2007/04/12

建築家は多弁

建築家が書いているものを読むとかなり多弁な人が多いことに気づく。

建築に対する批評、自らの作品に対するコメントの導入部にはその建築の背景に関わる部分が必ずある。読む方からしてみたらまるで全然違う種類の書籍のエッセイが編集段階で間違って挿入されたかのような印象を受ける。アジア人がスナップ写真を見るときにまずその背景の景色を気にする。つまり誰が写っているかより、どこで写したかの方が重要なのだ。それと同じ事なのかと想像する。


建築家の文章にはそれ以外にもかなりの特徴がある。
文章の中で書かれている内容と文章から受け取れる関心度が高い項目は概ね以下のようになっている。

1.その建築を成り立たせる「理由」。
2.その建築の「芸術」的価値。
3.その建築に使われる「技術」の特徴と新奇性。

1の「理由」についてが一番多く語られるところで、その内容は、
 a.環境問題からの理由。
 b.周辺環境との整合性による理由。
 c.クライアントから要求される機能や性能による理由。
 d.災害対策による理由。
が多いようだ。
だが不思議と他の業種で問題にされる「コスト」や「耐久性(耐用年数)」などはほとんど文章に盛り込まれる事は無い。これは謎だ。


2の芸術的価値については文章の中ではそれほど多くを占める事は無いようだ。
この事について文章の中で言うとすれば「伝統」との折り合いのつけ方についてだけだろう。芸術性についてはあまり主張や評価をすると出る杭になってしまうのか、それとも建築家は芸術より技術の人であると言う暗黙の了解があるのだろうか。

3の技術についてはさらに使われる語彙数が少ないようだ。




建築に関して時間軸での評価や検証が行われないと言うのも気になる点だ。

古い建築については歴史の中での評価をする文章があるのだが、新しい建築についてはそこまで予測して述べられることが無い。

建築のプランは「これを意図して作った」と語られ、添付される写真や図もプラン段階か施工完了段階のものだ。実際に使用する人が数年使用してみてどうであったか、またはどう感じたか、新しいうちにもそのプランの意図は実際に成功するか、意図と異なる不都合が生じる可能性があるかどうかまで予測される事は無いようだ。

コンクリート作りの建築物の歴史は浅いし実際に、その材料による耐用年数とは無関係に仕様の問題やメンテナンスコストの問題から30年や40年程度で取り壊される。そう考えれば作られて最初の数年もてば後の事は考える必要もないのだろうか。10年先の使われ方や100年先の古び方などは問題ではないのかもしれない。

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