2008/09/05

景観デザイン論の余談 その2

「景観デザイン」の"デザイン"についての定義は、多分世の中に定説は無いのかもしれない。
景観デザイン論の中での"デザイン"は、他での造形や設計におけるデザインより、かなり広い範囲の行為をデザインと呼んでいる。

啓蒙活動、法律に関する部分、いろいろなシステム、そう言ったさまざまなものを全部含めて考えろと言っていると解釈すべきではないだろうか。「景観とは人の環境のながめ」であるから、人の頭の中までデザインすることになるようだ。


また、風景と景観と言う言葉の使い分けにも注意が必要だろう。
そのあたりは前の記事にある解答案集では不完全な部分があると考えている。

例えば、自然の景観について、自然そのものは景観として必ずしも美しいものではないだろう。自然はその独自の営みがあって、景観のために生きているものではないのだから。景観と言うのは人間の主体的な活動であることを考えれば、自然への直接の操作を行わなくても人間の頭の中で操作することはできるものだ。人間が自然のありのままの姿についてきちんと考え、どのような状態が良いかを理解していくことで、景観における間違った固定概念を修正することになる可能性があるからだ。これも景観"デザイン"の一つの活動と言えるのではないだろうか。


追加
1年も前に読んだ本の中で、F.L.ライトが「建築物を置くことで、ここはこんなに良い場所だったのか、と思うような建築」のような事を言っていた。彼は景観をデザインしたのではなくて、建築をしたのだけれども、景観デザインとはそう言うことなんじゃないだろうか。急に思い出した。

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