現代建築論のレポートで次に採り上げる予定は、先日亡くなった黒川紀章氏である。
黒川紀章と言えば国立新美術館が開館したばかりだが、この写真を見て何かしら不思議な感じがした。巨匠の作にしては大人しいのだ。
海外からやってきた有名建築家の作にしても雑誌に取り上げられる海外の有名建築家の作などは、よくこんな事を思いつくと感心するほど奇抜であるものが多い。黒川紀章も日本にてはなかなか個性的な人物のようであるし、海外コンペで多くの仕事を取って来る建築家なのだから、一見して黒川作とわかるほど奇抜であろうとの先入観があるせいだろうか。
そう言う目で見ていたせいか、とても大人しく感じられたのだ。
そんな訳で、あの形がどう言う意味を持つものなのかを解明してみたくなったのである。幸いにも、ネット上には納得できる答えが見つからない。建築好きの人々や学生も、ル・コルビュジエは熱く語るが、評価の定まらない最近の建築を判断する事には遠慮がちらしい。
ところで、今日図書館で黒川資料を漁っていたら、奇妙な事を発見した。
先日、伊藤豊雄の資料を読んでいたら彼は彼より前時代の建築について都市の理想像、人間生活の理想像のような大枠から建築を発想するように解釈していた。その前時代の代表の一人が黒川紀章なのであるが、黒川紀章の文章からはそれは全く違うものとなっているように見える。
黒川紀章は最初から多様性を大きく認めていて、時間軸でも空間の中にも対立するものが同時に存在するとしている。未来を予想するもそれが神の与えた良き方向へと言うような絶対的なものではない。前者が大枠と言うようなものであれば、それをさらに上から眺める風なのである。
伊藤豊雄は彼の前時代の建築と言うものを(短期間であるが)師である菊竹清訓から感じていたからかも知れない。黒川紀章は同じメタボリズムの菊竹氏を含む他の建築家について何も言及していない。メタボリズムにいながら彼らとそのコンセンサスを同期する動きをして来なかったからのようである。
確かに、黒川資料を少し読んだだけでも菊竹清訓のメタボリズムとは随分異なる感じを受ける。
菊竹清訓の場合は日本建築の伝統を出雲大社に求めているが、これは過去から現在に至るまで多くの様式が発展し変化してきた中にあってずっと採用されてきた考え方を探る態度なのである。黒川紀章から見ればこう言った日本の伝統から要素を抽出する行為自体がすでに欧米的なのであろう。ヨーロッパ人がその美の理想をギリシャやローマに求めた態度と同じなのであって、それは態度からして日本の伝統から離れてしまうものなのである。
黒川紀章の場合、出雲大社も茶室も日光東照宮も同じ日本の中にあり、それはある意味対立しながらも同じルールの中に、つまり日本と言うシステムの中に共存するのである。「ワビ、サビはそれ単独では存在しない。紅葉の燃えるような華やかさを知らない者にワビ、サビの感覚はわからない。」のであると。
2 件のコメント:
二人目決定ですね。
黒川紀章の作品が週刊文春に掲載されていたんですけれど、高田馬場のBIGBOXも作品だったと知りました。
身近なで見過ごしていた作品があるんですね。
そうだったんですか。たくさんあるんですね。調べてみます。
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