「建築家の仕事の範囲」の定義は建築家とそうでない人々ではその思うところが異なるようだ。
素人から見れば、与えられた土地に許された時間とコストの範囲内で快適に使用できる建物を作ってもらうことが建築家の仕事であろう。(先日都知事選に出た黒川氏ほどになれば、一つの街をデザインするような事もあるらしいが。)
建築雑誌等の中の議論を見ていると、どうも素人が考える以上の何かがあるように見える。少なくとも当の建築家はそれが有ると考えているようだ。
例えば最近制度化されたホームヘルパーが家に入る事一つとっても「以前は玄関で住居と社会が分かれていた。しかしホームヘルパーが家に入ることがその境界をこれまでとは異なるものにした」と言うように、建築家は解釈するらしい。そこから議論は住居と言うものの再定義、はたまた地域社会や都市のデザインにまで発展してしまう。つまり、建築家の仕事範囲は住居のみに留まらずそこから外へはみ出していると捉えている。
それでは実際にはどうなっているのか。
実感としては多分、見ての通り、自治体の行う埋立地でのプロジェクトや何とかの跡地を利用した大規模再開発でも無い限り地域や都市デザインまでは行えはしないだろう。そんな大規模プロジェクトでさえ建物を作って引き渡すまでで終わりになっていて、その建物や土地の運用にまでは関与しないのであるから、数年後に思ったようにうまく行かずに廃れてしまってもそれはもう建築家とは何の関わりも無いのではなかろうか。
つまり通常は、建物を設計して作って引き渡すまでしか仕事では無いのではないか。逆に言えばそこまでしか仕事は与えられないのではないか。デザインが周囲に大きな影響を及ぼすと言う意味なら別だけれども。(これは今後の課題にしておきます。)
もし地域や都市をデザインする事までが仕事であれば、設計その他の建物に付随する以外の仕事をしている建築家は世の中にどれだけ居るのだろう。
建物を離れて路上に出ればそこには土木関係者がいるし、町並みをデザインしようとすればそこには条例や法律を立案したり施行する専門家もいる。とすれば益々建築家の議論はどう役に立つのか。また役に立たせる別の分野の仕事を自分の前に引っ張って来なければならないのではないのか。
実際に行政その他建築を取り巻く環境整備を行っている人々に建築家が何かを投げかけているのだろうか。いるにしてもそう言った(お金にならない)仕事をしようとしている建築家はどれだけいるものなのだろうか。
自らの仕事の定義と言う根本的なところから考えながら生きていかねばならぬとは、建築家は何とも面倒くさい職業に思える。
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