アイカ現代建築セミナー
セシル・バルモンド+伊東豊雄に行ってきた。
文字で書くのが面倒なので絵にした。(下の絵をクリックで拡大表示)
セシル氏と伊東氏は最初は個別に話す時間があった。
セシル氏は自分の信条とするストラクチャーについてその原理から親切に話してくれた。伊東氏はカルマン渦から始まって次第に自分の作品解説方面へ行った。同じ建築作品を共同で手がけたと言っても、それぞれに問題視している所は全く違うし、建築一般への見方もまるで違うらしかった。
セシル氏は構造家と言うこともあって、自然の中にある構造、それも深い部分にあるもの(アルゴリズム)を抽出して建築に応用する方法。しかし、それは自然の真似をするのではなく、そこから幾何学の法則を導き出して用いるのが人間のする仕事だと考えているようだった。この姿勢は西洋では昔からそうなので、姿勢についてはある意味、古典的かも知れない。現在の建築家が幾何学を用いるのもその名残りだろう。("名残り"つまりそれを意識せずに幾何学を使ってしまう人がいるから。安藤忠雄が幾何学を用いる理由は?と言って答えられる?)
もう一つ、やはり古典的、いや近代的と言った方が良いかも知れないが、に思えるのは、「構造と形態の一致」を強く試みている事だ。出来上がりはすでに近代では無いにしろ、その部分に関しては目指すものは一緒であるらしい。だから、伊東氏が外と内、裏と表の繋がり、流動性について言っても、セシル氏にとっては建築はあくまでも"固体"のようであった。
伊東氏は最初にカルマン渦を出してきてびっくりさせられた。先日CADⅡのために見ていた画像の動画版そのままだったから。ただ、以前からの氏の著書は読んでいたので現在どうなっているのかと思っていたら「流動的な」がどんどんただの固い物の中での議論になってしまったようで、以前のように「メディアとしての建築」のようなものでは無くなってしまったらしい。追求しているのはやはり形のように思える。であるが、ちゃんと外部空間にある何か、例えば敷地前面にある公園の緑のパターンなど、を気にしてそれを流し込もうとする律儀さはまるで学生作品のようだ。
外と中の繋がりで気になったのが、仙台メディアテークの時と今の台中オペラハウスでは立面の「切り方」が違うと言っていたこと。仙台ではガラスを用いて内外を一体的に見せようとはしていたが、どちらかと言えばそれは昔の日本家屋の縁側のように単なる"開放的な"ものであって、台中は外に繋がるはずの所をスッパリ切った余韻のある切り方と言うような意味だろうと思う。先日調べていた磯崎新氏のプロセス・プランニングとか60年代のメガストラクチャー建築を思い出すような言葉に思えた。
つまり、問題点はその頃から変わっていないのじゃないだろうか。あの時の巨匠達は既にちゃんと問題点を認識していたと言うこと。解決はできなくて、今にその問題が残されていて受け継がれているのだろうと思う。(そんな事誰も言わないだろうけれど。)
しかし、外との繋がりの問題は薄くするとか (伊東氏はそこに穴とかフラクタルなどを加えてみようか等と言っていた。)そう言った物理的なやり方で解決できるものだろうか。本当の意味でそこにある境界は、敷地境界のような物理的なもなのか? 建築家でない立場から見れば、その境界は建築家が建築家であるために仕事の領域を暗黙のうちに決めてしまっている事によるものではないのか。なぜなら、建築家以外の人間はその敷地境界を簡単に行き来しているのだから。
3 件のコメント:
楽しい絵付で、有難うございます。
伊藤先生、まるで学生作品のよう、ですか。
エネルギーと代謝を感じますね。
セシルくんの世界、覗いてみたい。
セシルくんの世界は、
a+u 2006年11月号臨時増刊で出ているそうです。まだ入手可能だとのこと。
http://www.japan-architect.co.jp/japanese/2maga/au/aus_frame.html
今度書店で見てみます。
どうも構造建築家に惹かれるんだなあ・・・
私は建築経営士に近そうなのに。(泣)
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