2009/07/31

共に生きること


熱帯の気候の中では木はとても良く育つ。
何しろ高層ビルの立ち並ぶこの大都会にあってさへも、この木々のパワーは圧倒的なのである。
時に木は人の行く手をふさぎ、足元を不安なものにもしてしまう。可憐な美しい花を咲かすこの細いプルメリアの街路樹が路上に敷き詰められたブロックをいつの間にか持ち上げて存在感を誇示するのである。


我々人間は自ら植えた街路樹の機能をどう想定していたのだったろう?
自ら植えたこの街路樹ならずとも自然と言う存在は果たして我々人間と共存可能なものなのだろうか。建築においてはそれは現代における課題であり、我らはその事について多くを議論している。多くは単に「共存」「共生」と言う言葉の中にそれを閉じ込めた状態で終わっている。建築物の周囲や内部に自然から拝借したオブジェクトを単に置いておくだけでお茶を濁す、と言ったら言い過ぎだろうか。


例えば、江ノ島の海岸にトンビが多く飛んでいる。彼らは我々が砂浜に広げた弁当に狙いを定めて下降し獲物を得ては飛び去っていく。この事を我々は解決すべき事象と捉える。ならば海岸に何らかの屋根を取り付けつつ視界を邪魔せず安全に海をながめる事のできる施設を建築としての解決策とするだろう。さて、それは果たして何をしたことになるのか。それは建築的な解決か、共生か、共存か。

共存や共生はキレイ事ではないな、とこの木々を見て思う事はないだろうか。自らの植えた樹木や花でさへこれなのだから、本当の自然との共存、共生は甘くはないだろう。だからと言って排除が解決とはならない事は歴史が証明している。つまり自然と喧嘩しつつも共に生きる事を考えねばならないのだろう。いつでも自らに都合の良いだけの牧歌的な解決策などおかしいと思うべきだと考える。



写真の建物はHotel Novotel Kuala Lumpur City Centreの先端部。この建物は鋭角三角形である。

0 件のコメント: