2008/09/01

景観デザイン論の余談

景観デザインに関する本には多くの人、それは主に建築や土木の専門家であったりするが、の言葉を目にするが、日本の都市景観についてはやはり問題意識があるようでどの方も一所懸命にいろいろ書かれている。

どれも都市デザインの方法論についてはかなり尤もで素晴らしいものばかりだ。計画の手法、評価の手法、分析の手法、個別の造形的手法、デザインの原則、いろいろある。

だが、その意見は方法論に終始していて、いったい最後にはそれを誰がやるのかと言うことに触れていない文章が多い。建築家や土木家なら発注があればそれらの方法論を用いて何かを作ることはできるだろうが、これを計画やアイデアの段階で、しかも都市全体をどうするかと言う部分になると、「こう言う方法もあるね」と言うところで終わってしまっている。

ある文章の終わりのところでは「建物のコントロールも含めた総合的な計画が必要である。」となっている。
そんな計画が必要だと言うのは尤もだが、それを誰が何時、どんな立場でやるのか。そう言うチャンスは本当にあるのだろうか。多分、書いている本人もそれがわからず、方法論についてのみ分割して書いているだけなのだろう。

たまに「誰か一人をコーディネーターとして任命してやるべき」と言う事が書いてある程度である。今売れてる建築家の文章にもそう言うのがあった。


結局、今の景観法の外には誰も出られないと言うことを遠回しに書いてあるように読める。あきらめなさい、そうして、建築物を作るときには歴史的文脈を読み、人の動きを読み、ディテールに注意しなさい。くれぐれも敷地境界線からはみ出さないように、と。

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