「ルイス・カーンの全住宅」斉藤裕(さいとうゆたか) TOTO出版
やっとこの本が只の写真集ではなくなってきた。
もちろん本が変ったのでなくて、読んでいるこちらが変ったからだ。
この本の美点はフィッシャー邸の元オーナーの言葉が書かれている点だ。有名建築に住んだ感想など他にはあまり無いだろうから。
しかし、本文に関しては少し言っておきたい事がある。
P12「空間を分ける」と言うところだ。
分けていると見るのは正しくもあり、間違いでもある。どちらかと言えば間違いに近い。
出来上がった建築を見れば確かに「分割」してから「接続」しているように見える。しかし、これは見る我々が機能主義的な前提で見ているからであって、実際にはルイス・カーンは分割などしていない。
そこにいる人間の行い(イベント)に空間や壁が最適な距離まで寄って来るのだ。寄って来るのは一つの「家」と言う物から分けられた一部ではなくて、全然別個の物である。それらが寄って来て共同体を構成するのである。従って結果的に分割されているように見えるけれども、ルイス・カーンにはもともと空間を分けると言う思考は無いのである。
「分ける」と言う言い方をしてしまうと、機能毎に分けるパーティションが独立して壁に変化したように聞こえる。パーティションと壁はルイス・カーンの空間の構成方法においては全く別のものであると考えられるのだ。
言い方だけかも知れないがこの本の中で気になった点である。
2 件のコメント:
以前、この本を「写真集としての意味しか」とコメントされていたのをとても残念に思っていたので、嬉しいかぎりです。(お気に入り書のひとつなので)
聡明な方なのできっと「空間を分ける」の意味も、
じわじわ分かってこられるのではないでしょうか。
楽しみです。
ありがとうございます。
そう言う示唆を与えていただけるコメントは本当にありがたいものです。
もう少し深く調査させていただきます。
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