JIA東海学生卒業設計コンクールの審査結果がクロネコ・メール便で送られて来た。
落選だ。
応募作品数は59点だったそうだ。
そのうち入選は10点。
10点中名古屋工大6点、三重大1点、豊田工業高校専門学校1点、名大2点。
残念ながらASUは入選無しだった。
今年度の人にはがんばっていただきたい。
以下の展示会に応募作品の全てが展示されるとのこと。
入選作品展示会
名古屋都市センター「まちづくり広場」大研修室
(名古屋市中区金山 金山南ビル11階)
この通知が来たので早速模型は解体してゴミ袋に収まった。
新ブログ「もんく+a : reloaded」へ移行し、建築仲間Team OBASUの活動記録を投稿します。
リンクは右の欄のリストにあります。
(2021年~)
アイデア等全てのコンテンツの引用やコピーはご自由に。
コンテンツ概要
2009~2013年:建築物と建築についての雑記です。
2007~2009年:大学の課題に関するノートです。
2009/04/23
2009/04/05
道具の話 その2
道具でもう1つ書き忘れていたものがあったので追記。
15.ブログとインターネット
まず、このブログ。
文章に書くと言うのは思考の断片を整理して一方向に収束させる作用がある。それはブログも同じ。ただ、他人に見られるのを意識して書くのだからメモ程度の内容であってもある程度まとまり感のあるところまで持っていく必要はあると思う。(勝手に思っているだけだが。) それはすなわちレポートのような物を”まとめる”と言う時には頭の整理として有効だったと思われる。
その手前の発想の段階では紙に絵を描くようなメモになっていたり、マインドマップのような発散したものを描いている。できればそうしたメモが残せるブログがあれば良いのだが。しかしまあ、まとめると言う行為も必要だったから今の形のブログは役立ったと感じている。
しかし、残念に思うこともある。
その昔、インターネットで便利なことは?と聞くと、ほとんどの人が (つまり仕事で最初に使わざるを得なくなったオヤジ世代。つまり私と同世代も入る。) 調べ物に便利だと言っていた。その名残は今でも残っていてたぶん多くの人は今もその用途で使っているのだろうと思う。
できれば、ここに書いたものについて批判的、または批評的な意見が寄せられると嬉しかった。たまに意見やヒントをいただけたが、数は圧倒的に少なかった。こちらの気分を害することを気遣っての沈黙だと思われるし、コメントを入れるか入れないかはその人の判断に委ねていること、そして入れていただけたらラッキーな位のことなので贅沢は言えないとも思っている。
しかし、これから同じ様に勉強する人達にはもっと意見交換の機会が必要ではないかと思うので、そうした中でもしインターネットやブログなどのツールを活用するのであれば少しづつでもコメントを入れ合うことや自分の作品や考え方を他人に見てもらうようにするのが、自分のためには良いように思う。
最終作品を発表する前に誰かに何かちょっとでも言ってもらえるのは本当に幸せなことだと、心から思う。
15.ブログとインターネット
まず、このブログ。
文章に書くと言うのは思考の断片を整理して一方向に収束させる作用がある。それはブログも同じ。ただ、他人に見られるのを意識して書くのだからメモ程度の内容であってもある程度まとまり感のあるところまで持っていく必要はあると思う。(勝手に思っているだけだが。) それはすなわちレポートのような物を”まとめる”と言う時には頭の整理として有効だったと思われる。
その手前の発想の段階では紙に絵を描くようなメモになっていたり、マインドマップのような発散したものを描いている。できればそうしたメモが残せるブログがあれば良いのだが。しかしまあ、まとめると言う行為も必要だったから今の形のブログは役立ったと感じている。
しかし、残念に思うこともある。
その昔、インターネットで便利なことは?と聞くと、ほとんどの人が (つまり仕事で最初に使わざるを得なくなったオヤジ世代。つまり私と同世代も入る。) 調べ物に便利だと言っていた。その名残は今でも残っていてたぶん多くの人は今もその用途で使っているのだろうと思う。
できれば、ここに書いたものについて批判的、または批評的な意見が寄せられると嬉しかった。たまに意見やヒントをいただけたが、数は圧倒的に少なかった。こちらの気分を害することを気遣っての沈黙だと思われるし、コメントを入れるか入れないかはその人の判断に委ねていること、そして入れていただけたらラッキーな位のことなので贅沢は言えないとも思っている。
しかし、これから同じ様に勉強する人達にはもっと意見交換の機会が必要ではないかと思うので、そうした中でもしインターネットやブログなどのツールを活用するのであれば少しづつでもコメントを入れ合うことや自分の作品や考え方を他人に見てもらうようにするのが、自分のためには良いように思う。
最終作品を発表する前に誰かに何かちょっとでも言ってもらえるのは本当に幸せなことだと、心から思う。
2009/04/03
道具の話
パソコンが壊れて修理に出たのを記念して、大学での勉強に使った道具について書いてみようと思う。
1.パソコンについて
2年前に大学に入る事を決めたときにパソコンを新たに購入することも決めた。CADに使う事がわかっていたから、それまで使っていたモバイルタイプのノートでは絶対に不足だと分かっていたためだ。コストと性能を考えればデスクトップタイプを選ぶべきだが、少し大きくても持ち運びをする予定だったのでノートで性能の満足するものが前提になる。
性能の指標はAutoCADスペックから引けば良いのだけれど、そこには触れられていない画面の解像度なども考慮する必要がある。それに値段も。そうなるとあまり選べないことがわかる。HPかLenovoのハイスペックなノートパソコンで、パソコンと言うよりモバイルワークステーションてやつだ。ただし、普通に買うとすごーく高い。
選んだのはLenovoの"Thinkpad T60p"と言うモデル。画面はWSXGAサイズ。本当はWUXGAがあれば良かったが、値段でこれしか選べなかった。秋葉原の安い店で半額強で買った。
2.プリンタ
卒研のためにA1サイズのプリントができる大判プリンタを中古で入手した。
送料込で6万円、紙とスペアのインクをアマゾンで買って全部で8万円になってしまったけれど、20枚程度プリントすればキンコーズでプリントするのと同じになる。それに半日待たされなくて済むし何回も失敗できるからそう高くなかった。おかげで1mx0.9mの模型の型紙もできた。
本当は使い終わってから売れたらもっと良かったが、今は不況で出物が多くてオークションに出しても値段が付かないからダメだ。逆にこれから卒研の人は4万円程度で買えると思う。
HP Designjet500 (オプション付:HPGLカード+160MBメモリ)
これを使って他の人の卒研を手伝ってあげたかったけれど、発色などの印刷品質にクセがあったし、ソフトで編集したファイルの出来によって印刷にコツが必要だったのでそれはできなかった。ごめん。そう言う意味で誰にも勧められる方法ではないと思う。
3.Inkscape
Adobeのイラストレータのようなベクター画像のためのソフトで、無料で使えるもの。プリンタがあるおかげで出力センターの指定するソフトを買わなくても、これで済ますことができたと言うわけだ。
済ますと言ってもこれは今まで使って来たアプリケーションの中で最も使いやすいものだった。アイコンを見ただけで使いかたに迷うことがないほどうまく出来ているのにかなり高機能を備えている。マニュアル本も出ているが必要なかったこともあって、これはかなり好きになった。
この手の道具は業界標準のようになっているものを使うのが普通なのだけれど、建築のデザインと言うのは他人がやらない事をやると言った意味もあるわけだから道具だって本当は自分で選んでも良いだろうと思う。ソフトじゃなくてペンや模型材料だったら迷わずそうするのだから、ソフトでも自由度を獲得したらどうだろう。
但し、現バージョンのInkscapeには印刷の面で重大な欠陥があった。ただ、それを補う方法もあるからあまり心配はしていない。
4.OpenOffice.org
無料で使えるオフィスソフトだが、これがあるおかげでMS-Office付きのパソコンを選ばなくて済んだ。ワープロ、表計算、ドロー(絵を描く)、プレゼンテーションなど一通りのことはできるし、MS-Officeのファイルも読み書きできる。
得に重要だったのが、ドローで、これは上に書いたInkscapeと同じような機能のソフト。あれほど高機能ではないが、CAD図の縮尺を心配せずにパネルレイアウトはできる。これでレイアウトして提出した設計課題もある。使いかたはMS-Officeとそう違わない (但しMS-Officeにドロー機能は無い。オートシェイプと似た操作でできる。) し、こちらの方が便利と思うこともある。無料で使える。
5.GIMP
これはAdobeのフォトショップにあたるソフトで、これも無料で使える。
これは高機能なので複雑なことをやろうとすると少しは慣れが必要だ。でも最近は建築の雑誌でもパソコンやCAD雑誌でも紹介されている。
大学の提出物も卒研も最終的には紙だから、どんなソフトを使っていてもあまり問題はないと思った。
6.Picasa3
Googleが配っている写真アルバムのソフトだけれど、ちょっとした写真の編集にはこれがとても重宝だった。基本的な色修正や切抜きは高機能だけれど重いGIMPを使わなくてもこれで大丈夫だった。たくさんの写真の中から選びながら作業できるのが良いと思う。
7.AutoCAD Architecture 学生版
CADはスクーリングで使ったこともあるのでこれを1万円ほどで購入。壁や柱やその他基本的な建築で使う要素が用意されていてとても楽。最初から最後まで全て3次元でモデリングできるのも素敵なことで、2次元でやっていた時とは頭の中も違ってくるように思う。卒研では2Dは全く使用せず3Dだけでやった。
通常版が高くて買えないのが欠点。
8.スキャナ
1200dpiほどの解像度のCanon製スキャナをフリーマーケットで100円で購入して使っていた。ドライバソフトはCanonからダウンロードできるのでパソコンとの接続は何も問題なし。パネルのプリント解像度が高くて600dpi、通常で300dpiで充分なのでこの古いスキャナはとても役に立った。価値ある100円だった。今どきそんなヤツはいないだろうけど。
9.神奈川県立川崎図書館
これは道具と言えるかどうかわからないが、かなり大切なものだ。
大きくてどんな本でも置いてあるのが良い図書館と考えがちだけれども、それは全く違う。この川崎図書館には大学指定の参考書が8割は置いてある。もし無くてもその代わりになる本がすぐ目に見えるところに置かれていて、あまり迷うことなく目的の資料を手に取ることができる。また、かなり貴重な資料も保管されていて東海大学のパラーディオの著書(翻訳)まで出てきたりする。本がちゃんと選ばれているのが重要なのだ。
ここがあったおかげで在学中に本の購入費がほとんどかからなかった。どうせ買ってもほとんどの本は1回しか目を通さないのだから、それより良い図書館の方が役に立つと思う。
この川崎図書館は建築の基礎を勉強する人間にとっては聖地かもしれない。
10.自転車
自転車は発想の道具だと思う。机に向かって一人で考えていると血液の循環が悪くなるためか、なかなか抜け出せない。自転車に乗ると必ず1つや2つ、新しいアイデアが出てくる。どれだけ助けられたことか。
11.マクドナルド
今は120円だけれど、ちょっと前までは100円でコーヒーが飲めてお代りもできる。しかも冷暖房まで付いているから試験勉強には最適。コピー用紙を持って行って試験回答の練習を2回転ほどしたら試験はほぼ完璧だ。でもスタバじゃ高過ぎる。
12.0.9芯のシャープペンシル
大学の試験の回答用紙の紙質が良過ぎて最初の試験では字がグニャグニャになった。きちんと書こうとして消しゴムを使う時間が長くなって困ったものだから、Bで0.9の芯を入れたシャープペンシルに替えた。回答用紙にはいつもだいたいイラストも入れているから、これは良い選択だったと思う。
13.カメラ
建築ではカメラは必須。これはあたりまえ。以前はリコーのR2を使用していて、これが壊れてからはニコンのP50にした。もうどっちも旧式モデル。そしてどっちも画角28mmの少々広角で乾電池が使えるモデル。電池が切れて撮影出来なくなったときに乾電池ならどこにでも売っている。ジャングルのようなところでも人がいれば乾電池はあった。長期間の取材ではこの条件は外せない。そして最低28mmあれば大きな建物はほとんど入るし、室内撮影もできる。だからこの程度は必要だと思った。
本当ならもっと大きくてちゃんとしたカメラが良いのだろうけれど、どうせたいした写真撮れないからコンパクトカメラにしている。使ってみてリコーの方がニコンより良かったと思う。ニコンは近くのピント合わせがリコーより下手だ。
14.家族
何をやるにも支援は必要だ。これも道具と言ったら失礼だろうか。
イチローだって自分で努力したかも知れないが、将来どうなるかわからない野球をやり続けることを許した家族あっての事に違いない。
1.パソコンについて
2年前に大学に入る事を決めたときにパソコンを新たに購入することも決めた。CADに使う事がわかっていたから、それまで使っていたモバイルタイプのノートでは絶対に不足だと分かっていたためだ。コストと性能を考えればデスクトップタイプを選ぶべきだが、少し大きくても持ち運びをする予定だったのでノートで性能の満足するものが前提になる。
性能の指標はAutoCADスペックから引けば良いのだけれど、そこには触れられていない画面の解像度なども考慮する必要がある。それに値段も。そうなるとあまり選べないことがわかる。HPかLenovoのハイスペックなノートパソコンで、パソコンと言うよりモバイルワークステーションてやつだ。ただし、普通に買うとすごーく高い。
選んだのはLenovoの"Thinkpad T60p"と言うモデル。画面はWSXGAサイズ。本当はWUXGAがあれば良かったが、値段でこれしか選べなかった。秋葉原の安い店で半額強で買った。
2.プリンタ
卒研のためにA1サイズのプリントができる大判プリンタを中古で入手した。
送料込で6万円、紙とスペアのインクをアマゾンで買って全部で8万円になってしまったけれど、20枚程度プリントすればキンコーズでプリントするのと同じになる。それに半日待たされなくて済むし何回も失敗できるからそう高くなかった。おかげで1mx0.9mの模型の型紙もできた。
本当は使い終わってから売れたらもっと良かったが、今は不況で出物が多くてオークションに出しても値段が付かないからダメだ。逆にこれから卒研の人は4万円程度で買えると思う。
HP Designjet500 (オプション付:HPGLカード+160MBメモリ)
これを使って他の人の卒研を手伝ってあげたかったけれど、発色などの印刷品質にクセがあったし、ソフトで編集したファイルの出来によって印刷にコツが必要だったのでそれはできなかった。ごめん。そう言う意味で誰にも勧められる方法ではないと思う。
3.Inkscape
Adobeのイラストレータのようなベクター画像のためのソフトで、無料で使えるもの。プリンタがあるおかげで出力センターの指定するソフトを買わなくても、これで済ますことができたと言うわけだ。
済ますと言ってもこれは今まで使って来たアプリケーションの中で最も使いやすいものだった。アイコンを見ただけで使いかたに迷うことがないほどうまく出来ているのにかなり高機能を備えている。マニュアル本も出ているが必要なかったこともあって、これはかなり好きになった。
この手の道具は業界標準のようになっているものを使うのが普通なのだけれど、建築のデザインと言うのは他人がやらない事をやると言った意味もあるわけだから道具だって本当は自分で選んでも良いだろうと思う。ソフトじゃなくてペンや模型材料だったら迷わずそうするのだから、ソフトでも自由度を獲得したらどうだろう。
但し、現バージョンのInkscapeには印刷の面で重大な欠陥があった。ただ、それを補う方法もあるからあまり心配はしていない。
4.OpenOffice.org
無料で使えるオフィスソフトだが、これがあるおかげでMS-Office付きのパソコンを選ばなくて済んだ。ワープロ、表計算、ドロー(絵を描く)、プレゼンテーションなど一通りのことはできるし、MS-Officeのファイルも読み書きできる。
得に重要だったのが、ドローで、これは上に書いたInkscapeと同じような機能のソフト。あれほど高機能ではないが、CAD図の縮尺を心配せずにパネルレイアウトはできる。これでレイアウトして提出した設計課題もある。使いかたはMS-Officeとそう違わない (但しMS-Officeにドロー機能は無い。オートシェイプと似た操作でできる。) し、こちらの方が便利と思うこともある。無料で使える。
5.GIMP
これはAdobeのフォトショップにあたるソフトで、これも無料で使える。
これは高機能なので複雑なことをやろうとすると少しは慣れが必要だ。でも最近は建築の雑誌でもパソコンやCAD雑誌でも紹介されている。
大学の提出物も卒研も最終的には紙だから、どんなソフトを使っていてもあまり問題はないと思った。
6.Picasa3
Googleが配っている写真アルバムのソフトだけれど、ちょっとした写真の編集にはこれがとても重宝だった。基本的な色修正や切抜きは高機能だけれど重いGIMPを使わなくてもこれで大丈夫だった。たくさんの写真の中から選びながら作業できるのが良いと思う。
7.AutoCAD Architecture 学生版
CADはスクーリングで使ったこともあるのでこれを1万円ほどで購入。壁や柱やその他基本的な建築で使う要素が用意されていてとても楽。最初から最後まで全て3次元でモデリングできるのも素敵なことで、2次元でやっていた時とは頭の中も違ってくるように思う。卒研では2Dは全く使用せず3Dだけでやった。
通常版が高くて買えないのが欠点。
8.スキャナ
1200dpiほどの解像度のCanon製スキャナをフリーマーケットで100円で購入して使っていた。ドライバソフトはCanonからダウンロードできるのでパソコンとの接続は何も問題なし。パネルのプリント解像度が高くて600dpi、通常で300dpiで充分なのでこの古いスキャナはとても役に立った。価値ある100円だった。今どきそんなヤツはいないだろうけど。
9.神奈川県立川崎図書館
これは道具と言えるかどうかわからないが、かなり大切なものだ。
大きくてどんな本でも置いてあるのが良い図書館と考えがちだけれども、それは全く違う。この川崎図書館には大学指定の参考書が8割は置いてある。もし無くてもその代わりになる本がすぐ目に見えるところに置かれていて、あまり迷うことなく目的の資料を手に取ることができる。また、かなり貴重な資料も保管されていて東海大学のパラーディオの著書(翻訳)まで出てきたりする。本がちゃんと選ばれているのが重要なのだ。
ここがあったおかげで在学中に本の購入費がほとんどかからなかった。どうせ買ってもほとんどの本は1回しか目を通さないのだから、それより良い図書館の方が役に立つと思う。
この川崎図書館は建築の基礎を勉強する人間にとっては聖地かもしれない。
10.自転車
自転車は発想の道具だと思う。机に向かって一人で考えていると血液の循環が悪くなるためか、なかなか抜け出せない。自転車に乗ると必ず1つや2つ、新しいアイデアが出てくる。どれだけ助けられたことか。
11.マクドナルド
今は120円だけれど、ちょっと前までは100円でコーヒーが飲めてお代りもできる。しかも冷暖房まで付いているから試験勉強には最適。コピー用紙を持って行って試験回答の練習を2回転ほどしたら試験はほぼ完璧だ。でもスタバじゃ高過ぎる。
12.0.9芯のシャープペンシル
大学の試験の回答用紙の紙質が良過ぎて最初の試験では字がグニャグニャになった。きちんと書こうとして消しゴムを使う時間が長くなって困ったものだから、Bで0.9の芯を入れたシャープペンシルに替えた。回答用紙にはいつもだいたいイラストも入れているから、これは良い選択だったと思う。
13.カメラ
建築ではカメラは必須。これはあたりまえ。以前はリコーのR2を使用していて、これが壊れてからはニコンのP50にした。もうどっちも旧式モデル。そしてどっちも画角28mmの少々広角で乾電池が使えるモデル。電池が切れて撮影出来なくなったときに乾電池ならどこにでも売っている。ジャングルのようなところでも人がいれば乾電池はあった。長期間の取材ではこの条件は外せない。そして最低28mmあれば大きな建物はほとんど入るし、室内撮影もできる。だからこの程度は必要だと思った。
本当ならもっと大きくてちゃんとしたカメラが良いのだろうけれど、どうせたいした写真撮れないからコンパクトカメラにしている。使ってみてリコーの方がニコンより良かったと思う。ニコンは近くのピント合わせがリコーより下手だ。
14.家族
何をやるにも支援は必要だ。これも道具と言ったら失礼だろうか。
イチローだって自分で努力したかも知れないが、将来どうなるかわからない野球をやり続けることを許した家族あっての事に違いない。
2009/04/02
遅れてきた建築探訪 アテネフランセ
いただき物の本「大竹康市番外地講座 これが建築なのだ」を読みながら地下鉄都営線に乗っていたら視線の斜め上方に”アテネフランセ”と書いたピンク色っぽい広告が貼ってあった。どこかで聞いたような単語だと思ったら、持っているその本の中に出てきた外国語学校のことだった。
72ページの最初の行に、大竹氏が大学3年のときに仙台からわざわざこれを見に来て「なんと奇妙な建築なのか、なんでわざわざ醜いプロポーションを選んで...」それが心に引っかかったと書いてある。
なるほど、そう言う目で見ると確かに全体の形は変だ。ピンク色の部分と中央の塔のような部分とステンレスの波の部分がまるで別々の建物のように見えるし、調和している風でもない。
中も変で、窓が三角だったりするし、天井が斜めでその斜めが別の角度の斜めと変な感じにぶつかっている。にも関わらず平面図はそれほど変わったものでもない。
とても解釈し難い建築物だと思う。この本によれば詳細からスタートしたものらしいと分かるが、詳しくは書かれていない。大学の課題で語学学校を設計せよと言われたら、まずこれはできないだろう事だけは想像できる。無理だ。
下は裏側から見た図。波打った屋根が乗っているのがわかる。
何だか良くわからなかったが、昭和の一時代にこのような色やデザインが受け入れられていたのは朧(おぼろ)げながらわかるような気がした。
72ページの最初の行に、大竹氏が大学3年のときに仙台からわざわざこれを見に来て「なんと奇妙な建築なのか、なんでわざわざ醜いプロポーションを選んで...」それが心に引っかかったと書いてある。
なるほど、そう言う目で見ると確かに全体の形は変だ。ピンク色の部分と中央の塔のような部分とステンレスの波の部分がまるで別々の建物のように見えるし、調和している風でもない。
中も変で、窓が三角だったりするし、天井が斜めでその斜めが別の角度の斜めと変な感じにぶつかっている。にも関わらず平面図はそれほど変わったものでもない。
とても解釈し難い建築物だと思う。この本によれば詳細からスタートしたものらしいと分かるが、詳しくは書かれていない。大学の課題で語学学校を設計せよと言われたら、まずこれはできないだろう事だけは想像できる。無理だ。
下は裏側から見た図。波打った屋根が乗っているのがわかる。
何だか良くわからなかったが、昭和の一時代にこのような色やデザインが受け入れられていたのは朧(おぼろ)げながらわかるような気がした。
遅れてきた建築探訪 東京カテドラル聖マリア大聖堂
東京カテドラル聖マリア大聖堂を見学させていただいた。
「たったこれだけの事しかしていないのに、こんなに素晴らしい空間が!」と言う見本のような造形だけれども、よく見ると”たった”とも言えないディテールの工夫が見られる。東京文化会館や西洋美術館などにもあるような壁面の筋や光の取り入れ方がモダニズムの見本のようだ。
外見からは大きな斜めの壁が互いに寄りかかっている様子が印象的すぎるほどなのだけれども、その銀色の壁はその下端の全てをどっかりと地面に着地させて立っていたわけではなかった。内部から見るとやはり教会らしく側廊が設けられていて、それは斜めの壁の外側にあるから壁はそこで切られていて地面に接していない部分がかなり長い。
外からその部分をよく見るとあの派手な造形の斜めの壁の足元の部分も、その造形に工夫が多いことに気付く。この周囲に付加された建物も同様であった。
最初にこれを外から見たときには、意外と小さいのだなと思った。中に入ると想像以上に大きな空間に驚く。目が慣れてくるとディテールにも驚く。そんなわけで、歩いて移動するたびに”うわー”などと口を開けてしまうのだけれども、そのあたりはこの記事の中の文字に反映されないので悪しからず。(妻の友人が以前にここで結婚式を挙げたときに妻も中に入ってやはり”うわー”だったそうだ。その気持ちが確かにわかった。次回の結婚式はここでしよう。)
一般に見所と言われるような写真も掲載しないので、それも悪しからず。有名建築物なのでそんなのは要らないでしょう。
「たったこれだけの事しかしていないのに、こんなに素晴らしい空間が!」と言う見本のような造形だけれども、よく見ると”たった”とも言えないディテールの工夫が見られる。東京文化会館や西洋美術館などにもあるような壁面の筋や光の取り入れ方がモダニズムの見本のようだ。
外見からは大きな斜めの壁が互いに寄りかかっている様子が印象的すぎるほどなのだけれども、その銀色の壁はその下端の全てをどっかりと地面に着地させて立っていたわけではなかった。内部から見るとやはり教会らしく側廊が設けられていて、それは斜めの壁の外側にあるから壁はそこで切られていて地面に接していない部分がかなり長い。
外からその部分をよく見るとあの派手な造形の斜めの壁の足元の部分も、その造形に工夫が多いことに気付く。この周囲に付加された建物も同様であった。
最初にこれを外から見たときには、意外と小さいのだなと思った。中に入ると想像以上に大きな空間に驚く。目が慣れてくるとディテールにも驚く。そんなわけで、歩いて移動するたびに”うわー”などと口を開けてしまうのだけれども、そのあたりはこの記事の中の文字に反映されないので悪しからず。(妻の友人が以前にここで結婚式を挙げたときに妻も中に入ってやはり”うわー”だったそうだ。その気持ちが確かにわかった。次回の結婚式はここでしよう。)
一般に見所と言われるような写真も掲載しないので、それも悪しからず。有名建築物なのでそんなのは要らないでしょう。
遅れてきた建築探訪 高島平団地
今が旬でない、あまり注目されない建築を探訪してきた。
この高島平団地は噂通り巨大な敷地に巨大な集合住宅棟を数多く並べた団地だった。都営三田線の駅を3つも占有しているほど幅がある。それだけでもびっくりさせられる。
建物のいくつかはその地面に接する部分に商店やスーパーマーケットを備えていて、生活に必要な物を買うには不自由しない工夫が成されているようだった。団地が駅に直結していて、そこで買わなければ他に買うところが無いわけだから、当たり前と言えば当たり前なのだが。
ただ、駅に近い建物に大手百貨店系のスーパーがあるが、その他は八百屋さん床屋さん書店などの小規模な小売店が多かった。閉店してしまってテナント募集の貼り紙も多かったから居住人口が多いだけでは商売は成り立たないのかも知れない。
ちなみにその貼り紙によれば、店舗使用料金が月額12万円ほど保証金は6ヶ月となっていたから団地に住んでいる誰かに出店してもらうと言った、内部循環的な発想で店舗スペースが確保されているのではないらしい。あくまでも住民は消費者とみなされているのだと思われる。そのあたりはどこかの街の再開発地と似たようなもので驚くにはあたらない。
店舗スペースと同じような場所には保育所も用意されていてちゃんと稼動しているようだった。保育所はなぜかとても厳重に囲われていて少し違和感を感じざるを得なかった。なぜなら、保育所の周囲はもちろん広い団地の敷地であるから広い芝生の庭のような場所になっていたし、建物と建物の間は広いなんとか広場が必ずあるので保育所に預けられる子供たちはそこを利用しないのだろうか、と思ったからだ。
そのわけはこう言うたくさんの看板の群れを見ると納得できなくもない。この敷地にはこうやって見学のためだけに出入りするのも自由なのだから、たまにおかしな人間が入ってきて子供に危険が及ぶこともあるかもしれない。それならばと言うことで、ここに住む特定の人間のためだけにここを全て囲ってゲーテッド・シティにしてしまう事も考えられなくもないが、これだけの規模であると”特定の人間”と”不特定の人間”の区別は難しいだろう。やはり子供たちだけ囲いに入れる方が現実的と言うことだろうか。
そう思いながらここを歩いていると、棟ごとの大きなゴミ集積場が並んでいるのが目に入る。一つ一つがかなり大きくてそれだけでもここの規模を思い知らされるようだ。
そこでもう一つびっくりすることがある。それは、ゴミ箱のアルミ缶専用コンテナにアルミ缶が山ほど入ったまま放置されている事だ。北京オリンピックが過ぎたとは言え、アルミ缶がそのまま手付かずでこれほど見られる光景があるとは思いもよらなかった。
これがK市ならアルミ缶だけ集めて売ると言う商売をしている方々が多くいるのでアルミ缶が放置されているなど今時有り得ない。逆に言えば高島平団地にはその敷地の建物内に住んでいる人しかほとんど出入りしないと言うことだろう。そんな場所でも子供が保育所で囲われなければならないのは不思議である。同じ意味でこうした禁止看板が多いのも不思議だ。
団地には緑地がかなり多くて明るい印象であったが、その緑地はどうやら住民が自由に使える種類の緑地でもないらしい。これだけ人が多ければ家の前の地面に花を植える程度の道楽をする人間が少しはいそうに思うが、そうでもないらしい。ちなみに先のK市なら道路にはみ出るほどプランターを置いていたり、公園の禿げたところに勝手に花を植えていく人間はけっこういると思う。この写真には植木鉢があるが、昔に放棄されたものらしい。
少し見て回っただけなのだが、団地と言うのはこれだけの人間を集めてもそれを街とか村のようなものにはさせない力が働いている特別な場所のように思われた。人が多く集まっただけではそうしたものにはならないのだろうけれども、団地とは住むと言う機能を集積して特化したものと定義されるのだろうか。
この高島平団地は噂通り巨大な敷地に巨大な集合住宅棟を数多く並べた団地だった。都営三田線の駅を3つも占有しているほど幅がある。それだけでもびっくりさせられる。
建物のいくつかはその地面に接する部分に商店やスーパーマーケットを備えていて、生活に必要な物を買うには不自由しない工夫が成されているようだった。団地が駅に直結していて、そこで買わなければ他に買うところが無いわけだから、当たり前と言えば当たり前なのだが。
ただ、駅に近い建物に大手百貨店系のスーパーがあるが、その他は八百屋さん床屋さん書店などの小規模な小売店が多かった。閉店してしまってテナント募集の貼り紙も多かったから居住人口が多いだけでは商売は成り立たないのかも知れない。
ちなみにその貼り紙によれば、店舗使用料金が月額12万円ほど保証金は6ヶ月となっていたから団地に住んでいる誰かに出店してもらうと言った、内部循環的な発想で店舗スペースが確保されているのではないらしい。あくまでも住民は消費者とみなされているのだと思われる。そのあたりはどこかの街の再開発地と似たようなもので驚くにはあたらない。
店舗スペースと同じような場所には保育所も用意されていてちゃんと稼動しているようだった。保育所はなぜかとても厳重に囲われていて少し違和感を感じざるを得なかった。なぜなら、保育所の周囲はもちろん広い団地の敷地であるから広い芝生の庭のような場所になっていたし、建物と建物の間は広いなんとか広場が必ずあるので保育所に預けられる子供たちはそこを利用しないのだろうか、と思ったからだ。
そのわけはこう言うたくさんの看板の群れを見ると納得できなくもない。この敷地にはこうやって見学のためだけに出入りするのも自由なのだから、たまにおかしな人間が入ってきて子供に危険が及ぶこともあるかもしれない。それならばと言うことで、ここに住む特定の人間のためだけにここを全て囲ってゲーテッド・シティにしてしまう事も考えられなくもないが、これだけの規模であると”特定の人間”と”不特定の人間”の区別は難しいだろう。やはり子供たちだけ囲いに入れる方が現実的と言うことだろうか。
そう思いながらここを歩いていると、棟ごとの大きなゴミ集積場が並んでいるのが目に入る。一つ一つがかなり大きくてそれだけでもここの規模を思い知らされるようだ。
そこでもう一つびっくりすることがある。それは、ゴミ箱のアルミ缶専用コンテナにアルミ缶が山ほど入ったまま放置されている事だ。北京オリンピックが過ぎたとは言え、アルミ缶がそのまま手付かずでこれほど見られる光景があるとは思いもよらなかった。
これがK市ならアルミ缶だけ集めて売ると言う商売をしている方々が多くいるのでアルミ缶が放置されているなど今時有り得ない。逆に言えば高島平団地にはその敷地の建物内に住んでいる人しかほとんど出入りしないと言うことだろう。そんな場所でも子供が保育所で囲われなければならないのは不思議である。同じ意味でこうした禁止看板が多いのも不思議だ。
団地には緑地がかなり多くて明るい印象であったが、その緑地はどうやら住民が自由に使える種類の緑地でもないらしい。これだけ人が多ければ家の前の地面に花を植える程度の道楽をする人間が少しはいそうに思うが、そうでもないらしい。ちなみに先のK市なら道路にはみ出るほどプランターを置いていたり、公園の禿げたところに勝手に花を植えていく人間はけっこういると思う。この写真には植木鉢があるが、昔に放棄されたものらしい。
少し見て回っただけなのだが、団地と言うのはこれだけの人間を集めてもそれを街とか村のようなものにはさせない力が働いている特別な場所のように思われた。人が多く集まっただけではそうしたものにはならないのだろうけれども、団地とは住むと言う機能を集積して特化したものと定義されるのだろうか。
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