桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介・・・・建築史家の語る-1
[建築をめぐる話・・・・・つくることの原点を考える]より
上の記事が気になるのでリンクで引用したみた。
建築を学びながらテキストを読むと、コンクリートの性質はこんなものだ、と書いてある。建築史の中では、xxx様式はこうで、xxxismはこんな考え方でと書いてある。だいたいそれらを肯定するところから学習は始まるもので、まずはそれを知る事が専門家への道のように思う。「xxxはaaaだ」と言うような事が実感できなくても、それを実際に見たり触ったりしなくてもそれで良い。
学校の仕組みは、少数の教員が多くの学生を集めて知識を頒布すると言う「効率性」を重視するものだ。であれば「xxxはaaaだ」と言う事を実感無く知るのは普通の事なのだと思う。ゾウを見たことが無くても子供がゾウの絵を描けるのと同じことだ。親が買って与える絵本にはゾウの絵など山ほどあるのだから。
ただ、子供にゾウの絵は描けても、ゾウの皮膚がどんな硬さであるのかは知らないだろう。
我々が建築をいくら勉強しても朽ち果てていく建物の末路まではほとんど分からない。分からなくても建築を造る事はできるかも知れない。解体やメンテの事まで考えなくてもお金は貰えるのかも知れない。
エコロジーとかサスティナブルと言う言葉もテキストにはあるのだけれど、現代の建築は本当の意味でそれを自覚して造られるものなのだろうか。そんな事より目先の自由? そう言った目で建築を見て行く事も必要なのかも知れない。
0 件のコメント:
コメントを投稿