2011/10/26

KL、コラージュの風景


KLの街はコラージュされているように見える。人々はマレーシアも先進国と同じような発展をすると信じているけれども、
それと同じ位に別のものも信じている。それが特に矛盾してはいない。


高層コンドミニアムのすぐ横にはヒンドゥー寺院が規模の大きなものへと改修される。そこで願われる事は昔と変わっているだろうか?


新しい建物が歴史の中の建物の金屏風となって目に入る。これは矛盾か、それとも調和なのか?


思わぬところから思わぬ形が顔を出す。突然宇宙から飛んできたUFOか、それとも街ごとタイムスリップしてしまったのか?



プレーンと色の洪水、構造とデコレーション、合理と信条。

近代的造形の鉄道駅の下にゴウゴウと音をたてて流れるクラン川。この川がこの街を作ったと言っても良い歴史ある川。歴史は積み重なり塗り重ねられ....

2011/09/11

騒音防止

KL西部、Subang地区に新たにLRT(鉄道)が通ることになった。 そこでその騒音対策シールドの案が住民に示されたと新聞に出ていた。いずれも軽量鉄骨で造られるとのこと。日本だとこうした物に最初からデザインをと言う発想はしない。 単に騒音問題として論じられるだけ。(日本だったら誰にたずねる事もなくOption4だろう。) マレーシアでは一応それはするらしい。

2011/09/01

PJ

KL西部の Petaling Jaya (ペタリンジャヤ)地区の2つのタワービルです。 とても興味深いと言うわけではありませんが目立つものを紹介するだけです。


これはMenara PKNS と言うビル。
流行のガラス張りですが、ミラーガラスの反射で不思議な効果を得ています。どれが実態のあるビルでどれが空かよくわかりません。
近寄って見てもさらにゴースト。
次はPJのシンボル Menara MBPJ です。

近付いて見るとこうなります。
タワーの周囲は水の溜まっていない堀のようになっていてその根元の部分で周囲の街とは区切られています。そのため通常は堀の幅以内へ近付いては見られないので根元にある街からでもタワーはタワーとして認識できます。
根元の部分の造形処理とトップ部分のそれが違うことがわかります。根元は綺麗にまとめられた柱がトップの角部では未処理な感じで残してあるようです。

堀の部分は車回しになっているのと同時に堀の外壁にあたる部分にも事務所が設けられていて機能的です。街からタワーへは地上階と繋がる歩道橋が2本渡されています。お役所らしいのでそうしたコントロールも必要な機能なのでしょう。


最後は大学の建物です。
トップの部分の造形にどう言った意図があるのかはわかりませんが、台湾やマレーシアの最近のビルでよく見る形ではあります。流行なのだと思います。

2011/08/28

Istana Satu in KL

今回もマレーシア伝統建築シリーズの追加となります。
KL国立博物館に復元されたトレンガヌの王宮、イスタナ・サトゥのアルバム。
(下の写真をクリックするとアルバムページに飛びます。)


1108 Istana Satu KL


王宮と言っても日本人が考えるような壮大なものではなく、どちらかと言うと良質の伝統家屋と言った雰囲気のもの。それはこの建物に限らず以前訪問したやはり博物館に保存されているスレンバン王宮も同様。

アルバムには多少細部の写真も入れているので想像していたものとは違う発見があると思います。

2011/08/07

スバンジャヤ

マレーシアで現在建てられている建物の記録として載せておくことにします。
これは建売住宅。マレーシアにはマレー、中華、インドの3民族が住んでいますが、それとは全く関係なく住居は"モダン"に集約されつつあります。そのスピードは日本以上ではないでしょうか。
こちらは上の画像の拡大。

これはエンパイヤと言う商業ビル。中にはホテルもあります。見た目はこう言う形ですが中身は至って普通。中央の細長い吹き抜けを商用スペースが囲むものです。外観が一番インパクトがありますので看板として建てられていると思われます。

2011/08/06

帰郷する家のイメージ

8月1日からラマダンが始まるとマレーシアはその後に続くハリラヤへ向かって一直線のようだ。

近年は商工業の発展にともない故郷の家族と離れて都市部で進学したり就職している人が多いらしい。そのためハリラヤ休暇には故郷で家族や友人と会って話をするのが一般的な過ごし方となっている。さて、その故郷の家のイメージはどのようなものだろうか。

上は大都会KLの中心、KLCCに展示された田舎の家の模型。外向きに作られた露台とその奥の住居部分の関係が以前にアローガジャで見た家と同じになっているようだ。またシャレた窓の造りも特徴だろう。ジャワの住居もこのような窓になっていた事を思い出す。
こちらはタイムズ・スクエアにあるカメラのニコン・センターに置かれていたジオラマ。この周囲をサンプルのカメラがぐるりと取り囲んでいて試しに撮影できるようになっている。これは多少時代がかっているけれどもマレーの原風景のようなものかと思われる。
これは新聞広告の絵。住居の周囲に屋根だけの建物がいくつもある。
これはミツビシ・パジェロの広告。屋根の端がちょっと吊り上っていてミナン風を意識している絵なのかもしれない。

こうして見ると、自分たちが住む家は都会的なコンクリートの家を選ぶけれども故郷はいつまでも懐かしいままでいて欲しいと感じているのかと想像する。もちろんこれは日本人でも同じなのだろう。

2011/07/28

「東京建築さんぽ」 を読んで

2つ前の記事にある「東京建築さんぽ」(松田力著)を読んで見た。

通常であれば個々の建築物に関してああだ、こうだと言うものだけれども、こうして本になってかなりまとまった数を一堂に集めて見ていると個々に見ているのとはまた違った思いが浮かんでくる。


その中で一番思う事は、日本の近代建築は「学び」から出来上がっているのだと言うこと。

「東京建築さんぽ」の中に登場する近代のほとんど全ての建物は元々日本には全く存在しなかった形、構造、意匠、材料から造られている事がわかる。悪い言い方をすれば当時先を行っていた西洋の真似と解釈の産物だ。中身を立派な物に見せるための方法論、先進的に見せるための形、歴史あるものと見せるための意匠。それらは全てどこからか学んできて使うのでなければそう簡単に独自には作れるものではないし、そしてこれだけ多くの建築家が似たようにデザインできるものではないだろう。

先人は近代建築と言うものを学び、それを東京に吐き出したのだ。

ある者は「建築とはこうだ」=「建築は西洋の意匠を身にまとうべき」と学んだだろう。ある者は西洋の構造を学びその方法論で日本の意匠を再構成しようとしているように見える。いずれにしても真面目に何かを学んだ形跡の集大成が東京のように感じられる。


皮肉な言い方をしてしまえば、西洋の方法論を学んで日本の方法論から自由になったけれども、逆に別の狭い不自由に閉じこもってしまったと見えなくもない。もちろんそこから羽ばたいた巨匠達はいるにしても、多くは「学び」の罠にはまってしまっている。どうしてもそう見えて仕方がない。


さらに逆の解釈をすれば、まずは誰でも(どんな巨匠であっても)「学び」そして「真似」以外からそこに足を踏み入れる事はほぼ100%不可能と言うことでもあるだろう。



と、言うわけで「東京建築さんぽ」、著者の思いと全く別の読み方をするのも面白い。
もう1つ言えば、著者松田先生は愛知産業大学のスクーリング担当で年に数回程度学生に東京を散歩させる事になっているからそれに参加してみるともっと面白いと思う。

2011/07/03

先進の取組みと人の住み方

環境分野に先進的に取り組む9社と藤沢市がFujisawaサスティナブル・スマートタウン構想を発表 -Panasonic ニュースリリース

上のような取組みが本格的に始まる。

スマート・シティへの関心は高かったけれども日本ではなかなか大規模にそれを行うことはし難いと考えていた。が、ここへ来て大規模な工場跡地と言うオプションが与えられることによってそれがやっと現実味を帯びてきたようだ。この動きには誰でも多少以上の期待を寄せるものだろう。


さて、そんな当たり前のことは置いておいて、このニュースが各ニュースサイトで取り上げられているのだが、それを一目見ただけでがっかりさせられる部分がある。それは(ここに掲載しないが)完成イメージの画像だ。

予めロータリー状に通路を設定した残りの部分に芝生が敷いてあり、その上に屋根にソーラーパネルを乗せたほとんど似た形状の一戸建て住宅が配置されている。ソーラーパネルが乗っている以外は郊外の普通の新興住宅地に見える。

ソーラーパネルを別とすれば、残念ながらこうした光景はこのマレーシアにもほとんど同じものが見られる。マレーシアにはマレー系、中華系、インド系の3種類の別々の文化を持つ民族が暮らしているにもかかわらず、住宅開発は一様である。最近多くニュースで伝えられるのは中国の都市開発の構想図であるが、これも同じ。国家権力が強いので何も考慮せず道をまっすぐに引くことが可能であるし国民に対して"この家に住め"とも言える。

さて、日本でもこの時代になってまだそれが通用している。多くの人はこれに対して何の疑問も抱かない。スマート・シティ!すごいね、便利になって値段が折り合えば住みたい、で終わりだろうか?

供給する側も住宅を工業製品と捉えていて未だにこうした蜂の巣状に似たものを並べる発想しかできない。もちろん効率を無視するわけにはいかないが、同じものを並べるだけでしか効率の高さを実現できないのだろうか。そして各個人を統計上のどこかに属する1人としか認識できないのか、と疑問を感じるのである。


日本と言う国は格差が大きくなったと言われるが世界から見ればかなり均一である。そこに同じような大きさの同じような家を建てるとすれば似たような所得層の似たような家族構成の人が住むだろう。そんな事なら電力の使用量予測はこれまでのように各戸のメーターを毎月チェックすればかなり正確に予測は可能だろう。必要なサービスだってそれほど大きな違いがあるとは思えない。

最初から計画された街を作ってそこでスマート・タウン、それにどれほど大きな意味があると言うのだろうか? これを縦に積み重ねてビルにするならそれは森ビルなどがやっている事とそう変わらない。もっと変化と違いを追認しながら街造りをしていくべきではないのだろうか。

2011/06/01

書籍「東京建築さんぽ」 松田 力




東京建築さんぽマップ 松田 力 (著) -Amazon

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大学の先生の著書が発売されたとの情報をHさんからいただいたので掲載。
そしてリンクの"建築なアレコレ"にも情報がありました。
読んだ方、感想をいただければ幸いです。

2011/05/16

高床式マレー・ハウス in Alor Gajah

1105 Alor Gaja

クリックするとアルバムページに飛びます。67名あります。
解説はアルバムの写真に添付していますのでご覧ください。

マレー式高床住居については日本でも書籍でいくつか資料を探すことができます。ただ、これまで見てきて感じるのはその研究がそのまま全てに当てはまるとは言えない事です。

例えば、日本で人気のあるインドネシアのバリ島についての研究は生活やもちろん住居の様式についても進んでいますが実際のバリは1冊の本で網羅できるほど一様ではありませんでした。本に書かれていることはある村には適用できても隣の村では全く違うのです。昔は今のように通信も交通も便利ではありませんでしたので元は一緒でもすぐにその形も意味合いも分岐してしまうのかも知れません。

マレーも地域によって伝統などが完全に違う複数の人々によって構成されているそうです。このアルバムはほんのサワリに過ぎませんし本に書かれている事と矛盾するところもあると思います。そうした事はできれば指摘していただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

(学術的なお話だけをしようとしているわけではありませんよ。趣味ですから。)

2011/05/15

ビルの大屋根


KLからヌグリスンビラン方面へ高速道路を南下すると有名なマインズ・リゾート・シティ近くにこのビルがある。

多分集合住宅だと思われる建物だ。以前からここを通るたびに気になっていたので今回バスの窓から写真を撮ってみた。マレーシアではビルに屋根を付けるのはよく行われている。屋根と言っても普通は三角屋根で建物の壁面から大きくはみ出すほどのものではない。

屋根が作られるのは、推測であるが、作り慣れた屋根の方が陸屋根よりも防水が楽だからではないだろうか。陸屋根であると防水には防水塗料やアスファルト、防水シートなどそれだけで特別な工事と特別な材料が必要になる。それを屋根にしておけば普通の住宅と同じことをすれば良い。こうした工事は通常インドネシア人など外国人労働者が行うこと、マレーシアには台風も地震も無いことも屋根を使う理由になっていると思われる。

だが、この建物の屋根はその考えは当てはまらない。屋根の無い部分も残されているし、屋根はあまりにもデコレーションとして役目を担いすぎている。にも関わらず、下の住居部分はとても単純で白い四角い普通の建物だ。つまり、屋根が無ければタダのマンションか団地の建物に過ぎない。

まるで建物は安く合理的に造るのが当たり前、建物には屋根があって当たり前。その2つの当たり前を単純に2つ採用してしまっただけの考えなのかと思えてくる。なのに、当たり前と当たり前が接続されただけでこんなに当たり前でない外観になってしまう。不思議なセンスなのである。

2011/05/08

マレーシアの普通の不動産屋さんの広告



建築と言う意味からだとちょっと古い感じがしないでもないのですが、なぜか今まで日本では普通に実現しているような形でもないので写真に撮ってきました。KLCCの地下通路に貼ってある広告です。構造的には別に凝ったものではないでしょう。


マレーシアの場合、建築のデザインの上で日本と違うのは、建築に対しての制限をあまり感じていないらしいと言う事です。

一番感じるのが"南向き志向"の無さです。これは太陽が年中真上に近いところを通る事から来るものだと思いますがそれだけでかなり自由度が高いのです。高層集合住宅の北側も南側も同じように使えますし、土地の形が南北方向に長くても東西方向に長くて関係ありません。どちらに部屋が向いていても誰も損はしないし不公平でもないのです。ただ、日がよく当たるのが良いと言うのではありません。なぜなら日があたると暑いからです。住宅の窓が別の棟に向かい合っていて日が入らなくてもそれはそれで全くかまいません。

2番目は地震が無い事を前提にしているだろうと言う事です。マレーシアは大きな地震がありませんから建物の形状が東西南北でバランスが悪そうでもかまわないのだろうと思います。

3番目は平等じゃなくても良いと言う事があります。さまざまな経済レベルの人が住んでいますのでそれに合わせてさまざまな建物があります。他人と比べる必要なくお金持ちはお金持ちの建物に住みお金持ちのためのショッピングセンターで買い物をし、そうでない人にはそうでない人のための建物があります。要は誰にでも合うように設計、デザインする必要が無いと思われるのです。

簡単な例として駐車場です。お金のあまり無い人向けの集合住宅では駐車場が広くは必要ありませんが富裕層向けにはかならず1戸に1台以上の駐車スペースを確保しないとお話になりません。上の絵でもそうなっています。駐車場だけで1つのショッピングコンプレックスが入るほどの容積を使います。


他にもいろいろ違いはあると思いますが、どうでしょう、自分が何を自然と思っているか、と言うより思い過ぎているかを考えてみてはいかがかと思います。また、逆にそうしないとこうした東南アジアの建築物だけでなく、ヨーロッパなどの有名建築家の作品も正しく評価できないと言う事にはならないでしょうか。

2011/04/14

モバイル端末でAutoCAD

AutoCAD WSが無料で配布されています。

これはモバイル端末のiPhone/iPod touch/iPad/Android向けがあるそうです。閲覧だけでなく編集も可能とのこと。

私はタブレットなどを持っていないので試せませんがどの程度使えるのか試せる人は試してみてください。