現代建築論のレポートが採点されて帰ってきた。
結果は「A」だった。半年間の作業と取材が報われた。
よかった。
講評では「ユニークな視点からの分析で興味深く読んだ」とのお言葉を頂いた。もちろんこれは狙いで、本から得た知識をまとめて書くだけでは書く方の自分が楽しめないと思うし、間違っていてもなるべく自分の感じた事を書かなければ意味が無いと思ったからだ。それに加えて参考資料の活字になっている文章でも定説に頼っていて自分で考えて書いていないと思われる文章が多い (例え書いたのが専門家であっても) し、時代の影響を受けた文章と言うものある。それが現在に合わない場合だってあるのだから、それを鵜呑みにしてまとめる意味は無いと思うのだ。
その上でアドバイスが書かれていて「それ以前の問題として(建築を見る上での論点以前の問題としての意)、訳もわからず感動してしまうような空間のパワーが(建築デザインには)必要で、そこにオリジナルな部分が生まれてくるところがある。自分で感動できる空間を見出して考察してみると良いでしょう」との事。なるほどと思う。人間のユニークさの原点は感動にあるのかも知れない。
しかし、そう言う部分は自分は弱いのではないかと思う。これは感じ方のクセかも知れないが、例えば映画を見る時に、どうしてもアメリカ映画が見易いのはそれが全体 (ストーリーも絵造りも全てにおいて) を通して「言葉」として成り立っているからで、逆にフランス映画のように詩を映像化したようなものは悪いとは思わないまでも苦手なのである。(全てのフランス映画がそうではない。)
まして建築においては何が良いか悪いかなどわからない、ど素人なので仕方ない。目利きには程遠い。しかし、そう言う芸術的感覚も最近では学んで習得できるとの研究結果もあることであるから、希望を持っておこうと思う。
そうした自らに欠けている点を踏まえた上で、(と言ってもできない事はできないのであるが) できるだけ独自の分析を各建築物と建築家に試みたわけで、概念を他ではあまり見ないようなチャートに表してみたり、建築とはまるで関係ない絵や写真を類似させて分類してみたレポートになった。今はここまでと言ったところ。
この科目は選択であって、建築をする上で最低限身に付けるべき要素よりは+αと言う扱いなのだろう。確かにこのような事を知らなくても建物は作れる。しかし、力学的にも法的にも問題なければ何でも作ることができる中で、実際に何を創造するか、何を選択するかを少しでも考えるのであれば、そして建物を鑑賞したいのであればこの科目は外せなかったと思う。やって良かった、と思える科目であった。
レポートで採り上げた個々の建築家についてもいくつか貴重なお言葉をいただいていますが、ここでは割愛します。
2 件のコメント:
レポートAおめでとうございます。
理屈や理論を圧倒するパワー
もうこの世界になると、努力や根性ではどうにもなりそうにありませんね。
そうですね。
いったい何が必要なんでしょう。
そしてどうやってそれを学べば良いのでしょうか。
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