環境分野に先進的に取り組む9社と藤沢市がFujisawaサスティナブル・スマートタウン構想を発表 -Panasonic ニュースリリース
上のような取組みが本格的に始まる。
スマート・シティへの関心は高かったけれども日本ではなかなか大規模にそれを行うことはし難いと考えていた。が、ここへ来て大規模な工場跡地と言うオプションが与えられることによってそれがやっと現実味を帯びてきたようだ。この動きには誰でも多少以上の期待を寄せるものだろう。
さて、そんな当たり前のことは置いておいて、このニュースが各ニュースサイトで取り上げられているのだが、それを一目見ただけでがっかりさせられる部分がある。それは(ここに掲載しないが)完成イメージの画像だ。
予めロータリー状に通路を設定した残りの部分に芝生が敷いてあり、その上に屋根にソーラーパネルを乗せたほとんど似た形状の一戸建て住宅が配置されている。ソーラーパネルが乗っている以外は郊外の普通の新興住宅地に見える。
ソーラーパネルを別とすれば、残念ながらこうした光景はこのマレーシアにもほとんど同じものが見られる。マレーシアにはマレー系、中華系、インド系の3種類の別々の文化を持つ民族が暮らしているにもかかわらず、住宅開発は一様である。最近多くニュースで伝えられるのは中国の都市開発の構想図であるが、これも同じ。国家権力が強いので何も考慮せず道をまっすぐに引くことが可能であるし国民に対して"この家に住め"とも言える。
さて、日本でもこの時代になってまだそれが通用している。多くの人はこれに対して何の疑問も抱かない。スマート・シティ!すごいね、便利になって値段が折り合えば住みたい、で終わりだろうか?
供給する側も住宅を工業製品と捉えていて未だにこうした蜂の巣状に似たものを並べる発想しかできない。もちろん効率を無視するわけにはいかないが、同じものを並べるだけでしか効率の高さを実現できないのだろうか。そして各個人を統計上のどこかに属する1人としか認識できないのか、と疑問を感じるのである。
日本と言う国は格差が大きくなったと言われるが世界から見ればかなり均一である。そこに同じような大きさの同じような家を建てるとすれば似たような所得層の似たような家族構成の人が住むだろう。そんな事なら電力の使用量予測はこれまでのように各戸のメーターを毎月チェックすればかなり正確に予測は可能だろう。必要なサービスだってそれほど大きな違いがあるとは思えない。
最初から計画された街を作ってそこでスマート・タウン、それにどれほど大きな意味があると言うのだろうか? これを縦に積み重ねてビルにするならそれは森ビルなどがやっている事とそう変わらない。もっと変化と違いを追認しながら街造りをしていくべきではないのだろうか。
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