新ブログ「もんく+a : reloaded」へ移行し、建築仲間Team OBASUの活動記録を投稿します。
リンクは右の欄のリストにあります。
(2021年~)
アイデア等全てのコンテンツの引用やコピーはご自由に。
コンテンツ概要
2009~2013年:建築物と建築についての雑記です。
2007~2009年:大学の課題に関するノートです。
2009/08/14
未分化 not equal 未熟
「幕の内弁当のような」と言うと、一つの入れ物の中にいろいろ入っていて一つの完結性の高い世界を構成していると言う意味である。ところで、我々が普通に弁当を作る場合でもやはり幕の内的なやり方を自然にしていると言うことを意識するだろうか。多分そう言うことはないだろう。
以前に台湾にいた時、やはりそこにも弁当と言うものはあった。味は別として材料になるものは同じようなものだ。主食は白米、おかずには唐揚げや肉や魚、そして副菜と漬物などである。ただ、同じような材料を使った弁当であってもそれは絶対に幕の内弁当にはなる事が無いのだった。
それは何故か?
各々を分けて配置すると言う指向が無いからだ。白米の上に主菜と副菜が乗せられていて蓋を閉めるとそれが渾然一体となり、まるでそれがたった1つの食べ物であるかのような弁当になる。だから絶対に幕の内弁当にはならないのだった。後に彼らもそれに気付いたらしく、日式の弁当としてコンビニで売られるようになった。もちろんそれは単に弁当箱に仕切りが付いただけなのだが。
そう言う状況を見て、どちらがどうだと判断するのもまた常である。どちらの弁当が美味いか、それは単に学習の結果から出る結論であって決して本質的な議論となるようなものではない。その弁当の所属する国の経済なり社会の状況がどちらの方が良いから、簡単に言えば進んでいるとかいないとか、と言うような事で判断すべきでも無いのだが往々にして勘違いをしたがる人は多い。
この写真のような所が日本にあったとしたら、それは何と呼ばれるだろうか。その名称は多くあるのだろうが、その名は決してポジティブな響きを持ったものでないだろう。そしてある場合においてはそれを課題視することは多々ある。ある場合の中には建築と言うものも含まれる。課題視するのはそこに何か解決すべき問題があると感じるからであろうし、実際に問題が何も無いこともないだろう。
ここで建築になにができるか?と考える。ほとんどの場合、問題視した時点で答えは用意されてしまっている事が多い。答えは十中八九、幕の内弁当になる。それをする本人が気付いているかいないかに関わらず。建築と言う範疇において、そんな基本的なガッカリはどんな場合でもしたくないものだと思う。
デザインとか解決方法とかそんな事の前に自分がどの地面に立って物を言っているのか、弁当でも食べながら考えた方が良い。その場所に問題があるのか、それともそれを問題と思う自分に問題があるのか、そちらの方がずっと大きな問題なのではないだろうか。
写真
左上:歩道が食事の場になっている。
右上:市場。パラソルとテーブルや台が折り重なるように配置される。
左下:道路上の屋台。このうちのどこかで買って道の反対側の食堂に持ち込んで食べても良い。道には車も通る。
右下:屋台村。中心の大木が木陰を作る。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿