2008/08/31

景観デザイン論

景観デザイン論の課題は知識よりも見識を求められるものと思われる。つまり基礎知識がまず必要で、その言語を元に論理を組み立てなければ書けない。設題が抽象的なので言える範囲が広すぎて、さらに難しいと言わざるを得ない。試験の直前に行うのでは難しかったようだ。

下はまだ書き掛けで今後順次更新予定。
関連情報をお持ちの方、コメントください。

1.景観とは、またその特性とは?

「景観とは人間をとりまく環境のながめにほかならない」(中村良夫)

景観とは単に人間の周囲にある物や空間そのものやその配置を指すのではない。
人間は周囲の環境を視覚刺激として感じ、それを心理的フィルタを通して認識している。つまり外的環境を内的システムを通じて変換した上での認識の状態が景観なのである。

よって景観は常に人間を中心に存在するもので、人間の居ない場所、例えば自然環境の中にはそれがいくら素晴らしいものであっても景観は存在しない。景観は人間の主観的要素が強いものなのである。

景観は主観的要素が強いとは言え、個人個人によって全く異なるものではない。それは同じ文化的共通項や生物としての人間の共通の性質があるために共有する事のできる部分が多いからである。

また、景観は人間の主観的要素に依存するため、人間の行動、見方や捉え方によってさまざまに変化する。比較的短時間に透視図に眺める「シーン景観」、視点を移動させながら眺める時の「シークエンス景観」、それらを総合した「場の景観」、長い時間の中での変遷を捉えた「変遷景観」などがそれである。

このように、景観は人間を通した文化的概念と言う事ができ、景観を手がかりにすれば環境と人間とは対象と観察者として分離した存在ではなく、互いに相互関係のある分かち難い存在であると言えるのである。



2.景観デザインと風景論、景観設計の違いとは?

景観デザインは人間をとりまく環境の人間の主体的ながめを扱うものである。
そのため、物や空間の操作にとどまらず、それが人間に対してどういった印象を与えるかを扱うものと考えるべきである。

環境が人間に与える印象は、物や空間の物意的、生理的な見え方に加えて、文化や地域特性に照らし合わせた意味、経時変化、それらを総合して出来上がる都市、時間的奥行きを考慮した変化などもその要素であり、景観デザインの扱う対象でありそれらに秩序を与える事、また見る人間と対象の関係お含めて調整していく事が景観デザインである。

景観設計では景観の中に存在する物(施設、構造物など)や空間の形態など、ディテールを検討するのが主であり、より範囲は狭いと言える。

これに対して風景と言う場合には景観と同様に人間の主体的なながめを言うが、より個人的感覚から来る美観を含めたながめを言う場合が多い。よって風景を景観と同じように操作する対象として扱うことはできないであろう。


風景画の新しい意味 遠近法に関連して
 -藤縄千艸 兵庫教育大学学校教育学部


3.西洋の景観と日本の風景の相違(5項目)
※西洋について「景観」で日本について「風景」と言うのはなぜだろう? そのあたりに回答のヒントが隠されていそうだ。

a.人工と自然の区分
・西洋においては神が創造した人間は自然からは切り離された特別な存在である。自然は人間にとって征服すべきものであるが、その考えは逆に人間が保護する立場をも表すものである。保護すべき景観は手付かずの状態を保持するために保護されるが、都市は人間の英知をもって開発されるものであり、区別される。
・日本では人工と自然の境界はあいまいである。人の造る庭は自然の風景を模して造られ、家はまるで自然のなかに"できてしまった"かのように現れる。そのため自然の中に建築物を置く行為に善悪の区分は適用されず、絶対的な秩序は存在しないと言える。そのため風景の中に人工物が存在することに不自然さは無い。

b.中心性と奥性
・西洋の街には中心が存在する。中心にはシンボルが建てられ、そこから街が広がって境界線である壁面で終わる。都市はその多くの場所からみて中心は明快で、すなわちそれは宗教のような心の拠り所、または権力構造と一体となった景観である。
・日本では神性は相対的である。神の宿るところは人のいる地から"奥"の場所にあり、そこは決して踏み込めない場所ではない。神聖な場所とそうでない場所は明確に区分されずあいまいで、奥を見通すことは不可能である。自分のいる地点から奥にかけて不確かな道をたどっていくにつれて風景は変化し、その過程において地面から受ける筋感覚も含めた経験が一つまとまりのあるシーケンシャルな景観体験となっている。

c.永遠性と刹那性
西洋の景観を成すものは、自然も人工物も含めて永続性のあるものと考えられ、それが理想とされる。壊れたところは元の状態に修復され、永続性を管理される。
日本の風景は時間や季節により移ろうのが自然なこととされる。散り行く桜のようにその移ろいが美の一つのパターンとなっている。

d.直進性と後戻り
日本人は、現代的でない物や事を言う場合に「残っている」と言う表現をする。残っていると言う言葉の中には、それを慈しむ気持ちと同時に後進的であるというネガティブなニュアンスをも含んでいる。であれば、世の中の流れは直線的に発展する方向へ進むと言う合意があるのであって、決して後戻りはしないのである。
西洋では必要とあれば後戻りさせると言う発想もある。新しく作られる都市においてローマ時代の様式を模して用いたり、新型の自動車デザインに50年前のデザイン要素を取り入れる事も自然に行われる。これらは自らの出自を常に確認しながら生きると言う価値観、歴史観から来るものであろうか。

e.心理的と物理的区分け
日本においては、遠くの山などの自然を借景とし家の庭とそして室内にある物全てを視界の中に収めて区切り無く風景として見ることもあれば、特定のパターンに合った風景の要素を頭に中で切り出して鑑賞する。これは壁のような物理的区切りがあろうと無かろうと、鑑賞する個人の都合の良いように心理的な操作をしていると言うことである。つまり景色の中の見える物どうしの関係は鑑賞者に依存するのである。
それに対して西洋では物理的区切りの有る無しはそのまま空間の繋がりの関係を表すものである。



4.どのように景観をデザインするか。(具体例)

景観は人間をとりまく環境のながめであり人間の主観に基づくものであるから、景観を形成するにはそこに居る、または訪れる人間のコンセンサスが、どの場所のどの景観においても必要となる。

例えば、川越でのように往時の面影を残す街並みではそこに暮らす住民においても行政においてもコンセンサスは得やすい。しかし新たに築かれた郊外の街では自然等にその種を求めるなどの必要があるために調査が必要であろう。さらに埋立地のような目だった特長の無い場所においては元になる目標物を見つけることは難しいが、これは時間をかけて特徴を造っていこうと言う住民の意思をもって待つしかないのかも知れない。

景観デザインで重要なのは形状の操作でなく、それが人にどう言う印象を与えるかと言うことである。前述の川越の場合には蔵造り建物が存在し、それがこの街特有の印象を形作る要素であった。これらのディテールをコードとして採取し、それを多くの建物に適用することで統一感ある街並みを造ることができた例である。

埼玉県川越市|まちなか再生事業

川越 ― 伝統を活かしたまちづくりと地域再生 -川越市教育委員会文化財保護課 加藤 忠正


5.都市の景観とそのデザインの方法

都市景観の特徴
・人々がいだく都市の理想像、歴史的蓄積、都市的活動の状態、地理的環境、権力者や事業者や生活者など多くの人々の矛盾する意図などが複合的に積み重なってできている。
・都市景観を形作る要素には人間の関与した造形物がほとんどである。
・都市空間は社会的意図によるマクロ的造形と人間の生活からくる意図によるミクロ的造形がモザイク状に並んでいる。例えば広い街路はその都市全体の産業基盤であるが、路地は生活基盤として作られる。また街路に面する部分の多くは商業等の産業用途に使われるが、路地に面する部分の多くは住宅となっている。
・都市では地表面からの遠景は望めず、視界と景観は主にその街路の建築物によって決められる。建築物の上部からは遠景の望めるが、同じ地点からであっても高さが違うだけで地表面からの景観とは全く異なる景観が出現すると言う、景観的には二重構造となっている。
・都市にはイメージとして良くないために居住の場からは取り除きたいと思われる場である風俗街や飲み屋街などの部分も含まれる。

都市景観のデザインの方法
現実的な都市景観のデザインの方法にはディテール~都市全体計画の各レベル毎に方法があるが、都市全体をマクロ的に改善していく方法はいろいろな理由により近代以降成功はしていない。
従って、ディテール側からデザインする方法がより現実的であろう。

a.イメージやコードを読んでデザインに活用する。
多くの人がその都市の特徴的なものとして上げる物を取り上げ、その要素に対して人々が抱く意味や相互関係を調査して骨格と位置付ける。また、既存の建築物や構造物のデザイン上の特徴的なディテールがあればそれをコードとして採用し新規建築物のデザイン要素として位置付ける。

b.上記の方法では都市がそこに活動する人の意図や生活様式を反映したものである事から、既存の都市の特徴を強化する方向でデザインする方法である。しかし、現代日本の都市は変化を旨とする意図も大きく、その方法では活力を失ったように感じられる可能性もあり、あまり過剰に行うとテーマパーク化してしまう可能性もある。であれば、都市の場合には既存のイメージに無いコンセンサスの得にくい少数意見を取り込んでみるような仕組みも考えたり、既に造られてしまった物を良くないものでも認めつつ更新していくべきではないだろうか。
(このあたりはテキストにも参考書にも無いと思う。)



6.道路の景観の特性とデザインの方法

道路景観の特徴
・歩行、自転車、二輪車、自動車とそこを動く方法とスピードが変化すると同じ道路の同じ場所であっても見える景観はさまざまに変化する。
・移動に伴うシーケンシャルな景観が見られる。
・目的地に対して移動することを考えると、現在位置の確認が可能であると言う機能も必要である。

道路景観のデザインの方法
・移動手段の違いによって見える景観が異なるため、それぞれに対応する景観デザインを考慮する。
・移動速度が速くなるほど近くの物は流れて見えるため、ディテールよりも遠くの物(ランドマーク等)の見え方や全体に統一された配色、統一的に配された植栽の形状が重要となる。走行する路面のすぐ横に間隔を空けずに樹木を多く植えたり電柱が多い場合にはうるさく感じられる。
・景観要素を統一しすぎては退屈に感じられるのと、どの場所に居るかが分かり辛いので適当に変化させる。
・移動速度が遅い場合には歩道のテクスチャや植栽の花、ストリートファニチャーのような細かな部分に視線が集まる。また、上方への視界はそれほど無く、水平から下が重点となる。


7.街並みの景観の特性と、生活の場としてのデザインの方法

生活の場としての街並み景観の特性
・他人に見せるための景観ではなく、住人のためのセミプライベートな景観である。
・その場所の景観は住人の街との付き合い方や近所付き合いの考えか方に依存している。例えばヨーロッパでのような家と街路の関係であれば住人は家の中央部側を向き街路には背を向けて生活しているが、伝統的な日本の住み方であれば街路に向いた住人どうしの繋がりができるために街路の街並みに関しても意味合いが異なるであろう。ただ、どちらにしても住人の生活とは遠いものではないと考えられる。

生活の場としての街並み景観のデザインの方法
・直接これをデザインしたり誘導する前に、この景観をどうしたいかと言うコンセンサスが必要であろう。
・生活の場であっても個人の土地と道路や公園などとして指定されている公共の土地に分割されており、街路は住民が直接手を出せるようにはなっていない。そう言う状態が長く続いた後の現在は住人はそこを手の届かない場所とあきらめてしまっているのではないか。管理責任区分としてそれは合理的であるとも言えるが、人間の生活は境界線で切断できるものではなく、親しい近所の住人と付き合いをする場所、生活の場所としての場が幹線道路などと同じではおかしいと考えられなくもない。であれば、ある程度放っておいて自分の家の前は自分で管理し快適化してもらう余地を残すべきではないだろうか。デザインをしないと言うデザインの方法である。ただし、そこを仮住まいと考えて関与しない人、街路を駐車場にしてしまう場合もある事には注意せなべならないだろう。


8.農山漁村の景観の特性と、生産の場としてのデザインの方法

農山漁村の景観の特性
・生産活動に直結した景観であり、生産の都合によってできた景観である。
・生産の都合によって作られた景観であるから、生産活動に変化があれば用意に変化してしまう。
・日本で田園のながめが風景として認識されたのは明治になってからの事である。それ以前は農山漁村はどこにでもある普通のもので、生産の現場でしかなかった。
・現在では日本人の原風景のような捉えられ方をしている景観である。

農山漁村の景観デザインの方法
・生産活動の方法や産業構造が変われば農山漁村の景観は変化せざるを得ない。もし景観価値のみで保全、保存してしまうとその景観の中に住んでいる住人の経済活動は停滞してしまう可能性があるからである。従って単純に景観保全の価値を論ずるだけでは保全はできないであろう。
・現在も、石油の価格が高騰し魚が獲れても赤字となったり、海外の安価な農産物や木材が輸入されることで農林漁業の生産が縮小しているために農山漁村の生産資源が放置され景観も破壊する傾向にある。これは生産システムが保護政策によって旧態依然非効率なままであったり、流通システムが非効率であるなど産業構造全体の問題が大きいと考えられる。
・農山漁村の景観をこれまで通り「残すもの」として静的に捉えるのでなく、産業構造や生産システムの変化によって緩やかに変化する景観と捉えなおすべきではないだろうか。「残すもの」と考えるのはそこで生産に従事している者ではなく、たまに見に行く外部の者達であろう。
・一般的な方法論としては、地域で入手できる材料を使い、地域の技術を生かして必要なものを造る事。


9.自然の景観の特性と、人間がどこまでデザインして良いかと言うこと

自然の景観の特性
・自然の景観は人が意図して造られたものではない。
・形がはっきりしたものばかりではなく、大きすぎて視点の定まらない森や海のような対象物もある。そのために目標物ではなく背景として見られる場合がある。
・自然の景観はその眺める位置によって大きく異なる。自然環境の内部に入ってみた場合の景観は取り込まれた感じを受けるが、そのすぐ外では全体のスケールの大きさを感じ、遠景では他の者の背景になったりテクスチャの変化を感じたりすることができる。
・季節によって変化する。

自然の景観を人間はどこまでデザインして良いか
・自然の景観を人間が良い状態で感じられる事と、自然が自然のままの良い状態であることが両立するかを考える必要がある。
・自然の良い状態とは、人間が見て美しいと感じる状態ではない可能性がある。冬の荒れた海のような厳しさや冷たさ残酷さ、砂漠の人間にとって過酷である状態も含むと考えるべきであろう。つまり、これらを人間にとって景観となるからと言って人間に快適な景観に変更して良いわけではない。自分たちが壊したり汚した部分を元に戻す以上に自然そのものに手を加える必要はないのではないか。
・しかし、自然を景観の資源として見るならば、自然それ自体に直接手を加えなくても操作は可能である。遠くから見える部分について、近くにある人工物や植栽樹木との対比や秩序に気を配ることで良い景観は実現可能だからである。



10.歩いて観る景観と車窓(自動車、列車、飛行機)からの風景の違いとは

歩くほど速度が遅い場合には路面や建物のテクスチャやディテールが良く見える。その為、歩行者からの景観は個別のシーン景観となり易い。

速度が速くなればそうした細かい物は流れて見えなくなり、次第に遠景の大きなものが目立ち始めたり建物をマスとして捉えるようになってくる。また多くのものを短時間で視線に入れ、その経験が重なることでシーケンシャルな景観として印象付けられたり、積分されて街や地域の全体景観として記憶される。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

設題回答ほぼいい感じですが、建築計画学Ⅱの第7設問で、貴重な美術品や展示品の品質管理、安全管理に関する閉鎖性と、展示に関する公開性の相反する要素をどういった方法で両立させるかといったことが主な採点基準になってるようなのでそこに触れるといいと思います。まあ文字数多めに教科書の内容ちょこっとアレンジして書いとけばたいがいAとれますが。

orang-u さんのコメント...

ありがとうございます。
黒い人さんはなぜ採点基準をご存知なのですか?

匿名 さんのコメント...

語弊がありましたが、はっきりと採点基準であると明言したものではありません。そういう点ついて調べると良いかもしれないと担当から回答があったものですから。

orang-u さんのコメント...

そうでしたか。本当にありがとうございます。助かります。