結果は「A」だった。
多少、文章が情緒的になってしまった部分もあったが、建築学上の景観に関する用語も取り入れて書いた部分をきちんと読んでいただいたようで、赤で下線や囲みが入っていた。丁寧に読んでいただいたことに感謝したい。
この課目は選択で、しかもM先生なのでとった人は少ないだろうか。
レポート作成は楽しい課目だったと思う。
早く返却してくれた事にも感謝。これで9月の試験は最後の2科目を受験できることになった。
追加
「景観デザイン」と言う方法について。
「景観」を「デザインする」と言う方法に関して、ずいぶんと考えた。
建築物をデザインするのは、元々自分の自由になる物体をデザインするものなので、ある意味何とでもできる。(周辺とのつながりについての問題はあるとしても。) だが景観については、そのほとんどが他人が考えてデザインした(多分したのだろう)物で埋まっていて、動かせる部分は極度に少ない。その場所との関係を拒否した物、考えずに置いただけの物ばかりであると言ったほうが良いかもしれない。故に「日本の街並みは....」と言われるのであるが、それを景観の観点から一掃してしまうわけにはいかない。
それで、発想を改め、これらを全て「ありのままに認める」ところから考えてみた。そして、最小限の労力で何らかの目標に到達する事だけを目指してやってみた。見せたくない物は、取り除く事はできないので「目立たせない」。見せたい物はその逆に目立たせる。その為に良い方向だけに「視線を絞る」ことにした。
景観デザイン論 |
日本の街の景観はどこでも酷い。
だが、考えようによってはそれは景観以外の何か複雑な事情から造られたものであり、そこに人間の何らかの意図と言うものはあるだろう。
建築と言う方法はどこか何時も理想論的で、そうした多くの事情よりも建築の意図を優先して語る事が多い。だが、建築の意図はそ例外の意図と比べて優先できるほどのものなのか、それは多くの場合わからない。
ならば、最小限の理想論をもって別の事情や意図と共存するやり方を模索すべきなのかも知れない。別の考え方をも包含するものになるべきではないだろうか。それが理想と相反するものであろうとも。
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