圧給水については以下。
・ポンプ能力の設定はピーク水量を考えて行う。
・流水時の配管圧力損失があるので静水圧だけでなく配管径にも注意。
・断水時に逆サイホンが発生すると水道管に汚水が戻るため、ポンプ出口には逆止弁が必要。
・管内圧が高くなるのでウォーターハンマーに注意。
・想定より多い流量を使用されると上階から逆サイホンが発生するので能力設定に余裕が必要。
など。

第9設題 コージェネレーション
・コージェネレーションの意義:大規模な発電所は発電効率が良いが廃熱を利用できないが、小型化してコージェネレーションシステムとすれば発電効率は劣るがトータルでは効率が良い。
・熱と電気の利用ピークが異なるので効率が落ちる場合がある。
・システムの動力にはエンジン式と燃料電池式がある。
・エンジン式は比較的大型で音や振動が発生するために一般家屋で使用するには適さない。
・燃料電池式は発電容量が小さいが小型で一般家屋でも使用できる可能性がある。但し価格が高い。
・燃料電池はガス、石油等の燃料から水素を取り出しほぼ水しか排出しないのでエンジン式より低公害。
・既存の都市ガス配管を利用できる。
・燃料電池の燃料はメタンを原料とする都市ガスが余分な排出物をほとんど出さないので有利。
・リン酸型、溶酸炭酸塩型、固体電解質型は数百度の高温にならなければ発電が安定しないので一定の発電量となるように能力設定を考える必要がある。
・これに対して、固体高分子型燃料電池(テキストには無い)では常温~90℃程度にしかならないので一般家庭に向くと考えられる。
・商用電力との切り替えで使用するのが良い。
など。


3限目 建築法規
設題番号は第5設題の建築確認申請、第9設題の延焼と火災拡大防止。

第5設題の建築確認申請
(1)確認申請が必要な建築物
a.別表1の(い)の特殊建築物で100㎡超。
b.木造3F以上、500㎡超、13mまたは軒高9m超。
c.木造以外で2F以上、200㎡超。
d.都市計画区域など
これらの建築時。abcについては増改築、大規模修繕や模様替、またはそれにより上記規模となる場合。

(2)①~⑥の申請者と申請先
これは法規を見て表にしただけ。
ただし、①と②は建築主事に申請するところを、指定確認検査機関でも可とした。


第9設題 延焼と火災拡大防止
(1)内装制限
下記2つによる規定がある。
居室の内装(壁と天井の内側)規定
居室に続く廊下は階段の内装規定
(2)防火区画
この方法は大別して4つ。絵で説明した。
面積方向の拡大防止。
高さ方向の拡大防止。
吹抜等での拡大防止。
区画に配管や風道が貫通する場合。


これで多分どうにか合格はできたと思う。

2008/06/20

アイカ現代建築セミナー 入場券到着

第57回アイカ現代建築セミナーの入場券が到着。
抽選で当たったらしい。


セシル・バルモンド
伊東豊雄

日時:2008年7月1日(火) 18:30~20:30(開場18:00)
会場:文京シビックホール 大ホール (東京都文京区春日1-16-21)

伊東豊雄氏は調べたことがあるが、セシル・バルモンド氏は全く白紙なので楽しみだ。
セシル・バルモンド氏は建築家ではなくて構造エンジニアだったんだ!

設備計画学 その2

補足編

1.消火設備
消火設備は棟毎に設置し、敷地単位ではない。
設置すべき対象は消防法を建築基準法で多少異なるがおおむね一定規模以上の特殊建築物である。
消火設備稼働時間は20分である。


2.排水通気
特殊排水継手の代表的なもの
・ソベントシステム:横枝管の立て管のぶつかり合う部分にセパレータ(板)を設けたもの。
・セクスチアシステム:横枝管をオフセットした状態で接続するもの。
横枝管からの流れを制御することで立て管内で常時通気させ、圧力変動を小さくすることにより単管システムを実現している。


3.給水
省略


4.衛生器具からの汚染防止
トラップの働き
・悪臭、虫、ねずみ等が排水管から居室に入らない。
・排水管内の圧力変動によって破封が起こらない。(誘導サイホン)
・多少のゴミや汚れを自浄する。(またはメンテが容易。)
・自己サイホンで破封が起こらない。


5.都市ガスとLPG
省略


6.ヒートポンプ
特徴
・エネルギー効率が良い。投入エネルギーより多くのエネルギーを取り出せる。
・エネルギーを取り出す方向が低温部から高温部へが可能。
・切り替えると冷房、暖房ともに使用できるため、設置コストや必要面積が小さくできる。
・地下水や大気などの未利用熱源を利用できる。
・駆動方式が電気、ガス、石油など各種ある。
・蓄熱と組み合わせて使用することで深夜電力が利用でき、運用コストを安くできる。また昼間のピーク電力カットに寄与。(エコキュート、エコアイス)


7.ふく射冷暖房
省略


8~10
以下省略

2008/06/18

建築法規 その1

1.採光と換気
(1)採光
採光のために必要な開口面積(有効開口面積)
a.住宅の場合 居室の床面積×1/7
b.その他 居室も床面積×(1/5、1/7、1/10) -居室種類による。

有効開口面積の算定方法
有効開口面積=Σ(開口面積×採光補正係数)
(各開口部毎に計算して合計する。)

採光補正係数の算出
a.住居系の地域 6(D/H)-1.4
b.工業系の地域 8(D/H)-1.0
c.商業系の地域 10(D/H)-1.0
天窓の場合 (上記各値×3.0)
90cm以上の縁側がある場合 (上記各値×0.7)
補正係数は3.0が上限。

(2)換気
a.開口によって換気する場合
有効開口面積=床面積×1/20
有効開口面積は窓の面積そのままではなく、実開口面積。

b.自然換気設備による換気の場合
排気筒の有効断面積=床面積/(250√(給気口中心~排気筒までの高さ))
給気口と排気口の有効断面積は上記以上。

c.機械換気による換気の場合
有効換気量=(20×床面積)/一人あたりの占有面積)
給気口は天井高さの1/2以下に設ける。
排気口は給気口より高い位置で常時開放、など。

d.中央管理方式による換気の場合
浮遊粉塵量、一酸化炭素含有率、二酸化炭素含有率、温度、相対湿度、気流などの基準に適合すること。

e.火気使用室の換気
・床面積100㎡以内の住宅または住戸の調理室(火気熱量合計12kW以下)の場合
 床面積×1/10以上の有効開口面積(最低0.8㎡)
・調理室以外で6kW以下の熱量では有効な開口部を設ける。



2.木造建築物の軸組長さの算定
・地震
梁間、桁行の方向毎に計算する。
(床面積×階毎の乗数)≦Σ(軸組の種類毎の倍率×長さ)
・風
各階毎に計算する。
(見付面積-1.35m以下の見付面積)×見付の乗数≦Σ(軸組の種類毎の倍率×長さ)


3.耐火建築物、準耐火建築物の定義
耐火構造、または次の技術基準に適合している建築物。
省略


4.防火地域、準防火地域の建築制限と法22条区域における防火措置
(1)防火地域の建築物
・3階以上、延べ床面積が100㎡を超える建築物は耐火建築物とする。
・その他の建築物は耐火建築物または準耐火建築物とする。
・除外される建築物あり。
(2)準防火地域の建築物
・地階を除く4階以上、延べ床面積1500㎡超の建築物は耐火建築物とする。
・延べ床面積が50~1500㎡以下では耐火建築物または準耐火建築物とする。
・3階の建築物は耐火建築物、準耐火建築物または令136条の2に適合するものとする。
・木造建築物では外壁、軒裏を防火構造とし、1階部分にある2m以上の門、塀は不燃材料とする。
(3)防火地域、準防火地域に共通する構造
外壁の開口部で延焼の恐れある部分に防火戸その他の防火設備を備えること。

(4)法22条区域の防火措置


つづく

CADⅡの成績が来た

CADⅡの成績が来た。
「A」だった。

これはラッキー。
自信が無かったから。

2008/06/17

設備計画学 その1

試験勉強をしているが、テキストだけでは済まない問題が多くて困る。回答内容からテキストしか見ていないか、それとも他の資料も読んでいるかが簡単にわかってしまうだろう。警戒すべき。

書物に書かれているような古い情報ではわからない問題もあるので、誰か情報を下さい。無理?
また、質問も受け付けます。


1.初期消火設備

(1)消火設備の概要
消火設備とは -ショウソウ

建築知識:消火設備 -建築設備ブログ

主な設備の概要 -クラシタ電気設備株式会社

(2)屋内消火設備について
テキストp143の表に示される概要については以下の点に注意。
a.消火栓の放水量については放水の条件に注意。(消防法にあり。)
b.操作人数
c.設置する防火対象物


2.排水設備の通気方式
(1)通気方式の概要
建築さん排水設備 -建築さん

(2)特殊継手排水方式
forum 05 session_01  -the排水
(この内容は知識ある人のためのものなので、基本的な知識に関して不十分。)

テキストp47の図2-10-1の中の「伸張通気管」は「伸頂通気管」の間違い。


3.給水
(1)各方式概要
川崎市の給水方式 -川崎市水道局
(テキストと内容は同じ)

水道施設の技術的基準を定める省令
これによると第七条-八で、水道施設は配水管から給水管へ供給する部分で0.15MPa以上となっているから、15mの水頭と言うことになる。ここから水量と配管の太さによる圧力損失を考慮して考える必要あり。

(2)水道直結増圧方式
・ポンプ能力設定。
・管内圧力が高いためWハンマ発生し易い可能性。
・元配管と縁切りしていないため、断水時と停電時に逆流する。
・ポンプ破損時、停電時などに逆サイホン効果が発生する可能性。


4.衛生器具からの汚染防止

13.pdf -厚生労働省


5.都市ガスとLPG
・都市ガスは空気より重く、LPGは重い。
->警報機の設置位置。
->換気口設置位置。
->都市ガスでは高所ほど圧力が高くなるので昇圧防止弁を設置。
・都市ガスは事業者によりガスの熱量が異なるので器具も異なる。
・都市ガスで4~6グループのような熱量が低いガスを使用する場合は配管圧損に注意。
・LPGはタンク供給で液体保存のため、気化熱が必要。
->冬季に寒い地方ではベーパライザが必要。または地下埋設とする。
・都市ガスは配管から供給するため、建物の沈下や地震で配管破損が生じないように専用部材で接続。
・機器と配管を接続するゴム管も都市ガスとLPGでは異なる。


6.ヒートポンプ

ヒートポンプの原理と特徴 -日本電気技術協会
(基本)

エコキュートのしくみ -中部電力
(最近流行)

ヒートポンプと蓄熱 -HPTCJ
(わかりやすい)


7.ふく射冷暖房
温冷風を用いた対流よりふく射方式は室内の温度勾配が小さくなる。
一般にはダクト方式と併用して使用する。
->ダクト方式の空調機の冷暖房負荷が小さくなる。
->ダクトでのドラフトが少なくなる。
->併用で連動させて使用すればふく射パネルの結露防止となる。


8.ランプ
(1)ランプの比較
・演色性
・寿命
・効率
・補機類の有無
(2)照明方法
・全般照明と局部照明
・器具照明と建築化照明
・直接照明と間接照明
テキストp105の表5-5-1の「メタルハイランド灯」は「メタルハライド灯」の間違い。

9.コージェネレーション
廃熱回収できるため、エネルギー効率が良い。
但し、電力負荷と熱負荷の負荷変動パターンが異なるためにコージェネレーション機器だけで使用すると経済的ではなくなる可能性がある。商用電力との併用が必要。
また、設備コストは高い。

なるほど!燃料電池 -東京ガス

コージェネレーションのしくみ -?を!にするエネルギー講座


10.バリアフリーとユニバーサルデザイン

バリアフリー -Wikipedia
バリアフリーからユニバーサルデザインへ - 清水茜さん

2008/06/16

建築施工学のレポートが返る

建築施工学のレポートが返った。
評価は「B」。

総合的に「真面目に研究していることが良く判る」と言っていただいたが、どうもレポートが長かったせいでBになってしまったらしい。内容は悪くなかったようだ。長いとダメとは知りながら、書き直していては試験の申込みに間に合わない可能性があったのでそのまま提出してしまった。だから、Bであれば良しとしよう。

今までの他課目のレポートでは字数が大幅に多くても大丈夫だったが、たまにはこう言う課目もあると言うことだ。この課題では「...の研究」を求められていたから、証拠集めに字数を多く割いた。結論だけ先に書いて、説明はその後ろに簡単に書く程度で良かったのかも知れない。


第1課題
講評はレポートが長くて判りにくいと言う内容。

第2課題
「実際施工に立ち会ったことがないとここまで判らないと思うが....」と内容は良いとのこと。もちろん立ち会ったことは全くないので資料が良かったのだろう。

最後に、「パソコンがあればワープロの使用をお勧めします」とのこと。
レポートの文章を再利用するつもりが無いのでワープロは使用しないことにしているが、字がきれいとは言えず、読んで意いただくのは心苦しい。レポートはあと2つあるが、これもまだ手書きで通させていただくつもり。

2008/06/15

CADⅢスクーリング 3日目 終了

CADⅢ

(写真をクリック)

本日で終了。

図面は昨日のものからそれほど大きくは変更していない。
窓の形状、木の位置と大きさなどを変更。付け忘れた手すりを追加など。


前日の外観形状から中を想像できるだろうか?
外部から入るコンクリートの長い部分はガラス箱の内部で3本がぶつかり合ってグシャグシャになっている。その壁面どうしの交差した部分は柱状になって立っている。大正池の枯れた立ち木のように見えると思う。家族の構成員は家族でいるために決して合理的でもキレイでもない関係をずっと見続けなければならないことを象徴している。

またガラス箱の見た目の透明性は家族と言う虚なのか実なのかはっきりしない集団の人格を示す。しかもここで暮らす人間は上下階を移動するにはガラス箱の外階段を利用しなければならず、ますます虚実のはっきりしないものとなっている。


反省点
もう少し造形表現的な方向の考えも加えるべきだったかもしれない。状態や状況を表現するに加えて、歩くと言うような短時間の間に心に起こる変化の要素が必要だったろう。それに外観がおとなし過ぎたかもしれない。

CADではレンダリングでの人工光源の調整が難しかった。これも習熟が必要。

2008/06/14

CADⅢスクーリング 2日目



今日でやっと2日目。
今朝からまた作り直してみた。

四角いガラス箱に3本の長い物が入り込んでいる。
この長い部分はガラス箱の中で交差している。交差部分は壁と壁がぶつかっていて、それが柱状を成して吹抜に木のように立っている。

ガラス箱は家族と言う集団の「人格」を表しているが、それが架空のものなのか現実のものなのかはあいまいだ。なぜなら家族は個人の「人格」の集合体だからである。家はその入れ物と言う位置付けだ。個人の人格は家族の人格とは別物で性格も全て違っている。個人が集まって家族を構成するのか、それとも家族が個人の基なのか、どちらだろう。


作りこんでいくと、どうしても形がだんだんつまらなくなってしまう。これは今後の課題。
但し、これはこうやって外から見るより、中の吹抜から見るとかなり床面が乱雑で面白いはず。

2008/06/13

スクーリング送付物不足のお知らせ 届く

「スクーリング送付物不足のお知らせ」はがきが届いてしまった。
卒研のオリエンテーションの案内送付のための返信用封筒を入れ忘れたらしい。
確かに、手引きの中のわかりにくいところに封筒を入れろと書かれている。

送るもの
このはがきのための切手50円分。
「スクーリング送付物不足のお知らせ」のはがき。
返信用封筒+80円切手。

CADⅢをやってみた その3

あまり面白い形にはならなかった。
中を歩いてみるとまあまあだと思うのだが、外観にインパクトが無い。
レンダリングでカバーするしか無いのか?



しかし、巨大な家になってしまった。
これが普通の家とは思えない。
なのにハリウッドの俳優さんが住むほど高級感も無し。
何と中途半端。

「家」と言う課題なので、「造形」からだんだんと「設計」に近くなってきてしまうとアイデアが現実的になってしまう。もっと思い切り良くアイデアだけの空間作りにするべきだろう。そう言った意味でこれは成功とは言えないものだ。

もう一つ言うと、これは3フロアの平面図を各々描いて重ねる方法で造っているので実施を考えた時には図面が揃っていて便利かもしれないが、造形上の空間作りから考えると面倒臭いとしか言えないやり方だ。断面図が簡単に作れるのだから平面図もその方式で作ることにして、一気に3フロア分立体で作る方が簡単のように思う。できないのだろうか?

CADⅢをやってみた その2

昨日の絵からだいぶかわったが、暫定版。
どこかの美術館のようだ。





6月8日のコンセプトの絵から想像できないかもしれないが、キープしているつもり。

2008/06/12

6月21日分の受験票到着

6月21日 東京
2限目 設備計画学
3限目 建築法規

この分で行くと、建築計画学Ⅱのレポートは中断になる。

2008/06/11

CADⅢをやってみた

CADⅢの課題をCADを使って考えて見た。
良い案が浮かばない。

高さを感じさせる建物を考えるとき、個々の機能(部屋など)を壁で囲ってしまうと閉鎖的になってしまって高さ方向への伸びがなくなってしまうことが判明。なかなか難しい。


追加
表題にCADⅡと書いたが、間違いだったので修正。
習作の画像追加(暫定)。

2008/06/10

あいまいな境目と安全防災

卒業研究のテーマで「都市のあいまいな構成の可能性」と書いて出したが、それと両立しないと考えられる場面もある。


今朝のワイドショーで「路面の不法占拠」のように取り上げられていたのは地下鉄あびこ商店街だ。 (ライブカメラ有)

この商店街では自主規制として店舗敷地から1mのところに黄線を引いていて、店舗の什器をそこからはみ出して置かないことに申し合わせている。だが、これを守っていない店舗が多く、什器は2m以上もはみ出して置かれている。店舗経営者によれば、これをするとしないとでは売り上げが大きく違ってしまうらしい。

その上駅が近いからか自転車も放置されていて、火事が発生した場合の非難経路、緊急自動車の通行、車椅子による通行を妨げるようだ。

そうは言っても、近年大手郊外店やスーパーなどによって商店街がシャッターストリートになっている例が多い中、これだけ栄えているのはここを通る人達にとって有用な商店街となっているわけで、欠点ばかりではないだろう。問題点を解決するために法規制で管理がなされるのもわかる事であるが、両立する別の方法は無いものだろうか。

家や家族についての認識

CADⅡで家の造形を考えなければならないので山本理顕氏の住居論のようなものを探して概要だけ見ようと思っていたところ、八束はじめ氏のこのコラムが解説付き資料一覧になっていたのでここにメモしておく。

家族論──それは住宅という建築の形式か内容か? - 10+1

住宅論の風景 - 10+1

読めば、この内容だけものかなり衝撃的なものだと思う。
今我々が思い描く典型的な家族像、家族構成員どうしの思い、そしてもちろん住居型は人間の歴史とともにずっとあったものではなく、割と最近に変化しつつ成立(?)したものであるらしい。

建築史の中で、産業革命時に仕事場と家庭が分離したことは知っていたが、それが家庭の中の女性の在り方と言ったとても人間的な部分にまで影響していたとまでは考えていなかった。生物としての人間は家族と言う単位で生きている性質があり、夫と妻と子供のような関係は時代によってその現れ方は少しづつ変化していても普遍的だと考えてしまうものであるが、それが状況の変化によって以外にうつろい易いものであるとは、想像するのは難しい。

(人間として)自らの事ながら、あまりにも当たり前の事を、無邪気に当たり前に受け入れ過ぎていると反省しなければならない。つまりは、今の住居の在り方ばかりでなく、家族その他の人間関係のあり方も変化の段階にあると見るべきだろうし、住居に至っては変化させれば人間のあり方に変化を及ぼす重大な一つの要素と改めて認識すべきなのだろう。

2008/06/09

建築家 中村拓志

中村拓志 & NAP建築設計事務所

最近、kaz。さんのブログ「好きなままで長く+α。。」をRSSで表示するようにしていたら、上の中村拓志氏がそこに紹介されていたので訪問してみたら、初めて自分の志向に会う(嗜好ではなくて)建築家さんだとわかった。

わかる?

2008/06/08

CADⅢスクーリング 1日目

今日はだいぶ眠い1日だった。

この前の建築設計Ⅲ-1で製作系のスクーリングは最後だと思っていたら、このCADⅢもその前のCADⅡも立派に製作系のスクーリング課目でだった。しかも難問続き。


今度の課題は家なので、CADⅡの抽象的な課題よりはいくぶん楽かと思うが、多分そう思わせるのは落とし穴だ。課題の意図としては家の設計そのものではなく、空間の造形そのものだった。

だから、これを始めるにあたって平面図の部屋割り方式で解決していたら、まんまとワナにはまること請け合いだ。しかも3D-CADなのに各階の平面図から作成し、それを合成して3D化する方法なのだから、全くワナ以外の何者でもない。危ない危ない。できればちゃんと立体で作って、それを輪切りにする形で平面図を作らせてほしいものだ。


課題は課目概要にあるように「吹き抜けのある家」なので、吹き抜けのある家を考えなければならない。ただ、その吹き抜けを何に使うどう言う意味を持ったものにするかちゃんと考えなければならないだろう。そして、家と言うからには誰かが住む建築物なのである。

そこでとりあえず、家族が住むことに設定してみた。そこでさらに問題になるのが、家族と言うもの。そんなわけで、絵に描いてみた。(エスキスを見てもらったときのものを少し詳細化して描きなおした。)

2008/06/07

卒業研究のオリエンテーション申込み

卒業研究のオリエンテーション申込みを送った。

CADⅡスクーリング 3日目

CADⅡ


今日で終了。



この課題は抽象的な領域や空間とその関係を表現するものであった。

領域や空間を作ると言えばどうしても壁などで囲まれたものを作りがちだが、建築において空間や領域と言えば、それは物理的なそれを指すこともあるが、どちらかと言えば心理的なそれを指すものだと思われる。

壁や柱や天井や床のテクスチャの違いなどでそれは行われる。それを見て建築物の使用者はなんとなく「ここ」や「あそこ」を認識すると考えられる。そう言った効果を狙って構造物を配置するものであって、単に機能で分けたり区切ったりするだけではないはずだ。


そこで、最小限の努力(とも言えないほどの労力)で壁を3枚だけ作ってみた。
壁面はそれほど多くの物理的空間を作り出してはいない。その代わりにどの方向からも入り口らしきものが見えるようにしてある。この入り口はそこから向う側がちらりと見える。壁の湾曲はこちら側ではなくて向こう側を向いているから、さもあちら側が囲われた空間であるかのように装っている。

だが、実際にその入り口を通って向こう側へ言って見ると、実はもうそこには何も無い。すなわちこちら側から見ている時だけに空間は存在し、言って見ると逃げ水のように無くなってしまう空間なのである。


これを視線の流れの中にできるカルマン渦と言ってみた。
カルマン渦は流れと物体によってその下流側にできる丸い渦である。流れがある時だけ物体とは離れた場所に存在するが、流れが止まればそこには何も無くなってしまう。これは建築とそこに発生する心理空間に似ている。


説明があまりうまくなかったし、ちゃんと空間らしきものを作らなかったのでこれで評価が悪くても仕方ないな。

2008/06/06

「都市のあいまいな構成の可能性」

卒業研究の事前調査票に書いた卒業研究にしようと思う内容。

「都市のあいまいな構成の可能性」

都市はあらゆるカテゴリーに分割された建築と土木構築物の集合体である。
学校、病院、コミュニティセンター、図書館、道路、公園、役所、商業ビル、オフィスビル、その他多くの何らかの名前の付いた物がモザイク状に隙間無く敷き詰められる形で構成されている。建築は一般にそう言ったカテゴリー毎に造られるものである。

これは人間生活の時間や人間の機能を総体として見て、ある共通点を元に切り分ける分割志向的考え方から来ているものではないだろうか。

例えば、学校と言うシステムでは複数の子供達を教室に集めて授業が行われる。それは何故かと問うた時、答えは「効率」ではないだろうか。一 人の先生が35人~40人の子供に知識を分け与える効率を、我々は無意識に選んでいると思うのだ。

この方法はケアセンター、役所、病院、公園、会社その他全てのシステムにおいても行われている。それは選ぶ余地が無いほどに無意識に普通に行われていて、そのシステムに従って建築もカテゴリー分けされて造られる。


ただそれは、一人の人間の人生と言う視点で考えた場合に、そのカテゴリー分割は時として苦痛を伴うものになる。
例えば、一所懸命やっていた仕事が定年で辞めざるを得ない場合、加齢や身体の衰えでケア施設を利用せねばならなくなった場合、学校を卒業して就職して初めての場所で仕事をする場合などである。そう言った苦痛は人生のあらゆる場面に存在していて、それは仕方ない事として受け入れられている。

昔、人が狩や農業で暮らしていた時代にはこのような苦痛はもっと少なかったのではないだろうか。これは現代の人間が受け入れるべき事なのか。そしてそれを緩和する方法はあるのか。あるとすれば都市はもっと境目の緩やかなものになるべきなのではないだろうかと言ったような事を考えたい。

以上



かなり抽象的な書き方になっているが、前日の記事の要約、または続きのようなもの。
日本人は苦痛に耐えるのが美徳になってしまっていて、痛みを感じることに麻痺してしまっているのだと思う。だから苦痛であっても受け入れてしまう。それが自然なやり方と信じて疑わない。

GWは過ぎたが、5月1日のメーデーは毎年必ずやってきて、それはGWの中央に居座っていて動こうと言う気配は全くない。メーデーがあると言うことは、その日をまたいで家族や自分の都合でどこかに行くとか何か楽しいことをすると言うことができない人達が一定数はいると言うことだ。そう言った簡単な苦痛でさへも、もう何十年も我々は取り除く事に成功していない。毎朝の満員電車だってそうだ。あれはもう当たり前のものになっていて、取り除くことは不可能と考えられている節さへある。下手すれば30年以上同じ満員電車に乗って通勤しなければならないかもしれないのにだ。外国のある国だったら暴動が起きていることだろうに。

そう言うことをそのままにしておいても、それを前提に建築と言うものは成立するものらしい。それは経済の論理やその他いろいろな都合によるものなのだろう。

ただ、健康で若くて力のあるうちはそれでも良いだろうが、歳をとってからの苦痛はどうか。とても耐えられないと思う。日が経ったと言うだけで勝手にやってくる新しい日常は、その中身が有用なものであっても、少なくとも慣れなければならない、新しい人と1から関係を築かなければならない苦痛はあるだろう。

そう言う苦痛を緩やかにできないものだろうかと思う。群れ成す動物なのに別々の箱で飼われているように思えるのだ。歳とったらきっと介護施設と言う箱に入ったり、病院と言う箱に入ったりいろいろ新しい箱を紹介されたりするだろうが、そこでいちいち愛想振りまいてうまくやっていかなければならないなんて、考えただけで苦痛だ。何で無邪気にそんな箱を街に置いておくのだろう。

建築設計Ⅲ-1 成績到着

建築設計Ⅲ-1の成績票が来た。
「A」だった。

全面的に解決しなかった設計だったが、一応、高さ関係やその他が説明できていたのでその部分が評価されたのだと思う。3日間と短い時間でありながら、設計に入るスタートがいつもながら遅いのが難点。途中に1週間空いてくれて助かった。


設計Ⅰ-2、設計Ⅱ-1から設計Ⅲ-1と続けてやったところで、自分の傾向が少し見えてきたように感じる。

どれも分割志向でなく、統合志向になっているようだ。各々の機能充実より機能間の関係の方が大事に思っているようで、どちらかと言えば個々の機能はイイカゲン。かなりイイカゲン。(だから平面図が白っぽい。)そのイイカゲンとイイカゲンを繋げて1つにする方向になっているのだと思われる。

(まるで他人の事を言っているようだ。)

これについてはコメント募集。

2008/06/05

無意識に認めている「効率」と言うもの

唐突に思えるかも知れない記事。
でも卒業研究関連のメモとして。


先日のレモン展に出ていた作品「TSUBAKI」がまだちょっと気になる。

介護保険制度が始まって、今までよりケアセンターのような介護介助のための福祉施設が注目を浴びている。実際に昼間の道路を見ているとデイケアのためにお年寄りを運ぶバンがかなり目立つようになった。その施設の目的は介護や介助であるわけで、その事については確かに必要な人がいてそのサービスを受けるのだから合理的であるように思われる。

それは子供がいて学校がある、病気になる人がいて病院がある、人がいて家があるほどに普通なのかもしれない。だけれども、ちょっと引いたところからそれを見るとちょっと違う事を思わないでもない。

子供がいて学校があるのは納得のいくことではあるが、ただ、子供に学習の機会を与える方法は学校だけではないはずだ。世間には学習塾があり、家庭教師がいて、本があり、図書館もあり、親が教えることもできるし、それを近所のおじさんが代わりにやっても良いし、最近ではインターネットも使える。

なのに学校と言うシステムを維持するのは何故か。

その答えは「効率」に尽きるのではないか。

一人の先生が35人~40人の子供に知識を分け与える効率を我々社会は無意識に選んでいると思うのだ。学校は勉強のためだけじゃなく、社会性を学ぶ役割もあると言われるかも知れないが、それは別に学校以外のシステムを使ってもできることであるから、やはり効率が第一なのだろうと思う。

介護、介助のシステムや施設もカテゴリー分けされた人達を効率よく扱うためのものと考えればやはり学校と同じだろう。


ただ、このようにカテゴリー分けして扱うのは、人間をマス(群れ?)として見る視点からのものである。

試しに自分が介護施設に入る(または入れられる)事を考えたらどうだろうか。若い2級とか1級のヘルパーさんが我々(施設の中では複数の一人として扱われる可能性がある)を前に歌を歌いましょうとけしかけるかも知れない。手の機能を衰えさせないために折り紙を渡すかも知れない。

自分はなぜそれをしなければならないのか、そう思う可能性は無いとは言えない。でも、我々と複数で言う中の一人であれば、幼稚園の時と同じでそれを多分しなければならないだろう。その時それを自分はどう感じるのだろうか。


カテゴリー志向を止めて、一人の人間の人生と言う尺度で考えたらどうか。
産まれて育って成熟して歳を重ねていく途中に仕切りは無い。全て地続きだ。時間とともにいろいろあって、大人になればだいたい自分で何かの決断をして仕事に就いたり移ったりするだろうが、その流れはその場その場で自然な成り行きのものである。

例えば何か一所懸命仕事をやっているとして、ある時歳とって足が衰えたからその仕事のうちの何かがし難くなったとする。しかし、意識の上ではまだ自分には続きがある。会社の定年のようにそこで切るわけにはいかないだろう。

歳をとったからと言うだけで、生活も何も変えて別のカテゴリーに入るのはおかしいのかも知れない、と思う。しかもそれが自分で望んでではなく、家族の都合であったり、制度上のものであったりしてはどうか。人生の時間が続いているのを無理に切って、カテゴリー分けから作られた空間に入れるのは一人の人間にとって苦痛を伴うものではないのだろうか。


建築はそのカテゴリーを許容して作られるのが一般的で、しかも無意識であったりする。TSUBAKIではそれをいとも簡単にやってしまっているように感じられて仕方ないのだ。ケアセンターに子供の施設をつなげると言う複合カテゴリーは「効率」を別に考えた場合、人間の人生にとって正しいことなのだろうか。子供とお年寄りの間の世代もつなげてしまうようなシステムや施設、建物を考えてみることは何故できないのだろうか。

もっと言えば、学校も病院も街も公園も会社も公共施設も図書館も、そう言った無意識(では無いと言われるかも知れないが)に許容されたカテゴリー分けに従って造られるあらゆる建築やその周辺システムは正しいものなのだろうか。もしかしたら、そういった機能はもっと街や都市に溶けてしまっていても良いのではないだろうか。

(もちろん結論は無い。)

卒業研究のテーマは その4

6月9日までに卒業研究のスクーリング申し込みをしなければならないので、そろそろ本格的にテーマを決めておく必要がある。とは言え、後で変更になるかも知れないと言うことで、暫定案となるかもしれないのであるが。


以前に9案まで出ていたので10からとなる。

(10)都市公園から公園都市へ
街を歩くと、時々、公園に行き当たる。公園は空地(あきち)ではないので管理された公共の土地である。「どうぞ皆さん使ってください」のような顔をしてそこに空けられた都市の穴のような場所になっている。

公園に入るにはまず、道路を横切って入り口に達する必要がある。入り口には自動車が入れないように簡単な柵が設けられている。ここからコントロールされている感じがしないではない。

そこには遊具が設置されていて、木が植えられていて、花が植えられていて、砂利が敷いてあって、ベンチがいくつかある。座ることと子供達が遊ぶ以外に取り立てて用途も無いが、そんな場所でも割合きちんと管理されていて特に不可はない。

不可は無いが、それ以上に面白みも何もない。特に花が綺麗に咲くでもなし、する事もない。積極的に人が集まるようにも作られていない。雨も防げないし、寒かったら寒いまま、暑かったら暑いままである。たまに防災用の設備があると言えばある。「どうぞ使って」ではなく、「使ってもいいよ」なのかも知れない。


昔は、子供は公園ではなく空地で遊ぶのが普通だったと思う。都会の子はどうだったんだろう、とも思うが、「三丁目の夕日」などを見ると都会の子も公園より路地や空地で遊んでいたのだろうか。

今時はそう言う空地と言えば地上げにあったか何かで建物が撤去された土地があるが、そこは金網の柵できちんと仕切られていて猫でも入れないようになっている。もはや誰にも管理されない土地で自由に時間を過ごすことは子供にも猫にもできないことになってしまったようだ。


してみると、何らかの管理が成された公園のようなシステムを使って管理の成されない時間の使い方を模索するしかないのだろう。逆に大々的に管理のされた公園、その中で暮らす方法や公園と言う定義、制度、形の見直しをしたらどうだろうか。日本にも時には気持ちよく時間を過ごせる公園はあるだろうから、それを都市の中にどんどんと広げていって、都市と公園を同化させてみたらどうだろう。(ここはかなり端折ってる。)

ガーデン・シティーを強力な権力で作っているシンガポールは住民にとってどんな具合なのだろうか。(嫌いな都市だけれど。)
シンガポールの緑化政策



(11)動く都市
屋台、縁日、台湾などの夜市など、必要なときに必要な形となって現れる都市機能を実現するにはどうすべきか。

家族と言う単位が解体するときに、ヤドカリのように部屋ごと移動するシステム。必要な機能を選んで組み合わせる家や店や事務所。必要がなくなったらまた解体して次の場所へ移動するか売ってしまう。

日本の家ではちゃぶ台を広げるとリビングになり、布団を広げると寝室になる家のシステムがあったが、それを街にまで拡大してみるやり方。メタボリズムとも関連する。

住民票のシステムはどうするのだろうか?

2008/06/04

施設の長寿命化のための建築計画

建築計画学Ⅱのレポートを考え始めた。

まずは、第2課題の「施設の長寿命化のための計画」について、特定の施設に限らずに一般的な事項として考えることにした。資料は今日用意するつもりで、今は方向性のみ羅列。

2008/06/03

木造モダニズム展



竹中工務店東京本店のギャラリーA4(エークワッド)で行われていた「坂倉準三/前川國男/木造モダニズム展」へ行って見た。

建築設計Ⅱ-2の課題に関係のある前川國男の展示は東京建物園にある実物建物内の展示内容とそれほど変わるものでは無かったが、図面やスケッチはちゃんとあった。それに木材でできたスケルトン模型も。

展示のメインは前川國男自邸、坂倉準三の飯箸邸。
飯箸邸は軽井沢にレストランとして移築されたので実物部品とともに詳細な調査も展示されていた。
それ以外は以下のそれほど大きく無い写真パネルの展示。

ライト:旧林愛作邸
堀口捨巳:小出邸(建物園にある。)
藤井厚二:聴竹居
レーモンド:夏の家
土浦亀城:土浦邸
清家清:森博士の家
井上房一+レーモンド:旧井上房一邸
増沢洵:コアのあるH氏のすまい
吉村順三:森の中の家(造形Ⅲの模型課題の建物)
篠原一男:白の家

個々に書物などを調べればこの展示の内容は特に珍しいものではないのだが、これらを並べて共通項を見出すことに意味があると思われるので、興味あれば上記のものをネットで見直すのも良いかと思う。

簡単に言うと、彼ら建築家は近代建築の洗礼を受けたことで日本の伝統建築を一歩引いたところから、ある意味冷静に見られたと考えられる。もちろん外国人はそうに違いないが、日本人の建築家においても、日本の伝統建築の中に近代の要素を見出している。そこに「自由」と言う要素、「幾何学」と言う要素、機能どうしの「有機的つながり」などの近代建築の要素を巧みに加えて再構成しているようである。

単に形から見ると、パーティション、単なる通路となる廊下が極度に少ない、各形状を幾何学で捉え直していること、窓の大きさが自由と言う共通点があることに気付いた。

近代を学んだからと言って全てを西洋のやり方に変えてしまうような、所謂日本人が好きな西洋カブレにはならなかったらしい。そして、新しい建築を日本の伝統建築の後に繋げようとしていたようにさへ感じららる。それだけ日本人としてのアイデンティティを重く感じていたからなのか、それとも近代建築のパイオニアとしての責任感であるのか、それとも他の事情なのかまでは別に調査せねばわからない。

これが現在の我々だったらもっと軽く西洋風をコピーしてしまうだろうし、そこに日本の伝統を残すとなれば単に畳敷きの部屋を挿入する程度だろうか、などとも考えてしまった。今の我々ならそれを「残す」だけであって何の責任も感じずにそれっぽい何かを造ってしまうところだろうか。それが近代建築の自由ではないと巨匠達は言うであろうけれども。

2008/06/01

CADⅡスクーリング 2日目



とりあえず、今朝起きてから出発までの間に簡単に作ったモデルでどうにか済ませた。"済ませた"のであって、力作とかそう言ったものではない。夜にいくつか案を考えたのだが、"良い"かどうか判断する基準が「空間」とか「領域」とかその「関連」しか無いので解決の手段があまり無いためだ。

だから本当に苦し紛れに出した案で、これで良さそうかどうか全くわからない。


写真はモデルをレンダリングしたものだが、北側にあたる面であるために黒くつぶれてしまったもの。あのモデルからこのナメクジ風のシルエットができるとは想像できないものだったので、面白いからとっておいた。だからこれを見てどんなものを作ったかは全くわからないだろう。