2008/07/06

秋葉原にて取材

取材のため、秋葉原に行く。
あの事件が起きたために秋葉原は歩行者天国が無いし、その前の過激パフォーマンスアイドルが出たために街頭パフォーマーは居ないようだった。残念なこと。

今日の目的はアイドルさん達の周りに集う、所謂オタクさんたちだ。

オタクさん達と言えば昔は一人で部屋にこもっているか、秋葉原に何かを探しにうろうろしている人達で、誰かと一緒に何かするような人ではなかった。しかし最近は集団行動している姿がテレビで見られるようになり、どこで練習するのだかぴったり息の合った踊りまでしているらしい。

なぜこの人達に興味があるかと言うと、多分元は個人個人で歩いていたり何か物色しているだけの人達がどうして集団を結成できるのかが不思議なのだ。こう言った現象は他にはあまり無いだろう。

例えばディズニーランドに行く人はたくさんいて、パレードでミッキーの振りに合わせて踊る人達がいるらしいがこの場合には秋葉原のオタクさんたちほどに組織化はしない。終わって帰れば他人に戻る。学校であれば集団で体操でも踊りでもやらされるし、職場なら嫌でも新人は花見の席を取りに出されたりするからもともと組織化が前提で利害関係も生まれ易い。これは理解できる。

普通に考えて、何かのイベントに出かけてたくさんの人に囲まれたとしても、一言も喋らずに帰ってくる事の方が多いのではないだろうか。毎日身体が触れ合うほどの満員電車に揺られても、それが毎日ほとんど同じ顔ぶれであったとしても、その人達と言葉を交わさずに何年も経過してしまうことの方が、今の日本では考えやすいように思う。



今日話したのはあるタレント事務所に所属し、歌や芝居もやっている女性とそこ(秋葉原駅前)に定期的に集まると言う男性数人であった。

びっくりしたのは以外に彼らは誰にでも"開いている"と言う印象だったことだ。初めての自分に多少「何だろう」と言う目はされたが、すぐ次の瞬間には敵対心が無いことが理解されいろいろ話してくれる。もちろん女性はタレントだからそれもある意味商売のようなものだけれど、売らんかなではなくていたって"普通"に話す。今合ったばかりと言うような感じではなく、本当に"普通"だ。タレントさんでなくて"普通"なのだ。

男性達も全く"普通"だ。それが単に秋葉原にいて、中心にアイドルがいる"だけ"なのである。何もジメジメした人間関係も何もないようにサラッとしていて何だか気持ちの良い集団なのだった。これでは仕事場にある変な人間関係などよりずっと良いと思う気持ちも分かる。男女関係のへんなジメジメ感すらも無い青春ドラマのような感じに近いかもしれない。

彼の男性たちが、本当にこれを望んでいるのかはわからないが、それにしても"美味い落しどころ"を見つけたのだなと思う。


秋葉原がそれを許す何かを持っているのだろうとは思うが、それは何だろう。他にもこう言う例はあるのだろうか。そしてそれを他で何かの形で作り出す事はできるものなのだろうか。



建築は建築物のある機能を作った。そこに人間が入ってその機能にはほぼ満足しただろう。家は外敵から身体とプライバシー守るために鉄の扉を持った。それだけが原因ではないが、そこには少なくとも秋葉原のような現象を発生させることは無かった。もし建築物がミニ秋葉原現象を作り出せるとしたらしれは楽しいか、幸せか、それともその反対なのだろうか。



追加
秋葉原に展開される人間関係が良いか悪いか、生きてくために必要な本当のもので無いと思う人もいると思う。その点も本当にはわからない点のままである事を付け加えておく。今回はその現象のみについて扱っているつもりだ。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

なるほど・・・許容度、ですね。

司馬遼太郎が、アメリカについての寄稿で、
「もしアメリカという国がなければ、
世界はもっと息苦しかったろう」と
言っています。

東京は、大阪に比べれば、許容度は格段に大きい。
東京の中でも秋葉原のように、実は、性格色の薄い街が、性格を持ち始めているのかもしれませんね。