今が旬でない、あまり注目されない建築を探訪してきた。
この高島平団地は噂通り巨大な敷地に巨大な集合住宅棟を数多く並べた団地だった。都営三田線の駅を3つも占有しているほど幅がある。それだけでもびっくりさせられる。
建物のいくつかはその地面に接する部分に商店やスーパーマーケットを備えていて、生活に必要な物を買うには不自由しない工夫が成されているようだった。団地が駅に直結していて、そこで買わなければ他に買うところが無いわけだから、当たり前と言えば当たり前なのだが。
ただ、駅に近い建物に大手百貨店系のスーパーがあるが、その他は八百屋さん床屋さん書店などの小規模な小売店が多かった。閉店してしまってテナント募集の貼り紙も多かったから居住人口が多いだけでは商売は成り立たないのかも知れない。
ちなみにその貼り紙によれば、店舗使用料金が月額12万円ほど保証金は6ヶ月となっていたから団地に住んでいる誰かに出店してもらうと言った、内部循環的な発想で店舗スペースが確保されているのではないらしい。あくまでも住民は消費者とみなされているのだと思われる。そのあたりはどこかの街の再開発地と似たようなもので驚くにはあたらない。
店舗スペースと同じような場所には保育所も用意されていてちゃんと稼動しているようだった。保育所はなぜかとても厳重に囲われていて少し違和感を感じざるを得なかった。なぜなら、保育所の周囲はもちろん広い団地の敷地であるから広い芝生の庭のような場所になっていたし、建物と建物の間は広いなんとか広場が必ずあるので保育所に預けられる子供たちはそこを利用しないのだろうか、と思ったからだ。
そのわけはこう言うたくさんの看板の群れを見ると納得できなくもない。この敷地にはこうやって見学のためだけに出入りするのも自由なのだから、たまにおかしな人間が入ってきて子供に危険が及ぶこともあるかもしれない。それならばと言うことで、ここに住む特定の人間のためだけにここを全て囲ってゲーテッド・シティにしてしまう事も考えられなくもないが、これだけの規模であると”特定の人間”と”不特定の人間”の区別は難しいだろう。やはり子供たちだけ囲いに入れる方が現実的と言うことだろうか。
そう思いながらここを歩いていると、棟ごとの大きなゴミ集積場が並んでいるのが目に入る。一つ一つがかなり大きくてそれだけでもここの規模を思い知らされるようだ。
そこでもう一つびっくりすることがある。それは、ゴミ箱のアルミ缶専用コンテナにアルミ缶が山ほど入ったまま放置されている事だ。北京オリンピックが過ぎたとは言え、アルミ缶がそのまま手付かずでこれほど見られる光景があるとは思いもよらなかった。
これがK市ならアルミ缶だけ集めて売ると言う商売をしている方々が多くいるのでアルミ缶が放置されているなど今時有り得ない。逆に言えば高島平団地にはその敷地の建物内に住んでいる人しかほとんど出入りしないと言うことだろう。そんな場所でも子供が保育所で囲われなければならないのは不思議である。同じ意味でこうした禁止看板が多いのも不思議だ。
団地には緑地がかなり多くて明るい印象であったが、その緑地はどうやら住民が自由に使える種類の緑地でもないらしい。これだけ人が多ければ家の前の地面に花を植える程度の道楽をする人間が少しはいそうに思うが、そうでもないらしい。ちなみに先のK市なら道路にはみ出るほどプランターを置いていたり、公園の禿げたところに勝手に花を植えていく人間はけっこういると思う。この写真には植木鉢があるが、昔に放棄されたものらしい。
少し見て回っただけなのだが、団地と言うのはこれだけの人間を集めてもそれを街とか村のようなものにはさせない力が働いている特別な場所のように思われた。人が多く集まっただけではそうしたものにはならないのだろうけれども、団地とは住むと言う機能を集積して特化したものと定義されるのだろうか。
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