2008/05/26

建築設計Ⅲ-1 その後

建てること自体に意味がないで終わっていてはつまらないので次を考えた。

役人はこうした意味のわからない施設であっても、住民を鼓舞したいと言う建前を持っていて、そのためにたいしたことのない企画はするので結局誰かが造らされることになってしまう。つまり住民の自主性と言うようなものさへも"管理"したいのである。


それに対して建築で何が可能か?
管理された室内でできる管理されない事、それは"アクシデント"であろう。アクシデントは管理しようと思ってできることではないし、使う側からしてもそれは本来的な交流を産む種になるものではないだろうか。


「アクシデントの建築」
これは簡単な事で、まずは動線をメチャクチャにして向うから来る人とこちらから行く人を交差させる。わだかまる場所を作ってしまうのである。違う目的で来た人どうしが視線を交わす、目近に擦れ違う部分を多くする。

この施設では近所に住んでいる人しか使わないのであるから、見かけたことはあるが話したことが無い人も多いだろう。そう言う人たちに挨拶だけでも交わす機会をどれだけ与えられるか、少なくとも相手が何をしているかが見られる機会をどれだけ与えられるか、ただそれだけを考えた。


写真を見ていただければわかるが、その象徴的なものとして図書コーナー横の段差に設けた円形階段である。これは周りから1点に集まる構造のもので、通れそうだと思って階段に足を掛けるが結局は中央で狭くなって譲り合うなどしなければならない可能性が高いものなのである。

全体フロアは段差になっていて割合遠くまで見えるし、遠くのフロアで何かやっているのも天井に灯りが漏れていることでわかるだろう。舞台以外、どの壁も天井へは達していない。

内部から外部も、外部から内部もほとんど見える。南外部から北の道路側の緑も透けて見える。

本質的に人間は施設の機能などより、(他の)人間に関心があるものなので、他人が見えることは関心を増幅させるはずだ。


平面図を見ると幾何学構成になっていて、綺麗な幾何学を用いること自体を目指したものに見えるがそのつもいはない。これは余計なデコレーションを排した結果なのである。目的のために余計な曲線などを全く消した結果で、デコレーションは何もしなかったと理解していただきたい。


「3つの軸」
1.個人利用者vs小グループ=近隣住民(ご近所さん)

2.内部vs外部
建築物を作ることによってできる外周部とその内部。幸いにもこの場所は稀に見る環境の良さを誇る地域で周囲の道路は自動車の通行が制限されていて道路の脇にも樹木が豊富である。従って、それ以上に良い物を建築物内部に用意する必要は全く無いと考えた。だから配置図の外構には駐車場しか描いていない。周辺環境については何も心配しなかった。外周部ほど良い場所となる。

3.管理者vs使用者
管理者は何でもコントロールしたいと思うものである。しかも虫の良いことにその手間は軽くしておきたい。そこで管理室は中央に置いた。段差が2000あるが、上下段どちらにもアクセスし易いように+1000の位置としている。ただし、ここは中央であるから上に書いたように実のところ、一番"悪い場所"である。


「緩い坂」
敷地の南北方向は2000mmの緩い傾斜となっている。これを殺すのは本当にもったいない。あるものは使うべきだろう。


反省
この施設は近所の人しか使わないので、商業施設のような完全性を目指していない。だからカフェの位置とエントランスの位置関係など、普通ではちょっとおかしいと思われるものになっている。そのおかしさの度合いと解決策は未完成のままである。


与件について
こう見えても、与件はすべてきちんと計算して守って設計してある。
建蔽率は69.9%(60%のところ緩和で70%までOK)。
各部分の必要面積、蔵書数も計算して書棚を設けた。
また通路は全て車椅子2台が擦れ違うことができる。トイレは一般障害者用と車椅子用(上下段各1)を別に設けた。
課題では時間の関係でコンセプトのみの審査となるが、これを満たしていなければクライアント(役所)は門前払いにするだろう。あくまでも実施を目指すつもりで設計している。(つもり)

5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

役人もそうですが、日本の国のゼネコン国家という体質が、そのような無駄な施設をつくらせる本質的な要因のような気がします。

もちろんそれを助長しているのは役人や政治家さらには建築業界のもろもろの人々ですが。

政財間の癒着構造 国家の経済体質まで含めて考えていかねばならないところが「建築家」を含めた専門家の問題なのだなあと思います。

言い換えるなら、そのような国家的政治的経済的視点および社会的地域的視点 いろいろな視点が、建築造形力のバックグラウンドなのだと感じます。

もちろん、環境という視点も当然含まれてきましたね。

アクシデントの建築は、面白いと思います。
加えて障害者のアクシデントにも敷衍できたらいいですね。

私が昨日の発表で印象的だったのは、やはり女性の3つ丸い円形建築と男性の池のある建築、波型の木製の建築でした。私のはちょっと個性にかけていましたね。
貴兄は誰のが印象的でしたか。
教授の評価とは別に学生同士の評価もすべきとは思いますね。
毎回時間がなくてそれができないから残念です。

ちなみに先生方の言い方には、当を得ていない、言い換えると乱暴な言い方もありましたね。まあ人間だから仕方ないか。

とにかく大変な仕事ですね。建築家というのは。

雲竜

orang-u さんのコメント...

先生も時代の子ですね。
現代と言う時代の中にあって、どうしてもそこから発言されていると思います。でも我々学生は今の時代の者でなくて次の人ですから、彼らに理解されない思考をあえて持つのも良いと思っています。

私もいろいろ意見をいただきましたが、受け入れないと決めたところは全く変更しませんでしたよ。思い出すだけでいくつかあります。でも形としてダメと言う部分もちゃんと見破られれてしまって、そこは妥協して形にしていたので直したのですけれど。


国家とか社会に対していろいろ言いたいことは山ほどありますよね。きっと皆そう思っています。でもやっぱり最後にはそれを自分のこと、自分の生きてきた結果だと思えるかどうかじゃないかなあ。他人事じゃなく。

匿名 さんのコメント...

今日 卒研パンフの先生の紹介を見て、結構学歴ロンダリングがこの業界でも横行しているのだなと思った

3流私大から一流大学院というルート
あのジャガー横田のだんなもそう
結構大変ですね
かっこつけるって・・・・

別にいいじゃん 実力さえあればと
思っているんですがね

てれすけ

匿名 さんのコメント...

たいしたことないやつほど

えらそうにするね

このブログで、スクーリングの先生の評価を本音トークすればいいじゃん

中にはろくでもないのもいるわ

大学側もきちんとチェックして、自分とこの明日を考えないとね


マー君

匿名 さんのコメント...

お久しぶりです

それにしても、隣人殺人だのぶっそうな世の中ですな

よくもまあ 死体を切り刻むなんてできるなあ・・・

マンションの一室で、ギーコギーコと・・・

都会のグロテスクな孤独感と申しましょうか

犯人の満たされない何かが凶行に走らせる

人は バランスを保ちながら生きることが難しいですな

殺された方は、取り返しがつかない

しかし、こんな世の中で、人間はいったい 何をどうしようとしているのでしょうかね

我々も 食えるかどうかまったくわからない(というか、たぶん食えない)が、こうして建築学んでやっている

不安・・・

とにかく学生が一番ですな

勝手なことを言っていられる

はははは

マンキー & マンキー