2007/06/20

建築史のレポートが帰ってきた その2

第2課題 アンドレア・パッラディオ

講評では建築家に関する記述は良いとのこと。ただルネサンス期の歴史的背景と建築理論に関する記述が少ないのが残念、と書かれてしまいました。

講評注記の概要
「パッラディオ(1508~80)は生涯のほとんどをヴィチェンツァで過ごす。作品のほとんどはその周辺にある。出世作ヴィチェンツァのバシリカは既存のバシリカにドリス式の上にイオニア式オーダーが積み重なった2層のロッジア(柱廊)を付加し古代さながらのバシリカの再現を目論んだもの(パラディアン・モチーフ)。同じくヴィチェンツァで古代劇場の再現としてのテアトロ・オリンピコを設計。当時ヴィチェンツァは経済発展を遂げ、郊外でヴィラの建設が盛んとなり、パッラディオはそのための新しい形式を創案した(代表作、ロトンダ)。古代神殿風ファザードや対称性、幾何学性ある平面が作風はヒューマニスト的特質である。田園邸宅を農作業用建物と組み合わせた、古代ローマ住宅の研究をもとに多くの作品(具体的作品名省略)あり。いくつかの教会堂も建築していて、サン・ジョルジョ・マッジョーレ、イル・レデントーレのファザードは2枚のファザードが重ねられたように見える構成で高さの異なる身廊と側廊を持つバシリカ式にマニエリスム的ファザード処理の一つの回答を得たもの。」


->「古代神殿風ファザードや対称性、幾何学性ある平面が作風はヒューマニスト的特質である。」この意味がわからない。どうしてヒューマニストなのか。
調べてみると「善や真理の根拠を、神でなく理性的な人間の中にみいだそうとする考え方」なのだそうで、なるほど、神殿建築の要素を人の住む家屋に用いるのは人の中に真理があるからと言う意味らしい。

ヒューマニズム -Wikipedia

しかし、これはパラディオの著書を読んでいても、汲取れない考え方である。多分「ルネサンス時代」に共通する認識としてヒューマニズムを定義していると考えられるが、「ルネサンス」と言う言葉を定義したのはルネサンス期ではなくて19世紀である事、この時代はかなり混乱していた時代である事も考え合わせると、果たしてパラディオがヒューマニズムの意識を持って生きていたかは研究の余地ありと思われる。

パラディオはギリシャの神殿建築がギリシャ人の住居建築が基になっていると思っている(これは彼の勝手な想像だけだったと判明している)ので、神殿に使われる比例やオーダーを住居に使うことに躊躇しなかったと考える方が納得できる解釈だと感じられる。

レポートを出してしまった後なのでこの件について充分に調べることはしないが、これを読んで誰かがヒントをくれたら嬉しいのだけれど。


->レポートを書く上ではどうしても歴史的背景は局部的学習になりがちなのでルネサンス全般やその前の時代にまで遡って流れを見るのは難しいものです。そうなると何がマニエリスム的であるのか、どうしてそうなったのかまでは分かりませんでした。そのため、レポートではパッラディオがどんな事をかんがえていたどんな人なのかを中心に書きました。それで精一杯だったと言うことです。(ただの言い訳ですが。)


レポートに書いた概要

パッラディオの著書を読んでもどこが「理論」なのか、単純に意匠についての解説であるのか判然としないと言うのが正直なところなのです。読んでの印象は理論と言うよりは実用的で総合的な知識体系の書です。これは以前に「パラディオ(ルネサンス建築)」で描いた図をもう少し綺麗に描きなおして用いて解説を加えました。
パラディオの目的は「美の追求」にあったと思われます。ローマのモチーフを自由に使うと言うことでマニエリスム建築に分類されますが、それは比例と言う美の本質を表現するためであって、モチーフをそのまま貼り付けて使うだけが古典ではないと言う立場です。

彼は自らを「ローマ建築の正統なる後継者」と考えていたということです。

実際の特徴的と思われる建築の写真と図面のコピーを5点添付し、そこに補助線や吹き出しでコメントを入れて提出しました。


(本にある写真はコピーするよりも自分でデジカメで撮影して加工した方が綺麗に仕上がるように思われます。写真はPacasa2で傾きを直したり色調整をしてからOpenOffice.orgのDrawに貼ってからコメントや補助線を入れています。レポート本体は手書きしているのですけれど。)

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