2007/06/03

「猫の建築家」と言う本

ルネサンスの古典主義を調べていたら「美とはそもそも何だ?」と思った。
古典主義について書いた本にはオーダーの事、比例の事、そして代表的な建築家とその作品について相当詳しく解説されている。

けれど、どうしてルネサンスの建築家たちは美の源泉をローマに求めたのか。たまたまそこに残っていた多くの遺跡に自らの先祖の威光を感じたものだったのか。基本的な疑問としてオーダーはいったい何のためにあるものなのか。

比例の法則に従うだけならば数学を勉強すれば良い。立派な付け柱なら立派にデザインを考え出せば良いはずなのに。何故自らが古代ローマ人建築家の継承者でなければならないのか。その規範にどんな美を見出すと言うのか。



そんな事を考えながら街を歩く。
工場や古い雑多な建物が壊されて新しい高層マンションがニョキニョキと建設されている。

もともとそこにあった古い建物は確かに汚かった。けれどそこには人の生きる臭いに満ちていた。今は重機が入って一面の赤土の原だ。「高層マンション」聞いただけで胸が悪くなりそうになる。

なぜ「高層マンション」にそんなに嫌悪感を感じるのだろう、と、ふっと思った。



もし、その高層マンションをパラディオが設計していたら?
(亡くなった人だから無理だけれど。)
ローマの美を現代に再現した高層マンションであったら、こんなに嫌悪感を感じないで済むものだろうか。



アメリカなどでは大学の図書館その他多くの建築に古典主義の要素が使われている。そして実際に使われている。アメリカの歴史などたかだか200年。ローマ時代はその10倍も昔の事。そんなローマの建築がアメリカの大地に存在する地理的な理由は全くない。

そういった事が日本で起きたら。つまり普遍的な美を追求する高層マンションがそこいらじゅうにできるとしたらどうだろう。この嫌悪感は無くなるものだろうか。高層マンションが理想的な美を約束する言葉であったら。


「猫の建築家」と言う本を見つけた。
猫が「美」について考えていた。いったい美はどこに存在するものなのだろうと改めて思った。猫のように。



「猫の建築家」
作 森博嗣(もりひろし)
画 佐久間真人(さくままこと)
光文社

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