ディズニーのハリボテ建築の事を考えていたら、看板建築を思い出した。
フランク・ロイド・ライトが有機建築、建築は内側からと言っている事からすれば看板建築、ハリボテ建築はその対極に位置するものだろう。逆に、建築は見た人に何らかのインパクトを与えなければならないと言う人もいる。看板建築やハリボテ建築は確かにインパクトを与える。どちらかと言えばインパクトを与える、単にそれだけの建築だ。ほとんどの蕎麦屋さんはそれで商売している。
(内側から原理的に蕎麦屋である蕎麦屋ってどんな蕎麦屋だろう?)
建築には自然界の構成原理を、と言うけれどそれは一体何の事だろう?
フランク・ロイド・ライトは自然について言及しているけれども決して自然の真似はしなかった。花が綺麗だと言ってそのまま建築に貼り付けたりはしていない。しないけれども周囲の自然との調和を目指した。逆にガウディはそれをした。ガウディの建築にはインパクトがあるが、フランク・ロイド・ライトのそれには調和がある。
自然の形を貼り付けても、木の枝の力学がそのまま建築に移るわけではない。貝殻の丈夫さと建築の丈夫さは違う原理に基づくものになる。木の枝はその先にある葉だけを支えるが、決して屋根は支えない。(時々サル位は支える。)枝は風が強いと揺らいで凌ぐが建築は枝の先がまた下に向って土の中に入る。
自然の構成原理を用いた建築によって人間が自然を感じられるかどうかは微妙だろう。それに自然は人間に優しい時ばかりではないのだし。
普通の現代建築は(近代建築以降)、壁を作ると自動的に外と内ができる(例外は除いて一般的に)。しかし看板建築とハリボテ建築では、壁の裏表の法則は成り立たない。確かに無駄な空間ができたり無駄な壁厚ができる。確かにこれは欠点だ。
今時、「お寺」は鉄筋コンクリートで作られる。だから構造や機能から言えば大きな傾斜した屋根、柱から生えている作り物など必要ではない。お寺の屋根が平らで全面ガラス張りだって機能としては遜色ないだろう。むしろその方が今や快適かもしれない。
(フランク・ロイド・ライトもルイス・カーンもル・コルビュジエも近代建築で教会やシナゴーグを提案しているのだから仏教のお寺だけ取り残されているのか?)
ルネサンス時代の建築は"人間的な"などと表現されるけれど要はギリシャ、ローマの形を「装飾の為」に使ったハリボテ建築と言えなくもない。神殿に使われたオーダーを人の家や別荘に用いて飾っただけなのだから。それらは装飾のための物。
ビオトープ、これも偽池、偽自然?
街路樹も偽自然?
スーパーで偽ハムを買って偽パンに偽バターを塗って挟んで食べている我々にとっても、プラスチックの偽樹木、偽山、偽ツリーハウスはタブーなのだろうか?
そう言えば多摩動物園のアフリカゾウ舎にある偽バオバブの木も魅力的だ。
参考
あひる
3 件のコメント:
いつも凄い成績ですね
ところで何して生計立てているのですか
かなり金持ちとみた!
うらやましい
いいえ。去年まで仕事していましたが、仕事が無くなったので学生になりました。今後が心配です。若くないので卒業しても仕事あるかどうか。
なるほど わしとおんなじでんな
頑張りましょう!
頑張ればいいことあるさ
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