2008/07/31

AutoCADのモデルをGoogleEarthへ

建築対象となる場所の状況を見るのにGoogle Earthを使うが、そこに自分の作った建築物を置くにはどうしたら良いか?通常は同じGoogleで無料配布しているSketchUpでモデルを作るのが普通だと思う。これはとても簡単にできるから。

ただ、SketchUpの無料版を使うとkmzファイルへの出力に限定されてしまう為、そこから図面を起こせない。そうなると別途CADで描く必要があって、二度手間になってしまう。しかも、一度作ったkmzファイルを再編集することもできないから、今日半分描いて後は明日と言うこともできない。これは困ったものだ。


そこで、AutoCADで作成した3DモデルをGoogleEarth上に表示する方法を使うと良いようだ。

Google Earth Extension for AutoCAD -Autodesl Labs

1.ここから"Google Earth Extension for AutoCAD"をダウンロード。
2.zipファイルなので解凍する。
3.setup.exeを管理者でクリックしてインストール。

ここからは管理者でなくて一般ユーザーでの仕事。
4.AutoCADを開く。
5.コマンド"CUILOAD"とタイプしてEnter。
6."Browse"ボタンをクリックして、インストールされた"GoogleEarth.cui"ファイルを選んでLOADする。

これが終わるとアイコンが4つある新しいツールバーが出現。
図面を表示した状態で一番右の地球儀のアイコンをクリックするとkmzファイルが作成される。
途中で緯度経度を入力するところがあるので記入。

できたkmzファイルをGoogleEarth上にドラッグすると表示される。(下図)



これがCADⅡの課題で作ったものをどこかの田圃の真ん中に置いてみたもの。
緯度経度の設定がうまくいかなかったらしく、いいかげんな場所に表示されてしまった。
図面では地面も作ったので地面の切れ端も表示されている。kmzファイルにする前に地面はフリーズしておくべきだろう。色も少し変だ。

9月試験の申込み

昨日、9月の試験の申込み書を送付。

9月6日 東京サテライト
2限目 建築計画学Ⅱ
3限目 景観デザイン論

2008/07/28

「結論はまた来週」

駅でR25を貰って時々読むが、今回(2008 7.24 No.201)の最後のページの「結論はまた来週(高橋秀実(たかはしひでみね)」は面白かった。そして興味深いものだった。


サブタイトルは「蟹工船はつまらない」と言う題名でが書かれた文章で、その中の一節に以下のようなところがある。(そのまま書き写した文章ではない。)

現在は「勝ち組vs負け組」のように社会を分かりやすく図式化して考える風潮があって、いかにも勝ち組と負け組の「闘い」のようだけれども、闘うつもりなんて無い。なぜなら、その図式にハマると人は図式をなぞりたくなるものだから。蟹工船の登場人物達のように資本家と労働者の図式の中で自分を労働者階級だと認識すると、資本家を倒すことより、自分が労働者階級であることを維持したくなる。負け組も同じで自分が負け組を確認したがるのである。階級さを実感したくて負けるようなものなのだ。


高橋氏は蟹工船を読み返してそう書いているのであるが、これは建築もそうなり兼ねないのではないかと思う。建築の世界には社会の中の問題を建築でどうにかしようと言う考えは当然のようにあって、建築を志す人間ならその解決策を自分なりに考える。格差、孤独死、コミュニケーション、家族、環境、教育などいろいろの問題について、建築の人間も建築とは無関係な生き方をしている人々と同じようにマスコミを通して知るのであり、その解釈等についてはそれほど変わることは無いのでその方向性について考える事も特に変わる事はないだろう。

ただし、もしそれに向けて建築で解決策なりその一部を提案する事になれば、その解決策はその問題を確かに"固定化"してしまう事になるのではないか。


例えば、老人医療や介護の問題において、法制度を整備してそれに向かって急激にその為の施設を充実させたが、逆にその問題を固定化させてしまったとは言えないだろうか。介護を必要とする人が一定割合居て、それを解決するには決った手続きをしてスケジューリングされ、ある基準を満たす"施設"を使うというエコシステムが発生している。

これは世の中に老人問題と言うものがあって、その為には保険料を徴収してそのお金で誰かを雇って施設も作ってと言う当然のような事であるが、そもそも本当にその問題はそう言う問題だったのだろうか。

これまで核家族化が進んできてしまったが、その核家族も歳をとれば身体が衰えたりどこか不自由になったりする人も出てくる。そうなれば孤独に一人でどうにかするしかないが周りに誰も頼る人がいない。もしそう考えるならこれは人が歳をとって介護が必要と言うだけの問題ではなくて、問題はもっと広い社会の在り方の問題と見えなくもない。また、賃金が減少してしまって主婦も働く必要が出てきたために親の面倒を見る時間が取れないのであればそれは雇用や経済動向の問題と見えなくも無い。


建築と言う作業には、注意していないと、分かりやすい図式と解決策をなぞって固定化させてしまう危険があるのではないだろうか。

この春のレモン展にも介護施設を扱ったものがあった。それはより良い介護施設のような志のあるものだったけれども、それはやはり簡単な図式の中での捉え方しかしてなかったのだと思う。それが"より良い"なら良いほど悪い部分を固定化してしまうだろう。こうした捉え方は無関心から来るものか、建築と言う「クライアントが居てその要件に従って造り仕事はそこまで」となる作業の宿命なのか。

2008/07/27

ゼミ2回目



テーマに変更なし。

試験があって準備があまり進んでいなかったし、以前の卒研の資料を見てピンとくるものが無かったのでCADで造形の概念を示してみた。現存する何ものも壊さずにそのまま包み込むイメージである。

みんなそれぞれ悩んでいる様子が伝わってきた。
他人のテーマへの取り組みを聞かせてもらうのはなかなか勉強になる。

その後の親睦回で去年と3年前に卒業された先輩のお話を聞くことができてよかった。実体験話には臨場感がある。

2008/07/26

建築施工学の試験終了

今日の問題は
2.落下防止
8.4種類の溶接の概要と長所短所

どちらも表に分類し、説明を添えた略図を描いた。
どうにかなったと思う。

2008/07/25

景観デザイン論のレポート返る

景観デザイン論のレポートが早くも返ってきた。
結果は「A」だった。

多少、文章が情緒的になってしまった部分もあったが、建築学上の景観に関する用語も取り入れて書いた部分をきちんと読んでいただいたようで、赤で下線や囲みが入っていた。丁寧に読んでいただいたことに感謝したい。

この課目は選択で、しかもM先生なのでとった人は少ないだろうか。
レポート作成は楽しい課目だったと思う。
早く返却してくれた事にも感謝。これで9月の試験は最後の2科目を受験できることになった。



追加
「景観デザイン」と言う方法について。
「景観」を「デザインする」と言う方法に関して、ずいぶんと考えた。

建築物をデザインするのは、元々自分の自由になる物体をデザインするものなので、ある意味何とでもできる。(周辺とのつながりについての問題はあるとしても。) だが景観については、そのほとんどが他人が考えてデザインした(多分したのだろう)物で埋まっていて、動かせる部分は極度に少ない。その場所との関係を拒否した物、考えずに置いただけの物ばかりであると言ったほうが良いかもしれない。故に「日本の街並みは....」と言われるのであるが、それを景観の観点から一掃してしまうわけにはいかない。

それで、発想を改め、これらを全て「ありのままに認める」ところから考えてみた。そして、最小限の労力で何らかの目標に到達する事だけを目指してやってみた。見せたくない物は、取り除く事はできないので「目立たせない」。見せたい物はその逆に目立たせる。その為に良い方向だけに「視線を絞る」ことにした。

景観デザイン論


日本の街の景観はどこでも酷い。
だが、考えようによってはそれは景観以外の何か複雑な事情から造られたものであり、そこに人間の何らかの意図と言うものはあるだろう。

建築と言う方法はどこか何時も理想論的で、そうした多くの事情よりも建築の意図を優先して語る事が多い。だが、建築の意図はそ例外の意図と比べて優先できるほどのものなのか、それは多くの場合わからない。

ならば、最小限の理想論をもって別の事情や意図と共存するやり方を模索すべきなのかも知れない。別の考え方をも包含するものになるべきではないだろうか。それが理想と相反するものであろうとも。

2008/07/23

建築施工学

1.工程表(横線工程表とネットワーク工程表)
省略



2.建設現場における落下事故防止のための仮設工事
・朝顔養生
・金網養生
・シート養生
・防網
・手摺と囲い
その他

金網とシートは実際に行う場合の用途が重なるようだ。

墜落、飛来落下の防止 建築施工技術マニュアル TOKEN



3.粘性土質における地盤改良工法
レポート課題の内容と重なるので省略

地盤改良 -建築施工技術マニュアル TOKEN
重点用語解説 -三協安全株式会社


4.地業工事における「ベノト工法」と「アースドリル工法」および「スライム処理」

工法に関して
工法一覧 -ジャパンパイル株式会社
工法の説明 -(社)日本基礎建設協会

スライム処理に関して
掘削方法 -産業調査会



5.コンクリート打設時に発生する鉄筋コンクリートの欠陥と防止策

参考資料
「最新建築構造入門」青木博文 実教出版(建築構造学のテキスト)
コンクリート -Wikipedia
特集 コンクリートの欠陥を見抜く -有限会社タフ技研 (1~4回)
コンクリート構造物の初期欠陥について(延命への一歩) -(財)山口県建築技術センター



6.山留め支保工事における「逆打ち工法」

逆打ち工法 -三井住友建設 技術情報
工期短縮を図る新しい地下構築工法を実工事へ適用 -鹿島



7.溶接と高力ボルトの併用制限
原則
例外
法令等

よくあるご質問Q&A 高力ボルト(設計編) -帝国製鋲株式会社


※土木と建築では順序が反対
高力ボルトと溶接の後先 -MSN相談箱

土木施工お勝手情報



8.溶接
・突き合わせ溶接
・隅肉溶接
・部分熔け込み溶接
・スロット溶接 -溶接用語

溶接継手の種類とその特徴を教えてください。 -JWES



9.鉄筋コンクリート造における外断熱と内断熱における防水の比較

修繕・改修のQ&A -万書運再生協議会
防水豆知識 -中央建材工業株式会社



10.現場監督の立場における産業廃棄物低減の方策

2008/07/22

CADⅢの成績到着

CADⅢの成績が到着した。
「A」だった。
スクーリングが終わってからずいぶんと長い時間がかかっての到着。
もう忘れていたほど。

あの時にはその先生に卒研でお世話になるとは思っていなかったが。

2008/07/21

「集合住宅デモクラシー」

7月12日の朝日新聞のopinionに「集合住宅デモクラシー」の著者、竹井隆人氏(政治学者)が書いていた。

建築のテーマにおいての「コミュニティー」は、単にコミュニケーションが"可能な場"で終わったり、その中身を問うところまでは行かないものがほとんどだと思う。この記事は建築に対するものではないが、その中身をどう見るかと言う意味では重要であろう。

新聞コラム要約
「コミュニティー」と言う言葉は「仲良し社会」のように用いられていて、それに疑念を挟む人はいないが、この仲良しが強化されるほど異論者をKY として粛清することになる。そうなると人は主体性を失い、同じコミュニティ内の他社を分身と見なすような限定的な社会構造しか作れなくなる。

哲学が古来よりずっと命題としているのは社会(構造)に対する主体性ある自己の実現で、それを解く鍵は「社会をつくる自由」にある。それは他者が自らと異なる存在であることを前提とした社会構成原理を奉ずるものだからだ。

そのためには人々が社会に対する順応を放棄し、KYとならざると得ない状況を作り出す必要がある。著者が提案するのは集合住宅における管理組合と言う「私的政府」でそう言った私的政府に地方自治体から権限委譲するのが良い。この限定的な直接民主制は人民主権のモデルとなるものになるであろう。



「集合住宅デモクラシー」について
ついでに、この本が図書館にあったので読んで見た。
(以下、要約ではないことに注意。)

「コミュニティ」と言うとき、建築では個人の相互交流のような意味でこれを使う。擬似家族的で情念的な交流を意味するものであろう。つまりその言葉の中に、その交流の持続やそれによる人間どうしの関係その他の問題の解決にとって何らかの解答を示してはいないだろう。

確かに建築の形や機能としてはその方向を指し示していると言えないことはないが、それは単にそう言う使い方も"可能"と言うに過ぎないのではないか。

相互交流は個人の選択にゆだねられたままであり、人の入れ替えが激しい中でそれが持続可能であると保障できるか。仮に持続可能であったならばその建築の開発利益を社会として抑制してしまうがそれは許容できるのか。コミュニティの持続を願う上で個人の権利を制限することになる事を可とするか。このような問題に建築には解答が無いままではないのか。

「コミュニティ」と言う言葉に対して理想主義的、楽天的態度ではなかったか。


ラドバーン方式の敷地計画と、先日調べた山本理顕の保田窪団地の構成は良く似ている。
成り立ちは異なるが、住民がどちらを向いて生活しているか、この一角がコミュニティを構成すると考えられる形状をしている点においてとても似ている。

そう思う事に、警戒感を覚えるべきなのだろうと考える。
(簡単に言うと、反省した。)

なぜなら、日本の建築的理解はその形と機能により多くの関心を向けていて、そのやり方で理解しようとしてしまうからだ。ラドバーンのような方法はそこに人間の住むための住区を作る方法論(つまり機能)として理解されている。建築計画の教科書を読んでもそのようなニュアンスで書かれている。

だが、そこにある住民の意思決定システム、社会システム、政治システムとしてのソフト面の機能は解釈されていない。なぜそこに集まって住区を作ることが快適なやり方なのかと言う根本についての理解はなされていないのだ。つまりこれは集合住宅と言うシステム全体を何も理解していないと言うことに繋がる。

日本における集合住宅と言うシステムは高密度に住むという都市の要請、投資者への開発利益の還元のような経済のシステムの中にある。ハワードの田園都市のように開発利益をサービスや施設のために用いることで持続可能な住み方を提案しているのとは根本が違うのだ。

マンションは共有施設を充実していると広告されるが実際の利用はほとんど無く、プライバシーの確保や匿名性の確保の方が実は商品性を高めている事実。そこにコミュニティは無いだろう。私化は進んでも、自立性ある住まい方、自立性ある相互関係は築かれることはないだろう。

つまり建築的には"可能"かも知れないが、それは単に"可能"なだけで何らの影響も与えていない可能性が高いだろう。



「集合住宅デモクラシー」この内容は建築にとって、見たくないものから目を逸らしたままであったと気付かせてくれると言う意味で、相当にショックなものであるはずだ。

非理想主義的に

卒研ゼミのブログに書いたものの転記。
内容は卒研のテーマについて。こんな記事にコメント入るんだろうか?




設計でお世話意なったS先生には理屈っぽいと言われながら、それ以外の方法が見つからないので、と開き直っています。Mさんのところで近代建築に関するお話も出てきていることですし、ここはちょっとお付き合いください。

現代の建築は往年の巨匠たちが考えていたような理想主義的なやりかたはもうできないだろうと言うことになってきているようですが、人が建築をする以上やはりどこかに理想主義的な考えが入り込むものかも知れません。それは多分建築のと言うより人間の性質から来るものでしょうか。人間は何故か自分の立てない場所に視点を置いて見ることが出来てしまう動物なのですから。

「あそこをこうしたら良いだろう」とどうしても思ってしまいますし、建築の方法論を勉強する上では全ての空間、領域に意図の無い偶然の産物を残す事は罪悪とされています。

今回はそれに対して、「わざわざ何もしない部分を大量に残しちゃえ」と言うコンセプトを立てたいと思っています。

近代建築の巨匠は「自由」を強調していまいしたが、その自由が何故か今は「管理」の入れ物に使われてしまっているようなところもあって、当初の(と言ってももう近代ではないですが)目的からちょっと外れるなあ、と思っています。

私の田舎者の母も花は植えてもその下草は全部雑草扱いで抜いてしまって、花は大変よく咲くのですが土埃がすごくて思いの外楽しめません。私は雑草の間からコオロギが顔を出す程度が好きなので、建築でもできるだけ自由気ままに雑草が生えるのが良いように思います。その雑草が美しく花を咲かせなくても、それはそれで健全な証拠かも知れません。



NYのハーレムのように今まではそこは問題の場所で、壊されるときになってやっと「文化」と言うようなのはどんなものでしょう? 建築はそれを壊すために使われるわけですが、その前に何かしておくのも建築の役目では? 現実を認めてそこがそうであるために何かすると言う態度は取れなかったのでしょうか。デベロッパがお金を投じないとそこに建築が発生しないのだとしたら、いったい建築に何ができるのでしょう???

どうやって形にしていこうかな、と考えているところです。